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テルディアス過去編
祝賀パーティー
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表彰式も無事に終わり、夜は祝賀会となった。
賛辞を述べる人々など、沢山の人が会場に訪れた。
だが、一段落した時にはその会場の中には、主役のテルディアスの姿はなかった。
一人、バルコニーに出て、月を眺めていた。
「テルディアス」
ポン、と肩を叩くものが現れた。
「よっ」
「アスティ」
幼い頃からの付き合いで、こんな時テルディアスがどこにいるか読めてしまうのだ。
「いいのか? 主役がパーティー抜け出して」
テルディアスの横に並び、庭を見渡す。
「こういうのは苦手だ」
テルディアスがうなだれた。
「ま、お前の人嫌いは今に始まったことじゃねぇが」
「・・・・」
幼い頃から人付き合いというものが苦手だったのだ。
人の目を引く容姿を持っているくせに、こういうパーティーに行くと必ず壁の花になりたがる。しかし、そんな風貌のテルディアスを、人付き合い以上に苦手な女性が黙っているわけがない。
そんなわけで、テルディアスは大体一段落すると、いつの間にか会場を抜け出し、バルコニーに非難するようになっていた。
まあ、バルコニーにいても、ちょっとした大人の事情を見たりとか聞いたりとか、色々あったりするわけだったりするのだけど。
中にいるよりはまだ気が楽なのだ。
「お前と初めて会った時・・・」
アスティが初めて会った時のテルディアスを思い浮かべる。
当時テルディアスは5歳。剣の道場にいずれ入りたいということで見学に来たのだ。
「なんつー無愛想なガキかと思った」
「アスティ・・・」
テルディアスの顔が赤くなる。
小さい頃から無愛想なのだ。
「それが今や俺よりも強くなりやがって! わはははは!」
バン!
と思いっきりテルディアスの背中を叩く。恨みもついでに込めたか?
「ごほっ・・」
テルディアスがむせる。
「テルディアス」
そんなテルディアスなどお構い無しに、アスティが急に真面目になる。
「な、なんだ?」
ごほごほと咳をしながら答える。かなり効いているようだ。
「ティアにきちんと言ってやってくれ。お前の本心」
一瞬キョトン、としたテルディアスの顔が赤くなる。
さすがにニブチンのテルディアスも、近頃うすうす気付いてはいたのだ。ティアの想いに。
「一目惚れなんだよ。あいつ」
兄として小さい頃からティアを見てきたアスティ。
その小さな想いに一番最初に気付いたのもアスティだった。
もちろん、世間一般のシスコンのお兄様同様、最初は、
(テルディアスをいぢめぬいてやる・・・)
などと考えてもいたりしたのだが。
「かれこれ8年越しの恋か・・・。健気だなぁ」
アスティの顔がほころぶ。シスコンだなぁ。
「アスティ」
テルディアスの顔が真面目になる。
「俺は騎士になるつもりだ」
「騎士って・・・!」
アスティの顔が険しくなる。
「あの、平民に許された唯一の特権階級・・・」
「そうだ」
貴族と平民。どこの世界にもそういう格差はあるものなのか。
この世界でも例外ではなく、やはり、いくら戦で武勲を立てても、平民は平民の壁を越えることはできなかった。
だが、だからといって何もなければやはり不満を生む。ということで設けられたのが、騎士という階級。
騎士も元々は貴族の階級だ。だが、武勲を立て、それなりに功績を挙げた平民に、唯一の特権階級として与えられるようになった。騎士になれば、貴族と同じ扱いを受けることができる。言ってしまえば、貴族の仲間入りをすることになるのだ。
「生半可な覚悟でなれるもんじゃない」
兵士になり、武勲を立て兵士長になり、軍士になり軍士長になり、そしてやっと騎士の座が見えてくる。何年かかることか。
「それで女はいらねぇってか」
「それもある」
うつつを抜かしていてはなれるものではない。
「平民でもなんて口ばっかで、まだ誰もなったことねぇっつーじゃねぇか!?」
そう。平民でもなれる。だが、それなりに武勲を立てなければならない。その前に大概死ぬか、引退するか。
結局、平民に貴族の階級を与えることなど考えてはいないのだ。
「俺がなる! 俺が初の平民出の騎士として名を残す!」
テルディアスの瞳には、強い意志の炎が燃えていた。
アスティも一瞬その強い輝きに圧倒される。
「本気なんだな・・・」
フウッ、とアスティが息を吐いた。
「やってみろよ。お前が目指す高みってやつをさ」
アスティが頬杖を突き、遠くを見るような目になった。
「お前ならできるかもしれねぇ。俺たちじゃ手の届かないことも、お前なら掴む事ができるかもしれねぇ。そのために必要な力も、お前は持ってることだしな」
アスティがテルディアスの顔を見つめた。
テルディアスも無言でアスティの顔を見つめた。
「でもこれだけは覚えておけ!」
びしっ! とテルディアスの顔の前に人差し指を突き出し、アスティが高らかに声をあげる。
「お前が何かしらで困ったとき、どうしても人の力を借りたくなった時、俺はいつでもお前の力になるからな!」
びしっ! と親指を自分に向けて言い放った。
テルディアスの顔が少し照れくさいような呆けたような顔になる。
そして、少し微笑んだような顔になると、
「その時は頼むぜ」
と言った。
なんだか少し嬉しそうににも見えるが・・・。
「あったぼーよ! なんたって俺はお前の兄貴分♪」
テルディアスの頭をこれでもか! とばかりにぐしゃぐしゃにしてしまう。
「うわあああ」
突然の攻撃にテルディアスも虚を突かれたようだ。
「んじゃ、先に入ってんからな~」
ちゅっ♪
と投げキッスを残し、笑いながらアスティは中へと入っていった。
「アスティ・・・」
ぐしゃぐしゃな頭のまま取り残されたテルディアス。
とりあえずこのままでいるわけにはいかないので、手櫛で髪を直す。
とそこへ、
「テルディアス様?」
仮面を着けた、少し高貴な感じの少女が声をかけて来た。
(誰だ?)
