さようなら、お別れしましょう

椿蛍

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第1章

16 別居後、初めて会う夫(1)

 ジグルズ・ベルクヴァイン公爵は、私の夫、イーザック様の兄にあたる。
 人の噂では――

『王位継承権を放棄し、領地に引きこもっている』
『どんな令嬢が結婚を申し込んでも断られてしまう』

 ――というものだった。

 私とイーザック様の結婚式に、ジグルズ様もいらっしゃったはずだ。
 けれど、早々に領地へ戻られた気がする。
 社交嫌いな方なのかもしれないと、気にしていなかった。
 でも、実際は噂と真逆。
 とても明るく社交的な方だった。

「ジグルズ様、おかえりなさいませ!」
「町はいかがでしたか?」
「今日の夕食は肉と魚、どちらがよろしいですか?」

 お屋敷についたなり、『ジグルズ様だ』『帰っていらした!』『わぁ、話したい!』というオーラが、お屋敷の人々から伝わってくる。
 次々と顔を出す。
 これは町でも感じたことだけど、ジグルズ様の周りには、人が自然に集まってくる。

「ただいま。順番に話を聞こう」

 ジグルズ様は嫌な顔一つせず、彼らに眩しい笑顔を向けた。

 ――こんな方もいらっしゃるのね。

 私が知る王族の男性と言えば、お父様とかイーザック様のみだ。
 こんな気さくに人々と話をし、笑いかける男性がいるのだと、初めて知った。
 しかも、人間だけじゃなく、動物にまで好かれている。
 お屋敷の玄関を開けたなり、大きな犬が舌を出し、尻尾を振って走ってきた。

「い、犬!?」

 犬を見たのは初めてで、とても大きな犬に驚いて、後ろに下がった。

「レフィカは犬が苦手か? 噛まないから撫でてみろ」

 白い毛と茶色の毛の犬が二頭いて、デレデレの顔でジグルズ様から撫でられている。
 恐る恐る私も撫でてみる。
 撫でると尻尾を左右に激しく振って、とても可愛らしい。
 
 ――犬はあたたかくて、毛並みがやわらかいものなのね。

「私、初めて犬に触れました。……ふわふわしています」
「毛玉ができていないのは、手入れを毎日、怠ってない証拠だ」

 お屋敷は王宮のように豪華で広く、その財力と権力が垣間見ることができた。
 犬以外にも自慢すべきことはありそうな気がするのに、犬に毛玉ができてないことが一番誇らしいようだった。
 思わず、くすりと笑うと、ジグルズ様も笑う。
 
「レフィカ様、ジェレンさん。客間へご案内いたします」

 ゼリヤが客間へ案内してくれるようで、私とジェレンはフード付きのマントを脱いで侍女へ預けようとした。
 けれど、侍女はマントを受け取らずに手を止めまま、私をジッと見つめた。

 ――もしかして、私がドーヴハルク人だから? 嫌な気分にさせてしまった?

「ゼリヤさん! この方はっ……!」
「もしや!?」

 私の姿を見た侍女たちが衝撃を受け、ゼリヤを見る。

 ――王妃! 王妃だとわかった!?

「ええ。この方は……」
「ジグルズ様の奥様候補でしょうか!?」
「とうとうご結婚を?」
「コックにお祝いの料理を作ってもらいましょう!」
「部屋を飾って、お祝いを!」

 ゼリヤが説明する前に、侍女たちは盛大な勘違いをして、騒ぎ出した。

「あなたたち! この方は、イーザック様のお妃様のレフィカ様ですよ!」

 侍女たちは勘違いだと気づくと、勢いを失い、肩を落としてションボリした。

「言われてみれば、そうですね……。ドーヴハルク王国から妃を迎えたと聞いております……」
「イーザック様は二十三歳。ジグルズ様は二十五歳。イーザック様のほうが年下なのに、先にご結婚されるという屈辱を味わった私たち……」

 ――屈辱を味わうのは本人ではなく? 侍女たち?

 侍女たちは母親のような気持ちで、ジグルズ様を見守っているようだ……
 さすがのジグルズ様も、侍女たちに苦笑していた。

「侍女たちが申し訳ない。俺の結婚問題は周囲の人間にとって深刻な問題らしくてな」
「いいえ。ジグルズ様はとても周囲から好かれていてうらやましいです」
「うん? うらやましい?」
「私は一人でいることが多かったのです。イレーネお姉様以外は、親しく声をかけてくれる者もおりませんでした。そのイレーネお姉様は……」

 ジグルズ様の顔をうかがう。
 イレーネお姉様の名前を知っているなら、ここでなにか反応があるはずと思ったのだ。
 【契約】によって、正妃として嫁ぐドーヴハルク王国の王女たち。
 ジグルズ様は名前くらい聞いているはずだ。

「そういえば、そんな名の妃が他国に嫁いでいたな」
「イレーネお姉様をご存じですか?」
「少しは知っている」

 ――やっぱり知っていた!

 ぎゅっと自分の胸元を握り締めた。
 ここで、ジグルズ様にお聞きしたい――でも、ジェレンがいる。
 もし、イレーネお姉様が生きていて、ジェレンが父に『イレーネ様が生きているかもしれない』などと報告した場合、イレーネお姉様の身が危険になる。
 すぐにでも尋ねたい気持ちを抑え、ジグルズ様に誰にも聞こえないよう小声で言った。

「ジグルズ様。二人でお話しできませんか?」
「二人きりで?」
「はい」

 私が強く念を込めて、ジグルズ様をジッと見つめた。
 私の目力が強すぎたのか、ジグルズ様は少し困った顔をしていた。

「他の人間に聞かれたくない話なのか?」
「そうです」
「……わかった。では、俺の部屋に招こう」
 
 小声で会話を終えると、ジグルズ様はゼリヤに言った。

「ゼリヤ。俺はレフィカに話がある。部屋へ行く」
「えっ? ジグルズ様のお部屋へ!? お二人だけで?」
「ああ。人を近づけるな」
「か、かしこまりました!」

 なぜか、ゼリヤは動揺し、侍女たちは息が止まりそうな顔で驚いていた。
 それを私とジェレンは不思議そうな顔で眺めた。

 ――もしかして、ジグルズ様は自分の部屋に、人を招くことがなかったのかしら?

 社交的な方だけど、個人的な場所へ立ち入られるのは、お好きではないのかもしれない。

「お部屋へ招いてくださり、ありがとうございます」
「美人を招待するのは構わない」
「まあ、お上手ですね」
「俺はお世辞を言う男ではないぞ」

 ジグルズ様ははっきりものを言う方だと思う。
 褒められたことは嬉しく、にっこり笑うとジグルズ様も微笑み返した。

「ここが俺の部屋だ」

 大きく重い扉が開かれた。
 ジグルズ様の広い部屋には、大量の書物が置かれ、世界地図と海図が壁に張られている。

 ――すごい。世界がここにあるみたい。

 全世界を眺めることができる部屋に驚いた。
 この部屋を見て、再び思う。

 ――なぜ、ジグルズ様は王位を放棄したの?

 私が気にするべきはイレーネお姉様のことだったはずが、気づけばジグルズ様に興味を持っていた。

「さて、二人きりで話したいこととは、なにかな?」

 私のすぐそばの壁に手をつき、ジグルズ様は微笑んだ。

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