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第一章
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就寝時間間際、扉を叩くノックの音に、ディノッゾが小首を傾げながらも薄く扉を開いて相手を確認する。
これがラティーロの王城内であれば、ディノッゾもそこまで警戒はしないのだが、いくら皇族、王族、高位貴族の学生寮とは言え、誰が潜り込んでくるかは分からないからだ。
というよりも。
はっきり言ってしまえば、この学生寮は現在リーリア嬢をかなり警戒して、従僕たちの人数を増やし、夜間の見張り番まで置いているのだ。
彼女のバイタリティには、本当に呆れる。
ついこの間、アメリア嬢と揉め、イライアスにも手ひどく振られているというのに、まさか寮に潜り込もうとするとは誰が思うだろうか。しかもそのために寮監を抱き込んだ、というのだから間諜ではないかとまで疑われているようだ。
だが、結局のところリーリア嬢の考えの足りなさが露呈して、計画は失敗に終わっている。しかしディノッゾを含む従僕たちは、まだまだ警戒態勢を継続中だ。
なぜなら、リーリア嬢に抱き込まれた寮監はクビになったが、不思議なことに本人は未だに学生を続けているからだ。もしかしたら彼女の背後を洗うために、国が泳がしている状態なのかもしれないが。
だから緊張の面持ちで、直ぐにでも扉を閉められるようにと薄く扉を開けて相手を確認したディノッゾは、相手を見た途端、慌てて扉を大きく開き招き入れてきた。
「すまない夜分遅くに」
白いシルクのシャツに黒のトラウザーズ、腰までの長さの灰色のローブという出立で、イライアスの部屋を訪れたのはシンディーラ皇子その人だった。
「いや、あなたが訪ねてくるという事は、余程のことなのだろう?」
ディノッゾに夜だからとハーブティを淹れて貰いながら、イライアスがシンディーラ皇子を見れば、シンディーラ皇子はどことなく疲れているように見える。
衣服は軽装だが、ローブを羽織っているところをみると、外出でもしていたのだろうか。
「何かありましたか?」
「ええ、あった、と言えばありました。色々と」
勧められるままに椅子に腰を下ろしたシンディーラ皇子は、何の表情も浮かべず、ただじっとイライアスを見つめた。イライアスもまたシンディーラ皇子のその視線を、無表情に受け止める。
お互い無表情なのは、同じ年の皇子(王子)同士とは言え、自分たちの交わす言葉は国政に関わる事もあると理解しているからだ。それはもちろんシンディーラ皇子も同じだろう。
「まず、宰相の三男の婚約が解消になりました。ほんの数時間前の話しです」
その言葉に、シンディーラ皇子にまで自分の気持ちがバレているのかとイライアスは焦った。
「アメリアがその件は、貴殿に報告するといいと言っていたので」
だが続いた言葉に、イライアスは表情はそのままで心の内で安堵のため息をつく。
パメラ嬢の件は、別段シンディーラ皇子に隠さなくてもいいのだが、男同士で恋人(予定)の話をするほど、彼との仲がいいという訳でもないし、正直そういう話は恥ずかしかった。
「その話は、まあ、仕方がありません。あの男は婚約者がある身でありながら、随分と身勝手な行動をしていたようですし、リーリア嬢とはそれほどの関係ではなかったようですが、他の女性には強姦紛いな行いもしていたらしく」
強姦と聞いた瞬間に、イライアスはついカッとなる。
「安心してください。パメラ嬢は大丈夫です。しかし、本当なのですね、貴殿がパメラ嬢を気に入っているというのは。今回の婚約解消は、相手の不貞の証拠がしっかりとしていたので早く処理ができましたよ」
シンディーラ皇子の言葉に、それはそちらが手を貸したのですか? と心の声が聞こえた気がした。思わずイライアスは苦笑を浮かべてしまう。