「いずこの姫君か、まずはお名前を仰っていただけますか?」
「そ、それは・・・」
何故か言い淀む。
「姫はさる高貴な方のご息女。名を聞くのは無礼にございます!」
「いいのチャシャ」
付き人らしき夫人をなだめる少女。
名を名乗れないとはどれだけ高貴な身分なのか。
「名を語らぬ私のほうが失礼よ」
そう言って少女は仮面を外した。
「私の名は、サーマント=ル=ゲアル=エーミスカイネ=サルド=ルイルネラ=サーシェイラです」
「サーマント・・・サーシェイラ・・・」
テルディアスが口の中で復唱した。
「ま、まさか、シェイラ姫?!」
サーマント王の一人娘シェイラ姫。御年12歳。すでに御崩御なされた皇后様によく似て大変美しいと有名である。
その王の娘が、何故テルディアスの前に?
疑問に思ったが、それよりも早くテルディアスは片膝をついた。
「こ、これはご無礼を!」
さすがに姫の前では従順なテルディアスである。
「ああっ、お願いします! どうか、顔を上げてくださいまし!」
「し、しかし」
もちろん、王族など偉い貴族の前で頭を上げるなど失礼千万。
それに習って片膝をついたわけだが、何故か顔を上げろと姫は言った。
「お願いです! あなたと同じ目線で話をしたいの!」
「?」
テルディアスにはその真意は分からない。
だが、姫の命ならば、顔を上げないわけにはいかない。
恐る恐るテルディアスは顔を上げ、体勢も直す。
向かい合って立つと、テルディアス方が握り拳一つ分くらい目線が上だった。
「本当によろしいのですか?」
内心バクバクものである。なにせ王族を上から見下ろしているのだから。
「ええ」
ほのかに顔を赤らめながら、シェイラ姫は答えた。
「剣技大会、素晴らしかったです。感動しました」
内心、
(そうか?)
と思いながら、
「ありがとうございます」
と、とりあえず答えるテルディアス。
(それだけのために来たのか?)
と、テルディアスは思ったが、もちろん、それだけではなさそうだぞ。
なにやらもじもじと、言葉を紡ぎだすのが恥ずかしそうに、少し汗などもかいて、顔もほのかに赤くなっている。
ときたらば・・・
「あの・・・その・・・」
「?」
「わ、わたくし!」
姫は決意を固めた! 行け! 女は度胸だ!
「あなたのことが、心に焼き付いてしまって!」
言った!
が・・・
(・・・これは何だ?)
テルディアスは思考を停止させた。
いや、まあ、こういうことは初めてではないのだが、・・・慣れるものでもない。
付き人は口をあんぐりさせて固まっている。
「テルディアス様!」
姫が勢い余って抱きついてきた!
(!!!)
付き人の顔がムンクの叫び状態になる。
テルディアスの体は硬直した。さすがにこんなことは初めてである。
「ヒ、ヒ、ヒ、姫・・・・、な、な、な、何を・・・」
裏返りそうになる声を必死に取り繕って、テルディアスが声を絞り出す。
「少しの間でいいのです。少しだけ・・・このまま・・・」
付き人は泡を吹いて卒倒寸前である。
「私はいずれ顔も知らぬ方の元へ嫁ぐことになるでしょう。それは避けられぬ運命にございます。国のためならばと覚悟もしています。でも・・・」
姫がテルディアスの胸に埋めていた顔を上げた。
「その前に一人の女として恋をしてみたかったのです。死ぬほどの恋を。人を好きになることも知らずに、どうして結婚などできましょう」
それを聞いていた付き人の顔が曇った。確かに、姫の周りにはいつも女だけしかいない。それも仕方のないことなのだが。12歳といったら、初恋の一つや二つしていてもおかしくない年頃である。恋に憧れを持っても仕方のないことだろう。
「お願いしますテルディアス様。せめて、思い出が欲しいのです」
真剣な顔で姫が懇願した。もちろん、テルディアスには断ることなど出来やしない。
だけど・・・
「二度と会えやしないということは分かります。今日こうして忍んでくる事も大変でしたから。ですから、この気持を整理するためにも・・・その・・・くちづけを・・・」
こんな願い、聞けというほうが難しいだろう。
仮にも一国の姫の口を奪うなどと!
下手すりゃ死刑になる!
その前に、テルディアスには無理な相談だろう。
顔を見れば分かる。あ~顔面破裂? ひび割れてるよ~。
付き人もめまいを起こしているらしい。
「女の子にとって一番最初のキスはとても大事なことなんだそうで・・・。ですから、一番最初のキスだけは好きな人するのが私の密かな願いだったのです」
そう言った姫が顔を上げ、頬を赤らめながら目をつぶった。
「さ、テルディアス様・・・」
そんなん言われても、普通の人だってできないだろう。
「いやっ! そのっ! だから!」
ましてやテルディアスじゃね~。
そこでハッと気付いた。
(付き人!)
何とかしてくれと懇願の顔で付き人を見るが・・・。
(どうか姫様の健気な願いを、叶えてやってくださいまし!)
