【完結】魔声の人魚姫は翼の騎士に恋をする

宵乃凪

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六章

ep.26 再出発

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 断崖に迫り出した大樹の枝から、いくつかの人影がふわりと飛び立つ。

 突き抜けるような青空。上空の強い風に乗って、空の民がゆったりと旋回する。
 連なった影がぐるりぐるりと大空を泳いでから、一人、また一人と集団から離れていく。

 最後に残った甥子へ向けて、ヴァレアの長は霞みかけた目を細めて笑った。

「カイルラス、お前に、風の加護があらんことを」

「ああ」

 離れる間際に一度だけ翼の先端を掠めて、カイルラスは舞い上がり、反対に年老いた翼の民はゆっくりと落下していった。

 その光景を、海上から見つめる影があった。
 彼の身体が羽の一片まで紺碧へと溶けたことを見届けてから、セレイアはとぷんと海中へと潜った。

 ◇
 
「セレイア姉ー!」

 セレイアが海底宮殿に戻るよりも早く、小さな身体が泳ぎ寄ってきた。
 どうしたのかと問うと、どうもこうもない、と少年は口を尖らせた。

「聞いてくれよ。皆入り江に遊びに行くって言うのに、父ちゃんが俺は駄目だって。危ないからって。でも、自由交流地? になったんだろ? 頼むセレイア姉、父ちゃんを説得してよ! だって今日はリュアのおっちゃんがパン焼いて持って来てくれる日だぜ? セレイア姉、お土産のパンって食べたことある? べっちゃべちゃで、ひっでぇの!」

 まるで海流のように捲し立てて、うげ、と顔を顰める少年に、セレイアはくすくすと笑った。今回だけだと念を押してから、衛兵である父親を説得するために共に海底を目指す。

 二人並んで泳ぎながら、少年はあちこちを指差しては嬉しげに報告した。遊び場から翡翠貝が減ったこと。小魚の群れを脅かしてやったこと。最後に岩の下から立派な剣を拾ったことを誇らしげに自慢する。

「剣はまた翼人に返してやるんだろ? ちゃんと大事に部屋に置いてあるからさ、なあなあ、次は俺も一緒に行っていい?」

 きらきらとした眼差しを向けられて、セレイアはうーんと首を捻る。
 前々回にヴァレアのもとへと行った時、翼の民に抱えられて空を飛ぶ息子の姿を見た彼の父親が、大波を起こさんばかりに慌てていたことを思い出した。

