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第六話 怪人のエレジー
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「サガリ二人前。あー。あと、大ジョッキのビール一杯。それと、豚トロとレバー。あとついでに、石焼きビビンバも追加」
「はあ……」
ここは某焼肉店。現在美江は、永山と向かい合って席に着き、どんよりとしていた。
「私が悪かったのは認めるけど」
異常な殺気に振り向いてから、美江は世にもおぞましい永山ピエロからありとあらゆる暴言を吐き倒されてしまった。その内容については、もう慣れっこになりつつあるせいか、そこまで心にダメージを負うことはなかった。問題は永山の怒りがそれだけでは収まりきらなかったところにあった。
『本当、何考えてんだよてめえは。人のバイトの貸し衣装はボロボロにするわ、顔のメイクまでぐちゃぐちゃにしていらねえ恥までかかせるわ。当然、クリーニング代は払わせるとして、それ以外にはどんな形で誠意を示してもらおうかなあ。まさか、ごめんなさーい! てへぺろ。で済まそうだなんて思ってねえよなあ。ん? ん? ん?』
とまあ、このような感じで責め立てられた結果、全てのことを水に流すという条件の元で現在の状況に至るのである。
ちなみに、永山は既にピエロルックではなく、ピカピカのこじゃれた赤ジャージを身につけている。無論、それも美江が『慰謝料』の名目で購入させられた代物だ。
「どんだけ食べるのよ。一人でこんなにたくさん……ああ、もう」
永山の前には、空になった皿が高層ビルの如く山積みになっている。細身のくせに、これほど食らいつくすなんて反則だろう。
店に入ってからウーロン茶一杯でねばっている美江は、やせ細っていく自分の財布を想像して溜め息をついた。
「いやーうまいな。焼肉とか酒とか、自分で金出して食ったり飲んだりなんてしねえからな。じゃあ、そろそろ」
「お会計?」
「なわけねえだろ。そろそろ、お前が必死こいてあの怪人をかばってた理由を聞かせてもらおうと思ってな。どうせくだらない話なんだろうけど、酒のつまみくらいにはなるかなあと。おい、そこの店員。ハイボール追加な」
「……」
こいつ、食べる量もすごいが、飲酒量も半端ではない。普通の人間なら既にぶっ倒れてもおかしくない量を摂取しているというのに、ケロッとしていやがる。身体能力だけではなく、肝臓まで化け物クラスではないか。
「どうした。まーた俺に見とれてやがるのか」
「違うわよ。大体、向かい合って席についてるんだから、嫌でもあんたが視界に入るのは当たり前のことじゃないの。わかったわよ、話すから。お話すればいいんでしょ」
美江はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる永山にうんざりしながら、渋々話を始めた。
「あの桜井さんって人はね、皇帝の手によって派遣された、悪事を働く怪人とは違うの」
「は? 皇帝って誰だよ」
しかし、永山の爆弾発言のせいで話の腰はあっという間にへし折られてしまった。
「あんた、ヒーローのくせに皇帝のこと知らないわけ?」
「知らないっていうか、覚えてねえ」
「はあ……。皇帝っていうのは、ナーゾノ星の統率者のことでしょ。いつだかに、怪人が出た時に口滑らせてしゃべってたでしょ」
「そういえば、そうだった気がするなあ」