キスくらいならいいだろうと目をつぶることにしたらしい。
(いや、止めろよ)
と心の中で冷静に突っ込んではみても、状況が変わるわけでもなく、
「テルディアス様・・・」
夢心地の姫の顔が近づいてくる。
「!!!!!」
焦るテルディアス。顔中冷や汗ダラダラである。
(ど、どうすれば!!!)
そしてテルディアスのとった行動は・・・。
チュッ
おでこであった。
「テルディアス様?」
姫が訳が分からないといった顔でテルディアスを見上げる。
「こんな所を誰かに見られたら、あなたの名前に傷がついてしまいます」
テルディアスが言った。
「そんなこと! 私は構いません!」
いや、構わなければならんと思うが。
突っ込みは置いといて。
テルディアスがそっと姫の唇に、人差し指を押し当てた。
「卑しくもあなた様は一国の姫君。私のような一介の剣士が口を聞けるような人ではない」
姫の顔が曇った。身分という壁を越えられない悔しさからだろうか。
「ですから、私が騎士になってから、またこうしてお話いたしましょう」
姫の顔が輝く。
「騎士に・・・?」
「そうです。私は騎士になり、それ相応の地位を手に入れる。そうすればあなたとも話す機会がありましょう」
確かに、騎士になれば貴族になるのと同じことだ。貴族になれば、姫と形式上ではあるが、話す機会も持てよう。
「故に今はこれだけで、満足していただけませんか?」
姫とテルディアスは見つめ合った。まるで恋人同士のように。
姫が少し恥ずかしそうに顔を伏せ、唇に手を当てる。
キスをすることができないのは残念ではあるが、テルディアスのいうことにも一理ある。
話す機会があれば、もしかしたら、どこかで二人で会うことも可能かもしれない。
「分かりました。今日の所はこれで・・・。私のわがままを聞いてくださってありがとうございます」
テルディアスは内心ほっとした。これで何とか逃れられる。
「必ず! 必ず騎士になってくださいましね!」
姫の瞳が濡れていた。
「もちろんです」
テルディアスは坦々と答えた。
(ただし・・・あなたのためなどではないが・・・)
やはり、心の中は冷え切ったままだった。
「また、いずれ・・・」
一例すると、姫は付き人と共に闇に紛れて消えていった。人目をはばかりながら、城へ帰るのだろう。
しばらく二人を見送っていたテルディアスであったが、気が抜けたのか、手すりにだらしなく寄りかかった。
(あ~、びびった・・・)
だろうなぁ。
(ふ、しかし、よくもまぁベラベラと・・・)
普段あまり表情のないテルディアスの顔がニヤリと歪む。
(心にもないキザったらしいことが、言えたもんだな)
くくく、と口の端から笑い声が漏れる。
(あの姫さんを上手く使えば・・・騎士になるのもそう遠くないな・・・。まったく、馬鹿なお姫様だぜ)
「く、くはは・・・」
堪えきれずに、笑い声がテルディアスの口から発せられた。
テルディアスの笑い声など、誰か聞いたことがあるのだろうか。
(少し散歩してこの高ぶりを抑えてこよう。今中に入ったら馬鹿笑いしちまいそうだ)
溢れ出そうになる笑いを堪え、テルディアスは軽々と手すりを越えた。
重力を感じさせない軽やかさで庭園に降り立つと、そのままふらっと歩き出す。
夜の闇に支配された庭園を、満月に近い月が優しく照らし出していた。
おかげでかなり明るい。
(月よ・・・、お前は変わらずそこにいるな・・・)
突然詩人にでもなったか?
テルディアスが月を見上げながら歩を進める。
(幾度も満ち欠けを繰り返しながら、また同じ所へ戻ってくる。・・・幼い頃より何故か惹かれた。闇を照らす仄かな灯り。俺の足りない何かを与えてくれているようで・・・月を見上げると何故か心が安まる・・)
人々の喧騒が背後に遠く響いている。
誰もいないという安心感と孤独感。相反する思いが闇の中を交差する。
(そしていつも俺に問いかける。本当にそれでいいのか? 本当にこれでいいのか?!)
何について言われているのかもよく分からないが、自分が正しいと思っている道が、何故か時にふと間違いなのではないかと思える時がある。月を見上げるとその思いは一層強くなった。
だが、間違えているわけがない。自分が信じているのだから。自分で選んでいる道なのだから。
同じような問いかけを幾度繰り返したことか。そんなことを考えながら歩いていたテルディアスは、ふと人の気配を感じて顔を上げた。
木陰に誰かがいる。
目を凝らして見てみると、
(ティア?)
ティアが木陰でうつむいていた。
その頬を何かが流れ落ちる。
一瞬、キラリと光ったそれに、テルディアスはドキリとした。
(泣いて・・・?)
