狂った愚者の恋

天霧 ロウ

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竜2

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 最初は見間違いかと思った。けれど、目をこすってみてもその人物はそこにいる。
 黒いブイネックとすらりとしたジーンズを履いているヴィーチェは当たり前のようになぜかオリヒメの家にいた。それもカリオント――爵位は取り上げられたらしい――にご飯を食べさせている。
 カリオントの方もヴィーチェの手から与えられる食事を警戒せず、もぐもぐと食べている。
 
「オリヒメ、ちょっとこい」

 オリヒメがコーヒーが入った白いマグカップをテーブルの上に置くとクオルの傍に来た。クオルはオリヒメの首に腕を回して顔を寄せた。
 
「どうしてここにヴィーチェがいるんだ」
「それはだな」
「この前、仕事失敗しちゃって住んでるところを追い出されたからだよ」
 
 耳元に囁いてきたヴィーチェにクオルはぎょっとした。いつのまに傍にきたのか不覚にも気づけなかった。カリオントの方へとちらりと見れば、ソファーの上で丸くなってすやすやと眠っていた。
 するりと肩に手を当ててヴィーチェが微笑んだ。
 
「少し痩せたね。きちんと休まなきゃだめだよ?」
 
 そういってちゅっとクオルの頬にキスをすると、ルシアの方は見向きもせず台所へといった。
 クオルはオリヒメの首から腕を離し、ソファーにもたれた。
 
「お人好しにも程があるだろ」
「ナツヒコにも言われた。そのこともあって、浮気ものって罵倒されたあげくここ二日部屋から出てこないんだ」
 
 凜々しい眉を下げてオリヒメは苦笑した。クオルもさすがになにも言うことはできず軽く肩をすくめた。
 気を取り直したオリヒメはおもむろにクオルに尋ねた。
 
「それよりも、今日はどういう用できたんだ」
「あー……、オリヒメにちょっと診てもらいたいことがあってな」
 
 クオルの隣に腰を下ろしてコーヒーを口にするルシアをちらっと見れば、オリヒメは納得したと言いたげに頷いた。

「それじゃあ、俺の部屋に行くか」

 オリヒメに促されて立ち上がれば、ふわりとシナモンと甘いカラメルのにおいが鼻をくすぐる。
 思わずにおいがした方へと振り返ると、林檎のタルトを大皿にのせたヴィーチェがやってきた。
 
「コーヒーだけじゃ味気ないから林檎のタルト作ってみたんだよ」
「へえ、うまそうだな」
 
 テーブルの中心に置かれたタルトを見て自然と呟く。
 タルトの上には薄く焦げ目がついている林檎は薄く透き通っている。シナモンとカラメルがかけられており、匂いもいいが見た目もおいしそうだった。
 ヴィーチェが五等分に切り分けると慣れた手つきで皿に乗せていった。クオルが自分の分をもらうとフォークでそっと一口分切り取って口に運んだ。表面のカラメルが冷えるとカリカリとしてかすかなほろ苦さとしっとりとした甘い林檎とさっくりとしたタルトの食感は中々おいしい。
 ルシアもヴィーチェにおいしいと告げれば、ヴィーチェは目を数度瞬かせた後「それはよかった」と微笑んだ。
 
「はい、ナツに持っていってあげなよ」
 
 ヴィーチェがオリヒメにナツヒコの分の林檎のタルトが乗った皿を差し出す。

「しかしだな、ルシアの様子を……」
「そうやってほかのことを優先するからナツが拗ねるんだよ。ほら行った行った」

 ヴィーチェの指摘に小さく呻くと、その皿を受け取ってナツヒコの部屋へといった。
 オリヒメがいなくなったのを確認すると、ヴィーチェがソファーに腰をかけ、クオルたちに視線を戻した。
 
「そういえば、オリヒメになにを診てもらおうとしたのかな?」
「あ、えっと……その」
 
 ルシアはちらりとクオルを見てヴィーチェを見ると顔を赤くした。
 その様子にヴィーチェは気にせず林檎のタルトを口元に運ぶとやや冷めてしまったコーヒーを手に取り一口飲んだ。
 まるでルシアからの回答を待っている様子にルシアはためらいがちに口を開いた。
 
「僕の体について……です」
「ああ、そういえばキミ両性具有だったっけ?」
 
 今頃思い出したかのようにヴィーチェは言う。それから、クオルをちらりと見てルシアを見た。
 
「私の時と違ってまだ本番はしてないんだ。まあ、それはいいけれど」
 
 コーヒーを置き、首にかかっているクリーム色の髪をわずかに払ってルシアの方を振り向く。
 
「私が両性具有で知っていることといえば、竜との間に子供を作れるってことかな。あとは、いろいろな方法でセックスが楽しめることとか」
「ヴィーチェっ!」
 
 思わず鋭く名前を呼ぶとヴィーチェはふわりと笑った。
 
「ねえ、どうして両性具有だけが竜との間に子供を成せると思う?」
「えっと、体が丈夫だから?」
 
 ルシアの回答にヴィーチェは「半分はずれ」といった。
 
「私も詳しいことは知らないけど、両性具有の子宮は特別なんだって。なんでも、自分が気に入った男じゃないと、いくら中に出されても絶対に孕まないとか」
「ふーん、逆に言えば気に入ったやつなら絶対に孕むってことか」
「そういうこと、花丸一つあげようか?」
「いらねえよ」

