幼馴染は私を囲いたい!【菱水シリーズ②】

椿蛍

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27 自分にとって必要なもの【梶井】

「なるほど。自分の存在をアピールしたつもりが逆に自分の気持ちと向き合われちゃって、ライバルにもってかれたパターンですか」

―――こいつを呼ぶんじゃなかった。
額に手をあてた。
完全な人選ミス。
傷口に塩を塗り込むようなものだったな……
大勢との食事が終わり、まっすぐマンションに帰るような気分になれず、二件目は静かに飲みたいと思ったまではよかった。
ただ一人は嫌だった。
誰かを呼ぼうにも全員と別れたせいで手ごろな相手が誰も見つからない。
かといって、新しい女性という気分にもなれなかった。
スマホを眺めて目についたのは女だけど恋愛関係にはならない相手。
仕事関係者を選んだ。
それがこいつ、渡瀬わたせ結心こころだ。
渡瀬はいつも通りのグレーのスーツ姿でメガネをかけて現れた。
ホテルのラウンジバーと伝えたが、こいつの服装にブレはない。
顔色一つ変えずにツカツカと俺に近寄ってくるとスッと隣に座って俺に新しい仕事を提示する。
なんだ、これは。
新たな仕事の契約書だった。

「失恋してちょうどよかったです。さあ、新しい仕事を受けて失恋の傷を癒しましょうか」

「勝手に失恋にするな」

しかも、ちょうどいいってなんだ。
他に言いようがあるだろ?
渡瀬はまるで居酒屋にでもいるような態度でフードメニューを食い入るように見ていた。
ここは夜景が見えるホテルのラウンジバー、ブラックを基調とした店内の中心にはグランドピアノが置かれて、キャンドルの灯りが揺れている。
普通なら『素敵なところですね』と一言くらいあるところだろうが、渡瀬には通用しないようだ。
それに加え―――

「フラレたんですか?」

呼んだのは渡瀬だけのはずだった。
それが違う事務所のマネージャー、宰田さいだまで一緒についてきた。

「宰田。俺の精神的なフォローもしろよ」

「すみません。自分の事務所のことで頭がいっぱいで」

それは否定しない。
宰田は渡瀬より年上のはずだが、童顔のせいか年下に見えた。
人畜無害そうな男だが、なかなかのやり手だと聞く。

「なんだ。二人でデートだったのか」

「いいえ。コンサートの打ち合わせをした後、愚痴大会をしていました」

「おい」

「誰とは言ってませんが、心当たりはあるみたいですね」

うんうんと渡瀬はうなずいていた。
宰田はにこにこと笑ったままで俺を眺めていた。

「なんだ。言いたいことがあるなら言えよ」

「いやぁ。深月さんがこれで精神的に安定するので助かるなって思ってました」

「あ、私にエビフライと魚フライのタルタルソースをはさんだサンドイッチお願いします」

渡瀬はがっつり食べるスタイルらしい。
頼んだくせにまだメニューを眺めている。

「あと、チョコレートボンボン」

「どんな組み合わせだよ」

「お酒とチョコレートの組み合わせって大好きなんですよね」

「おいしいですよね。疲れた体に染み渡ります」

ここに自分達を癒しにきたのか?
この二人、俺を慰めるってことを知らない。
宰田の方はビーフステーキのサンドイッチでノンアルコール。
マイペースな二人組だが、今まで仕事だったのかと思いながら二人を眺めた。
まあ、忙しいよな。

「奢ってやるから今日は付き合えよ」

「そのつもりです」

「ありがとうございます」

渡瀬と宰田は遠慮のカケラもない。
一人でいるよりはマシか。
はあっとため息をつくと宰田がにこりとほほ笑んだ。

「奏花さんは深月さんが大事に守ってきた女性ですからね。あんまりちょっかい出さないでくださいよ」

釘を指すために宰田は渡瀬と来たということはわかった。

「約束はできない」

渡瀬がゴホゴホとサンドイッチを喉につまらせていた。

「ど、どうしたんですか?なにか悪いものでも食べました?フラれたのに諦めないんですか?」

「多分、あの子は俺にとって意味のある存在だから簡単に諦められない」

諦めて欲しいはずの宰田は困った顔をしながらも笑っていた。
宰田は人の気持ちまでどうこう言うような人間じゃない。
ちゃんと踏み込めるラインを知っている。
渡瀬のように。