ティアの頬を涙がつたっていたのだ。
ジャリ・・・
小石を踏んだのか、足元で音がする。
その音に気付いて、ティアが振り向いた。
「だ、誰?!」
涙で潤んだ瞳。悲しげな顔。初めて見る顔だった。
テルディアスの心臓がギクリとする。
「て、テルディアス!」
ティアが急いで涙を拭き、いつもの明るい表情に戻る。
「ど、どうしたの? 散歩?」
表面上はいつもと変わらないティアだった。だが、目の周りが少し赤くなっている。
「そ、そんなもんだ」
なんと言っていいのか分からず、とりあえず答えるテルディアス。
そんなテルディアスを見てクスリと笑うティア。
「昔っからパーティーの類は苦手だったもんね。あなたは」
そういって背中を向けた。やはりあまり顔を見られたくないのだろう。
勇気を振り絞り、テルディアスは質問した。
「ティア・・・お前、今・・・泣いて・・・?」
ギクッとティアの動きが止まる。
その肩が小刻みに揺れ始めた。
それ以上何も言えずに固まってしまうテルディアス。
やはり聞くんじゃなかったと後悔した。
ティアが振り向いた。
その瞳には涙が溢れ、一滴の涙が頬をこぼれ落ちる。
「テルディ・・・」
言葉が続かなかった。
そのままティアはテルディアスの胸に飛び込んだ。
「あたし、・・・あたし!・・・あなたが好き! 好きなの!」
ずっと我慢していた。ずっと押し殺していた。
「ずっと、ずっと、・・・ずっと前から・・・」
溢れ出した想いは言葉となり、吐き出された。
思いもかけずいきなり告白されたテルディアスは顔を真っ赤にして固まってしまう。
そして先ほどのアスティとの会話を思い出した。
『ティアにきちんと言ってやってくれ。お前の本心』
そうだ。言わなければならない。
きちんと決着を付けてやらなければいけないことは分かっているが、なかなか思うように言葉は出てこない。
「ティ、ティ、ティア、・・・お、お、俺は・・・」
どもりながらも何とか言葉を捻り出すが、後が続かない。
「わかってる。そういう風には見てないんでしょ?」
(え?)
テルディアスの目が点になった。
「あなたの態度を見てれば分かるわ。だてに八年も一緒に育ってきてないわよ」
テルディアスの胸に顔を埋めたままティアは言った。
「でも、それでも一緒にいたかった・・・。いつかは、もしかしたら、あたしの方を向いてくれるかもしれないって・・・思い続けてきたの・・・」
ティアのテルディアスの服を掴む手が、震えているのが分かった。
「でも、・・・もう・・・だめね」
声は掠れ、涙は溢れ続ける。届かなかった思いを一思いに流してしまうかのように。
さすがのテルディアスも、冷たく突き放すことは出来なかった。
八年間一緒に育ってきた。いつもそばに居て笑っていた。そのティアが今自分の胸で、自分のことで泣いている。
複雑な気持だった。涙を止めてやりたくても、テルディアスにはその方法が分からなかった。なんとか優しくティアの体を抱きしめ、
「すまない・・・」
と呟いた。
庭園を流れる夜気が、優しく二人を撫でて通り過ぎていく。月の柔らかな光が、二人だけを照らし出していた。
会場の喧騒もここまでは聞こえてこず、ティアの泣き声だけが、小さく辺りに響く。
少しすると、ティアが落ち着いたようで、テルディアスの胸から顔を離した。
「ごめんなさい・・・」
と小さく呟く。
テルディアスが珍しく心配そうな顔をしている。やはり負い目を感じるのか。
ティアの頬についた涙を優しくテルディアスは拭ってやった。
ティアが顔を上げる。
ふと目が合った。
まるでそうすることが自然なように、二人の顔が近づいていく。
テルディアスがティアの顎に軽く手を添える。
そして・・・。
一瞬、二人の時は止まった。
柔らかくて温かかった。
つややかで、思ったよりも弾力があった。
不思議ともっと味わいたいとさえ思ってしまった。
魅惑の味。
我に返ると、目を潤ませ、顔を赤くしたティアの顔があった。
今起こった出来事を理解した途端、テルディアスの顔も赤く染まった。
ティアがきびすを返し駆け出す。
「ティア!」
思わずテルディアスは引きとめようとしたが、
(って、引き止めてどうするんだ俺! 俺は・・・ティアのことを・・・)
ティアの手を掴みかけた手を、テルディアスは止めた。
なにがなんだか、自分の行動やらなんやら、よく分からなくなっていた。
自分は一体何をしたいのか?
「テルディアス・・・」
ティアが足を止め、背中を向けたままテルディアスの名を呼んだ・
テルディアスの胸がドキッと高鳴った。
期待と不安。
何故そんなことを考えているのか?
「大丈夫・・・、ちゃんと、分かってるから・・・。大丈夫だから・・・」
その言葉はテルディアスに言っているのではなく、まるで、自分自身に語りかけているようだった。
「あの、お姫様と・・・」
ティアが振り向いた。
「う、うまくいくといいわね」
ティアがにっこりと引きつったような作り笑いを浮かべた。
そんなティアの顔を見るのも、テルディアスは初めてだった。
ティアが駆け出す。
テルディアスは何も言うことができず、その場に佇んだままティアの後姿を見送っていた。
(ティア・・・知っていたのか・・・)
パーティー会場からいなくなったテルディアスを探していたティアは、偶然にもテルディアスとお姫様が話しているところを発見し、木陰からその一部始終を見てしまっていたのだ。
自分へ思いが向けられていないことを何となく感じ取っていたティア。
お姫様とのやり取りを聞き、ティアはもうテルディアスの傍にいられないことを悟った。
上を目指すのならば・・・、自分は邪魔になる。
騎士になるならば、その傍らに置く者だって、それ相応の者でなければならない。
全てを理解し、ティアは涙を流した。
八年間の想いに終止符を打つために・・・。
ズキッ
(なんだ?)
テルディアスの胸が痛んだ。
あいつは、ティアは、一度だって泣いたことはなかった・・・。
なのに・・・。
木陰で泣いていた。
誰にも知られないようにひっそりと。
(俺のせい・・・か?)
ズキッ
またテルディアスの胸が痛んだ。
(何なんだこの胸の痛みは?!)