確かにイライアスが一目惚れをしたせいで、父である王が命令を出し暗部が動いたわけだが、別段、宰相の三男を冤罪にかけたわけではない。ただ少し情報を集めてーーあまりにも簡単に集まりすぎたらしいがーールディラ伯爵に渡しただけの事だ。
「確かにうちの暗部が動きましたが、やった事といえば情報を収集しただけですよ。すべてはあの男の身から出た錆、自業自得です」
「……そうですね」
ふうっと小さく息を吐きだしたシンディーラ皇子は、ようやくティーカップを持ち上げてハーブティを口に含む。あまりにも無造作にハーブティを口にするものだから、イライアスはつい口を出してしまった。
「……毒が入れられてるとは思わないのですか?」
いくら友好国だとは言え、イライアスですら食堂を利用するときはディノッゾかミーシャが毒見をする。まあ、それを言うなら、シンディーラ皇子は夜中に従者の一人も連れずにイライアスを訪ねてきているのだ。肝は据わっているのだろう。
「……あなたが私を毒殺してなんの得があると?」
さも不思議そうに聞き返されてしまえば、イライアスはまたもや苦笑するしかなかった。確かにイライアスがシンディーラ皇子を殺すメリットはどこにもなかった。
「今日はお礼と情報の共有と私の我儘を聞いていただければと思い、夜間ではありますがお邪魔させていただきました」
「お礼?」
「アメリアのことです。二か月くらい前ですか、アメリアがケガをした時にあなたのところの侍従に大変お世話になったとか、また先日も、友人に頼まれリーリア嬢に苦言を呈しに行った際も、お力添えをいただいたとか。お礼を申し上げるのが遅くなりましたが、ありがとうございました」
さすがに頭を下げることはなかったが、ディノッゾやイライアスに、シンディーラ皇子は礼を述べてくる。
「力添えなどそんな大した事はしておりませんが……ただ、リーリア嬢の取り巻きがだいぶ興奮していたので、女性にケガをさせる訳にもいかないと思っただけの事です」
あのまま放っておくという選択肢は、アメリア嬢とパメラ嬢がいた時点でイライアスの中にはない。シンディーラ皇子とて、あの場にいれば同じような事をしただろうと思うのだ。
だから、あまり気にしなくていいのだと、イライアスが軽く首を振れば、シンディーラ皇子もその顔に僅かな笑みをのせる。だがその笑みは決して親しみやすいものではなかった。
「暫くしてからアメリアに話しを聞いて、あの馬鹿女を殺してやりたくなりました」
うっすらと笑って紡ぎだされた言葉は、思いのほか物騒で、イライアスのイメージではお上品で品行方正、常識人という認識だったシンディーラ皇子も、皇子だったのだな、と妙に納得する。
「ふふ、私だって聖人君子ではありません。嫉妬もすれば怒りもする。これでもアメリアの事は愛しているのです。それをあの女は、あの美しい顔に手を挙げるなど」
その時の事を思い出したのだろうか、更に壮絶な笑みを浮かべたシンディーラ皇子を見せつけられて、イライアスの表情が引き攣った。
だがそうするとイライアスには一つ疑問に思う事がある。
「その割には、学内では一緒にいる姿をお見掛けしませんが」
「そうですね。貴殿も知っているとは思いますが、エルハブラ、ドアブロ、クルド、セスア、ミルダ。この学院にも多数の関係者がいます。そしてなぜか私の婚約者という立場を未だに狙っているものも」
シンディーラ皇子の口から出た単語は、オズワルド帝国を支える五つの領の名称と主要都市名を指している。
元々、各領域は六つの国がそれぞれを支配していた。しかし国力も国土もほぼ等しいディーラ国とエルハブラ国が手を組むと様相は変わる。現在のオズワルド帝国の実に半分に近い領土を、ディーラとエルハブラだけで持つに至ったのだ。
エルハブラの南には魔の森で塞がれていて南下することは出来ない。しかしこの二つの国だけでは増えてゆく人口を支えられるほどの食料は確保できなかったのだ。そうなれば豊かな穀倉地帯を持つクルドに手を伸ばす必要があり、領土は小さくとも鉱山や鉱床を多数持つミルダが欲しくなる。