「全く、頼りないったらありゃしない。で、話を戻すけど。とにかくあの人は、怪人とは思えないくらいいい人なのよ。地球に来た理由が、家族のために出稼ぎをするため。ご両親と幼い兄弟の生活を支えるために、たった一人で故郷から離れた遠い星へ。こんな美談、滅多にお目にかかれないわよ」
「どうでもいいけど、お前が語るとやけに安っぽい話に聞こえるな」
「悪かったわね。でも、私が言いたいことくらいは伝わったでしょ。あの人には、退治されるいわれなんてこれっぽっちもないの。だから、今回は見逃がしてあげて」
「……」
永山は手に持ったジョッキをテーブルに置き、眉をひそめたまま動きを止めた。
「どうしたの、急に」
「別に……」
そうは言いつつも、明らかに何かを言いたがっているように見えて仕方がない。
まあ、永山のことだ。真面目そうな顔をしていたってどうせ、ろくな話はしないだろう。
美江はそう思ったものの、妙に気にかかったため、一応掘り下げてみることにした。
「何よ、その煮え切らない感じの態度は。らしくないわね」
「……あのさ。何で俺が金にやたらと執着してるのか、聞きたくないか」
「は?」
いや、確かに以前から気にはなっていることではあるが、何故このタイミングでそんなことを。あまりにも、唐突過ぎやしないだろうか。
「酔ってる?」
「全然。で、聞きたいのか。聞きたくないのか」
「そりゃあ、まあ。聞きたいけど」
「なら、お望み通り話してやるとするか。今は気分がいいから、特別にタダにしておいてやるから感謝しろよ」
永山はいつになく真剣な面持ちを作ると、美江のことをじっと見据えた。そして、網の上に置かれた肉が焦げ始めたことになど気にも止めずにゆっくりと語り始めた。
「俺はな、ガキの頃に親父とお袋を亡くしたんだ。交通事故で、一遍にな。それからはずっと、歳の離れた姉貴が親代わりだった」
「えっ……」
そんな話、今まで一度たりとも聞いたことがない。もしかしてこの男、とんでもない生い立ちを背負っているのか。
「家賃の安いアパートに二人で住んでる間、姉貴は必死に働いて俺を養ってくれた。最初こそ親戚に頼って暮らしていたが、これ以上迷惑はかけられないとか言ってな。朝も夜中も、ずっと働きづめさ。一回『俺もバイトしようか?』って言ったことがあったが『努は学業に専念なさい。学生時代は楽しまないとね』なーんて返されちまった。自分は途中で学校やめて、仕事に就いたくせにさ」
「……」
「しばらくして、そんな姉貴にもようやく恋人って奴ができた。確か、俺が高校生に入ってすぐくらいの頃だ。職場で知り合った恋人ってのが、またいい人でさ。その人が俺の義理の兄貴になるのにはそんなに時間はかからなかった。二人の結婚が決まった時、姉貴達は俺にも一緒に暮らそうって声をかけてくれたんだが、それは断った。姉貴はそれまでの間、血のにじむような苦労を重ねてきた。だから、いい加減自分の幸せのことも考えて欲しかったってわけだ。しばらくして、姉貴夫婦に子供が出来て、幸福の絶頂って時が来た。だがな、その生まれた子供には……先天性の病気があった」
「病気?」
「ああ。その病気ってのがまた厄介でさ。継続的な治療が必要な上に、その費用ってのが馬鹿にならないんだ。姉貴夫婦の収入だけじゃ、どうしようもならないくらいにな。だが、それを聞いてから俺は思ったんだ。今度は俺が、姉貴を支えてならねえと。今まで受けてきた恩を、返してやらねえとってな。そう誓ってから、俺は進学も就職もせずに死に物狂いで金を稼ぐ金の亡者って奴になった」
「そんな理由で……でも、どうして就職しなかったのよ。お金を稼ぐんだったら」