テルディアスには理解できない。
愛なんてくだらないもの。
そう考えている限り。
この時はまだそう思っていた。
その考えが誤りだとは思えなかった。
ただ・・・
ただ、テルディアスは、高みだけを、自分が目指すものだけを見つめていた。
ただ、それだけを・・・。
賛辞を述べる人々など、沢山の人が会場に訪れた。
だが、一段落した時にはその会場の中には、主役のテルディアスの姿はなかった。
一人、バルコニーに出て、月を眺めていた。
「テルディアス」
ポン、と肩を叩くものが現れた。
「よっ」
「アスティ」
幼い頃からの付き合いで、こんな時テルディアスがどこにいるか読めてしまうのだ。
「いいのか? 主役がパーティー抜け出して」
テルディアスの横に並び、庭を見渡す。
「こういうのは苦手だ」
テルディアスがうなだれた。
「ま、お前の人嫌いは今に始まったことじゃねぇが」
「・・・・」
幼い頃から人付き合いというものが苦手だったのだ。
人の目を引く容姿を持っているくせに、こういうパーティーに行くと必ず壁の花になりたがる。しかし、そんな風貌のテルディアスを、人付き合い以上に苦手な女性が黙っているわけがない。
そんなわけで、テルディアスは大体一段落すると、いつの間にか会場を抜け出し、バルコニーに非難するようになっていた。
まあ、バルコニーにいても、ちょっとした大人の事情を見たりとか聞いたりとか、色々あったりするわけだったりするのだけど。
中にいるよりはまだ気が楽なのだ。
「お前と初めて会った時・・・」
アスティが初めて会った時のテルディアスを思い浮かべる。
当時テルディアスは5歳。剣の道場にいずれ入りたいということで見学に来たのだ。
「なんつー無愛想なガキかと思った」
「アスティ・・・」
テルディアスの顔が赤くなる。
小さい頃から無愛想なのだ。
「それが今や俺よりも強くなりやがって! わはははは!」
バン!
と思いっきりテルディアスの背中を叩く。恨みもついでに込めたか?
「ごほっ・・」
テルディアスがむせる。
「テルディアス」
そんなテルディアスなどお構い無しに、アスティが急に真面目になる。
「な、なんだ?」
ごほごほと咳をしながら答える。かなり効いているようだ。
「ティアにきちんと言ってやってくれ。お前の本心」
一瞬キョトン、としたテルディアスの顔が赤くなる。
さすがにニブチンのテルディアスも、近頃うすうす気付いてはいたのだ。ティアの想いに。
「一目惚れなんだよ。あいつ」
兄として小さい頃からティアを見てきたアスティ。
その小さな想いに一番最初に気付いたのもアスティだった。
もちろん、世間一般のシスコンのお兄様同様、最初は、
(テルディアスをいぢめぬいてやる・・・)
などと考えてもいたりしたのだが。
「かれこれ8年越しの恋か・・・。健気だなぁ」
アスティの顔がほころぶ。シスコンだなぁ。
「アスティ」
テルディアスの顔が真面目になる。
「俺は騎士になるつもりだ」
「騎士って・・・!」
アスティの顔が険しくなる。
「あの、平民に許された唯一の特権階級・・・」
「そうだ」
貴族と平民。どこの世界にもそういう格差はあるものなのか。
この世界でも例外ではなく、やはり、いくら戦で武勲を立てても、平民は平民の壁を越えることはできなかった。
だが、だからといって何もなければやはり不満を生む。ということで設けられたのが、騎士という階級。
騎士も元々は貴族の階級だ。だが、武勲を立て、それなりに功績を挙げた平民に、唯一の特権階級として与えられるようになった。騎士になれば、貴族と同じ扱いを受けることができる。言ってしまえば、貴族の仲間入りをすることになるのだ。
「生半可な覚悟でなれるもんじゃない」
兵士になり、武勲を立て兵士長になり、軍士になり軍士長になり、そしてやっと騎士の座が見えてくる。何年かかることか。
「それで女はいらねぇってか」
「それもある」
うつつを抜かしていてはなれるものではない。
「平民でもなんて口ばっかで、まだ誰もなったことねぇっつーじゃねぇか!?」
そう。平民でもなれる。だが、それなりに武勲を立てなければならない。その前に大概死ぬか、引退するか。
結局、平民に貴族の階級を与えることなど考えてはいないのだ。
「俺がなる! 俺が初の平民出の騎士として名を残す!」
テルディアスの瞳には、強い意志の炎が燃えていた。
アスティも一瞬その強い輝きに圧倒される。
「本気なんだな・・・」
フウッ、とアスティが息を吐いた。
「やってみろよ。お前が目指す高みってやつをさ」
アスティが頬杖を突き、遠くを見るような目になった。
「お前ならできるかもしれねぇ。俺たちじゃ手の届かないことも、お前なら掴む事ができるかもしれねぇ。そのために必要な力も、お前は持ってることだしな」
アスティがテルディアスの顔を見つめた。
テルディアスも無言でアスティの顔を見つめた。
「でもこれだけは覚えておけ!」
びしっ! とテルディアスの顔の前に人差し指を突き出し、アスティが高らかに声をあげる。
「お前が何かしらで困ったとき、どうしても人の力を借りたくなった時、俺はいつでもお前の力になるからな!」
びしっ! と親指を自分に向けて言い放った。
テルディアスの顔が少し照れくさいような呆けたような顔になる。
そして、少し微笑んだような顔になると、
「その時は頼むぜ」
と言った。
なんだか少し嬉しそうににも見えるが・・・。
「あったぼーよ! なんたって俺はお前の兄貴分♪」
テルディアスの頭をこれでもか! とばかりにぐしゃぐしゃにしてしまう。
「うわあああ」
突然の攻撃にテルディアスも虚を突かれたようだ。
「んじゃ、先に入ってんからな~」
ちゅっ♪
と投げキッスを残し、笑いながらアスティは中へと入っていった。
「アスティ・・・」
ぐしゃぐしゃな頭のまま取り残されたテルディアス。
とりあえずこのままでいるわけにはいかないので、手櫛で髪を直す。
とそこへ、
「テルディアス様?」
仮面を着けた、少し高貴な感じの少女が声をかけて来た。
(誰だ?)