 ついでに話はしてみるがあまり期待はするな。そのようなことをセレイアが告げると、少年はぶちぶちと過保護な父親への不平不満を漏らした。

 ◇
 
 傷が塞がっても、セレイアの喉は完全には治らなかった。

 大渦が消えたあの日。朝日の差し込む入り江で、ひとまずの治療を終えたメルヴィナは己の力不足を謝罪した。

 生涯声が戻らないかもしれない。そう分かったところでセレイアは、それでも王座を退かないことを三人に宣言した。

「セレイアは何て?」

 ただ一人海の意思が聞こえないノアリスが、メルヴィナとカイルラスに問う。
 はあ、とメルヴィナがため息を吐いた。

「姉さんはお父様の後を継ぐって。それでなくても海は大混乱、問題山積みよ。歌声を失って、魔力も碌に制御できない状況で、どうにか出来ると思うの?」

 すっかり呆れきった様子の妹に、セレイアは胸を張って頷いた。
 そうか、とカイルラスも頷く。

「ならば俺は空から大海を見回る。そちらの衛兵と連携した方がいいだろうが、この辺りは追って話をせねばならんだろうな」

「は? 帝国の、翼騎士団の方はどうなったのよ」

 メルヴィナが怪訝な表情で振り返る。視線を受けてノアリスが肩を竦めた。

「それはさっき解散させた、が……こっちの手数が完全に無くなっちまうのはさすがにキツいんだがな」

「残りたいものは残り、あるいは別の空へと行くだろう。我らは互いの意思を強制することはしない」

 カイルラスが淡々と答える。ノアリスは、この薄情者、と恨みがましげに呟いた。

 メルヴィナがやれやれと首を振る。

「自由と言えば聞こえはいいけど、ヴァレアって案外勝手よね。ま、からっとしてて少なくとも海よりは生きやすそうよ」

 そう言って少女の瞳が少し眩しそうに空を見上げる。そんな妹の表情を見て、セレイアが嬉しそうに微笑んだ。

 ノアリスは数秒だけ呆けた後で、つい先程まさしく自分が述べたのと同じ感想に、違いない、と吹き出した。

 ◇

 真昼時の入り江は、白い砂が太陽光を反射させている。
 賑わいに顔を顰めた衛兵を、セレイアはまあまあと宥めた。

「父ちゃん! こっち! あのおっちゃんのパンがめっちゃ美味いの!」

「おい、分かったから走るな。はぐれて攫われたらどうする。セレイア様に免じて連れて来てはやったが……おい引っ張るな! 転ぶだろう!」

 小さな手に腕を引かれて、衛兵はよろめきながら慣れない足で砂浜へと上がっていく。振り向いた男の困惑顔にセレイアは苦笑し、気を付けるように言って手を振った。

 ひたひたと砂を踏みながら、セレイアは持って来ていた大きな布で腰から下を覆い隠す。周囲にそのようなことをしているリュアの民はいなかったが、少しでも彼の不快を取り除きたいのと、それから素足を曝け出したままというのも何となく気恥ずかしいような気がした。

 入り江には多くの者が混在していた。物珍しさで陸から遊びに来た人間、陸と海の互いを相手に商売をする者、過去に陸に上がったというリュアの民や、警戒して尾ひれのまま浅瀬から様子を伺う者。ごった返す人影の中には、幾つか翼を持つ者の姿もある。王城仕えの衣装を纏った者もいれば、旅装束のような者もいた。

 セレイアはじっと彼らの様子を伺う。楽しげに行き交っているように見えて、やはりそこには緊張した空気が漂っている。先月の交流会で人間とリュアの間に起こりかけたトラブルは、居合わせたヴァレアの男によって仲裁された。

 ばさり、と頭上で音がした。見上げるよりも早く、目の前に影が降りてくる。

「待たせたか」

「――」

 口を尖らせたセレイアに、それはすまない、とカイルラスが謝った。

「今朝早く、また一人大海の警備に加わりたいという者があった。南の珊瑚礁付近を任せようと思う」

「――、――」

「ああ、先日の葬儀の件には礼を言う。以前に話していた鎮魂歌だが、興味を示す者がいる。近く空へと還る予定の男だ」

「――」

「承知した、明日にでも連れて行く」

 そのような会話を交わしながら、セレイアとカイルラスが入り江を歩く。

 ふと視線の先で、少年が両手一杯に抱えたパンを頬張っている姿を見つけた。同じくパンを手にした男のポカンとした表情と、それを眺めて満足げに笑う商人を順番に見て、セレイアはくすりと笑みを漏らした。

「あっ、姉さん! 遅いわよ。言ってるでしょ、今日もそんなに時間ないの。この後はそのまま集落の方に行って水路の調査をして、山向こうの部族がそろそろ怪しいから軍務卿と相談して――」

「それから明日の会談の資料をまとめ終わったら、キミの子守唄で眠れると最高なんだけどな」

「馬鹿言ってないで早くまともな人材を寄越して。書庫はいつだって人手不足なの」

「はいはい了解お姫様」

 メルヴィナと共に現れたノアリスは、隣の少女の睨み上げるような視線にやれやれと大きく肩を竦めた。

 セレイアがメルヴィナのもとへと駆け寄る。白い手がぺたぺたと黒い髪、頬、肩と順に触れていく。

「――、――、――、――」

「大丈夫。問題ないってば。姉さんこそ、あたしがいないからってちゃんと寝てよ。しょうがないから明日の会談にはあたしも……ちょっと! やめてってば! 頭は撫でなくていいって、あたしは子供じゃないって言ってるでしょ!」

