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翌日、体を乱暴に揺すられて重い目蓋を開けた。
寝起き早々、視界には炎のようにゆらめく輝きがちらちらと漂い、その煌めきに見惚れていると頭の芯が痺れるほどの大声が貫いた。
「いい加減起きろ!」
「うわあ!」
ティレクの大声に飛び起きるとあたりを素早く見渡した。見慣れた自室だとわかれば息をついてティレクの方へ向いた。
どうやら朝早く訪れたメイドに服を持ってくるよう頼んだのか膝裏までの黒いコートに加え、白いワイシャツに黒のズボンと黒のブーツを身につけている。シンプルな格好だが、派手なティレクにはよく似合っていた。
しかしよく見れば、その手には木でできた模擬剣が二つあり、そのうちの一つをベッドに投げてきた。目の前へ投げ出された模擬剣にアリウスは凛々しい眉を寄せた。
「なんで模擬剣?」
「稽古に付き合え」
「まだ早朝だぞ」
本来であれば、まとめられていないベッドのカーテンは綺麗に四隅でまとめられ、バルコニーは全開な始末だ。幸いなのは風がほとんどない日だったことだろう。それでも日を吸っていない空気がそよそよと流れ込み、思わず腕をさする。
ティレクはそんなアリウスを冷ややかに見下ろした。
「私はいつも早朝に稽古をしてるんだ。ここにいる間、私の時間が取れないのなら朝ぐらい私のために使え」
「嫌だって言ったら」
「貴様が男と寝てることを吹聴する。間違ってはないだろう」
ティレクの言うとおりベッドをともにしているという点は間違っていない。だが、アリウスの過去を知るものが多い城の中では確実に勘違いを起こされるだろう。アリウスとしては面倒ごとは引き起こしたくなければ、起こされたくない。
平然と言い切るティレクを寝ぼけ眼で睨みながら唸った。
「絶対にやめろ。ったく……、今日だけだからな!」
目元にかかる前髪をかき上げてベッドからでると、しぶしぶ脱衣所へ行く。
顔の熱が一瞬にして引くほどの冷水で顔を洗えば嫌でも目が冴えた。脱衣所を出て、クローゼットから取り出した白のワイシャツと茶色のズボンを身に着け、履き慣れた黒いブーツを履くとぐっと体を伸ばす。そして、着慣れた濃紺のコートに袖を通した後、模擬剣を片手に大きなあくびを一つして、兵舎に向かった。
兵舎につくとすでに稽古をしている兵がちらほらとおり、アリウスを見るなり慌てて敬礼した。
「おはようございます! アリウス様!!」
「おー。はよ。おまえら早起きだなあ」
「アリウス様こそお早い起床ですが、なにかありましたか?」
「とくにねえよ。ただこいつが朝ぐらい自分に時間をよこせってうるさくてな」
肩越しにティレクを指差せば兵士は思いっきり眉を寄せた。
「そいつは捕虜のティベルク人じゃないですか。どうして、牢から……」
「色々な事情をかんがみて俺がだした。ここにいる間は俺の側仕えにするからよろしく」
あっさりというと兵士はお互いに顔を見合わせ何とも言い難い表情を浮かべた。
当のティレクは興味深そうにあたりを見ていたが、アリウスと視線が合うと金色の瞳を細めた。
「おしゃべりは終わったか」
「おいおい、やる気があるのはいいけど首輪の存在を忘れんなよ」
呆れを込めて自分の首を指さして見せる。だが、ティレクは鼻で笑っただけだった。
「貴様こそ、稽古だからと言って手を抜くなよ」
「言ってくれるじゃねえか」
その言葉と共に先に攻撃を仕掛けたのはアリウスだった。アリウスの剣をティレクは正面から受け止めるとそのまま流した。流れるような動作に兵士達は喚声をあげた。
恵まれた体格から生まれる力で戦うアリウスに対して、鍛えた体でも細い印象があるティレクは体格差を技術で補っていた。見事に正反対な戦い方だが、アリウスの足払いも力技もティレクは見事に避け、受け流した。