 ヴィーチエのからかいにクオルは唇をとがらせる。ついでにちらっとルシアを盗み見すれば、ルシアが目ざとくクオルの視線に気づいて半目になった。

「クオルのえっち」
「なにも言ってねえだろ」
「クオルの考えてることなんてお見通しだから」

 ふいっとそっぽを向いたルシアに小さく呻く。
 そんな二人のやりとりに気にすることなくヴィーチェは林檎のタルトを一口食べて続けた。

「でも、竜の精子はそれを無効にしちゃう上に中だしされたら絶対に孕むらしいよ」
「まじかよ。つーか、孕ませるなら女でもいいんじゃねえの?」

 子供を成すというのであれば、なにも両性具有である必要はない。だが、ヴィーチェは「時間の無駄でしょ」とあっさりと答えた。

「両性具有は雄と認めた相手なら絶対に孕むけど、人間の女はそうじゃないしね。数を減らし続ける彼らにとって、とりあえず中に出したら絶対に孕む両性具有はお手軽な孕み袋なんだよ」
「孕み袋……」
 
 ルシアはぽつりと呟くと、手元にあった林檎のタルトに視線を落とす。
 林檎のタルトを先に食べ終えたクオルはヴィーチェを睨む。クオルの視線に気づくなり、ヴィーチエは意地悪げな笑みを浮かべてルシアの方を向いた。
 
「私はキミ以外の両性具有を見たことあるよ。ある依頼でその子を殺すことを命じられてたんだ。でも、はじめてみたときは驚いたよ。たぶん、あれは竜とセックスするための禊だったんだろうね」
 
 その時の光景を思い出すようにヴィーチェはわずかに琥珀色の瞳を細めた。
 
「その子は美しい子だったよ。象牙の肌に綺麗な藤色の髪をしていてね、若草色の瞳はどこまでも澄んでいて……とても印象的だった。その場には私とその子しかいなかった。だからね、私はその子を殺す絶好の機会だと思った」
 
 淡々と語るヴィーチェはまるで他人事のようだった。
 
「その子は私を見てなんていったと思う? 怯えることも逃げることも諦めたような声でこういったんだ。一思いに殺してくれって。だから、私は望みどおりその子を殺した。綺麗な細い首をこういうふうにね」
 
 そういって手をそろえるとぴっと宙を一線した。その言葉とともにかすかに口元に浮かんだ笑みは優しさのかけらもない冷笑だった。
 
「そうやってルシアちゃんを脅すなんて最低よぉ」
 
 ねっとりとした声が聞こえてルシアがそちらを見れば、不機嫌そうなナツヒコが立っていた。いつもは綺麗に結ばれている三つ編みが一つにまとめられているせいかいつになくボリュームがある。
 ヴィーチェとの間に一人分座れるぐらいの距離を開けて、すとんとソファーに座った。
 
「アンタこそ自分の立場がわかっているのかしらぁ?」
「わかってるさ。それに脅すなんて人聞き悪い」
 
 ヴィーチェはナツヒコにわずかに視線を向けると、形だけの笑みを浮かべた。
 
「私はいつでもキミを殺すことができるって言う警告だよ。私はクオルを愛してる。クオルを傷つけるなら私は誰であろうとどんな生き物だろうと、殺す」
 
 熱を孕みつつも冷え切った瞳に感情はない。
 残っていた林檎のタルトを咀嚼したヴィーチェはコーヒーを一気に飲んでふっと息を吐く。
 
「せいぜい竜の花嫁にされないように抗ってね。じゃないと、私がうっかりキミの首を刎ねてしまうから」
 
 手を伸ばして、するりとルシアの細い首筋に指を這わせる。
 ざわりとルシアの肌が粟立ち息をのめば、ヴィーチエは満足そうに微笑んで立ち上がる。そのまま自分の皿とマグカップを持って台所の方へと向かった。
 いつにもまして白い顔をしたルシアの肩を掴んで抱き寄せる。

「ヴィーチェのことは気にすんな」
「うん……」

 うなだれているルシアに声をかけるものの、あからさまに気にしているようだった。
 しばしルシアを眺めた後、わざとルシアの頭を乱暴に撫でた。そうすれば、ルシアがクオルを見上げて少しだけ目尻をつり上げた。

「急になに? 頭ボサボサになるじゃん」
「撫でたくなっただけだ」

 クオルの返答にルシアは訝しんでいたが、ふっと息を吐くと目尻を下げてくしゃりと笑った。

「ありがとう、クオル」
「おう」

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