 ああもう、とメルヴィナがセレイアの腕の中で身を捩らせる。

 ノアリスはカイルラスへと耳打ちした。

「なあ、セレイアは何て?」

「いつも通りだ」

「まあ見るからにそうだろうなとは。全く、リュアの姉妹は仲睦まじい。オレにも少しは触れさせてくれたらいいのにな」

「三種族の文字を扱う優秀な文官を失いたいのであればそうすればいい」

「お前、海の血が混じってからオレには余計に辛辣になったよな」

 友の恨みがましげな視線に、カイルラスは黙って肩を竦めた。

 一つ息を吐いてから、調子は、とノアリスが問う。これまでの冗談めかした声ではなく、カイルラスも再びノアリスの顔を見た。

「問題ない。そちらは」

「おかげさまで頑張ってるさ。お前の寿命が延びた分、和平を見せてやるって約束は果たせるかもな。契約条件の後出しみたいで気持ち悪さはあるが」

 ノアリスがじっとカイルラスの目を見返した。深海の色の奥底には確かに海の魔力を感じる。
 それは祖先に遠く血を引いただけの自分よりも余程強く、もしかするとこちらの方が看取られる羽目になるかもしれないと、ノアリスはまた戯けたように続けた。

「瑣末なことだ。そもそもお前は寿命を全うする気があるのか」

「前よりはな。大義の前には些事だと思ってたが、彼女をあのつまらない王城に一人にする訳にはいかないしな」

「そう見くびると一層疎まれるぞ。リュアの姫君らは気高く、誇り高い」

 カイルラスがそう言って、セレイアとメルヴィナの方を見る。少し離れたところで、二人はまたああでもないこうでもないと、喉の治療を試しているようだった。

 ノアリスはカイルラスに並び立つ。体躯のいい男の顔をちらりと見上げ、その目が細められていることを見てから、がしがしと頭を掻いた。

「……求婚したらキレられると思うか?」

「少なくとも状況が落ち着くまではな」

 微塵も迷いの無い返答に、ノアリスは小さなため息を吐いた。


「姉さん、どう? 少しは出そう?」

「――、――」

 セレイアの口から漏れ出た空気の音に、メルヴィナは、もう、と不満げに口を尖らせた。

「これもダメね。分かった、明日はまた違うやり方を試してみる」

 じゃあ帰るわ、と踵を返そうとする妹の腕を、セレイアが慌てて掴む。細い身体を抱き寄せて、ぎゅ、と両腕に力を入れると、肩口付近から呆れたようなため息が聞こえた。

「姉さん、明日も会うってば。言ってるでしょ。姉さんの喉が完全に治るまで、あたしは絶対に諦めないって。だからもう離してよね。陸の仕事の合間に、明日試す治癒を練習しておかなくちゃ」

「――――」

「えっ? まあ……案外、悪く無いわよ。海の民ほど純粋な存在じゃないけど、でもかえって混ざり者のあたしには居心地がいいわ」

 セレイアがメルヴィナから少し身を離す。両手で肩を持ち、じっと妹の顔を見た。
 そこに浮かぶ不満に、メルヴィナは思わず苦笑した。

「自虐で言ったんじゃないわ。いいのよ、半分人間の血が混ざっていようと、それがもしかして翼人だったとしても、別に大した問題じゃないわ。あたしは姉さんの愛する妹、そうでしょ?」

 挑発的な笑みと共に告げられた言葉に、セレイアは数度目を瞬かせて、そして何度も大きく頷いた。

 白い二本の腕が妹の身体をぎゅうと強く抱き締める。後頭部を梳く指の感触に、メルヴィナはまた抗議しかけて、やれやれとそれを飲み込んだ。そっと腕を伸ばして姉のことを抱き締め返す。

「――――」

「ええ、あたしも愛してるわ、姉さん。どこにいたってずっとよ。……でも次にまた無茶をしたら、あたし、姉さんを海から引き上げて城の牢に入れてやるんだから」

 ぎくり、とセレイアが身体を震わせる。やがて苦笑しながら身を離すと、少し怒ったような妹の額に柔らかな口付けを落とした。
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