そうなると必然的にドアブロやセスアも戦乱に巻き込まれ、六つの国を巻き込んだ戦いは一年近くにも及んだ。だが、長引く戦いにどの国も疲弊していくばかりで終わりが見えない。どこかで終わらせなければどの国も滅んでしまうと、各国の王がようやく話し合いの場を設けオズワルド帝国が出来上がった。そして当時一番国力の強かったディーラを頂点とし、五つの国名が領の名称として残されている。
そんな国の成り立ちがあり、皇族とエルハブラの結びつきが最も強く、ドアブロとクルドは積極的に権力を手にしようと動き、消極的であってもなんとか中央権力に潜り込もうとしているのがセスアとミルダという具合になっている。
いま現在、宰相位についているクルド家などは、可能な限りエルハブラ家の権力(ちから)を削ぎたいのではないのだろうか。何せオズワルドの皇族は姫が生まれ難く、生まれたとしてもまずはエルハブラ家とそれに連なる家に降嫁させているようだからだ。
まあ、だからこそ皇帝は、皇妃の他に各領から側妃を娶らなければならず、また皇妃はほぼ持ち回りとなっている、らしい。イライアスにしてみれば、何とも面倒臭い話だ。
「アメリアの家、コーデリア侯爵家はオズワルド帝国では珍しい中立派です。どこにも属しておりません。とは言っても、婚姻での繋がりはゼロではありませんから、多少は引っ張られる部分はありますが。私とアメリアが婚姻を成し、私が臣籍降下すれば、そういった柵もだいぶなくなります。けれど、それを良しとしないものがいる。私を次の皇帝に押し上げようとする者たちもいる」
またハーブティを口に含んだシンディーラ皇子は、口の端を歪めて嗤う。イライアスはその表情に何とも言えない気分になった。
「グリシード伯爵家は、セスアの領主の寄子の寄子の寄子と言ったところでしょうか。はっきり言ってしまえば大した力はありません。けれど執拗に私を狙っていた。もしかしたら彼女はどこかの誰かの意思によって、私の側にやってきたのかもしれないと。しかし私の反応が悪かったせいか、次に狙ったのは貴殿だった。そうなると意図が見えなくなりました。もしかしたら高位貴族以上の男であれば誰でもいいのではないか? 単に贅沢な生活がしたいだけなのではないか? と」
確かにリーリア嬢はグリシード伯爵の庶子で、一年ほど前に迎え入れられるまで、平民として暮らしていたと聞く。そこからのいきなりの貴族生活だ。グリシード伯爵がどういった教育をこの一年で施したのかは分からないが、リーリア嬢は貴族とは綺麗なドレスを身に纏い、美味しいものを食べ、お喋りに興じているものだと思ったとしても、おかしくはないかもしれない。
「しかし、先日のここへの侵入未遂事件で、帝城では一気にリーリア嬢の話しが上がるようになりました。学園での騒動も、今まではそこまで話しには上がらなかったというのに。そして今日、ジェームス・クルドが婚約を解消され、またもその原因がリーリア嬢であると話が出回り、私は皇帝陛下に彼女の事を説明しなくてはなりませんでした」
まるで痛みを堪えるかのように、シンディーラ皇子は眉間に皺を寄せながら言葉を吐き出した。その苦労というか苦痛というか、イライアスにも分かるような気がする。
リーリア嬢は、自分たちにとってはかなりはた迷惑な存在と言えた。シンディーラ皇子とて、できるだけ関わりたくないと思っているはず。しかし第二皇子が在学中に、これだけの問題を起こしている女生徒がいる、というだけでも皇帝に申し開きが必要になるわけだ。
シンディーラ皇子としては、まともな教育も施せずに学園に放り込んできた、グリシード伯爵を責めたい気分だろう。
「彼女は頭は悪くないようですが、勉強することは嫌いなようです。彼女が熱心なのは魔術の実践くらいで理論となるとまるで興味はなく、マナーや教養などは無くても人間生きていけるから平気と嘯きます」