「いずこの姫君か、まずはお名前を仰っていただけますか?」
「そ、それは・・・」
何故か言い淀む。
「姫はさる高貴な方のご息女。名を聞くのは無礼にございます!」
「いいのチャシャ」
付き人らしき夫人をなだめる少女。
名を名乗れないとはどれだけ高貴な身分なのか。
「名を語らぬ私のほうが失礼よ」
そう言って少女は仮面を外した。
「私の名は、サーマント=ル=ゲアル=エーミスカイネ=サルド=ルイルネラ=サーシェイラです」
「サーマント・・・サーシェイラ・・・」
テルディアスが口の中で復唱した。
「ま、まさか、シェイラ姫?!」
サーマント王の一人娘シェイラ姫。御年12歳。すでに御崩御なされた皇后様によく似て大変美しいと有名である。
その王の娘が、何故テルディアスの前に?
疑問に思ったが、それよりも早くテルディアスは片膝をついた。
「こ、これはご無礼を!」
さすがに姫の前では従順なテルディアスである。
「ああっ、お願いします! どうか、顔を上げてくださいまし!」
「し、しかし」
もちろん、王族など偉い貴族の前で頭を上げるなど失礼千万。
それに習って片膝をついたわけだが、何故か顔を上げろと姫は言った。
「お願いです! あなたと同じ目線で話をしたいの!」
「?」
テルディアスにはその真意は分からない。
だが、姫の命ならば、顔を上げないわけにはいかない。
恐る恐るテルディアスは顔を上げ、体勢も直す。
向かい合って立つと、テルディアス方が握り拳一つ分くらい目線が上だった。
「本当によろしいのですか?」
内心バクバクものである。なにせ王族を上から見下ろしているのだから。
「ええ」
ほのかに顔を赤らめながら、シェイラ姫は答えた。
「剣技大会、素晴らしかったです。感動しました」
内心、
(そうか?)
と思いながら、
「ありがとうございます」
と、とりあえず答えるテルディアス。
(それだけのために来たのか?)
と、テルディアスは思ったが、もちろん、それだけではなさそうだぞ。
なにやらもじもじと、言葉を紡ぎだすのが恥ずかしそうに、少し汗などもかいて、顔もほのかに赤くなっている。
ときたらば・・・
「あの・・・その・・・」
「?」
「わ、わたくし!」
姫は決意を固めた! 行け! 女は度胸だ!
「あなたのことが、心に焼き付いてしまって!」
言った!
が・・・
(・・・これは何だ?)
テルディアスは思考を停止させた。
いや、まあ、こういうことは初めてではないのだが、・・・慣れるものでもない。
付き人は口をあんぐりさせて固まっている。
「テルディアス様!」
姫が勢い余って抱きついてきた!
(!!!)
付き人の顔がムンクの叫び状態になる。
テルディアスの体は硬直した。さすがにこんなことは初めてである。
「ヒ、ヒ、ヒ、姫・・・・、な、な、な、何を・・・」
裏返りそうになる声を必死に取り繕って、テルディアスが声を絞り出す。
「少しの間でいいのです。少しだけ・・・このまま・・・」
付き人は泡を吹いて卒倒寸前である。
「私はいずれ顔も知らぬ方の元へ嫁ぐことになるでしょう。それは避けられぬ運命にございます。国のためならばと覚悟もしています。でも・・・」
姫がテルディアスの胸に埋めていた顔を上げた。
「その前に一人の女として恋をしてみたかったのです。死ぬほどの恋を。人を好きになることも知らずに、どうして結婚などできましょう」
それを聞いていた付き人の顔が曇った。確かに、姫の周りにはいつも女だけしかいない。それも仕方のないことなのだが。12歳といったら、初恋の一つや二つしていてもおかしくない年頃である。恋に憧れを持っても仕方のないことだろう。
「お願いしますテルディアス様。せめて、思い出が欲しいのです」
真剣な顔で姫が懇願した。もちろん、テルディアスには断ることなど出来やしない。
だけど・・・
「二度と会えやしないということは分かります。今日こうして忍んでくる事も大変でしたから。ですから、この気持を整理するためにも・・・その・・・くちづけを・・・」
こんな願い、聞けというほうが難しいだろう。
仮にも一国の姫の口を奪うなどと!
下手すりゃ死刑になる!
その前に、テルディアスには無理な相談だろう。
顔を見れば分かる。あ~顔面破裂? ひび割れてるよ~。
付き人もめまいを起こしているらしい。
「女の子にとって一番最初のキスはとても大事なことなんだそうで・・・。ですから、一番最初のキスだけは好きな人するのが私の密かな願いだったのです」
そう言った姫が顔を上げ、頬を赤らめながら目をつぶった。
「さ、テルディアス様・・・」
そんなん言われても、普通の人だってできないだろう。
「いやっ! そのっ! だから!」
ましてやテルディアスじゃね~。
そこでハッと気付いた。
(付き人!)
何とかしてくれと懇願の顔で付き人を見るが・・・。
(どうか姫様の健気な願いを、叶えてやってくださいまし!)