「だって、就職なんてしたら副業ができないだろ? それに、手っ取り早く稼ぐには効率悪いしさ。だから、このヒーローって職に巡り合った時には天職だって思ったよ。色々な要素を加味してな。そういうわけで、俺はどんな事情を持っている怪人が相手だったとしても、退治するように言われた以上命令に従う。給料が歩合制である以上、その方針は曲げられねえ。ま、そんなわけだ。お前が怪人を見逃がしてくれって言ってきても受け入れられねえ。それについては、あきらめてくれ」
「そんな……」
ただの外道ヒーローだと思っていた永山が、このような事情を抱えていただなんて。
本日二度目となるお涙ちょうだいなお話に、美江は目を見張ったまま固まるばかりであった。
静寂に包まれた空間の中に、網の上で焼け焦げる肉の音だけがむなしく響き渡る。しかし、この湿っぽい雰囲気は、まもなくぶち壊されることとなった。
「ぷっ……くっくっく」
突然永山は、プルプルと肩を震わせながらうつむきだした。しかも、ニヤリとした口元からは声までもらしている。
いや、まさかこいつ。
美江の胸に嫌な予感がよぎった直後。永山はケラケラと笑い転げ始めた。
「くはははは! 何しんみりしてやがんだよ。こんな絵にかいたような美談、嘘っぱちに決まってるだろうが!」
「はあ⁉」
多少そんなオチじゃないかなあと思っていたものの、やはり腹立たしいものは腹立たしい。
この時点で暴れ出しそうなくらい激昂していた美江であったが、永山の爆弾発言はまだまだ止まらない。
「俺の親父とお袋はな、殺したって死なないくらいピンピンしてやがるし、姉貴は実在してるが、実物はいい歳して行き遅れてる年増女だからな。俺が金に執着してるのはな、単に稼げるうちに稼いでおいて、一生遊べるくらいの金を貯めたら隠居して優雅に暮らそうって目論んでるってだけさ。それなのに、あんな即興で作ったでっちあげをコロッと信じて……はっははは!」
「そ、それは……」
今の話を不覚にも信じてしまったのは、永山の様子がとても芝居には見えなかったからだ。嘘っぱちの長話に付き合わされた挙句、目頭が熱くなってしまった分の時間を返せ。
「ははーん。その顔は、俺のでっちあげで無駄にした分の時間を返せって顔だな。だがな、安心しろ。俺はな、お前の時間をドブに捨てるためにこんな虫唾の走るような話をくっちゃべったんじゃねえんだよ」
「え?」
こんな意地の悪いくだりに、何らかの意図があっただと?
美江はいまいち信用できなかったが、聞くだけ聞いてみることにした。
「それ、どういうこと?」
「まあ、そうあせるなって。この黒焦げの肉をやるから、少しは冷静になれ」
「いらないわよ! 責任もって自分で処理しなさいよ」
「へいへい。……うん、こりゃあ完全に炭だなあ」
永山は網から黒焦げの肉をかっさらい、強引に口に放り込んでからさらに続けた。
「お前さ、俺のでっちあげ話を本気で信じたろ」
「それ、馬鹿にして言ってる?」
「馬鹿にするんだったら、もっと徹底的にこき下ろしてるぞ。これは、何の悪意もなく質問してるだけだ。だから、お前も悪意を抜きにして答えろ」
「……ん、まあ。そりゃあ、信じたわよ」
「だろうな。お前って奴は、よくも悪くも単純だもんな」
「やっぱり、馬鹿にしてるでしょ」
「してねえって言ってるだろ。つまり、俺が言おうとしてることはだな。お前は、人の話を鵜呑みにし過ぎなんだよ。あの怪人が嘘をついてる可能性だとか、少しは考えなかったのか」
「えっ……」
美江は永山の言うように、桜井の言葉をほんの少しも疑わずに聞き入れていた。だがそれは、彼が嘘をついているようには見えなかったからであって……。
(あれ?)