「あー、オズワルド学園の入学資格は確か、貴族であること、魔力があることの両方、でしたか」
イライアスが確かめるように呟くと、シンディーラ皇子はコクリと頷いた。
せめて彼女に魔力がなければ、グリシード伯爵家に引き取られることもなかっただろう。とても残酷な事ではあるが、元々市井で暮らしていたというのなら、間違いなくそういう事だ。
「リーリア嬢は、綺麗なドレスや高価な宝石を好み、贅を尽くした食事を求めるなどしていたようで。こちらも続々と報告が上がっていて大変頭が痛いのですよ」
それはどういうことかとイライアスが話を促せば、シンディーラ皇子の眉間は更に深まる。
「リーリア嬢の取り巻きの一人が私の護衛騎士だというのは知っているでしょう。彼の実家からドレス5着分、高級レストラン数件分の飲食代、宝飾店からも多額の請求書が届いているがどういった事かと。護衛騎士と言っても、彼もまだ学生の身、何故こんな金額の請求書が届くのかと説明を求められた」
それを聞いてイライアスもまた眉間に皺が寄ってしまった。そんな事の説明を求められても、シンディーラ皇子も説明のしようがないのではと思う。
シンディーラ皇子は、服装も特に華美なものを好むようではないし、装飾品なども普段身に着けているのを見た事はなかった。もちろん食事も校内にある皇族用の部屋を使用しているし、寮ではイライアス同様、部屋で取っている。
そんな彼が、わざわざ外で護衛騎士に食事代を払わせるわけもないし、皇子であるシンディーラ皇子がドレスや宝石などを求めにわざわざ店に立ち寄る必要もない。必要なら商人を城に呼べばいいだけだ。
「まあ、彼らも困惑していたのだろうと思う。次男だったせいで、少し甘やかしすぎたかもしれないとも言っていたからね。そこでジェームス・クルドにも聞いてみたのだ。リーリア嬢に君は何か贈っていないかと」
婚約解消の手続きは双方のサインが揃っていれば、特に城に出向く必要はなかったように思う。しかし色々と余罪もあったようだし、ジェームス・クルドとやらは城で尋問でもされたのかもしれない。
「するとやはりというか予想通りというか、彼もまたドレスを贈ったり、食事を奢ったりしていたよ。しかもいくら貴族の子供といえど個人で支払える額ではなかった。報告書を読んだ宰相の顔が、それはもう凄まじい形相になっていてね……」
もう聞いているだけでご愁傷様と言うしかないような状態だ。これでは残りの取り巻き連中もかなり貢いでいる可能性がある。いや確実に貢いでいるはずだ。
「そう言った訳で、現在、女子寮の反省室にいるリーリア嬢は、明日から城に移動させます。取り巻きだった子息たちも順次呼び出すことになっているので、暫くは学園は静かに過ごせると思います」
学園の問題児たちが一気にいなくなるという事か、それは静かになる事だろう。
「そしてここからが私からの我儘をきいていただければと思うのですが」
改まったシンディーラ皇子に、イライアスもまた姿勢を正した。
「明日から暫くの間、私は学園に来ることができません。リーリア嬢の一件を片付けるよう皇帝陛下に命を下されたからです。ただ、そうするとアメリアの事が心配なのです。念のため護衛はつけておりますが、ラティーロの王子である貴殿にお願いすることではありませんが、休憩時間やランチタイム、放課後をアメリア達となるべく一緒に過ごしていただく事は出来ないでしょうか」
シンディーラ皇子の我儘とやらを聞いた瞬間、部屋の片隅で気配を消していたディノッゾが、イライアスに向かって満面の笑みを浮かべて見せたのは言うまでもなく。
そしてイライアスは、シンディーラ皇子の我儘を聞かなわけにもいかず、苦笑を浮かべ、ここで初めて右手を差し出したのだ。
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二人で話しているだけなのに、話が長くなってしまいました。
デート回が遠い!