周りの兵も圧倒的な強さを持つアリウスがいまだに一撃も与えられない状況にただただ驚いていた。なにより、ティレクの鮮やかな動きには一つもムダがなく、舞のごとく美しささえあった。そして、アリウスの一方的な攻戦はティレクが脱ぎ捨てたコートによって一瞬視界を奪われた隙を襲ってきた足払いで決着がついた。
芝生に尻餅をついたアリウスの目の前に模擬剣の先がぴたりと止まった。
「私の勝ちだな」
アリウスが舌打ちをして顔を上げれば、わずかに上気しているティレクの頬や汗を伝う小麦色の肌はいっそう艶めいて見えた。
兵士達も自分達の将が負けたことよりもティレクの色香に視線が集中していた。当の本人は気にしてないのか、こめかみを伝う汗を袖口で乱暴に汗を拭うと、形のいい眉をよせた。
「いつまで座ってる。私は早く汗を流したいんだ。さっさと立て」
「わかったよ」
兵士達はティレクの言葉を別の意味で捉えたのか「さすがアリウス様だ」と色めき立った。結局吹聴しているような状況になってしまったが、訂正するのも面倒に感じてティレクのコートを手にとって芝生から立ち上がると、ティレクと共に自室へ歩き出した。
アリウスの部屋に戻るなり、ブーツを脱いだティレクはバスタオルを手に風呂場へ消えた。それから、少ししたのち真新しいワイシャツとズボンを身に着けて出てきたティレクはソファに座ると無言でアリウスを見た。
無言の訴えは飲み物を出せと言っているのだろう。だが、アリウスもさっさと汗から解放されたかった。
「風呂あがったら、飯作るから待ってろ」
「なら一分で上がってこい」
「無茶言うな。それより寒い思いしたくなきゃ薪追加しとけよ」
無理難題にアリウスはきっぱり返して風呂場に行った。
脱衣所に入ると、籠の中にはティレクが身につけていたものがあった。一瞬のためらいの後アリウスも着ていた服と下着を入れた。この籠に入れておくと部屋を掃除に来たメイドが持っていってくれるのだ。汗を洗い流し、床を打ち付けるシャワーの音を聞きながら先ほどの稽古を思い出した。
稽古といえど一切手を抜かないティレクの表情はムダが削がれた動きも伴って鬼気迫るものだった。男に対して美しいと思ったことはないが、ティレクに対しては美しいという表現が似合う。けれど、一度も打ち勝てなかったことが悔しくもある。次こそはと胸に誓ったアリウスは浴室を後にした。
おろしたてのワイシャツとズボンを身に着けて部屋に戻ると、ティレクが「遅い」と言った。
「私は一分で上がれといたはずだが」
「俺は無理だって言っただろ」
キッチンに立ったアリウスは冷蔵庫から塩漬けの豚肉を四枚取り出してフライパンで焼き、棚から布で包んだパンを取り出すと数枚切って皿にのせた。
「ほら、朝食だ」
焼いただけの塩漬けの豚とレーズンが混じった固めのパンにコーヒーをソファのサイドテーブルへ置く。アリウスにとってはいつもの食事だ。だが、ティレクは並べられた料理にこれでもかと眉を寄せた。
「魚はないのか」
「あいにく東は肉が一般的だからな。それに魚は俺が好きじゃない」
ティレクの隣に腰を下ろしたアリウスはできたての食事を口に運んだ。ティレクは相変わらず不満そうにしていたが、アリウスが食べ終わる頃にようやく食べ始めた。
「口の中の水分をすべて奪うパンに肉はしょっぱいだけで風味もない。王族である貴様がするような食事と思えないな」
「うるせえな。パンに関しては買ってから時間が経ったんだからしょうがねえだろ」
「食に無頓着だからそうなるのだ。見た目がどうにもできないのなら、せめてハーブや香辛料を使って味を整えたらどうだ」
不満を隠しもしないティレクにアリウスは「さっさと食え」と苛立ちを込めて返した。最後の塩漬け豚の一枚を飲み込んで一息ついたティレクは「事実を言ったまでだ」と淡々と言い返す。
「そもそも、なぜ私まで貴様の食事に合わせなければいけないのだ。この城にも料理番はいるだろう」
「お前どの立場から言ってんだよ。捕虜だって自覚を少し持てっつーの」