「宰田。わかってるんだろ?あいつと俺は同類だ」

唯一の違いがあるとするなら―――

「恋愛に関して口を挟む気はありませんが、奏花さんが深月さんを選んだのなら、彼女の意思を尊重してあげてくださいね」

「わかっている」

そんなに飲んでいるわけでもないのに体がだるい。
渡瀬は珍しく心配そうな顔をしていた。

「梶井さん。最近、ちゃんと眠れてないんでしょう?顔色が悪いですよ。もう帰ったらどうですか」

「お子様じゃあるまいし、心配しなくても大丈夫だ」

渡瀬には隠せないか。
付き合っていた女と全員別れてから、寝不足だった。
誰かがいると眠れるが、一人だと眠りが浅くすぐに目を覚ましてしまう。

「梶井さん。演奏家は体が楽器の一部なんですから体調管理をしっかりしないといけませんよ」

宰田はあの三人にも言っているようなことを俺に言った。
なにが楽器の一部だ。
ふっと顔をあげると、中央にあるグランドピアノが目に入った。
だからというわけじゃないが、少し気分転換になるのではと思っただけで、気まぐれに宰田に言った。

「宰田。なにか弾けよ」

「え!?でも、そのー……あまり練習もしてませんし。そんなにうまくないので」

「お前は菱水音大のピアノ科卒だろ?」

「一応は。でも、人前で聴かせられるようなレベルではありませんよ」

「謙遜だろ。コンクールの本選まで残っていたのを知っているんだぞ」

宰田は困ったように笑う。

「周りがすごすぎて自慢できる経歴ではありませんから。それに逆にそこまで弾けるから、他の方のすごさがわかる。理解できてしまうんです。自分はここまでだなってことを」

「そんなものか?」

俺にはわからない。
『梶井さんは自分が一番好きな人ですから』
奏花ちゃんに言われた言葉を思い出した。
わからないのはそういうことなのか。
天を仰いだ。
俺の方が年上でなんでもわかってるって思うのは大間違い。
彼女の方が俺のことを理解している―――なにが平気だ。
自分で自分が言った言葉を思い出して笑った。
他に男がいても平気なんてことよく言えたよな。
あの時は本当にそう思っていた。
けれど今は―――?

「あー、もう。いいから、宰田。なんか弾けよ」

「……仕方ないですね」

「宰田さん、諦めてください。酔っぱらいには勝てませんよ」

酔っぱらっていないのに渡瀬は宰田にそんなことを言って無理やり納得させた。
どうせ渡瀬も宰田のピアノが聴きたかったのだろう。

「それじゃあ、一曲だけ」

店側に話をすると快く了承してくれた。
宰田はスーツの上着を脱ぎ、ピアノの前に座るとシャツのカフスボタンをはずす。
邪魔にならないように袖を折る。
店内の女性がチラチラと宰田を見ている。
人畜無害そうな顔して意外とあいつも女を泣かすタイプかもな。
なにを弾くのかと楽しみにしていると宰田が選んだのはショパンの子犬のワルツ。
雰囲気に合わせたアレンジ。
客の視線が宰田に集まった。

「ジャズアレンジか」

「可愛いですね。子犬が遊んで転がっているみたいで」

子犬のワルツねぇ。
食えない男だ。
子犬とあの三人をかけたつもりか。
宰田らしい角のない音、滑らかで軽快で人を明るくさせるような曲だった。
二分程度の短い曲でさらりと終わらせる。
宰田は弾き終わると拍手をもらっていた。
拍手をもらえるだけの演奏はしていた―――と思うが、宰田は苦い表情を浮かべて席に戻ってきた。

「これでわかったでしょう?僕と梶井さんは違いますよ」

「違うほうがいいですよ。世界が梶井さんを大量生産しなくてよかったと心底思っています。チェロ以外で役に立つのは少子化対策くらいでしょうから」

じろりと渡瀬をにらんだが、平然としていた。
そうですね、ありがとうございますと宰田もお礼を言っている。

「上手な演奏と感動させる演奏は違います。梶井さんは大勢の人に聴かせるために生まれてきた人間なんですから。もっと自分を大事にして演奏家として細く長く生きてくださいよ」

「細くは余計だ」

舌打ちしてウィスキーベースのカクテルを口にした。
琥珀色のカクテルを眺めて目を閉じる。
眩暈がする。
きっとこれは人生初の失恋だ。
思っていた以上に俺は彼女のことが好きだったのだと気づいてしまった。
女性としてだけでなく、彼女の存在を必要としている。
たとえ、今、俺のことを少しも思い出していなかったとしても可能性を捨てたくなかった。
まだ―――

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