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最後の解答欄
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茶色く変色した封筒が、ポストの奥に斜めに突っ込まれていた。
宛名は俺。差出人はない。
指先で摘まんだ瞬間、封筒の紙肌が古びた教科書みたいにざらついているのがわかった。
中の紙は一枚だけのようで、重さはほとんど感じられない。
部屋に戻って封を切ると、中から出てきたのは全国模試の答案用紙だった。
日付は十五年前。受験番号も名前も、俺のものと一致している。
だが、こんなものを受け取った記憶はない。
鉛筆でびっしり埋まったマークシート。赤ペンの○と×。
ただ、一問だけが空欄になっていた。
最下段の五十問目。そこに細い鉛筆の字で、こう書かれている。
「解答はあなただ」
冷蔵庫のモーター音が、不自然に長く耳に残った。
悪戯かもしれない。けれど、この紙は明らかに時間を経ている。
黄ばみ、角の折れ、指でなぞればかすかに粉が落ちる。
答案を光に透かすと、裏側に鉛筆の筆圧で刻まれた数字が浮かび上がった。
「27」
背中に冷たい汗が滲む。
二十七——。
思い出す。俺の地元で過去十数年間に起きた連続失踪事件、その被害者数と同じだ。
翌日、図書館へ行った。
エアコンの冷気よりも、紙とインクの匂いの方が強い。
過去の新聞を引っ張り出し、被害者の記事を順にノートへ写す。
白黒の顔写真。日付。発見場所。
鉛筆を走らせながら気づいた。番号を振ると、二十七人目までは埋まるが、その先は空白だ。
偶然にしては出来すぎている。
脳裏に浮かぶのは、中学時代の佐伯。
いつも問題を早く解き終え、残り時間は最後の設問の空欄をじっと見つめていた。
その癖を、何度も横目で見た。
高校進学後に転校し、行方は不明。
この答案の“解”の字の書き癖が、あいつにそっくりだった。
夜、答案の裏面を爪でなぞると、また数字が浮かび上がった。
「28」
次の被害者は決まっているということか。
そして、その空欄を埋めるのは俺かもしれない。
息が浅くなる。部屋の隅の暗がりが、少しずつ近づいてくる感覚。
堪らず電話帳をスクロールし、千夏の名前で親指を止めた。
中学からの友人で、今は地方紙の記者をしている。
「何それ、冗談じゃないでしょ」
翌朝、千夏は俺の部屋のテーブルに答案を広げ、眉間に皺を寄せた。
「……これ、被害者の発見現場と一致してる。27までは報道されてる。でも28はまだ誰も知らない」
「知ってしまったら?」
「記事にする。でも、その前に確かめる必要がある」
千夏は番号の横に、地名と日付を書き加える。
紙の上に浮かぶ現場の並びが、地図上で奇妙な形を描いていた。
「……模試のマークシートって、位置でパターンを作れるんだよね」
「佐伯がそれを?」
「さあ。でも、空欄の意味は気になる。『あなたです』って……」
午後、二人で母校を訪れた。
昇降口はワックスの匂いが濁って残り、外の蝉の声が遠く感じられる。
事務室で卒業生だと名乗ると、あっさり通され、資料室へ案内された。
薄暗い部屋の奥に、グレーの樹脂の箱が鎮座している。
「OMRスキャンマークII」——俺たちの答案を飲み込んで採点していた機械だ。
隣に新しい機種が並んでいるが、古い方もケーブルが繋がったままだった。
千夏が答案を差し込む。
ローラー音が低く響き、液晶に文字が走る。
【解答27 正】
【解答28 正】
【解答29 未解答】
【メッセージ:最後の解答は、あなたです】
スピーカーから、懐かしい教師の声が滲む。
「——必ず、楕円をはみ出さず、均一に塗りつぶしなさい」
千夏が2Bの鉛筆を手に取り、空欄を見つめた。
「今書けば、何かわかるかもしれない」
「やめろ」
俺が手首を掴んだ瞬間、スマホが震えた。
〈解答者を識別しました〉
廊下の奥から足音が近づく。
宗像先生の、独特なゆっくりとした歩幅。
——あの教師は、もう死んでいるはずだ。
ドアノブが回る。
錆びた金属音が、部屋の空気を裂く。
千夏を背に庇いながら、俺は答案に目を落とす。
空欄が、じわじわと俺の輪郭を飲み込もうとしている。
鉛筆を握った指先が冷える。
芯を楕円に近づけた瞬間、視界の色が少し褪せた。
蝉の声が遠のき、代わりに紙の繊維を擦る音が耳の奥で膨らむ。
世界が“試験中”に切り替わったようだった。
「書くな!」
千夏の声が、くぐもって聞こえる。
だが、芯はゆっくりと動き、楕円を埋めていく。
鉛筆の粉が紙の谷間に降り積もるたび、遠くで数十人分の鉛筆音が重なる。
失踪した二十七人が、一斉に解答を書いている音だ。
最後の一点を塗りつぶした瞬間、液晶に行が追加された。
【あなたは解放されます】
体が軽くなる。
だが、同時に足元から強い引力を感じた。
紙の白が深い井戸の底へと変わり、俺を引きずり込む。
千夏の手が俺の肩を掴む感覚が遠のく。
廊下の足音はもうドアのすぐ向こう。
その足音と同じリズムで、スピーカーから宗像先生の声が響く。
