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第12章 妖傀儡師〈ツァーンラート〉
飛空艇ドッペルアドラー
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「もう十分に時間は稼いだろう、グリザルド君。そろそろ頃合いかな……」
騎士長ポーフの指揮で機巧都市中の番兵たちが殺到した夜の広場で。
探偵マキシが、自分の方に向かってゆっくりと突進してくる兵士たちを見回しながら大きく息を吐いた。
マキシの不思議な業によって、彼の周囲だけ時間が遅まってしまった不思議な景色の中で。
探偵は石畳をトンッと蹴って、その場から大きく跳躍した。
「時を……速める!」
眼下の兵士たちを一瞥しながら、マキシが自分の左胸を右手の指先で再びコチコチと叩いた……と同時に。
「「ドバアアアアアアア」」
兵士たちの悲鳴が広場いっぱいに響き渡った。
今度は動画の早回しのように、いきなりそのスピードを増した兵士たちの突進で……
勢い余って制止のきかなくなった彼らの体が、互いに衝突して次々と地面に転がってゆく!
「さて……これからどうしたものか……」
混乱にまぎれて、再び屋台の物陰に身をひそめたマキシが、思案顔で首をかしげる。
「『幽界の薔薇』のあれだけの力……メイ君の力の解放は……おそらく深幻想界中の魔王たちに気づかれた。当然マシーネにも……!」
地面に転がって伸びている兵士たちの合間を縫うように、そっと広場から離れながら。
マキシは忌々しげに形の良い眉をひそめた。
「彼女を何処か安全な場所に匿わねばならない。この私の『表札の無い屋敷』よりも更に安全な場所に。そんな場所があるとしたら……ん!?」
しきりにブツブツ何かを呟きながら。
夜道を歩き始めたマキシの動きが、だがいきなりピタッと止まった。
「何だこの乱れは……メイ君の力が……『幽界の薔薇』の力が大きく乱れて……弱まってゆく。いったい……何が起きている!?」
金色の瞳を大きく見開いて、探偵は不安げな声を上げてあたりの闇を見回した。
#
「イィウゥ……!」
メイのか細い悲鳴が、暗い路地裏に響いていた。
そして苦しげな息を漏らしながら、メイが押さえた自分の左胸。
ルシオンの光矢に撃ち抜かれたメイの左胸からポタポタと地面に零れ落ちてゆくのは……
いく片も、いく片も。
少女の指の間をすり抜けてゆく……血のように真っ赤な薔薇の花びらだった。
そして次の瞬間。
「グオオオオオッ! やめろおおおおお!」
グリザルドの絶叫が、あたりの空気を震わせた。
怒りと混乱で我を忘れたように、盗賊は光矢の撃ち手ルシオンに向かって飛びかかっていた。
「やめろ! やめろ! やめろ王女ォオオオオオオ!」
「放せ……邪魔をするなグリザルド! コイツは……コイツだけはわたしの手で斃さなければいけないんだぁ!」
グリザルドの体当たりでバランスを失ったルシオンの体が、盗賊と一緒に冷たい路地に倒れこんだ。
ルシオンとグリザルドが、石畳の上でもつれあった。
ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ!
ルシオンの周囲を飛び回って彼女のホタルたちが、狙いも定めずに無茶苦茶な方角に次々光矢を発射してゆく。
緑色に眩く輝く光の矢が、グリザルドの手を、足を、肩を、腹を、無残に貫いていった。
だがルシオンに掴みかかった盗賊の腕力が弱まる様子はまったく無かった。
自分が匿っていた少女を……メイを目の前で撃ち抜かれて。
グリザルドの体はもう、痛みを感じることも忘れてしまったみたいだった。
だが、それでも……
「放せと言ったんだぞ。グリザルドオオオオオオオオッ!」
「ウ……グアアアアアアッ!」
ルシオンに掴みかかった盗賊の手首を、ルシオンのたおやかな手がギリギリと締め上げていた。
自分よりはるかに大きな盗賊の体を押しのけて、石畳からルシオンが立ち上がった。
魔王の眷属であるルシオンの体は、可憐な少女の姿をしていても、その腕力でグリザルドを大きく上回っていた。
「コイツこそがすべての元凶……世界を危機に陥れた大罪人……コイツだけは……『メイローゼ・シュネシュトルム』だけは生かしておけない!」
グリザルドの体を地面に組み伏せながら、ルシオンは真っ赤な瞳を怒りに輝かせてメイの方をにらんだ。
「おじちゃん……大丈夫? おじちゃん……!」
いく片も、真っ赤な薔薇の花びらを地面に零しながら。
傷ついたグリザルドに向かって弱々しい声を上げる少女の姿を、ルシオンはギッとにらんだ。
おいやめろ……もうやめろよ……
ルシオン!