「なら、捕虜と同じ食事をするお前はどうなんだ」
「うるせーな。揚げ足ばっかとってくんじゃねえ」
アリウスはティレクの切り返しに舌打ちをして立ち上がった。
「食事は終わったんだ。外にでるぞ」
「どこに行くんだ」
ティレクの質問を答えていたらキリがないためあえて無視した。
クローゼットから取り出した濃紺のコートを羽織ると、ついでに取り出した予備のコートをはじめとした防寒具をティレクに押し付けて部屋を出た。
城の外にでて帝都にくれば、町はすでに賑わいを見せていた。ついこの間までの青空は姿を消し、かわりにどこまでも白く染まっていた。
薄墨色の三角屋根や灰色の石畳でできた大通りを薄く雪が覆っている。路肩には小さな雪山がちらほらとできはじめており、本格的な冬の前触れが顔を見せていた。
「アリウス様、今日は卵が安いよ!」
「アリウス王子、たまには野菜も買っていってくださいよ!」
住人たちの軽快な声掛けにニッと笑うと軽く片手を振って返した。
「アリウス様~! 父さんが新作のパンを作ったんだ!! 食べて食べて!」
向かいから紙袋を抱えて鼻先や頬を真っ赤にした少年が駆け寄ってくる。あと少しというところで少年の足がもつれた。だが、少年が転ぶ手前、アリウスが腕で支えたため転ぶことはなかった。けれど、抱えていた紙袋から転がりでたパンが地面に落ちていた。
「あ、パンが……。アリウス様、ごめんなさい」
少年はパンに気づくと、大きく肩を落とした。
アリウスは落ちたパンを拾うと軽く払ってそのまま食べた。ぎょっとした子供が慌ててパンを持っているアリウスの手に腕を伸ばしてきた。
「アリウス様! そんなの食べちゃ駄目だよ!」
「あいかわらずお前の家のパンはうまいな。今度は転ばないように足元には気をつけるんだぞ」
残ったパンを平らげて軽く手を払った後、少年の頭を軽く叩いて歩き出した。
声掛けが止まない大通りを抜けて人気のない湖につくと、ティレクがおもむろに口を開いた。
「意外だな」
「なにがだよ」
「無礼を理由にあの少年を打つと思っていた。西でも貴様の悪逆非道は届いてたからな」
無遠慮とも思えるまっすぐな視線で見据えてくるティレクに軽く肩をすくめた。
「ま、戦争を仕掛けて多くの人間を殺したことは否定しねえよ。でも、それとこれは別だろ。それこそ、お前の仲間を殺した俺達が憎くないのかよ」
「私が憎く思うのは貴様だけだ。この首輪さえなければ、とっくに貴様の心臓を貫いている」
隠す気もない殺意の棘にふっと笑うと「そりゃあ、よかった」と返した。そして湖の傍に膝をつけば、ティレクが眉を寄せながら腕を組んだ。
「ところで湖を覗き込んでなにをしている」
「氷の厚さを確認してんだよ。冬になるとここは子供の遊び場にもなるからな。それに精霊石の活用で冷蔵庫が普及しはじめたとは言え、急を要する時はここの氷は便利なんだ」
「冷蔵庫……。ああ、貴様のキッチンにあるあの箱か」
「お前の国にはそういうのないのか。少なくともこっちより温暖な気候だろ?」
順調に氷が厚さを増していることを確認し終えて立ち上がり、ティレクに尋ねれば「必要ないな」と返した。
「腐敗しやすい食材には精霊に頼んで時間を止めてもらえばいい。そして使う時、解いてもらうだけだ」
「止めてくれなかったらどうするんだよ」
「それは術式を組めないやつが悪い。術式は言わば、彼らの言語だ。きちんと組めば彼らは答えてくれる。それより用が終わったのか」
「ああ、終わった。今日は新作のパンを買って、俺の部屋に戻ろうぜ」
そう告げると薄く積もっている雪を踏みしめて湖を後にした。
外に出てかなり時間が経っていたのだろう。日は高くなったと言えど、口から溢れる息は白い。行き慣れたパン屋へ入れば、カランカランと子気味のいい鈴が鳴った。
店内は昼時もあって賑わっており、アリウスも列に並んで待った。やがてアリウスの番がくると、店主はハッと顔をこわばらせた。