そういえば、永山のでっちあげ美談を聞いていた時にも同じような感想を抱いたような。
しかし、それは永山が嘘をつくのがうまいというだけの話に過ぎないだろう。桜井は、それとは違う。彼を面と向かって話した時間はごくわずかであるが、伝わってきた人柄は本物だ。決して、悪い人なんかではない。
「か、考えなかったに決まってるでしょ。だって……」
「いい奴に見えたからか?」
「うっ」
どうしてこの男は、さっきからこちらの思考を読むようなことばかりを言ってくるのだ。
そうは思ったものの、美江は返す言葉もなく、ぐうの音を上げることも出来なかった。
「やっぱりな。だから、お前は単純だって言ってるんだよ。世の中にはな、羊みたいな顔をした怪物だってうじゃうじゃいるんだぞ。しかも、さっきの奴は怪人なんだろ? いくらいい奴そうに見えたところで、実際何を考えてるのかわかったもんじゃねえだろうが。それを、ありがちな美談を語られただけでコロッと信じやがって。警戒心がないにもほどがあるってもんだろうが。もしお前に何かがあったらさ……その。俺が黒沢とかにああだこうだ言われかねないんだからさ。お前は監視役なんだから、少しはしっかりしてくれ」
「ま、まあ……」
永山の言い分にも、めずらしく一理あるかもしれない。確かに、この地域に仇を成す怪人の話を素直に聞き入れ過ぎてしまったことについては、KTHに所属するものとして浅はかだったかもしれない。それでも……。
「私は……あんたが何と言おうと、桜井さんを信じたいわ。怪人だって、みんながみんな悪い奴だとは限らないでしょ。それに、あれは絶対に演技なんかじゃなかった。あんたの嘘は見抜けなかったけど、それだけはわかるわ。あんたが何と言おうとも、私はあの人のこと信じるから。明日立花さんに掛け合って、彼を退治しないように説得してみせるから」
「ほーう」
永山は目を細めて、後ろ手に縛っている髪を指先でいじる。そして、フッと口元に笑みをたたえた。
「お前がそうしたいんだったら、そうすりゃあいいさ。だがな、俺の見立てが正しかったらあのババアは……」
何かを言いかけたかと思うと「いや、やっぱ何でもねえわ」と中途半端な形で打ち切ってしまった。
「何よ、そこまで言っておいて。最後まで話してみなさいよ」
「いや、確信がないことを軽々しく言ったらろくなことにならねえからやめとく。さーてと、真面目な話はここまでだ。じゃ、小腹も空いてきたことだし……おい、店員。特上カルビ三人前追加」
「ま、待ってよ。せめて、食べるんだったらせめて上までにしておいてよ!」
永山の底なしの胃袋は、しばらくその後も猛威を振るい続けた。
それから数十分後。焼肉店のサービスであるアメをわし掴みにし去っていく永山を背にしながら、美江は会計で提示された金額を見て腰を抜かしたのだった。
「はあ……」
ここは某焼肉店。現在美江は、永山と向かい合って席に着き、どんよりとしていた。
「私が悪かったのは認めるけど」
異常な殺気に振り向いてから、美江は世にもおぞましい永山ピエロからありとあらゆる暴言を吐き倒されてしまった。その内容については、もう慣れっこになりつつあるせいか、そこまで心にダメージを負うことはなかった。問題は永山の怒りがそれだけでは収まりきらなかったところにあった。
『本当、何考えてんだよてめえは。人のバイトの貸し衣装はボロボロにするわ、顔のメイクまでぐちゃぐちゃにしていらねえ恥までかかせるわ。当然、クリーニング代は払わせるとして、それ以外にはどんな形で誠意を示してもらおうかなあ。まさか、ごめんなさーい! てへぺろ。で済まそうだなんて思ってねえよなあ。ん? ん? ん?』
とまあ、このような感じで責め立てられた結果、全てのことを水に流すという条件の元で現在の状況に至るのである。
ちなみに、永山は既にピエロルックではなく、ピカピカのこじゃれた赤ジャージを身につけている。無論、それも美江が『慰謝料』の名目で購入させられた代物だ。