ソーマはたまらず、ルシオンの中で悲鳴を上げた。
なんとかルシオンを止めようと、彼女の体の主導権を自分のものにしようとするソーマだったが、それも無駄な抗いだった。
ルシオンの体の制御は、完全に彼女のものだった。
何かを成し遂げようとする鋼のような決意と覚悟が、ルシオンの体への干渉をソーマに許さない!
「ようやくこれで、全てが終わる……」
ビュウウウウ……
そして、メイの方に向かってピタリと向けられたルシオンの指先に無数のホタルたちが集っていた。
ルシオンのホタルの発光器官が、再び緑色の輝きを強めていく。
「ルシフェリック・バースト……」
その場から動けないメイの胸元に狙いを定めて。
ルシオンは静かに、そして冷たい声でポツリとそう呟いていた。
#
「やめろおおおおお!」
石畳に組み伏せられたまま、グリザルドは絶叫していた。
ソーマとグリザルドの制止も空しく。
ルシオンの指先に集まったホタルたちから放たれた光矢の束が、メイの胸元に突き刺ささっていた。
ルシオン渾身の光撃が、そのままメイの体を貫き、小さなメイの体をズタズタに引き裂く……
かに思えた、だがその時だった。
「な……なんだ!?」
真っ赤な瞳でメイをにらみつけたまま、ルシオンは戸惑いの声を上げていた。
ルシオンの放った光撃は、メイの胸元に到達するその寸前に……静止していた。
いや、光撃だけではなかった。
グリザルドとのもみ合いで、あたりを舞い散っていた土埃も、そしてメイの体そのものも。
メイを中心とする半径1メートルほどの空間の、時が止まっていた。
「そこまでだ、ルシオン君」
「……おまえは!」
異変の正体に気づいたルシオンが、声の方を向くと。
闇夜の向こうから姿を現したのは、自分の左胸に右手を添えた探偵マキシだった。
「それ以上、彼女を傷つけることは許さない。その淑女もまた、我が屋敷の客人だ……」
「何を言っているのだマキシ! コイツが誰なのか、お前は知らな……」
「知っている」
激昂してマキシに詰め寄るルシオンの言うことを見透かしたように。
マキシはすかさず、そして静かな口調でルシオンにそう答えた。
「ウグッ!」
「この子はメイ。吹雪国の偉大なる双子王の片割れ……の、成れの果てさ。だが見てみろ、今の彼女のこの姿を!」
目前に迫るルシオンの光撃の輝きを、緑の瞳で呆然と眺める……時の止まった少女の姿を指さして。
マキシは毅然とした口調で、逆にルシオンに詰め寄った。
「もう君も誰も傷つける力もない。記憶を失い、幽かな過去の思い出にすがっているだけの無力なこの子を……何の抵抗もできないこの子を、君は自分の手で殺そうというのか? それがインゼクトリアの魔王の眷属の流儀か?」
「だめだ……だめだ、だめなんだ!」
いたましげな顔で時の止まったメイの方を振り返りながら、マキシはルシオンをなだめるようにそう話しかける。
だがルシオンの方に、引く様子は全くなかった。
「ききわけたまえルシオン君。矢を収めろ。いったん屋敷に戻るぞ、グリザルド君の手当てを手伝うんだ。そして……君が機巧都市に来た目的を思い出せ。君は魔王マシーネに囚われた自分の姉上を救うために、この街に来て私の助力を求めたのだろう?」
「だからだ! だからこそ、だめなんだ!」
ルシオンを制するマキシの言葉に……
だがルシオンは腹の底から絞り出すような声で、マキシの言葉を否定した。
「コイツがまだ生きていると、父上に知れたなら……わたしの人間世界での頑張りが無駄だったと、父上に知れたなら……コイツを生かしたまま、小姉上を助けたって意味がないんだ! 父上の目の前で……意地悪な姉上たちを見返す意味がなくなってしまう……!!!」
「……………」
メイの姿を指さして、悲鳴にも似た声を上げるルシオン。
マキシは無言のまま、無表情のまま、ルシオンを見下ろしていた。
「そういうことだったのか」
しばしの沈黙の後、マキシは口を開いた。
探偵の金色の瞳が、射貫くような冷たい輝きでルシオンをジッと見据えていた。