これがラティーロの王城内であれば、ディノッゾもそこまで警戒はしないのだが、いくら皇族、王族、高位貴族の学生寮とは言え、誰が潜り込んでくるかは分からないからだ。
というよりも。
はっきり言ってしまえば、この学生寮は現在リーリア嬢をかなり警戒して、従僕たちの人数を増やし、夜間の見張り番まで置いているのだ。
彼女のバイタリティには、本当に呆れる。
ついこの間、アメリア嬢と揉め、イライアスにも手ひどく振られているというのに、まさか寮に潜り込もうとするとは誰が思うだろうか。しかもそのために寮監を抱き込んだ、というのだから間諜ではないかとまで疑われているようだ。
だが、結局のところリーリア嬢の考えの足りなさが露呈して、計画は失敗に終わっている。しかしディノッゾを含む従僕たちは、まだまだ警戒態勢を継続中だ。
なぜなら、リーリア嬢に抱き込まれた寮監はクビになったが、不思議なことに本人は未だに学生を続けているからだ。もしかしたら彼女の背後を洗うために、国が泳がしている状態なのかもしれないが。
だから緊張の面持ちで、直ぐにでも扉を閉められるようにと薄く扉を開けて相手を確認したディノッゾは、相手を見た途端、慌てて扉を大きく開き招き入れてきた。
「すまない夜分遅くに」
白いシルクのシャツに黒のトラウザーズ、腰までの長さの灰色のローブという出立で、イライアスの部屋を訪れたのはシンディーラ皇子その人だった。
「いや、あなたが訪ねてくるという事は、余程のことなのだろう?」
ディノッゾに夜だからとハーブティを淹れて貰いながら、イライアスがシンディーラ皇子を見れば、シンディーラ皇子はどことなく疲れているように見える。
衣服は軽装だが、ローブを羽織っているところをみると、外出でもしていたのだろうか。
「何かありましたか?」
「ええ、あった、と言えばありました。色々と」
勧められるままに椅子に腰を下ろしたシンディーラ皇子は、何の表情も浮かべず、ただじっとイライアスを見つめた。イライアスもまたシンディーラ皇子のその視線を、無表情に受け止める。
お互い無表情なのは、同じ年の皇子(王子)同士とは言え、自分たちの交わす言葉は国政に関わる事もあると理解しているからだ。それはもちろんシンディーラ皇子も同じだろう。
「まず、宰相の三男の婚約が解消になりました。ほんの数時間前の話しです」
その言葉に、シンディーラ皇子にまで自分の気持ちがバレているのかとイライアスは焦った。
「アメリアがその件は、貴殿に報告するといいと言っていたので」
だが続いた言葉に、イライアスは表情はそのままで心の内で安堵のため息をつく。
パメラ嬢の件は、別段シンディーラ皇子に隠さなくてもいいのだが、男同士で恋人(予定)の話をするほど、彼との仲がいいという訳でもないし、正直そういう話は恥ずかしかった。
「その話は、まあ、仕方がありません。あの男は婚約者がある身でありながら、随分と身勝手な行動をしていたようですし、リーリア嬢とはそれほどの関係ではなかったようですが、他の女性には強姦紛いな行いもしていたらしく」
強姦と聞いた瞬間に、イライアスはついカッとなる。
「安心してください。パメラ嬢は大丈夫です。しかし、本当なのですね、貴殿がパメラ嬢を気に入っているというのは。今回の婚約解消は、相手の不貞の証拠がしっかりとしていたので早く処理ができましたよ」
シンディーラ皇子の言葉に、それはそちらが手を貸したのですか? と心の声が聞こえた気がした。思わずイライアスは苦笑を浮かべてしまう。
確かにイライアスが一目惚れをしたせいで、父である王が命令を出し暗部が動いたわけだが、別段、宰相の三男を冤罪にかけたわけではない。ただ少し情報を集めてーーあまりにも簡単に集まりすぎたらしいがーールディラ伯爵に渡しただけの事だ。
「確かにうちの暗部が動きましたが、やった事といえば情報を収集しただけですよ。すべてはあの男の身から出た錆、自業自得です」
