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37 恋はここまで【梶井】
野外ステージでプレリュードを披露し、恩師と語らった後、別れを告げた。
その時には大騒ぎしていたあの生意気な奴らはいなくなっていた。
「最後のお願いだったんだけどな……」
あっさり断られてしまった。
彼女が俺を選ばないことはわかっていた。
ライトアップされた公園は後片付けが終わって誰もいない。
今は暗い。
煙草の火だけが暗闇の中ぼんやりと灯っていた。
東屋のベンチに腰かけて、星の見えない空を見上げていた。
じゃりっと小石を踏む音に気づき、目を向けるとそこにはグレーのスーツにひっつめ髪の渡瀬がいた。
「王子にお姫様を奪われてしまいましたね」
「……渡瀬」
なんて顔してるんだ。
それは今までで一番感情をむき出しにした顔だった。
あのビジネスライクな渡瀬が―――
「恥ずかしい真似をしないでください!」
初めて渡瀬が俺を本気で怒鳴りつけた。
腹の底から怒っている。
それも感情を露わにして拳を握りしめていた。
拳で殴る気かよ。
さすがに俺は避けるぞ。
今まで女に平手で殴られたことはあっても拳はない。
「それは否定しない。ものの見事にフラれたからな」
「とぼけないでください」
―――バレてたか。
俺はくすりと笑った。
「あなたは世界的なチェリストなんですよ!舞台で共演者を動揺させて演奏を乱すのは三流のやることです!」
「お前の言葉は殴られるより効くな」
「そんな泣きそうな顔をするくらいなら、正々堂々真っ向から勝負するべきでした。深月さんは少なくとも彼女のために必死に弾いていましたよ」
わかっている。
不得意な曲調であるにも関わらず食らいついてきた。
それで俺は理解した。
想いの強さは向こうが上だということを。
こっちはなりふり構わず、あんな必死になれる年齢じゃない。
そう思った時点で俺は負けていた。
体裁も常識も捨てられるくらい俺も必死にならないと手に入らなかったのだと。
彼女の前で、いつも俺はかっこいい初恋の人を演じていた。
それを演じきった。
お願いの時ですら、情けなくすがることはできなかった。
「悪かった」
謝ったせいか、渡瀬の険しい表情が少しだけやわらいだ。
「二度とあんな真似をしないでください」
渡瀬はバシッと俺の顔に封筒を叩きつけた。
傷心の俺にも容赦がない。
優しくされるよりはいいか……
自嘲気味に笑った俺に対して渡瀬は厳しい口調で言った。
「この仕事を断ることは許しません。社長から絶対に引き受けさせるようにときつく言われています」
落ちた封筒を拾い上げ、砂を手ではらう。
受けるかどうしようか迷っていた仕事だ。
海外のオーケストラの首席チェリストとして呼ばれている。
俺の尊敬するチェリストから首席チェリストとしてやらないかと誘われていた。
こんな名誉なことはない。
やりたいと思った。
けれど、俺は一度は断った。
そして、返事も送ってない。
奏花ちゃんにはもう行くことが決まったかのように言ったが、あれは嘘だ。
まだ迷っていた。
受ける返事を書いたはいいけれど、送れずにいた。
「引き受ける」
―――もう迷う理由はない。
「当たり前です」
渡瀬はきっぱりと言い切った。
「あなたは梶井理滉なんですから。若者と一緒になって遊ぶのはここまでにしてください」
『恋はここまで』
そう渡瀬に言われたような気がした。
「そうだな」
「泣くなら泣いていいですよ。笑ってあげますから」
「そんなこと言われて泣けるかっ!」
「私、男の泣く顔を見るのが好きなんですよ」
「嫌な嗜好だな」
「自分でもそう思います」
母が死んで以来、初めて泣いた。
声もなく―――ただ静かに涙がこぼれて落ちた。
男の涙が好きだという渡瀬が抱きしめてくれた。
こいつがこんな真似できるとは思っていなかったから、正直驚いた。
でも、今は助かる。
誰にも泣いていることを見られたくはない。
知られたくもない。
「勘違いしないでください。甘やかすのは今だけですからね」
「ああ……」
こいつの香りは甘くない。
緑と水の香りか―――その甘くない香りが俺の頭を明瞭にさせた。
これから進むべき道も。
小さな彼女と出会ったこの東屋の中で決断する。