「グリザルド君がこの事件を持ち込んできた時、正直なところ私は……魔王同士の下らない小競り合いに関わるのはイヤだった。だが姉上を思う君の気持には応えたいと思ったし、魔王マシーネの働く悪事を、これ以上放っておけないという思いもあった。だからこの事件を引き受けたんだ。だが君の姉上への気持ちは……たかだかそんな気持ちだったのか。たかだかそんなことで、抵抗もできないあの子を殺そうとしたんだな!」
「グ……ウウッ!」
厳しい口調でルシオンを問いただすマキシ。
ルシオンは肩を震わせて言葉を詰まらせた。
「これはまだ、やりかけの仕事だ。君との約束通り、君の姉上の救出には力を尽くそう。魔王マシーネをなんとか止めよう。それは約束する。だがルシオン。君は機巧都市を去れ。私の前から消えろ……」
「な……消えろだと……いきなり何を」
震える声で何か言い返そうとするルシオンを、だがマキシの厳しい声が制した。
「ルシオン・ゼクト。君は自分の家族への下らないこだわりから、何の抵抗も出来ない……記憶も幽かなこの子を殺そうとした。グリザルド君の命がけの協力も踏みにじって……。君には『品格《クラス》』ってものが無い!」
マキシはやりきれない表情で、ルシオンを指さし首を振った。
「街を出るんだ。明日の朝すぐにでも。番兵たちが君の正体に気づぬうちに。永久に……さよならだ……!」
「…………!」
マキシの言葉に、ルシオンもまたやりきれない表情で目を伏せて肩を落とした……その時だった。
突然、何の前触れもなく、ゴオゴオゴオ……
ルシオンのマキシたちの頭上から、突風が叩きつけてきた。
「な……なんだ?」
ルシオンが愕然とした表情で夜空を見上げると。
星も見えない曇った空の……その真っ黒な雲の一画がグニャリと歪んでいた。
「あれは……まさか!」
探偵マキシもまた、頭上から叩きつけてくる突風の正体を見上げて驚きの声を上げていた。
あたりの空気が急速に冷たくなってゆく。
叩きつける風に、チラホラと雪がまじっている。
暗い夜の雲間が、まるで真夏の陽炎みたいにユラユラと揺らめいていた。
粉雪の混ざった突風は……いや吹雪は、その揺らめきの向こうから地上にむかって吹きすさんでいるようだった。
そして、空いっぱいに広がってゆく揺らぎの向こう側から、巨大な影が浮かび上がってくる。
場違いな吹雪を切るようにして、路地裏から見上げる機巧都市の上空いっぱいに広がっているのは……
全長300メートルは越えていそうな真っ赤な船体に、まるで竜のような壮麗な主翼をしならせ、6対もあるプロペラを回転させて悠然と空に浮かんだ巨大な飛空艇だった。
「マシーネの『ドッペルアドラー』! まさか……『超空間航行』まで使って……!?」
「ドッペルアドラー! あれが!」
愕然としてそう叫ぶマキシの声に、ルシオンもつられるように驚きの声。
歪んだ空間の向こうから現れたのは、この地から遥かに離れた吹雪国にあるはずの、魔王マシーネの擁する巨大飛空艇『ドッペルアドラー』だった。
「うかつだった……早すぎる! そうまでしてメイ君のことを……!」
マキシが忌々しげに歯噛みしてそう呟いた。
時間の止まったメイに、探偵が駆け寄ろうとする……だが、その暇も与えられてはいなかった。
カッ!
飛空艇の船体から地上を照らしたいくつもの探照灯が、マキシたちの立った路地裏を眩い光で照らしだしていた。
「うわあっ!」
闇夜に慣れた目を、突然強烈な光に射貫かれて、ルシオンは視界が真っ白になって悲鳴を上げる。
そして、おかしなことが起きた。
シュウゥウウウウウ……
飛空艇の船体から地上に伸びた、サーチライトの灯りとは別の一筋の光があった。
その青白い光に包まれた、時の止まったメイの小さな体が……
路地裏の石畳から離れて、空中に浮かび上がっていく。
ルシオンの光矢に射貫かれて傷ついたメイの体が、不思議な光に導かれるように、ドッペルアドラーの船体に吸い寄せられていく!