「どんだけ食べるのよ。一人でこんなにたくさん……ああ、もう」
永山の前には、空になった皿が高層ビルの如く山積みになっている。細身のくせに、これほど食らいつくすなんて反則だろう。
店に入ってからウーロン茶一杯でねばっている美江は、やせ細っていく自分の財布を想像して溜め息をついた。
「いやーうまいな。焼肉とか酒とか、自分で金出して食ったり飲んだりなんてしねえからな。じゃあ、そろそろ」
「お会計?」
「なわけねえだろ。そろそろ、お前が必死こいてあの怪人をかばってた理由を聞かせてもらおうと思ってな。どうせくだらない話なんだろうけど、酒のつまみくらいにはなるかなあと。おい、そこの店員。ハイボール追加な」
「……」
こいつ、食べる量もすごいが、飲酒量も半端ではない。普通の人間なら既にぶっ倒れてもおかしくない量を摂取しているというのに、ケロッとしていやがる。身体能力だけではなく、肝臓まで化け物クラスではないか。
「どうした。まーた俺に見とれてやがるのか」
「違うわよ。大体、向かい合って席についてるんだから、嫌でもあんたが視界に入るのは当たり前のことじゃないの。わかったわよ、話すから。お話すればいいんでしょ」
美江はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる永山にうんざりしながら、渋々話を始めた。
「あの桜井さんって人はね、皇帝の手によって派遣された、悪事を働く怪人とは違うの」
「は? 皇帝って誰だよ」
しかし、永山の爆弾発言のせいで話の腰はあっという間にへし折られてしまった。
「あんた、ヒーローのくせに皇帝のこと知らないわけ?」
「知らないっていうか、覚えてねえ」
「はあ……。皇帝っていうのは、ナーゾノ星の統率者のことでしょ。いつだかに、怪人が出た時に口滑らせてしゃべってたでしょ」
「そういえば、そうだった気がするなあ」
「全く、頼りないったらありゃしない。で、話を戻すけど。とにかくあの人は、怪人とは思えないくらいいい人なのよ。地球に来た理由が、家族のために出稼ぎをするため。ご両親と幼い兄弟の生活を支えるために、たった一人で故郷から離れた遠い星へ。こんな美談、滅多にお目にかかれないわよ」
「どうでもいいけど、お前が語るとやけに安っぽい話に聞こえるな」
「悪かったわね。でも、私が言いたいことくらいは伝わったでしょ。あの人には、退治されるいわれなんてこれっぽっちもないの。だから、今回は見逃がしてあげて」
「……」
永山は手に持ったジョッキをテーブルに置き、眉をひそめたまま動きを止めた。
「どうしたの、急に」
「別に……」
そうは言いつつも、明らかに何かを言いたがっているように見えて仕方がない。
まあ、永山のことだ。真面目そうな顔をしていたってどうせ、ろくな話はしないだろう。
美江はそう思ったものの、妙に気にかかったため、一応掘り下げてみることにした。
「何よ、その煮え切らない感じの態度は。らしくないわね」
「……あのさ。何で俺が金にやたらと執着してるのか、聞きたくないか」
「は?」
いや、確かに以前から気にはなっていることではあるが、何故このタイミングでそんなことを。あまりにも、唐突過ぎやしないだろうか。
「酔ってる?」
「全然。で、聞きたいのか。聞きたくないのか」
「そりゃあ、まあ。聞きたいけど」
「なら、お望み通り話してやるとするか。今は気分がいいから、特別にタダにしておいてやるから感謝しろよ」
永山はいつになく真剣な面持ちを作ると、美江のことをじっと見据えた。そして、網の上に置かれた肉が焦げ始めたことになど気にも止めずにゆっくりと語り始めた。
「俺はな、ガキの頃に親父とお袋を亡くしたんだ。交通事故で、一遍にな。それからはずっと、歳の離れた姉貴が親代わりだった」
「えっ……」
そんな話、今まで一度たりとも聞いたことがない。もしかしてこの男、とんでもない生い立ちを背負っているのか。