「アリウス王子! うちの息子が先ほど失礼しました!」
「別にいいって。おかげで新作のうまさを知ることができたしな。というわけで、新作のパン二つといつものやつを二つ頼む」
アリウスのいつも通りの声音に店主は血の気が引いてこわばっていた顔を緩めた。
「ありがとうございます。すぐ持ってきますので、少々お待ちください。そちらの方はいかがしますか?」
店主がティレクへと顔を向けて尋ねた。
ティレクは伏せていた目蓋を持ち上げると「不要だ」と答え、店主は「そうですか」と少し残念そうに返して奥へ引っ込んだ。少ししてやや大きな紙袋を手にして戻ってきた。
「お代は結構です。アリウス様にとんだ失礼ないことをさせてしまった詫びです」
「そこまでいうなら、今回はありがたくそうさせてもらうか」
店主から紙袋を受け取ったアリウスはニヤリと笑った。パン屋を出るなり、アリウスは紙袋からホカホカと湯気を立てる新作のパンを取り出して咥えると、もう一つの新作のパンをティレクに差し出した。
「ほら、食えよ」
「立って食べるなど行儀が悪いぞ。仮にも王子ならば、少しは意識したらどうだ」
「うるせーな。こういうのはできたてを食うのが一番うまいんだよ」
強引にティレクに押し付けたアリウスは落ちそうになったパンを慌てて押さえつつ紙袋を抱え直した。ティレクは手の中にある暖かなパンをしばし見つめた末、ためらいがちに口にし、数度まばたきをすると「うまいな」と呟いた。
「ここに紅茶があればなお最高だった」
「コーヒーだったら、俺の部屋に戻ったらいれてやるよ」
「コーヒーか……」
不満そうに呟くティレクを横目にアリウスは残っていたパンを平らげた。
寝起き早々、視界には炎のようにゆらめく輝きがちらちらと漂い、その煌めきに見惚れていると頭の芯が痺れるほどの大声が貫いた。
「いい加減起きろ!」
「うわあ!」
ティレクの大声に飛び起きるとあたりを素早く見渡した。見慣れた自室だとわかれば息をついてティレクの方へ向いた。
どうやら朝早く訪れたメイドに服を持ってくるよう頼んだのか膝裏までの黒いコートに加え、白いワイシャツに黒のズボンと黒のブーツを身につけている。シンプルな格好だが、派手なティレクにはよく似合っていた。
しかしよく見れば、その手には木でできた模擬剣が二つあり、そのうちの一つをベッドに投げてきた。目の前へ投げ出された模擬剣にアリウスは凛々しい眉を寄せた。
「なんで模擬剣?」
「稽古に付き合え」
「まだ早朝だぞ」
本来であれば、まとめられていないベッドのカーテンは綺麗に四隅でまとめられ、バルコニーは全開な始末だ。幸いなのは風がほとんどない日だったことだろう。それでも日を吸っていない空気がそよそよと流れ込み、思わず腕をさする。
ティレクはそんなアリウスを冷ややかに見下ろした。
「私はいつも早朝に稽古をしてるんだ。ここにいる間、私の時間が取れないのなら朝ぐらい私のために使え」
「嫌だって言ったら」
「貴様が男と寝てることを吹聴する。間違ってはないだろう」
ティレクの言うとおりベッドをともにしているという点は間違っていない。だが、アリウスの過去を知るものが多い城の中では確実に勘違いを起こされるだろう。アリウスとしては面倒ごとは引き起こしたくなければ、起こされたくない。
平然と言い切るティレクを寝ぼけ眼で睨みながら唸った。
「絶対にやめろ。ったく……、今日だけだからな!」
目元にかかる前髪をかき上げてベッドからでると、しぶしぶ脱衣所へ行く。
顔の熱が一瞬にして引くほどの冷水で顔を洗えば嫌でも目が冴えた。脱衣所を出て、クローゼットから取り出した白のワイシャツと茶色のズボンを身に着け、履き慣れた黒いブーツを履くとぐっと体を伸ばす。そして、着慣れた濃紺のコートに袖を通した後、模擬剣を片手に大きなあくびを一つして、兵舎に向かった。
兵舎につくとすでに稽古をしている兵がちらほらとおり、アリウスを見るなり慌てて敬礼した。
