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伯爵家クラリス編

ありがとう馬鹿

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「それが…。サーガ君は事が済んだらさっさとどこかへ行ってしまって…。こちらとしても連絡を取りたいんだけれど、ギルドにも協力を願ったんだけれどギルドも行方を知らないようで…」
「え、あの宿屋は?」
「すでに引き払っていたよ。塒を変えてしまったらしい」

自由人サーガ。その居場所を特定するのは容易ではない。

「何か伝えたいことがあるなら、言伝を預かるよ?」

レミは村へ帰らなければならない。無理を言って伯爵邸に留まる勇気もなかった。
伝えたい事などいくらでもある。先に事情を話しておけとか、あの時の「起きろ」の声はサーガだったのかとか、なんだかんだ世話してもらってありがとうとか。お人形を、ミレをくれてありがとうとか…。

「…そうですね、ありがとう馬鹿、と伝えて下さい」
「ば、馬鹿? あ、ああ、分かったよ」

クラリスが目をパチクリさせながらも頷いた。










用意された馬車に乗り、レミは伯爵が用意してくれた支援物資と共に村へと向かった。
役人はすでに交代されており、今までの差額分のお金も支払われるらしい。
生活を立て直すまで支援物資も配給される。村は元通りの生活に戻れるのだ。
お尻がまったく痛くならない馬車で揺られつつ、レミはここ数日のドタバタを思い出していた。
普通に暮らしていたなら決して味わうことのないいろいろな事。ほんの一週間程度の事だったのにとても強烈に記憶に残った一週間だった。
レミの膝にはそれが夢ではなかったと知らしめる、ミレが座っている。

「ミレ、本当にいろいろあったわね」
「そうね、レミ。いろいろあり過ぎて生涯忘れられなさそうだわ」
「本当にね」

窓から外を見る。森が前から後ろへと流れて行く。

「あいつには、サーガにはもう会えないのかな? お礼くらい、ちゃんと言いたかったな…」
「・・・・・・」

ミレも答えてはくれなかった。











レミは無事に村へと帰り着き、家族が涙を流して無事に生還出来たことを喜んだ。村の皆も少し余所余所しかったが、戻ってきた事を喜んでくれた。
やはり生贄に差し出してしまったような罪悪感は残るのだろう。
レミは気にしない事にする。村で平穏に暮らしていては決して味わうことのない、いろいろな事を味わって来たのだから。怖くもあり、面白くもあった。
まあそれも無事に戻って来られたから言えるのであるが。
それに村の女の子達がレミの着ていた服と、腕に抱いていたミレに釘付けになっていた事に、少し優越感を感じていた。着ていた服も伯爵様から頂いた物なのでかなり良い物だ。皆から羨ましがられた。
それとレミが経験してきた数々の事。村からあまり出ない子達からすればそれは物凄い冒険譚にも聞こえ、何度も話してと後でせがまれる事になる。
そして、レミは今までと同じ暮らしへと戻った。天気を気にし、薬草の育ち具合を気にする、今までと変わらない生活へと。

彼女はミレと名付けたそのお人形を、生涯側に置いて大事にしたという。
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