「家賃の安いアパートに二人で住んでる間、姉貴は必死に働いて俺を養ってくれた。最初こそ親戚に頼って暮らしていたが、これ以上迷惑はかけられないとか言ってな。朝も夜中も、ずっと働きづめさ。一回『俺もバイトしようか?』って言ったことがあったが『努は学業に専念なさい。学生時代は楽しまないとね』なーんて返されちまった。自分は途中で学校やめて、仕事に就いたくせにさ」
「……」
「しばらくして、そんな姉貴にもようやく恋人って奴ができた。確か、俺が高校生に入ってすぐくらいの頃だ。職場で知り合った恋人ってのが、またいい人でさ。その人が俺の義理の兄貴になるのにはそんなに時間はかからなかった。二人の結婚が決まった時、姉貴達は俺にも一緒に暮らそうって声をかけてくれたんだが、それは断った。姉貴はそれまでの間、血のにじむような苦労を重ねてきた。だから、いい加減自分の幸せのことも考えて欲しかったってわけだ。しばらくして、姉貴夫婦に子供が出来て、幸福の絶頂って時が来た。だがな、その生まれた子供には……先天性の病気があった」
「病気?」
「ああ。その病気ってのがまた厄介でさ。継続的な治療が必要な上に、その費用ってのが馬鹿にならないんだ。姉貴夫婦の収入だけじゃ、どうしようもならないくらいにな。だが、それを聞いてから俺は思ったんだ。今度は俺が、姉貴を支えてならねえと。今まで受けてきた恩を、返してやらねえとってな。そう誓ってから、俺は進学も就職もせずに死に物狂いで金を稼ぐ金の亡者って奴になった」
「そんな理由で……でも、どうして就職しなかったのよ。お金を稼ぐんだったら」
「だって、就職なんてしたら副業ができないだろ? それに、手っ取り早く稼ぐには効率悪いしさ。だから、このヒーローって職に巡り合った時には天職だって思ったよ。色々な要素を加味してな。そういうわけで、俺はどんな事情を持っている怪人が相手だったとしても、退治するように言われた以上命令に従う。給料が歩合制である以上、その方針は曲げられねえ。ま、そんなわけだ。お前が怪人を見逃がしてくれって言ってきても受け入れられねえ。それについては、あきらめてくれ」
「そんな……」
ただの外道ヒーローだと思っていた永山が、このような事情を抱えていただなんて。
本日二度目となるお涙ちょうだいなお話に、美江は目を見張ったまま固まるばかりであった。
静寂に包まれた空間の中に、網の上で焼け焦げる肉の音だけがむなしく響き渡る。しかし、この湿っぽい雰囲気は、まもなくぶち壊されることとなった。
「ぷっ……くっくっく」
突然永山は、プルプルと肩を震わせながらうつむきだした。しかも、ニヤリとした口元からは声までもらしている。
いや、まさかこいつ。
美江の胸に嫌な予感がよぎった直後。永山はケラケラと笑い転げ始めた。
「くはははは! 何しんみりしてやがんだよ。こんな絵にかいたような美談、嘘っぱちに決まってるだろうが!」
「はあ⁉」
多少そんなオチじゃないかなあと思っていたものの、やはり腹立たしいものは腹立たしい。
この時点で暴れ出しそうなくらい激昂していた美江であったが、永山の爆弾発言はまだまだ止まらない。
「俺の親父とお袋はな、殺したって死なないくらいピンピンしてやがるし、姉貴は実在してるが、実物はいい歳して行き遅れてる年増女だからな。俺が金に執着してるのはな、単に稼げるうちに稼いでおいて、一生遊べるくらいの金を貯めたら隠居して優雅に暮らそうって目論んでるってだけさ。それなのに、あんな即興で作ったでっちあげをコロッと信じて……はっははは!」
「そ、それは……」
今の話を不覚にも信じてしまったのは、永山の様子がとても芝居には見えなかったからだ。嘘っぱちの長話に付き合わされた挙句、目頭が熱くなってしまった分の時間を返せ。
「ははーん。その顔は、俺のでっちあげで無駄にした分の時間を返せって顔だな。だがな、安心しろ。俺はな、お前の時間をドブに捨てるためにこんな虫唾の走るような話をくっちゃべったんじゃねえんだよ」
「え?」
こんな意地の悪いくだりに、何らかの意図があっただと?