「……そうですね」
ふうっと小さく息を吐きだしたシンディーラ皇子は、ようやくティーカップを持ち上げてハーブティを口に含む。あまりにも無造作にハーブティを口にするものだから、イライアスはつい口を出してしまった。
「……毒が入れられてるとは思わないのですか?」
いくら友好国だとは言え、イライアスですら食堂を利用するときはディノッゾかミーシャが毒見をする。まあ、それを言うなら、シンディーラ皇子は夜中に従者の一人も連れずにイライアスを訪ねてきているのだ。肝は据わっているのだろう。
「……あなたが私を毒殺してなんの得があると?」
さも不思議そうに聞き返されてしまえば、イライアスはまたもや苦笑するしかなかった。確かにイライアスがシンディーラ皇子を殺すメリットはどこにもなかった。
「今日はお礼と情報の共有と私の我儘を聞いていただければと思い、夜間ではありますがお邪魔させていただきました」
「お礼?」
「アメリアのことです。二か月くらい前ですか、アメリアがケガをした時にあなたのところの侍従に大変お世話になったとか、また先日も、友人に頼まれリーリア嬢に苦言を呈しに行った際も、お力添えをいただいたとか。お礼を申し上げるのが遅くなりましたが、ありがとうございました」
さすがに頭を下げることはなかったが、ディノッゾやイライアスに、シンディーラ皇子は礼を述べてくる。
「力添えなどそんな大した事はしておりませんが……ただ、リーリア嬢の取り巻きがだいぶ興奮していたので、女性にケガをさせる訳にもいかないと思っただけの事です」
あのまま放っておくという選択肢は、アメリア嬢とパメラ嬢がいた時点でイライアスの中にはない。シンディーラ皇子とて、あの場にいれば同じような事をしただろうと思うのだ。
だから、あまり気にしなくていいのだと、イライアスが軽く首を振れば、シンディーラ皇子もその顔に僅かな笑みをのせる。だがその笑みは決して親しみやすいものではなかった。
「暫くしてからアメリアに話しを聞いて、あの馬鹿女を殺してやりたくなりました」
うっすらと笑って紡ぎだされた言葉は、思いのほか物騒で、イライアスのイメージではお上品で品行方正、常識人という認識だったシンディーラ皇子も、皇子だったのだな、と妙に納得する。
「ふふ、私だって聖人君子ではありません。嫉妬もすれば怒りもする。これでもアメリアの事は愛しているのです。それをあの女は、あの美しい顔に手を挙げるなど」
その時の事を思い出したのだろうか、更に壮絶な笑みを浮かべたシンディーラ皇子を見せつけられて、イライアスの表情が引き攣った。
だがそうするとイライアスには一つ疑問に思う事がある。
「その割には、学内では一緒にいる姿をお見掛けしませんが」
「そうですね。貴殿も知っているとは思いますが、エルハブラ、ドアブロ、クルド、セスア、ミルダ。この学院にも多数の関係者がいます。そしてなぜか私の婚約者という立場を未だに狙っているものも」
シンディーラ皇子の口から出た単語は、オズワルド帝国を支える五つの領の名称と主要都市名を指している。
元々、各領域は六つの国がそれぞれを支配していた。しかし国力も国土もほぼ等しいディーラ国とエルハブラ国が手を組むと様相は変わる。現在のオズワルド帝国の実に半分に近い領土を、ディーラとエルハブラだけで持つに至ったのだ。
エルハブラの南には魔の森で塞がれていて南下することは出来ない。しかしこの二つの国だけでは増えてゆく人口を支えられるほどの食料は確保できなかったのだ。そうなれば豊かな穀倉地帯を持つクルドに手を伸ばす必要があり、領土は小さくとも鉱山や鉱床を多数持つミルダが欲しくなる。
そうなると必然的にドアブロやセスアも戦乱に巻き込まれ、六つの国を巻き込んだ戦いは一年近くにも及んだ。だが、長引く戦いにどの国も疲弊していくばかりで終わりが見えない。どこかで終わらせなければどの国も滅んでしまうと、各国の王がようやく話し合いの場を設けオズワルド帝国が出来上がった。そして当時一番国力の強かったディーラを頂点とし、五つの国名が領の名称として残されている。