「やはり狙いはメイ君の力か……まずい!」
マキシは焦燥の声を上げて、空に吸いあげられていくメイに向かって右手を伸ばした。
そして……ビュッ!
探偵の上着の右手の袖口から何かが飛び出した。
マキシの右手から放たれた微細な鉄線が、メイの体に絡みついていた。
探偵の体もまた、メイに引っ張り上げられて地上を離れて空を上っていく。
「思い通りにはさせないぞマシーネ。それにこの子の力は……『幽界の薔薇』の力は、お前の手に負えるモノじゃないんだ……」
右手のワイヤーをキリキリと巻き取りながら、厳しい表情でメイに近づいていくマキシ。
だが、その時だった。
「まったく、いつもいつも、チョコマカと鬱陶しい男ですね……」
鈴を振るような澄んだ女の声が、夜空を渡った。
「その声は……」
飛空艇の方から響いてくるその声を耳にして、マキシがドッペルアドラーをにらんだ、次の瞬間。
ドガンッ!
凄まじい爆音があたりの空気を震わせた。
「うわあああっ」
ものすごい衝撃と共に、路地裏の一画を吹き飛ばした砲撃に吹っ飛ばされて、ルシオンとグリザルドの体が地面を転がる。
爆音の正体は、ドッペルアドラーの船体から地上に向かって放たれた大砲の砲弾だった。
「なんてヤツだ、自分の街を……!」
舞い上がる粉塵と瓦礫の中からどうにか体を起こしたルシオンが、美しい顔を歪めながら空を見上げる。
そして……
「マキシ!」
探偵マキシに起きた惨劇に気づいて、ルシオンは悲鳴を上げた。
「グッ……ガアアアッ!」
マキシが空中で、苦悶の声を上げていた。
ドッペルアドラーの大砲の直撃を受けた探偵の右半身が、消失していた。
右手を失い、右胸を失い、右腹を失い、かろうじて残っっているのは……腰部からちぎれ落ちそうな右脚。
半分になった探偵マキシが地上に向かって、ヒラヒラと……まるでひとひらの花びらみたいに……舞い落ちてくる。
騎士長ポーフの指揮で機巧都市中の番兵たちが殺到した夜の広場で。
探偵マキシが、自分の方に向かってゆっくりと突進してくる兵士たちを見回しながら大きく息を吐いた。
マキシの不思議な業によって、彼の周囲だけ時間が遅まってしまった不思議な景色の中で。
探偵は石畳をトンッと蹴って、その場から大きく跳躍した。
「時を……速める!」
眼下の兵士たちを一瞥しながら、マキシが自分の左胸を右手の指先で再びコチコチと叩いた……と同時に。
「「ドバアアアアアアア」」
兵士たちの悲鳴が広場いっぱいに響き渡った。
今度は動画の早回しのように、いきなりそのスピードを増した兵士たちの突進で……
勢い余って制止のきかなくなった彼らの体が、互いに衝突して次々と地面に転がってゆく!
「さて……これからどうしたものか……」
混乱にまぎれて、再び屋台の物陰に身をひそめたマキシが、思案顔で首をかしげる。
「『幽界の薔薇』のあれだけの力……メイ君の力の解放は……おそらく深幻想界中の魔王たちに気づかれた。当然マシーネにも……!」
地面に転がって伸びている兵士たちの合間を縫うように、そっと広場から離れながら。
マキシは忌々しげに形の良い眉をひそめた。
「彼女を何処か安全な場所に匿わねばならない。この私の『表札の無い屋敷』よりも更に安全な場所に。そんな場所があるとしたら……ん!?」
しきりにブツブツ何かを呟きながら。
夜道を歩き始めたマキシの動きが、だがいきなりピタッと止まった。
「何だこの乱れは……メイ君の力が……『幽界の薔薇』の力が大きく乱れて……弱まってゆく。いったい……何が起きている!?」
金色の瞳を大きく見開いて、探偵は不安げな声を上げてあたりの闇を見回した。
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「イィウゥ……!」
メイのか細い悲鳴が、暗い路地裏に響いていた。
そして苦しげな息を漏らしながら、メイが押さえた自分の左胸。
ルシオンの光矢に撃ち抜かれたメイの左胸からポタポタと地面に零れ落ちてゆくのは……
いく片も、いく片も。
少女の指の間をすり抜けてゆく……血のように真っ赤な薔薇の花びらだった。
そして次の瞬間。
「グオオオオオッ! やめろおおおおお!」
グリザルドの絶叫が、あたりの空気を震わせた。
怒りと混乱で我を忘れたように、盗賊は光矢の撃ち手ルシオンに向かって飛びかかっていた。
「やめろ! やめろ! やめろ王女ォオオオオオオ!」
「放せ……邪魔をするなグリザルド! コイツは……コイツだけはわたしの手で斃さなければいけないんだぁ!」
グリザルドの体当たりでバランスを失ったルシオンの体が、盗賊と一緒に冷たい路地に倒れこんだ。
ルシオンとグリザルドが、石畳の上でもつれあった。
ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ!