「おはようございます! アリウス様!!」
「おー。はよ。おまえら早起きだなあ」
「アリウス様こそお早い起床ですが、なにかありましたか?」
「とくにねえよ。ただこいつが朝ぐらい自分に時間をよこせってうるさくてな」
肩越しにティレクを指差せば兵士は思いっきり眉を寄せた。
「そいつは捕虜のティベルク人じゃないですか。どうして、牢から……」
「色々な事情をかんがみて俺がだした。ここにいる間は俺の側仕えにするからよろしく」
あっさりというと兵士はお互いに顔を見合わせ何とも言い難い表情を浮かべた。
当のティレクは興味深そうにあたりを見ていたが、アリウスと視線が合うと金色の瞳を細めた。
「おしゃべりは終わったか」
「おいおい、やる気があるのはいいけど首輪の存在を忘れんなよ」
呆れを込めて自分の首を指さして見せる。だが、ティレクは鼻で笑っただけだった。
「貴様こそ、稽古だからと言って手を抜くなよ」
「言ってくれるじゃねえか」
その言葉と共に先に攻撃を仕掛けたのはアリウスだった。アリウスの剣をティレクは正面から受け止めるとそのまま流した。流れるような動作に兵士達は喚声をあげた。
恵まれた体格から生まれる力で戦うアリウスに対して、鍛えた体でも細い印象があるティレクは体格差を技術で補っていた。見事に正反対な戦い方だが、アリウスの足払いも力技もティレクは見事に避け、受け流した。
周りの兵も圧倒的な強さを持つアリウスがいまだに一撃も与えられない状況にただただ驚いていた。なにより、ティレクの鮮やかな動きには一つもムダがなく、舞のごとく美しささえあった。そして、アリウスの一方的な攻戦はティレクが脱ぎ捨てたコートによって一瞬視界を奪われた隙を襲ってきた足払いで決着がついた。
芝生に尻餅をついたアリウスの目の前に模擬剣の先がぴたりと止まった。
「私の勝ちだな」
アリウスが舌打ちをして顔を上げれば、わずかに上気しているティレクの頬や汗を伝う小麦色の肌はいっそう艶めいて見えた。
兵士達も自分達の将が負けたことよりもティレクの色香に視線が集中していた。当の本人は気にしてないのか、こめかみを伝う汗を袖口で乱暴に汗を拭うと、形のいい眉をよせた。
「いつまで座ってる。私は早く汗を流したいんだ。さっさと立て」
「わかったよ」
兵士達はティレクの言葉を別の意味で捉えたのか「さすがアリウス様だ」と色めき立った。結局吹聴しているような状況になってしまったが、訂正するのも面倒に感じてティレクのコートを手にとって芝生から立ち上がると、ティレクと共に自室へ歩き出した。
アリウスの部屋に戻るなり、ブーツを脱いだティレクはバスタオルを手に風呂場へ消えた。それから、少ししたのち真新しいワイシャツとズボンを身に着けて出てきたティレクはソファに座ると無言でアリウスを見た。
無言の訴えは飲み物を出せと言っているのだろう。だが、アリウスもさっさと汗から解放されたかった。
「風呂あがったら、飯作るから待ってろ」
「なら一分で上がってこい」
「無茶言うな。それより寒い思いしたくなきゃ薪追加しとけよ」
無理難題にアリウスはきっぱり返して風呂場に行った。
脱衣所に入ると、籠の中にはティレクが身につけていたものがあった。一瞬のためらいの後アリウスも着ていた服と下着を入れた。この籠に入れておくと部屋を掃除に来たメイドが持っていってくれるのだ。汗を洗い流し、床を打ち付けるシャワーの音を聞きながら先ほどの稽古を思い出した。
稽古といえど一切手を抜かないティレクの表情はムダが削がれた動きも伴って鬼気迫るものだった。男に対して美しいと思ったことはないが、ティレクに対しては美しいという表現が似合う。けれど、一度も打ち勝てなかったことが悔しくもある。次こそはと胸に誓ったアリウスは浴室を後にした。
おろしたてのワイシャツとズボンを身に着けて部屋に戻ると、ティレクが「遅い」と言った。
「私は一分で上がれといたはずだが」