そんな国の成り立ちがあり、皇族とエルハブラの結びつきが最も強く、ドアブロとクルドは積極的に権力を手にしようと動き、消極的であってもなんとか中央権力に潜り込もうとしているのがセスアとミルダという具合になっている。
いま現在、宰相位についているクルド家などは、可能な限りエルハブラ家の権力(ちから)を削ぎたいのではないのだろうか。何せオズワルドの皇族は姫が生まれ難く、生まれたとしてもまずはエルハブラ家とそれに連なる家に降嫁させているようだからだ。
まあ、だからこそ皇帝は、皇妃の他に各領から側妃を娶らなければならず、また皇妃はほぼ持ち回りとなっている、らしい。イライアスにしてみれば、何とも面倒臭い話だ。
「アメリアの家、コーデリア侯爵家はオズワルド帝国では珍しい中立派です。どこにも属しておりません。とは言っても、婚姻での繋がりはゼロではありませんから、多少は引っ張られる部分はありますが。私とアメリアが婚姻を成し、私が臣籍降下すれば、そういった柵もだいぶなくなります。けれど、それを良しとしないものがいる。私を次の皇帝に押し上げようとする者たちもいる」
またハーブティを口に含んだシンディーラ皇子は、口の端を歪めて嗤う。イライアスはその表情に何とも言えない気分になった。
「グリシード伯爵家は、セスアの領主の寄子の寄子の寄子と言ったところでしょうか。はっきり言ってしまえば大した力はありません。けれど執拗に私を狙っていた。もしかしたら彼女はどこかの誰かの意思によって、私の側にやってきたのかもしれないと。しかし私の反応が悪かったせいか、次に狙ったのは貴殿だった。そうなると意図が見えなくなりました。もしかしたら高位貴族以上の男であれば誰でもいいのではないか? 単に贅沢な生活がしたいだけなのではないか? と」
確かにリーリア嬢はグリシード伯爵の庶子で、一年ほど前に迎え入れられるまで、平民として暮らしていたと聞く。そこからのいきなりの貴族生活だ。グリシード伯爵がどういった教育をこの一年で施したのかは分からないが、リーリア嬢は貴族とは綺麗なドレスを身に纏い、美味しいものを食べ、お喋りに興じているものだと思ったとしても、おかしくはないかもしれない。
「しかし、先日のここへの侵入未遂事件で、帝城では一気にリーリア嬢の話しが上がるようになりました。学園での騒動も、今まではそこまで話しには上がらなかったというのに。そして今日、ジェームス・クルドが婚約を解消され、またもその原因がリーリア嬢であると話が出回り、私は皇帝陛下に彼女の事を説明しなくてはなりませんでした」
まるで痛みを堪えるかのように、シンディーラ皇子は眉間に皺を寄せながら言葉を吐き出した。その苦労というか苦痛というか、イライアスにも分かるような気がする。
リーリア嬢は、自分たちにとってはかなりはた迷惑な存在と言えた。シンディーラ皇子とて、できるだけ関わりたくないと思っているはず。しかし第二皇子が在学中に、これだけの問題を起こしている女生徒がいる、というだけでも皇帝に申し開きが必要になるわけだ。
シンディーラ皇子としては、まともな教育も施せずに学園に放り込んできた、グリシード伯爵を責めたい気分だろう。
「彼女は頭は悪くないようですが、勉強することは嫌いなようです。彼女が熱心なのは魔術の実践くらいで理論となるとまるで興味はなく、マナーや教養などは無くても人間生きていけるから平気と嘯きます」
「あー、オズワルド学園の入学資格は確か、貴族であること、魔力があることの両方、でしたか」
イライアスが確かめるように呟くと、シンディーラ皇子はコクリと頷いた。
せめて彼女に魔力がなければ、グリシード伯爵家に引き取られることもなかっただろう。とても残酷な事ではあるが、元々市井で暮らしていたというのなら、間違いなくそういう事だ。