ルシオンの周囲を飛び回って彼女のホタルたちが、狙いも定めずに無茶苦茶な方角に次々光矢を発射してゆく。
緑色に眩く輝く光の矢が、グリザルドの手を、足を、肩を、腹を、無残に貫いていった。
だがルシオンに掴みかかった盗賊の腕力が弱まる様子はまったく無かった。
自分が匿っていた少女を……メイを目の前で撃ち抜かれて。
グリザルドの体はもう、痛みを感じることも忘れてしまったみたいだった。
だが、それでも……
「放せと言ったんだぞ。グリザルドオオオオオオオオッ!」
「ウ……グアアアアアアッ!」
ルシオンに掴みかかった盗賊の手首を、ルシオンのたおやかな手がギリギリと締め上げていた。
自分よりはるかに大きな盗賊の体を押しのけて、石畳からルシオンが立ち上がった。
魔王の眷属であるルシオンの体は、可憐な少女の姿をしていても、その腕力でグリザルドを大きく上回っていた。
「コイツこそがすべての元凶……世界を危機に陥れた大罪人……コイツだけは……『メイローゼ・シュネシュトルム』だけは生かしておけない!」
グリザルドの体を地面に組み伏せながら、ルシオンは真っ赤な瞳を怒りに輝かせてメイの方をにらんだ。
「おじちゃん……大丈夫? おじちゃん……!」
いく片も、真っ赤な薔薇の花びらを地面に零しながら。
傷ついたグリザルドに向かって弱々しい声を上げる少女の姿を、ルシオンはギッとにらんだ。
おいやめろ……もうやめろよ……
ルシオン!
ソーマはたまらず、ルシオンの中で悲鳴を上げた。
なんとかルシオンを止めようと、彼女の体の主導権を自分のものにしようとするソーマだったが、それも無駄な抗いだった。
ルシオンの体の制御は、完全に彼女のものだった。
何かを成し遂げようとする鋼のような決意と覚悟が、ルシオンの体への干渉をソーマに許さない!
「ようやくこれで、全てが終わる……」
ビュウウウウ……
そして、メイの方に向かってピタリと向けられたルシオンの指先に無数のホタルたちが集っていた。
ルシオンのホタルの発光器官が、再び緑色の輝きを強めていく。
「ルシフェリック・バースト……」
その場から動けないメイの胸元に狙いを定めて。
ルシオンは静かに、そして冷たい声でポツリとそう呟いていた。
#
「やめろおおおおお!」
石畳に組み伏せられたまま、グリザルドは絶叫していた。
ソーマとグリザルドの制止も空しく。
ルシオンの指先に集まったホタルたちから放たれた光矢の束が、メイの胸元に突き刺ささっていた。
ルシオン渾身の光撃が、そのままメイの体を貫き、小さなメイの体をズタズタに引き裂く……
かに思えた、だがその時だった。
「な……なんだ!?」
真っ赤な瞳でメイをにらみつけたまま、ルシオンは戸惑いの声を上げていた。
ルシオンの放った光撃は、メイの胸元に到達するその寸前に……静止していた。
いや、光撃だけではなかった。
グリザルドとのもみ合いで、あたりを舞い散っていた土埃も、そしてメイの体そのものも。
メイを中心とする半径1メートルほどの空間の、時が止まっていた。
「そこまでだ、ルシオン君」
「……おまえは!」
異変の正体に気づいたルシオンが、声の方を向くと。
闇夜の向こうから姿を現したのは、自分の左胸に右手を添えた探偵マキシだった。
「それ以上、彼女を傷つけることは許さない。その淑女もまた、我が屋敷の客人だ……」
「何を言っているのだマキシ! コイツが誰なのか、お前は知らな……」
「知っている」
激昂してマキシに詰め寄るルシオンの言うことを見透かしたように。
マキシはすかさず、そして静かな口調でルシオンにそう答えた。
「ウグッ!」
「この子はメイ。吹雪国の偉大なる双子王の片割れ……の、成れの果てさ。だが見てみろ、今の彼女のこの姿を!」
目前に迫るルシオンの光撃の輝きを、緑の瞳で呆然と眺める……時の止まった少女の姿を指さして。