美江はいまいち信用できなかったが、聞くだけ聞いてみることにした。
「それ、どういうこと?」
「まあ、そうあせるなって。この黒焦げの肉をやるから、少しは冷静になれ」
「いらないわよ! 責任もって自分で処理しなさいよ」
「へいへい。……うん、こりゃあ完全に炭だなあ」
永山は網から黒焦げの肉をかっさらい、強引に口に放り込んでからさらに続けた。
「お前さ、俺のでっちあげ話を本気で信じたろ」
「それ、馬鹿にして言ってる?」
「馬鹿にするんだったら、もっと徹底的にこき下ろしてるぞ。これは、何の悪意もなく質問してるだけだ。だから、お前も悪意を抜きにして答えろ」
「……ん、まあ。そりゃあ、信じたわよ」
「だろうな。お前って奴は、よくも悪くも単純だもんな」
「やっぱり、馬鹿にしてるでしょ」
「してねえって言ってるだろ。つまり、俺が言おうとしてることはだな。お前は、人の話を鵜呑みにし過ぎなんだよ。あの怪人が嘘をついてる可能性だとか、少しは考えなかったのか」
「えっ……」
美江は永山の言うように、桜井の言葉をほんの少しも疑わずに聞き入れていた。だがそれは、彼が嘘をついているようには見えなかったからであって……。
(あれ?)
そういえば、永山のでっちあげ美談を聞いていた時にも同じような感想を抱いたような。
しかし、それは永山が嘘をつくのがうまいというだけの話に過ぎないだろう。桜井は、それとは違う。彼を面と向かって話した時間はごくわずかであるが、伝わってきた人柄は本物だ。決して、悪い人なんかではない。
「か、考えなかったに決まってるでしょ。だって……」
「いい奴に見えたからか?」
「うっ」
どうしてこの男は、さっきからこちらの思考を読むようなことばかりを言ってくるのだ。
そうは思ったものの、美江は返す言葉もなく、ぐうの音を上げることも出来なかった。
「やっぱりな。だから、お前は単純だって言ってるんだよ。世の中にはな、羊みたいな顔をした怪物だってうじゃうじゃいるんだぞ。しかも、さっきの奴は怪人なんだろ? いくらいい奴そうに見えたところで、実際何を考えてるのかわかったもんじゃねえだろうが。それを、ありがちな美談を語られただけでコロッと信じやがって。警戒心がないにもほどがあるってもんだろうが。もしお前に何かがあったらさ……その。俺が黒沢とかにああだこうだ言われかねないんだからさ。お前は監視役なんだから、少しはしっかりしてくれ」
「ま、まあ……」
永山の言い分にも、めずらしく一理あるかもしれない。確かに、この地域に仇を成す怪人の話を素直に聞き入れ過ぎてしまったことについては、KTHに所属するものとして浅はかだったかもしれない。それでも……。
「私は……あんたが何と言おうと、桜井さんを信じたいわ。怪人だって、みんながみんな悪い奴だとは限らないでしょ。それに、あれは絶対に演技なんかじゃなかった。あんたの嘘は見抜けなかったけど、それだけはわかるわ。あんたが何と言おうとも、私はあの人のこと信じるから。明日立花さんに掛け合って、彼を退治しないように説得してみせるから」
「ほーう」
永山は目を細めて、後ろ手に縛っている髪を指先でいじる。そして、フッと口元に笑みをたたえた。
「お前がそうしたいんだったら、そうすりゃあいいさ。だがな、俺の見立てが正しかったらあのババアは……」
何かを言いかけたかと思うと「いや、やっぱ何でもねえわ」と中途半端な形で打ち切ってしまった。
「何よ、そこまで言っておいて。最後まで話してみなさいよ」
「いや、確信がないことを軽々しく言ったらろくなことにならねえからやめとく。さーてと、真面目な話はここまでだ。じゃ、小腹も空いてきたことだし……おい、店員。特上カルビ三人前追加」
「ま、待ってよ。せめて、食べるんだったらせめて上までにしておいてよ!」
永山の底なしの胃袋は、しばらくその後も猛威を振るい続けた。
それから数十分後。焼肉店のサービスであるアメをわし掴みにし去っていく永山を背にしながら、美江は会計で提示された金額を見て腰を抜かしたのだった。
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