「リーリア嬢は、綺麗なドレスや高価な宝石を好み、贅を尽くした食事を求めるなどしていたようで。こちらも続々と報告が上がっていて大変頭が痛いのですよ」
それはどういうことかとイライアスが話を促せば、シンディーラ皇子の眉間は更に深まる。
「リーリア嬢の取り巻きの一人が私の護衛騎士だというのは知っているでしょう。彼の実家からドレス5着分、高級レストラン数件分の飲食代、宝飾店からも多額の請求書が届いているがどういった事かと。護衛騎士と言っても、彼もまだ学生の身、何故こんな金額の請求書が届くのかと説明を求められた」
それを聞いてイライアスもまた眉間に皺が寄ってしまった。そんな事の説明を求められても、シンディーラ皇子も説明のしようがないのではと思う。
シンディーラ皇子は、服装も特に華美なものを好むようではないし、装飾品なども普段身に着けているのを見た事はなかった。もちろん食事も校内にある皇族用の部屋を使用しているし、寮ではイライアス同様、部屋で取っている。
そんな彼が、わざわざ外で護衛騎士に食事代を払わせるわけもないし、皇子であるシンディーラ皇子がドレスや宝石などを求めにわざわざ店に立ち寄る必要もない。必要なら商人を城に呼べばいいだけだ。
「まあ、彼らも困惑していたのだろうと思う。次男だったせいで、少し甘やかしすぎたかもしれないとも言っていたからね。そこでジェームス・クルドにも聞いてみたのだ。リーリア嬢に君は何か贈っていないかと」
婚約解消の手続きは双方のサインが揃っていれば、特に城に出向く必要はなかったように思う。しかし色々と余罪もあったようだし、ジェームス・クルドとやらは城で尋問でもされたのかもしれない。
「するとやはりというか予想通りというか、彼もまたドレスを贈ったり、食事を奢ったりしていたよ。しかもいくら貴族の子供といえど個人で支払える額ではなかった。報告書を読んだ宰相の顔が、それはもう凄まじい形相になっていてね……」
もう聞いているだけでご愁傷様と言うしかないような状態だ。これでは残りの取り巻き連中もかなり貢いでいる可能性がある。いや確実に貢いでいるはずだ。
「そう言った訳で、現在、女子寮の反省室にいるリーリア嬢は、明日から城に移動させます。取り巻きだった子息たちも順次呼び出すことになっているので、暫くは学園は静かに過ごせると思います」
学園の問題児たちが一気にいなくなるという事か、それは静かになる事だろう。
「そしてここからが私からの我儘をきいていただければと思うのですが」
改まったシンディーラ皇子に、イライアスもまた姿勢を正した。
「明日から暫くの間、私は学園に来ることができません。リーリア嬢の一件を片付けるよう皇帝陛下に命を下されたからです。ただ、そうするとアメリアの事が心配なのです。念のため護衛はつけておりますが、ラティーロの王子である貴殿にお願いすることではありませんが、休憩時間やランチタイム、放課後をアメリア達となるべく一緒に過ごしていただく事は出来ないでしょうか」
シンディーラ皇子の我儘とやらを聞いた瞬間、部屋の片隅で気配を消していたディノッゾが、イライアスに向かって満面の笑みを浮かべて見せたのは言うまでもなく。
そしてイライアスは、シンディーラ皇子の我儘を聞かなわけにもいかず、苦笑を浮かべ、ここで初めて右手を差し出したのだ。
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二人で話しているだけなのに、話が長くなってしまいました。
デート回が遠い!
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彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
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