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九 子守りの祈り。

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子守りの祈り。



これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様とお友達のお話。ここには龍之介と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や動物、人間の子供、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社のたくさんのお話。



六助は、安田神社に向かいながらひとりごちた。
「わしも長い間椒太郎さんの使いになっているが、何でわしなんかを。ただのカラスじゃというのに。まあ、椒太郎さんのところには旨いものが集まるし、龍之介さんのところではこれまた旨いものやそばが食える。だか、このところ仲間もどんどん亡くなって、わしの世代はもうほとんど残っておらん。菅助もそろそろお呼びがかかるじゃろう。それなのにわしはまだこの元気。まさかわしはこのまま生き続けるのかのぉ。それはそれで、面倒じゃのぉ。」
椒太郎というのは杉の森の奥にある崖の中腹あたりにある洞穴で暮らしているオオサンショウウオの仙人のことである。この椒太郎のお使いカラスとして、六助は一体何年働いたのだろう?と首をかしげた。
椒太郎の手紙が脚にくくられている。それを龍之介に渡すと、
「龍之介さん今日の旨いもんは何かの、この香りはキノコの天ぷらじゃな。ん~。それに銀杏?油揚げとしろ菜の煮浸しかな?寒くなってきたからの。蕎麦がきを熱い汁物にしてもらえますかな?じい様はまた何を考えているのやら。多分急ぎじゃないから、先にわしに蕎麦がき出してくだされ。」
龍之介は笑いながら蕎麦がきを熱いつゆに入れネギを乗せると、きのこと銀杏と玉ねぎのかき揚げと煮浸しを器にそれぞれ盛り付け六助の前に出してやった。
「んー。やっぱり龍之介さんの天ぷらと蕎麦がきは最高じゃな。返事を持ってゆかぬのならいっぱいやりたいくらいじゃ。」
六助がくちばしを鳴らしながら美味そうに天ぷらをつついていた。

手紙には、
「杉の森にできた小さな流れが沢としてもう3年以上枯れずにいます。もしかしたら精霊が生まれるのかもしれません。」
と、書かれてあった。
龍之介はしばらく腕組みをして、考え込んでいた。水の神でもある龍之介もその沢は気になっていた。
水源が変わりそうもないし、それにあのあたりの沢の中では一番しっかりとした流れになっている。精霊が生まれるならそれはそれはいいことだ。
しかもあのあたりの動物のためにもいい水飲み場になるだろう。
龍之介は、一言
「もう少し見守ってみよう。」
と書いた手紙を六助の脚に結ぶと、
「では六さん頼んだぞ。」
っと送り出した。

六助は旨いかき揚げや蕎麦がきをたらふく食べ、椒太郎の所に帰るために羽ばたきながらふと、
「そういやぁ、わしはいつからネギや玉ねぎなんてもんを食えるようになったんじゃ?旨いのはわかっておるが。ふぅむ、つまりはわしの刻が仲間と違うものを刻みはじめておるということか。女房が逝っちまって、子供たちが巣離れし、孫やひ孫までおるというのに年老いることもない。これを受け入れねばの。旨い物を食べられるならそれもまた楽しかろう。受け入れるしかないんじゃろよ。」
そんなことを考えて椒太郎の洞穴に着くと、椒太郎が川海老の佃煮のおにぎりと川ハゼの唐揚げを皿に盛って待っていてくれた。
「なんと、龍之介さんらしいのぉ。一言じゃよ。確かに見守るしかないのじゃろうの。何が出てくるやら。」
椒太郎はため息をついた。
その頃六助は川ハゼの唐揚げをうまい旨いと喜んで食べていた。

六助は、遠い昔ある昼間に椒太郎の住まいの入り口にぽとりと落ちてきた。多分兄弟でも図体のでかいものが押し出したのであろう。本来ならば手を出してはいけないことになっている。生きとし生けるものは、皆自力で生きるしかないのだから。
なので、このカラスはこの寒い洞穴では3日と生きてはゆけまい。
椒太郎はそう思うと居た堪れなっていた。「袖振り合うも多生の縁」というではないか。このような小さくて、まだ産毛すらもちゃんと生え揃っていないこの子を手放し見殺しにはできぬ。
そこで、温かく柔らかな真綿のはんてんにつつみ、そっと担ぐと龍之介を訪ねた。
龍之介からどのように育ててやればいいかを聞いて、餌や糞の世話など甲斐甲斐しくしていたのもあり、六助はすくすくと育った。飛び方などは龍之介のところのお使いカケスが教えてくれた。そして、自分で餌を取るようになると巣立っていくものと思っていたのだが椒太郎の洞穴のすぐそばの松の木に巣を作るとそこで嫁を迎え、幾つもの季節を過ごした。
沢山の子供たちを見送り、何度も涙の別れをして、椒太郎はふと、六助もいつかいなくなってしまうのかと悲しくなった。
それは、仙人が勝手に変えられる刻ではない。神々がどうなさるかは椒太郎には計り知れぬこと。
椒太郎は諦め半分でそう思っていた。仕事としているこの森の、この山の出来事を日々記しながら。