「俺は無理だって言っただろ」
キッチンに立ったアリウスは冷蔵庫から塩漬けの豚肉を四枚取り出してフライパンで焼き、棚から布で包んだパンを取り出すと数枚切って皿にのせた。
「ほら、朝食だ」
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「魚はないのか」
「あいにく東は肉が一般的だからな。それに魚は俺が好きじゃない」
ティレクの隣に腰を下ろしたアリウスはできたての食事を口に運んだ。ティレクは相変わらず不満そうにしていたが、アリウスが食べ終わる頃にようやく食べ始めた。
「口の中の水分をすべて奪うパンに肉はしょっぱいだけで風味もない。王族である貴様がするような食事と思えないな」
「うるせえな。パンに関しては買ってから時間が経ったんだからしょうがねえだろ」
「食に無頓着だからそうなるのだ。見た目がどうにもできないのなら、せめてハーブや香辛料を使って味を整えたらどうだ」
不満を隠しもしないティレクにアリウスは「さっさと食え」と苛立ちを込めて返した。最後の塩漬け豚の一枚を飲み込んで一息ついたティレクは「事実を言ったまでだ」と淡々と言い返す。
「そもそも、なぜ私まで貴様の食事に合わせなければいけないのだ。この城にも料理番はいるだろう」
「お前どの立場から言ってんだよ。捕虜だって自覚を少し持てっつーの」
「なら、捕虜と同じ食事をするお前はどうなんだ」
「うるせーな。揚げ足ばっかとってくんじゃねえ」
アリウスはティレクの切り返しに舌打ちをして立ち上がった。
「食事は終わったんだ。外にでるぞ」
「どこに行くんだ」
ティレクの質問を答えていたらキリがないためあえて無視した。
クローゼットから取り出した濃紺のコートを羽織ると、ついでに取り出した予備のコートをはじめとした防寒具をティレクに押し付けて部屋を出た。
城の外にでて帝都にくれば、町はすでに賑わいを見せていた。ついこの間までの青空は姿を消し、かわりにどこまでも白く染まっていた。
薄墨色の三角屋根や灰色の石畳でできた大通りを薄く雪が覆っている。路肩には小さな雪山がちらほらとできはじめており、本格的な冬の前触れが顔を見せていた。
「アリウス様、今日は卵が安いよ!」
「アリウス王子、たまには野菜も買っていってくださいよ!」
住人たちの軽快な声掛けにニッと笑うと軽く片手を振って返した。
「アリウス様~! 父さんが新作のパンを作ったんだ!! 食べて食べて!」
向かいから紙袋を抱えて鼻先や頬を真っ赤にした少年が駆け寄ってくる。あと少しというところで少年の足がもつれた。だが、少年が転ぶ手前、アリウスが腕で支えたため転ぶことはなかった。けれど、抱えていた紙袋から転がりでたパンが地面に落ちていた。
「あ、パンが……。アリウス様、ごめんなさい」
少年はパンに気づくと、大きく肩を落とした。
アリウスは落ちたパンを拾うと軽く払ってそのまま食べた。ぎょっとした子供が慌ててパンを持っているアリウスの手に腕を伸ばしてきた。
「アリウス様! そんなの食べちゃ駄目だよ!」
「あいかわらずお前の家のパンはうまいな。今度は転ばないように足元には気をつけるんだぞ」
残ったパンを平らげて軽く手を払った後、少年の頭を軽く叩いて歩き出した。
声掛けが止まない大通りを抜けて人気のない湖につくと、ティレクがおもむろに口を開いた。
「意外だな」
「なにがだよ」
「無礼を理由にあの少年を打つと思っていた。西でも貴様の悪逆非道は届いてたからな」
無遠慮とも思えるまっすぐな視線で見据えてくるティレクに軽く肩をすくめた。
「ま、戦争を仕掛けて多くの人間を殺したことは否定しねえよ。でも、それとこれは別だろ。それこそ、お前の仲間を殺した俺達が憎くないのかよ」
「私が憎く思うのは貴様だけだ。この首輪さえなければ、とっくに貴様の心臓を貫いている」
