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第二幕
ep.11 試行の伍 -ミュラー侯爵と近衛騎士- (1)
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クラウスの執務室で、ルイーゼは小隊の仕事や研究の進捗について報告する。
グンターのもとへは隙を見つけては通っているが、魔装具を完全に完成させるにはやはり時間が必要そうだった。
「そういえば、レンツ侯爵の御嫡男と、ブラント侯爵令嬢の縁談話があるとか」
机一杯に広がった書類を片付けながら、ルイーゼが世間話のようにそう話題を振る。
クラウスは壁に掛かった暦を一瞥してから頷いた。
「ああ、半年のうちには婚姻があるだろうが、既に両侯爵の間では取り交わされていることだ。少しばかり動きにくくなるだろうな」
「レンツ侯爵の獣人嫌いは有名ですからね。それでなくとも保守派のブラント侯爵は、完全に融和への反対姿勢を示すことでしょう」
「……儘ならぬものだな」
いつもよりも低い声でそう言ったクラウスの顔が少し顰められていることに、ルイーゼは片眉を上げる。
「おや、戦帰りでも無いのにそのような弱音を吐露されるとは、珍しいですね。さては昨晩、ほとんどお眠りになられていらっしゃらないでしょう」
ルイーゼの指先がクラウスの目の下の隈をなぞる。そのまま治癒を試みようとして、それは不要だとクラウスの手に止められた。
クラウスはルイーゼの手首を掴んだまま、じっと彼女の目を見据える。
「ルイーゼ、戦が近くなっている。お前の腕は信頼しているが……怪我をするな」
「はい、承知いたしました。クラウス様こそ、午後の議会までに少しお休みになられてください」
少し咎めるようにそう返され、クラウスは微かな苦笑いを浮かべた。
◇
ルイーゼは再び、ホーエンベルク公爵へ協力を取り付けた直後へと戻って来ていた。
一月後に招待される予定の舞踏会のことを考えて、少し苦い顔をする。
公爵夫人の体調は、火事の夜まで大きな悪化はみられなかった。
肉体の回帰が有効な手段であるのか判断するには、もう少し先までを過ごして試してみたいところだったが、クラウスが死んだ時点で彼の近衛騎士であるルイーゼたちの権限はほぼ消え失せる。城内の情勢を伺うどころか、満足に動くことすら難しく、一度だけ滞在した時は結局早々に死に戻った。
「それで? ブラント侯爵令嬢、だったか? いたいけな乙女を拐かして、折角の縁談を破談させるんだろう?」
目の前に浮かぶ豆粒の声に、ルイーゼは意識を今へと引き戻す。目に映る景色から、クラウスと少し話した後で自室に戻ったのだったと思い出した。
胸元から手帳を取り出し、中身を確認しながら、ルイーゼは小さなため息を吐く。
「人聞きが悪いですね、あの後少し調べましたが、確かにブラント侯爵夫人は貴族の出でありながら、相当な仁徳者であったようです」
「宰相一派に取り入るには都合が悪かったって?」
「亡くなる数年前より社交の場には出ておられなかったところを見ると、侯爵がそれを不都合だと思っていたことは事実でしょう」
そう言ってルイーゼは手帳を閉じる。一ヶ月後の舞踏会で出会う、新緑のドレスを纏った少女のことを思い出した。
もしカタリーナ本人の言うように母親と親しくあったのであれば、きっと父親にも、その周囲にも、さぞ鬱屈を抱えていたことだろう。そうルイーゼが嘆息混じりに続けると、へえ、と何かに興味を持ったような返答があった。
「魔女殿は母親とは仲が悪かったのか?」
「覚えていませんね。物心がつく前に森へと破棄されましたから」
「ふうん、そりゃまた何で」
「貴女の伝承のおかげでしょう、ロズ。この国では、赤い髪や、特に赤目を忌み嫌います。獣の耳まで付いているとあれば、持て余すことも理解します」
正体は知らないが、あるいは信心深い貴族だったかもしれない、とルイーゼはさほど興味なさげに付け加えた。
ロズがふわふわと室内を漂う。その向こうの窓の方角にある森を思い出し、ルイーゼはふいと視線を逸らせた。
「そういえば獣人の血が混じってるって言ってたな」
そのまま部屋を出ようとしたところで、ロズが思い出したように言った。ルイーゼは振り返らないまま、その問いに淡々と答える。
「大昔に一度、グンター博士に身体を調べて頂きましたが、恐らくは四分の一程度です。祖父か祖母が獣人だったのでしょう。混血の身分を隠した母が愚かなことに私を身籠り、正体が発覚したと、そのようなところでは無いですか?」
ルイーゼの手が扉にかかる。その背を飛び越すように、ルイーゼの頭上から鼻先へと豆粒が降りてきた。
「生まれたことを後悔してるか? それとも恨んでるか?」
「まさか。今こうしてクラウス殿下をお救いできているのも、彼らのおかげです」
むしろ感謝しているぐらいだと、ルイーゼは薄く笑った。尚も何か言いたげな粒を、ルイーゼの手がぱしりと払う。
「さて、無駄話はこのぐらいにして行きますよ。ブラント侯爵令嬢への取り入り方は既に検証済みです。今回は、引き続き魔装具の研究と、それからもう一人、接触しておきたい相手がいます」