キスくらいならいいだろうと目をつぶることにしたらしい。
(いや、止めろよ)
と心の中で冷静に突っ込んではみても、状況が変わるわけでもなく、
「テルディアス様・・・」
夢心地の姫の顔が近づいてくる。
「!!!!!」
焦るテルディアス。顔中冷や汗ダラダラである。
(ど、どうすれば!!!)
そしてテルディアスのとった行動は・・・。
チュッ
おでこであった。
「テルディアス様?」
姫が訳が分からないといった顔でテルディアスを見上げる。
「こんな所を誰かに見られたら、あなたの名前に傷がついてしまいます」
テルディアスが言った。
「そんなこと! 私は構いません!」
いや、構わなければならんと思うが。
突っ込みは置いといて。
テルディアスがそっと姫の唇に、人差し指を押し当てた。
「卑しくもあなた様は一国の姫君。私のような一介の剣士が口を聞けるような人ではない」
姫の顔が曇った。身分という壁を越えられない悔しさからだろうか。
「ですから、私が騎士になってから、またこうしてお話いたしましょう」
姫の顔が輝く。
「騎士に・・・?」
「そうです。私は騎士になり、それ相応の地位を手に入れる。そうすればあなたとも話す機会がありましょう」
確かに、騎士になれば貴族になるのと同じことだ。貴族になれば、姫と形式上ではあるが、話す機会も持てよう。
「故に今はこれだけで、満足していただけませんか?」
姫とテルディアスは見つめ合った。まるで恋人同士のように。
姫が少し恥ずかしそうに顔を伏せ、唇に手を当てる。
キスをすることができないのは残念ではあるが、テルディアスのいうことにも一理ある。
話す機会があれば、もしかしたら、どこかで二人で会うことも可能かもしれない。
「分かりました。今日の所はこれで・・・。私のわがままを聞いてくださってありがとうございます」
テルディアスは内心ほっとした。これで何とか逃れられる。
「必ず! 必ず騎士になってくださいましね!」
姫の瞳が濡れていた。
「もちろんです」
テルディアスは坦々と答えた。
(ただし・・・あなたのためなどではないが・・・)
やはり、心の中は冷え切ったままだった。
「また、いずれ・・・」
一例すると、姫は付き人と共に闇に紛れて消えていった。人目をはばかりながら、城へ帰るのだろう。
しばらく二人を見送っていたテルディアスであったが、気が抜けたのか、手すりにだらしなく寄りかかった。
(あ~、びびった・・・)
だろうなぁ。
(ふ、しかし、よくもまぁベラベラと・・・)
普段あまり表情のないテルディアスの顔がニヤリと歪む。
(心にもないキザったらしいことが、言えたもんだな)
くくく、と口の端から笑い声が漏れる。
(あの姫さんを上手く使えば・・・騎士になるのもそう遠くないな・・・。まったく、馬鹿なお姫様だぜ)
「く、くはは・・・」
堪えきれずに、笑い声がテルディアスの口から発せられた。
テルディアスの笑い声など、誰か聞いたことがあるのだろうか。
(少し散歩してこの高ぶりを抑えてこよう。今中に入ったら馬鹿笑いしちまいそうだ)
溢れ出そうになる笑いを堪え、テルディアスは軽々と手すりを越えた。
重力を感じさせない軽やかさで庭園に降り立つと、そのままふらっと歩き出す。
夜の闇に支配された庭園を、満月に近い月が優しく照らし出していた。
おかげでかなり明るい。
(月よ・・・、お前は変わらずそこにいるな・・・)
突然詩人にでもなったか?
テルディアスが月を見上げながら歩を進める。
(幾度も満ち欠けを繰り返しながら、また同じ所へ戻ってくる。・・・幼い頃より何故か惹かれた。闇を照らす仄かな灯り。俺の足りない何かを与えてくれているようで・・・月を見上げると何故か心が安まる・・)
人々の喧騒が背後に遠く響いている。
誰もいないという安心感と孤独感。相反する思いが闇の中を交差する。
(そしていつも俺に問いかける。本当にそれでいいのか? 本当にこれでいいのか?!)
何について言われているのかもよく分からないが、自分が正しいと思っている道が、何故か時にふと間違いなのではないかと思える時がある。月を見上げるとその思いは一層強くなった。
だが、間違えているわけがない。自分が信じているのだから。自分で選んでいる道なのだから。
同じような問いかけを幾度繰り返したことか。そんなことを考えながら歩いていたテルディアスは、ふと人の気配を感じて顔を上げた。
木陰に誰かがいる。
目を凝らして見てみると、
(ティア?)
ティアが木陰でうつむいていた。
その頬を何かが流れ落ちる。
一瞬、キラリと光ったそれに、テルディアスはドキリとした。
(泣いて・・・?)