隠す気もない殺意の棘にふっと笑うと「そりゃあ、よかった」と返した。そして湖の傍に膝をつけば、ティレクが眉を寄せながら腕を組んだ。
「ところで湖を覗き込んでなにをしている」
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「お前の国にはそういうのないのか。少なくともこっちより温暖な気候だろ?」
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「止めてくれなかったらどうするんだよ」
「それは術式を組めないやつが悪い。術式は言わば、彼らの言語だ。きちんと組めば彼らは答えてくれる。それより用が終わったのか」
「ああ、終わった。今日は新作のパンを買って、俺の部屋に戻ろうぜ」
そう告げると薄く積もっている雪を踏みしめて湖を後にした。
外に出てかなり時間が経っていたのだろう。日は高くなったと言えど、口から溢れる息は白い。行き慣れたパン屋へ入れば、カランカランと子気味のいい鈴が鳴った。
店内は昼時もあって賑わっており、アリウスも列に並んで待った。やがてアリウスの番がくると、店主はハッと顔をこわばらせた。
「アリウス王子! うちの息子が先ほど失礼しました!」
「別にいいって。おかげで新作のうまさを知ることができたしな。というわけで、新作のパン二つといつものやつを二つ頼む」
アリウスのいつも通りの声音に店主は血の気が引いてこわばっていた顔を緩めた。
「ありがとうございます。すぐ持ってきますので、少々お待ちください。そちらの方はいかがしますか?」
店主がティレクへと顔を向けて尋ねた。
ティレクは伏せていた目蓋を持ち上げると「不要だ」と答え、店主は「そうですか」と少し残念そうに返して奥へ引っ込んだ。少ししてやや大きな紙袋を手にして戻ってきた。
「お代は結構です。アリウス様にとんだ失礼ないことをさせてしまった詫びです」
「そこまでいうなら、今回はありがたくそうさせてもらうか」
店主から紙袋を受け取ったアリウスはニヤリと笑った。パン屋を出るなり、アリウスは紙袋からホカホカと湯気を立てる新作のパンを取り出して咥えると、もう一つの新作のパンをティレクに差し出した。
「ほら、食えよ」
「立って食べるなど行儀が悪いぞ。仮にも王子ならば、少しは意識したらどうだ」
「うるせーな。こういうのはできたてを食うのが一番うまいんだよ」
強引にティレクに押し付けたアリウスは落ちそうになったパンを慌てて押さえつつ紙袋を抱え直した。ティレクは手の中にある暖かなパンをしばし見つめた末、ためらいがちに口にし、数度まばたきをすると「うまいな」と呟いた。
「ここに紅茶があればなお最高だった」
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「コーヒーか……」
不満そうに呟くティレクを横目にアリウスは残っていたパンを平らげた。
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斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
旧題:オメガの猫獣人
「後1年、か……」
レオンの口から漏れたのは大きなため息だった。手の中には家族から送られてきた一通の手紙。家族とはもう8年近く顔を合わせていない。決して仲が悪いとかではない。むしろレオンは両親や兄弟を大事にしており、部屋にはいくつもの家族写真を置いているほど。けれど村の風習によって強制的に村を出された村人は『とあること』を成し遂げるか期限を過ぎるまでは村の敷地に足を踏み入れてはならないのである。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
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