彼女の幸せのために去ることを。
その時には大騒ぎしていたあの生意気な奴らはいなくなっていた。
「最後のお願いだったんだけどな……」
あっさり断られてしまった。
彼女が俺を選ばないことはわかっていた。
ライトアップされた公園は後片付けが終わって誰もいない。
今は暗い。
煙草の火だけが暗闇の中ぼんやりと灯っていた。
東屋のベンチに腰かけて、星の見えない空を見上げていた。
じゃりっと小石を踏む音に気づき、目を向けるとそこにはグレーのスーツにひっつめ髪の渡瀬がいた。
「王子にお姫様を奪われてしまいましたね」
「……渡瀬」
なんて顔してるんだ。
それは今までで一番感情をむき出しにした顔だった。
あのビジネスライクな渡瀬が―――
「恥ずかしい真似をしないでください!」
初めて渡瀬が俺を本気で怒鳴りつけた。
腹の底から怒っている。
それも感情を露わにして拳を握りしめていた。
拳で殴る気かよ。
さすがに俺は避けるぞ。
今まで女に平手で殴られたことはあっても拳はない。
「それは否定しない。ものの見事にフラれたからな」
「とぼけないでください」
―――バレてたか。
俺はくすりと笑った。
「あなたは世界的なチェリストなんですよ!舞台で共演者を動揺させて演奏を乱すのは三流のやることです!」
「お前の言葉は殴られるより効くな」
「そんな泣きそうな顔をするくらいなら、正々堂々真っ向から勝負するべきでした。深月さんは少なくとも彼女のために必死に弾いていましたよ」
わかっている。
不得意な曲調であるにも関わらず食らいついてきた。
それで俺は理解した。
想いの強さは向こうが上だということを。
こっちはなりふり構わず、あんな必死になれる年齢じゃない。
そう思った時点で俺は負けていた。
体裁も常識も捨てられるくらい俺も必死にならないと手に入らなかったのだと。
彼女の前で、いつも俺はかっこいい初恋の人を演じていた。
それを演じきった。
お願いの時ですら、情けなくすがることはできなかった。
「悪かった」
謝ったせいか、渡瀬の険しい表情が少しだけやわらいだ。
「二度とあんな真似をしないでください」
渡瀬はバシッと俺の顔に封筒を叩きつけた。
傷心の俺にも容赦がない。
優しくされるよりはいいか……
自嘲気味に笑った俺に対して渡瀬は厳しい口調で言った。
「この仕事を断ることは許しません。社長から絶対に引き受けさせるようにときつく言われています」
落ちた封筒を拾い上げ、砂を手ではらう。
受けるかどうしようか迷っていた仕事だ。
海外のオーケストラの首席チェリストとして呼ばれている。
俺の尊敬するチェリストから首席チェリストとしてやらないかと誘われていた。
こんな名誉なことはない。
やりたいと思った。
けれど、俺は一度は断った。
そして、返事も送ってない。
奏花ちゃんにはもう行くことが決まったかのように言ったが、あれは嘘だ。
まだ迷っていた。
受ける返事を書いたはいいけれど、送れずにいた。
「引き受ける」
―――もう迷う理由はない。
「当たり前です」
渡瀬はきっぱりと言い切った。
「あなたは梶井理滉なんですから。若者と一緒になって遊ぶのはここまでにしてください」
『恋はここまで』
そう渡瀬に言われたような気がした。
「そうだな」
「泣くなら泣いていいですよ。笑ってあげますから」
「そんなこと言われて泣けるかっ!」
「私、男の泣く顔を見るのが好きなんですよ」
「嫌な嗜好だな」
「自分でもそう思います」
母が死んで以来、初めて泣いた。
声もなく―――ただ静かに涙がこぼれて落ちた。
男の涙が好きだという渡瀬が抱きしめてくれた。
こいつがこんな真似できるとは思っていなかったから、正直驚いた。
でも、今は助かる。
誰にも泣いていることを見られたくはない。
知られたくもない。
「勘違いしないでください。甘やかすのは今だけですからね」
「ああ……」
こいつの香りは甘くない。
緑と水の香りか―――その甘くない香りが俺の頭を明瞭にさせた。
これから進むべき道も。
小さな彼女と出会ったこの東屋の中で決断する。
彼女の幸せのために去ることを。
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