「——採点を終了します」
次の瞬間、視界が白く反転した。
俺は、紙の向こう側にいた。
宛名は俺。差出人はない。
指先で摘まんだ瞬間、封筒の紙肌が古びた教科書みたいにざらついているのがわかった。
中の紙は一枚だけのようで、重さはほとんど感じられない。
部屋に戻って封を切ると、中から出てきたのは全国模試の答案用紙だった。
日付は十五年前。受験番号も名前も、俺のものと一致している。
だが、こんなものを受け取った記憶はない。
鉛筆でびっしり埋まったマークシート。赤ペンの○と×。
ただ、一問だけが空欄になっていた。
最下段の五十問目。そこに細い鉛筆の字で、こう書かれている。
「解答はあなただ」
冷蔵庫のモーター音が、不自然に長く耳に残った。
悪戯かもしれない。けれど、この紙は明らかに時間を経ている。
黄ばみ、角の折れ、指でなぞればかすかに粉が落ちる。
答案を光に透かすと、裏側に鉛筆の筆圧で刻まれた数字が浮かび上がった。
「27」
背中に冷たい汗が滲む。
二十七——。
思い出す。俺の地元で過去十数年間に起きた連続失踪事件、その被害者数と同じだ。
翌日、図書館へ行った。
エアコンの冷気よりも、紙とインクの匂いの方が強い。
過去の新聞を引っ張り出し、被害者の記事を順にノートへ写す。
白黒の顔写真。日付。発見場所。
鉛筆を走らせながら気づいた。番号を振ると、二十七人目までは埋まるが、その先は空白だ。
偶然にしては出来すぎている。
脳裏に浮かぶのは、中学時代の佐伯。
いつも問題を早く解き終え、残り時間は最後の設問の空欄をじっと見つめていた。
その癖を、何度も横目で見た。
高校進学後に転校し、行方は不明。
この答案の“解”の字の書き癖が、あいつにそっくりだった。
夜、答案の裏面を爪でなぞると、また数字が浮かび上がった。
「28」
次の被害者は決まっているということか。
そして、その空欄を埋めるのは俺かもしれない。
息が浅くなる。部屋の隅の暗がりが、少しずつ近づいてくる感覚。
堪らず電話帳をスクロールし、千夏の名前で親指を止めた。
中学からの友人で、今は地方紙の記者をしている。
「何それ、冗談じゃないでしょ」
翌朝、千夏は俺の部屋のテーブルに答案を広げ、眉間に皺を寄せた。
「……これ、被害者の発見現場と一致してる。27までは報道されてる。でも28はまだ誰も知らない」
「知ってしまったら?」
「記事にする。でも、その前に確かめる必要がある」
千夏は番号の横に、地名と日付を書き加える。
紙の上に浮かぶ現場の並びが、地図上で奇妙な形を描いていた。
「……模試のマークシートって、位置でパターンを作れるんだよね」
「佐伯がそれを?」
「さあ。でも、空欄の意味は気になる。『あなたです』って……」
午後、二人で母校を訪れた。
昇降口はワックスの匂いが濁って残り、外の蝉の声が遠く感じられる。
事務室で卒業生だと名乗ると、あっさり通され、資料室へ案内された。
薄暗い部屋の奥に、グレーの樹脂の箱が鎮座している。
「OMRスキャンマークII」——俺たちの答案を飲み込んで採点していた機械だ。
隣に新しい機種が並んでいるが、古い方もケーブルが繋がったままだった。
千夏が答案を差し込む。
ローラー音が低く響き、液晶に文字が走る。
【解答27 正】
【解答28 正】
【解答29 未解答】
【メッセージ:最後の解答は、あなたです】
スピーカーから、懐かしい教師の声が滲む。
「——必ず、楕円をはみ出さず、均一に塗りつぶしなさい」
千夏が2Bの鉛筆を手に取り、空欄を見つめた。
「今書けば、何かわかるかもしれない」
「やめろ」
俺が手首を掴んだ瞬間、スマホが震えた。
〈解答者を識別しました〉
廊下の奥から足音が近づく。
宗像先生の、独特なゆっくりとした歩幅。
——あの教師は、もう死んでいるはずだ。
ドアノブが回る。
錆びた金属音が、部屋の空気を裂く。
千夏を背に庇いながら、俺は答案に目を落とす。
空欄が、じわじわと俺の輪郭を飲み込もうとしている。
鉛筆を握った指先が冷える。
芯を楕円に近づけた瞬間、視界の色が少し褪せた。
蝉の声が遠のき、代わりに紙の繊維を擦る音が耳の奥で膨らむ。
世界が“試験中”に切り替わったようだった。
「書くな!」
千夏の声が、くぐもって聞こえる。
だが、芯はゆっくりと動き、楕円を埋めていく。
鉛筆の粉が紙の谷間に降り積もるたび、遠くで数十人分の鉛筆音が重なる。
失踪した二十七人が、一斉に解答を書いている音だ。
最後の一点を塗りつぶした瞬間、液晶に行が追加された。
【あなたは解放されます】
体が軽くなる。
だが、同時に足元から強い引力を感じた。
紙の白が深い井戸の底へと変わり、俺を引きずり込む。
千夏の手が俺の肩を掴む感覚が遠のく。
廊下の足音はもうドアのすぐ向こう。
その足音と同じリズムで、スピーカーから宗像先生の声が響く。
「——採点を終了します」
次の瞬間、視界が白く反転した。
俺は、紙の向こう側にいた。
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