そう宣言するように言って、ルイーゼは自室を後にした。
グンターのもとへは隙を見つけては通っているが、魔装具を完全に完成させるにはやはり時間が必要そうだった。
「そういえば、レンツ侯爵の御嫡男と、ブラント侯爵令嬢の縁談話があるとか」
机一杯に広がった書類を片付けながら、ルイーゼが世間話のようにそう話題を振る。
クラウスは壁に掛かった暦を一瞥してから頷いた。
「ああ、半年のうちには婚姻があるだろうが、既に両侯爵の間では取り交わされていることだ。少しばかり動きにくくなるだろうな」
「レンツ侯爵の獣人嫌いは有名ですからね。それでなくとも保守派のブラント侯爵は、完全に融和への反対姿勢を示すことでしょう」
「……儘ならぬものだな」
いつもよりも低い声でそう言ったクラウスの顔が少し顰められていることに、ルイーゼは片眉を上げる。
「おや、戦帰りでも無いのにそのような弱音を吐露されるとは、珍しいですね。さては昨晩、ほとんどお眠りになられていらっしゃらないでしょう」
ルイーゼの指先がクラウスの目の下の隈をなぞる。そのまま治癒を試みようとして、それは不要だとクラウスの手に止められた。
クラウスはルイーゼの手首を掴んだまま、じっと彼女の目を見据える。
「ルイーゼ、戦が近くなっている。お前の腕は信頼しているが……怪我をするな」
「はい、承知いたしました。クラウス様こそ、午後の議会までに少しお休みになられてください」
少し咎めるようにそう返され、クラウスは微かな苦笑いを浮かべた。
◇
ルイーゼは再び、ホーエンベルク公爵へ協力を取り付けた直後へと戻って来ていた。
一月後に招待される予定の舞踏会のことを考えて、少し苦い顔をする。
公爵夫人の体調は、火事の夜まで大きな悪化はみられなかった。
肉体の回帰が有効な手段であるのか判断するには、もう少し先までを過ごして試してみたいところだったが、クラウスが死んだ時点で彼の近衛騎士であるルイーゼたちの権限はほぼ消え失せる。城内の情勢を伺うどころか、満足に動くことすら難しく、一度だけ滞在した時は結局早々に死に戻った。
「それで? ブラント侯爵令嬢、だったか? いたいけな乙女を拐かして、折角の縁談を破談させるんだろう?」
目の前に浮かぶ豆粒の声に、ルイーゼは意識を今へと引き戻す。目に映る景色から、クラウスと少し話した後で自室に戻ったのだったと思い出した。
胸元から手帳を取り出し、中身を確認しながら、ルイーゼは小さなため息を吐く。
「人聞きが悪いですね、あの後少し調べましたが、確かにブラント侯爵夫人は貴族の出でありながら、相当な仁徳者であったようです」
「宰相一派に取り入るには都合が悪かったって?」
「亡くなる数年前より社交の場には出ておられなかったところを見ると、侯爵がそれを不都合だと思っていたことは事実でしょう」
そう言ってルイーゼは手帳を閉じる。一ヶ月後の舞踏会で出会う、新緑のドレスを纏った少女のことを思い出した。
もしカタリーナ本人の言うように母親と親しくあったのであれば、きっと父親にも、その周囲にも、さぞ鬱屈を抱えていたことだろう。そうルイーゼが嘆息混じりに続けると、へえ、と何かに興味を持ったような返答があった。
「魔女殿は母親とは仲が悪かったのか?」
「覚えていませんね。物心がつく前に森へと破棄されましたから」
「ふうん、そりゃまた何で」
「貴女の伝承のおかげでしょう、ロズ。この国では、赤い髪や、特に赤目を忌み嫌います。獣の耳まで付いているとあれば、持て余すことも理解します」
正体は知らないが、あるいは信心深い貴族だったかもしれない、とルイーゼはさほど興味なさげに付け加えた。
ロズがふわふわと室内を漂う。その向こうの窓の方角にある森を思い出し、ルイーゼはふいと視線を逸らせた。
「そういえば獣人の血が混じってるって言ってたな」
そのまま部屋を出ようとしたところで、ロズが思い出したように言った。ルイーゼは振り返らないまま、その問いに淡々と答える。
「大昔に一度、グンター博士に身体を調べて頂きましたが、恐らくは四分の一程度です。祖父か祖母が獣人だったのでしょう。混血の身分を隠した母が愚かなことに私を身籠り、正体が発覚したと、そのようなところでは無いですか?」
ルイーゼの手が扉にかかる。その背を飛び越すように、ルイーゼの頭上から鼻先へと豆粒が降りてきた。
「生まれたことを後悔してるか? それとも恨んでるか?」
「まさか。今こうしてクラウス殿下をお救いできているのも、彼らのおかげです」
むしろ感謝しているぐらいだと、ルイーゼは薄く笑った。尚も何か言いたげな粒を、ルイーゼの手がぱしりと払う。
「さて、無駄話はこのぐらいにして行きますよ。ブラント侯爵令嬢への取り入り方は既に検証済みです。今回は、引き続き魔装具の研究と、それからもう一人、接触しておきたい相手がいます」
そう宣言するように言って、ルイーゼは自室を後にした。
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