ヒーロー劣伝

山田結貴

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第六話 怪人のエレジー

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 街頭にぼんやりと照らされる薄暗い道に、二人は人目を避けて逃げ込んできていた。
「大丈夫だったんでしょうか。ヒーローさん、顔に飲み物なんてかけられて」
「しっ。見つかったらどうするんですか。あいつをまくまでは、おとなしくしてないと」
 現在は物陰に隠れて息をひそめているが、それでも油断できない。
 理由はただ一つ。永山が、すぐ近くまで迫ってきているからだ。
「あの野郎。どこに行きやがった」
 永山は、ただでさえきつい三白眼をさらにつり上げながら辺りを注意深く見回している。単に眼光が鋭いだけならいつもと変わらないのだが、今回の永山はそれだけの形容では済まされそうになかった。
「あれに捕まったら、絶対にやばいわ。下手したら、殺されるかも……」
 顔面にドリンクをぶっかけられたせいで、せっかくの白塗りメイクはデロデロ。服もシミで汚れ、ひどい有様となっている。しかも、よほど怒り狂っているのか、その背中からはおぞましいオーラが放たれているようにさえ見えた。
 その姿はまるで、どこかのサイコホラー映画にでも登場しそうな怪物ピエロ。十三日の金曜日に現れるというチェーンソー愛好家や、テレビからぬるりと抜け出てくる髪の長い怨霊などもたちまち怯えて逃げてしまいそうなくらいに恐い。
「相当怒ってますよね、ヒーローさん。やっぱり最初から、話し合いを試みた方がよかったんじゃ」
「だから、それが通用するような奴だったら苦労しないんですってば。あいつは言葉というものを、相手の心をめった打ちにする手段としてしか使わないんですから」
「はあ」
 どこまで人がいいのかは知らないが、桜井は永山の外道っぷりを信じられないでいるらしい。あのサイコピエロを目の当たりにしているのだから、いい加減察しがついてもいいようにも思えるのだが。
「それにしても、早くどっかに行かないかしら」
 息を殺して気配を消し、永山がいずこへを去るのをじっと待つ。
 しばらく膠着状態が続いたが、とうとう終止符が打たれる時が来た。
「はっ……はっくしょん!」
「!」
 しーんと静寂に包まれていた空間に、桜井のくしゃみが豪快に響き渡った。
「桜井さん!」
「あっ……」
 これはまずい。そう思った時には、もう時既に遅し。
 薄暗い中でギラリと光る永山の目が、美江達が潜む物陰に向けられた。
「そこか!」
「うわあっ!」
 そして、足早にこちらに向かって歩み寄り、あっという間に桜井を闇から引きずり出してしまった。
「さっきの怪人だな。ずいぶんと手間をかけさせやがって」
「ひっ……」
 恐怖のピエロは、鬼をも超える形相を作りながら桜井の胸ぐらを掴む。これでは、どちらが怪人なのかわかったものではない。
 このままだと、桜井が本当に殺される。
 背筋がゾッと凍りつきそうになった美江は、あわてて物陰から飛び出した。
「永山、落ち着いて。この人は、悪い怪人じゃ……」
「あ? 何か用か、裏切り者。いくらKTHをやめたいからって、クビになるためにわざわざ怪人の肩を持つっていうのは最悪じゃねえのか」
「今回ばかりは何を言われても仕方ないと思うわ。でも、お願い。これには深い事情が」
「深い事情だあ? んなこと知るかよ。俺はな、誰が何と言おうとヒーローとして怪人を退治して連行するまでだ。己の給料のためにな!」
 また金か。やはりこいつに、まともな情緒なんてものはなかったか。
 美江はこの後の展開を脳内でちらつかせて落胆したが、その直後、誰もが予想しえなかった事態が発生した。
「ぼ、暴力はやめて下さい。苦しいです。離して下さいっ」
「は? てめえ何言って……ん?」
 桜井は苦しそうにしながら、自身の胸ぐらを力強く掴む永山の手を握った。そして。
「いててててて!」
 手首付近を不意にくいっとひねり上げたかと思うと、生じた隙を逃がさずに永山から距離を置いた。その動きには一切無駄がなく、非の打ちどころはない。
「この野郎……何しやがるっ」
 永山はやられっぱなしではいられないのか、すかさず反撃を試みて拳を素早く突きだす。
 だが、超展開とでも表現すべき流れはまだ終わっていなかった。
「ちょっと話を」
「なっ」
 桜井は繰り出されたパンチを鮮やかにかわし。
「聞いて下さいってば!」
「うわあああっ!」
 体勢を整えた後、プロの柔道家もびっくりしそうなレベルの一本背負いを永山にぶちかました。
「あっ……がっ……」
 永山も、まさか自分がこのタイミングで投げ技をかけられるとは思っていなかったのだろう。受け身を取り損ねたらしく、アスファルトの地面に叩きつけられて言葉にならない声をもらしている。
 誰がこの状況下で予測できるというのだろう。ここで、どこからどう見ても純朴そうな好青年にしか見えない桜井が、抜群の戦いのセンスを発揮するだなんて。
 少なくとも、無駄に強いヒーローがあっさりとのめされてしまったのを口をあんぐりと開けながら見ている美江には、全然想像がついていなかった。
「あ……やっちゃった。ど、ど、どうしよう……」
 その驚くべき戦闘力とは裏腹に、桜井は己がやらかしてしまったことに対してオロオロするばかりであった。多分彼も、相手を傷つけるつもりはなく、ただ身を守ろうとしてうっかり反射で動いてしまったというだけなのだろう。
 ……だが、桜井よ。あんた、いくら何でも強過ぎなんじゃないか。今まで悪事を働いてヒーローに葬られていった怪人達にも、ここまで腕が立つ奴はいなかったぞ。
「と、と、とりあえず救急車を呼んだ方が……いや、ここは警察とやらに自首すべき? いやいや、その前にこの人を介抱しないと。アイシングとか、アイシングとか、アイシングとかをしないと!」
「落ち着いて下さい。こんな奴にアイシングなんてしてやる必要なんてないですから」
 すっかりパニックに陥ってしまった桜井を、美江はどうにかなだめようと試みた。
 何としてでも、ヒーローが伸びているうちに彼を逃がさなければ、確実に面倒なことになる。どうにかしなければ。
「ほら、今のうちに逃げて下さい。こんなチャンス、二度とありませんよ」
「で、で、でも……不可抗力とはいえ、怪我をさせてしまったみたいですし。やっぱり、ここは責任を」
「そんなことを気にしてる場合じゃないんですよ。こいつのことは私が何とかしますから」
「だけど……」
「だけどもクソもない! さっさとどっか行け!」
「はっはい!」
 美江が腹の底から一喝すると、桜井は一目散に走り去っていった。
「ふう……」
 これで何とか、彼を救うことはできただろうか。
 しかし、ほっとしたのも束の間。次なる関門が、美江の前に立ち塞がろうとしていた。
「てめえ……」
「うっ」
 背後から、人生で一度も感じたことがないような殺気が漂ってくる。できることなら永遠に振り向きたくないのだが、そんなことが許されるわけがない。
 観念した美江は、肩をビクビク震わせながら、ゆっくりと後方に目をやった……。
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