マキシは毅然とした口調で、逆にルシオンに詰め寄った。
「もう君も誰も傷つける力もない。記憶を失い、幽かな過去の思い出にすがっているだけの無力なこの子を……何の抵抗もできないこの子を、君は自分の手で殺そうというのか? それがインゼクトリアの魔王の眷属の流儀か?」
「だめだ……だめだ、だめなんだ!」
いたましげな顔で時の止まったメイの方を振り返りながら、マキシはルシオンをなだめるようにそう話しかける。
だがルシオンの方に、引く様子は全くなかった。
「ききわけたまえルシオン君。矢を収めろ。いったん屋敷に戻るぞ、グリザルド君の手当てを手伝うんだ。そして……君が機巧都市に来た目的を思い出せ。君は魔王マシーネに囚われた自分の姉上を救うために、この街に来て私の助力を求めたのだろう?」
「だからだ! だからこそ、だめなんだ!」
ルシオンを制するマキシの言葉に……
だがルシオンは腹の底から絞り出すような声で、マキシの言葉を否定した。
「コイツがまだ生きていると、父上に知れたなら……わたしの人間世界での頑張りが無駄だったと、父上に知れたなら……コイツを生かしたまま、小姉上を助けたって意味がないんだ! 父上の目の前で……意地悪な姉上たちを見返す意味がなくなってしまう……!!!」
「……………」
メイの姿を指さして、悲鳴にも似た声を上げるルシオン。
マキシは無言のまま、無表情のまま、ルシオンを見下ろしていた。
「そういうことだったのか」
しばしの沈黙の後、マキシは口を開いた。
探偵の金色の瞳が、射貫くような冷たい輝きでルシオンをジッと見据えていた。
「グリザルド君がこの事件を持ち込んできた時、正直なところ私は……魔王同士の下らない小競り合いに関わるのはイヤだった。だが姉上を思う君の気持には応えたいと思ったし、魔王マシーネの働く悪事を、これ以上放っておけないという思いもあった。だからこの事件を引き受けたんだ。だが君の姉上への気持ちは……たかだかそんな気持ちだったのか。たかだかそんなことで、抵抗もできないあの子を殺そうとしたんだな!」
「グ……ウウッ!」
厳しい口調でルシオンを問いただすマキシ。
ルシオンは肩を震わせて言葉を詰まらせた。
「これはまだ、やりかけの仕事だ。君との約束通り、君の姉上の救出には力を尽くそう。魔王マシーネをなんとか止めよう。それは約束する。だがルシオン。君は機巧都市を去れ。私の前から消えろ……」
「な……消えろだと……いきなり何を」
震える声で何か言い返そうとするルシオンを、だがマキシの厳しい声が制した。
「ルシオン・ゼクト。君は自分の家族への下らないこだわりから、何の抵抗も出来ない……記憶も幽かなこの子を殺そうとした。グリザルド君の命がけの協力も踏みにじって……。君には『品格《クラス》』ってものが無い!」
マキシはやりきれない表情で、ルシオンを指さし首を振った。
「街を出るんだ。明日の朝すぐにでも。番兵たちが君の正体に気づぬうちに。永久に……さよならだ……!」
「…………!」
マキシの言葉に、ルシオンもまたやりきれない表情で目を伏せて肩を落とした……その時だった。
突然、何の前触れもなく、ゴオゴオゴオ……
ルシオンのマキシたちの頭上から、突風が叩きつけてきた。
「な……なんだ?」
ルシオンが愕然とした表情で夜空を見上げると。
星も見えない曇った空の……その真っ黒な雲の一画がグニャリと歪んでいた。
「あれは……まさか!」
探偵マキシもまた、頭上から叩きつけてくる突風の正体を見上げて驚きの声を上げていた。
あたりの空気が急速に冷たくなってゆく。
叩きつける風に、チラホラと雪がまじっている。
暗い夜の雲間が、まるで真夏の陽炎みたいにユラユラと揺らめいていた。