ティアの頬を涙がつたっていたのだ。
ジャリ・・・
小石を踏んだのか、足元で音がする。
その音に気付いて、ティアが振り向いた。
「だ、誰?!」
涙で潤んだ瞳。悲しげな顔。初めて見る顔だった。
テルディアスの心臓がギクリとする。
「て、テルディアス!」
ティアが急いで涙を拭き、いつもの明るい表情に戻る。
「ど、どうしたの? 散歩?」
表面上はいつもと変わらないティアだった。だが、目の周りが少し赤くなっている。
「そ、そんなもんだ」
なんと言っていいのか分からず、とりあえず答えるテルディアス。
そんなテルディアスを見てクスリと笑うティア。
「昔っからパーティーの類は苦手だったもんね。あなたは」
そういって背中を向けた。やはりあまり顔を見られたくないのだろう。
勇気を振り絞り、テルディアスは質問した。
「ティア・・・お前、今・・・泣いて・・・?」
ギクッとティアの動きが止まる。
その肩が小刻みに揺れ始めた。
それ以上何も言えずに固まってしまうテルディアス。
やはり聞くんじゃなかったと後悔した。
ティアが振り向いた。
その瞳には涙が溢れ、一滴の涙が頬をこぼれ落ちる。
「テルディ・・・」
言葉が続かなかった。
そのままティアはテルディアスの胸に飛び込んだ。
「あたし、・・・あたし!・・・あなたが好き! 好きなの!」
ずっと我慢していた。ずっと押し殺していた。
「ずっと、ずっと、・・・ずっと前から・・・」
溢れ出した想いは言葉となり、吐き出された。
思いもかけずいきなり告白されたテルディアスは顔を真っ赤にして固まってしまう。
そして先ほどのアスティとの会話を思い出した。
『ティアにきちんと言ってやってくれ。お前の本心』
そうだ。言わなければならない。
きちんと決着を付けてやらなければいけないことは分かっているが、なかなか思うように言葉は出てこない。
「ティ、ティ、ティア、・・・お、お、俺は・・・」
どもりながらも何とか言葉を捻り出すが、後が続かない。
「わかってる。そういう風には見てないんでしょ?」
(え?)
テルディアスの目が点になった。
「あなたの態度を見てれば分かるわ。だてに八年も一緒に育ってきてないわよ」
テルディアスの胸に顔を埋めたままティアは言った。
「でも、それでも一緒にいたかった・・・。いつかは、もしかしたら、あたしの方を向いてくれるかもしれないって・・・思い続けてきたの・・・」
ティアのテルディアスの服を掴む手が、震えているのが分かった。
「でも、・・・もう・・・だめね」
声は掠れ、涙は溢れ続ける。届かなかった思いを一思いに流してしまうかのように。
さすがのテルディアスも、冷たく突き放すことは出来なかった。
八年間一緒に育ってきた。いつもそばに居て笑っていた。そのティアが今自分の胸で、自分のことで泣いている。
複雑な気持だった。涙を止めてやりたくても、テルディアスにはその方法が分からなかった。なんとか優しくティアの体を抱きしめ、
「すまない・・・」
と呟いた。
庭園を流れる夜気が、優しく二人を撫でて通り過ぎていく。月の柔らかな光が、二人だけを照らし出していた。
会場の喧騒もここまでは聞こえてこず、ティアの泣き声だけが、小さく辺りに響く。
少しすると、ティアが落ち着いたようで、テルディアスの胸から顔を離した。
「ごめんなさい・・・」
と小さく呟く。
テルディアスが珍しく心配そうな顔をしている。やはり負い目を感じるのか。
ティアの頬についた涙を優しくテルディアスは拭ってやった。
ティアが顔を上げる。
ふと目が合った。
まるでそうすることが自然なように、二人の顔が近づいていく。
テルディアスがティアの顎に軽く手を添える。
そして・・・。
一瞬、二人の時は止まった。
柔らかくて温かかった。
つややかで、思ったよりも弾力があった。
不思議ともっと味わいたいとさえ思ってしまった。
魅惑の味。
我に返ると、目を潤ませ、顔を赤くしたティアの顔があった。
今起こった出来事を理解した途端、テルディアスの顔も赤く染まった。
ティアがきびすを返し駆け出す。
「ティア!」
思わずテルディアスは引きとめようとしたが、
(って、引き止めてどうするんだ俺! 俺は・・・ティアのことを・・・)
ティアの手を掴みかけた手を、テルディアスは止めた。
なにがなんだか、自分の行動やらなんやら、よく分からなくなっていた。
自分は一体何をしたいのか?
「テルディアス・・・」
ティアが足を止め、背中を向けたままテルディアスの名を呼んだ・
テルディアスの胸がドキッと高鳴った。
期待と不安。
何故そんなことを考えているのか?
「大丈夫・・・、ちゃんと、分かってるから・・・。大丈夫だから・・・」
その言葉はテルディアスに言っているのではなく、まるで、自分自身に語りかけているようだった。
「あの、お姫様と・・・」
ティアが振り向いた。
「う、うまくいくといいわね」
ティアがにっこりと引きつったような作り笑いを浮かべた。
そんなティアの顔を見るのも、テルディアスは初めてだった。
ティアが駆け出す。
テルディアスは何も言うことができず、その場に佇んだままティアの後姿を見送っていた。
(ティア・・・知っていたのか・・・)
パーティー会場からいなくなったテルディアスを探していたティアは、偶然にもテルディアスとお姫様が話しているところを発見し、木陰からその一部始終を見てしまっていたのだ。
自分へ思いが向けられていないことを何となく感じ取っていたティア。
お姫様とのやり取りを聞き、ティアはもうテルディアスの傍にいられないことを悟った。
上を目指すのならば・・・、自分は邪魔になる。
騎士になるならば、その傍らに置く者だって、それ相応の者でなければならない。
全てを理解し、ティアは涙を流した。
八年間の想いに終止符を打つために・・・。
ズキッ
(なんだ?)
テルディアスの胸が痛んだ。
あいつは、ティアは、一度だって泣いたことはなかった・・・。
なのに・・・。
木陰で泣いていた。
誰にも知られないようにひっそりと。
(俺のせい・・・か?)
ズキッ
またテルディアスの胸が痛んだ。
(何なんだこの胸の痛みは?!)
テルディアスには理解できない。
愛なんてくだらないもの。
そう考えている限り。
この時はまだそう思っていた。
その考えが誤りだとは思えなかった。
ただ・・・
ただ、テルディアスは、高みだけを、自分が目指すものだけを見つめていた。
ただ、それだけを・・・。
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