粉雪の混ざった突風は……いや吹雪は、その揺らめきの向こうから地上にむかって吹きすさんでいるようだった。
そして、空いっぱいに広がってゆく揺らぎの向こう側から、巨大な影が浮かび上がってくる。
場違いな吹雪を切るようにして、路地裏から見上げる機巧都市の上空いっぱいに広がっているのは……
全長300メートルは越えていそうな真っ赤な船体に、まるで竜のような壮麗な主翼をしならせ、6対もあるプロペラを回転させて悠然と空に浮かんだ巨大な飛空艇だった。
「マシーネの『ドッペルアドラー』! まさか……『超空間航行』まで使って……!?」
「ドッペルアドラー! あれが!」
愕然としてそう叫ぶマキシの声に、ルシオンもつられるように驚きの声。
歪んだ空間の向こうから現れたのは、この地から遥かに離れた吹雪国にあるはずの、魔王マシーネの擁する巨大飛空艇『ドッペルアドラー』だった。
「うかつだった……早すぎる! そうまでしてメイ君のことを……!」
マキシが忌々しげに歯噛みしてそう呟いた。
時間の止まったメイに、探偵が駆け寄ろうとする……だが、その暇も与えられてはいなかった。
カッ!
飛空艇の船体から地上を照らしたいくつもの探照灯が、マキシたちの立った路地裏を眩い光で照らしだしていた。
「うわあっ!」
闇夜に慣れた目を、突然強烈な光に射貫かれて、ルシオンは視界が真っ白になって悲鳴を上げる。
そして、おかしなことが起きた。
シュウゥウウウウウ……
飛空艇の船体から地上に伸びた、サーチライトの灯りとは別の一筋の光があった。
その青白い光に包まれた、時の止まったメイの小さな体が……
路地裏の石畳から離れて、空中に浮かび上がっていく。
ルシオンの光矢に射貫かれて傷ついたメイの体が、不思議な光に導かれるように、ドッペルアドラーの船体に吸い寄せられていく!
「やはり狙いはメイ君の力か……まずい!」
マキシは焦燥の声を上げて、空に吸いあげられていくメイに向かって右手を伸ばした。
そして……ビュッ!
探偵の上着の右手の袖口から何かが飛び出した。
マキシの右手から放たれた微細な鉄線が、メイの体に絡みついていた。
探偵の体もまた、メイに引っ張り上げられて地上を離れて空を上っていく。
「思い通りにはさせないぞマシーネ。それにこの子の力は……『幽界の薔薇』の力は、お前の手に負えるモノじゃないんだ……」
右手のワイヤーをキリキリと巻き取りながら、厳しい表情でメイに近づいていくマキシ。
だが、その時だった。
「まったく、いつもいつも、チョコマカと鬱陶しい男ですね……」
鈴を振るような澄んだ女の声が、夜空を渡った。
「その声は……」
飛空艇の方から響いてくるその声を耳にして、マキシがドッペルアドラーをにらんだ、次の瞬間。
ドガンッ!
凄まじい爆音があたりの空気を震わせた。
「うわあああっ」
ものすごい衝撃と共に、路地裏の一画を吹き飛ばした砲撃に吹っ飛ばされて、ルシオンとグリザルドの体が地面を転がる。
爆音の正体は、ドッペルアドラーの船体から地上に向かって放たれた大砲の砲弾だった。
「なんてヤツだ、自分の街を……!」
舞い上がる粉塵と瓦礫の中からどうにか体を起こしたルシオンが、美しい顔を歪めながら空を見上げる。
そして……
「マキシ!」
探偵マキシに起きた惨劇に気づいて、ルシオンは悲鳴を上げた。
「グッ……ガアアアッ!」
マキシが空中で、苦悶の声を上げていた。
ドッペルアドラーの大砲の直撃を受けた探偵の右半身が、消失していた。
右手を失い、右胸を失い、右腹を失い、かろうじて残っっているのは……腰部からちぎれ落ちそうな右脚。
半分になった探偵マキシが地上に向かって、ヒラヒラと……まるでひとひらの花びらみたいに……舞い落ちてくる。
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