ところが、六助はいつまで経っても若者のようで、はつらつとしている。
もしや、わしがあの時に「無くなる命」を拾ってしまったせいじゃろうか。
椒太郎は、いても立ってもいられなくなり取るものもとりあえず龍之介を訪ねた。

龍之介は、入り口に床几を出すとタバコをぷかりと燻らせていた。
今日はなんだか客人が多そうじゃな。とちの実が甘煮にしてあるからあれでとち餅でもするかの。
子供らも来そうじゃな。豆茶がいいか。それに、小エビの天ぷらと温かい蕎麦がきじゃな。
そう考えを巡らせると台所に向かって材料を並べて調理を始めた。

太郎は、その様子を見て、いくつかの足湯用の桶をだし、手拭いも二枚ずつ用意した。床を掃き清め、座敷も丁寧に拭き清めた。
そろそろ寒いので、手火鉢をいくつか出すと炭を熾して洞穴の中を温めた。

そうしていると入り口から元気な声が聞こえてきた。
「こんにちはー。たくみとこうきです!お邪魔しまーす。」
二人は元気よく挨拶すると入ってきてすぐに足湯を使い、手も足も清めていつもの席に着いた。
「今日は龍之介さんに聞きたいことがあったねん。前にね、僕らと龍之介さんたち神様と、精霊さんたちと、後、仙人様?やったっけ?それぞれ持ってる「刻」が違うっていうてたでしょ?それがどういう意味なんかがわからへんねん。こうきと二人で話してて頭ぐちゃぐちゃになったの。それで教えて欲しくて。」
そう言うなり二人はカバンからノートと鉛筆を取り出した。
「まあまあ、そう慌てるでないぞ。今日はあと二人ほどお客さんがあるじゃろう。その二人の話を聞くとわかってくるやも知れぬ。まずはとち餅でも食べなされ。お茶は熱いゆえ火傷せぬようにの。」
そう言い二人の前にお茶ととち餅を出してやり、二人の横に龍之介が座り、少し離れた座敷には太郎が腰かけた。
しばらくすると、珍しく土産も持たず椒太郎がやってきた。
「龍之介さん、わしはもしやとんでもないことを、あれ、人の子。。。これが噂の子供達ですかな。いやいや、お初にお目にかかります。この奥の杉の森に住んでいる、椒太郎と申します。以後お見知り置きを。」
そう一気に言い終わると、太郎のいる座敷に向かい足湯を使いゆっくりと腰を下ろした。

はてさて、これはどうしたものか、こんな子供達の前で六助のことを話すのも気がひけるわい。椒太郎はそう思いながら龍之介の出してくれたとち餅とお茶を交互に眺めお茶を一口含んだ。

「龍之介さんはおられるかのー。別にお使いじゃあないんじゃが蕎麦がきでもと思うての。」
六助はそういうとパタパタと座敷の縁に降りると自ら湯の桶にパシャリと脚をつけた。手ぬぐいの方に踏み出すとようやく周りに目を向けた。
「ありゃ、今日はまたたくさんのお客さんじゃの。まあ、ゆるりと待っとるかの。」
そう言うと端の卓に陣取った。
「ふむ。役者が揃ったようじゃの。では、話を始めようかのぉ。」
龍之介は六助に蕎麦がきと小エビの天ぷらを出してやり、みんなが見えるちょうどいい席に腰を下ろし話しだした。


もう何年前になるのかの。椒太郎さんの住んでいる洞穴に一羽の赤ちゃんカラスが落ちてきたんじゃ。
生き物は、母親から離れてしまうと赤ん坊っちゅうものは生きてはきけぬ。そのカラスは元々は死ぬ運命じゃった。
ところが、椒太郎さんは気の毒に思ったんじゃ。そうして、触ってはならない、超えてはならない「刻」を超えてしまった。まだ産毛すら生えていないその小さなカラスに「六助」と名前をつけはんてんに包み込むとわしのところにやって来て育て方を教えてくれというんじゃ。驚いたのなんの。
椒太郎さんは、仙人じゃ。この禁忌を侵すことがどういう意味をもつかわかっておった。それでも、この命を、目の前に落ちてきた命を放っておくことなどできなんだ。
それからは、甲斐甲斐しい世話のおかげで元気に健やかに、すこしふてぶてしく成長した。今は、椒太郎のところでお使いカラスをやっておる。
山の神、天の神にお願いには行ったがの。
椒太郎さんは、寿命を伸ばされてしもうた。
この森の、この山の記録をつけ続けよとお達しがあったんじゃ。そして、六助はわしら側に生きることとなった。普通は、神にはお使いの動物がつくのじゃが、仙人には付かんのが通例じゃ。だからかの、他の仙人たちはその都度近くに住んでいる動物たちとお使い関係を約束し、代替わりするごとに約束を交わし直す。
六助は、なんとも宙ぶらりんな立場なんじゃよ。精霊たちほどの眼力や神通力が使えるわけではない。他のカラスよりは勘が鋭く、危機察知能力も高い。そして、かわいそうじゃが、お前さんは死なぬ。椒太郎さんが死なぬ限りはな。お前さんの命は椒太郎さんとともにあるんじゃ。
長い長い付き合いになるじゃろうて。まぁ、素質があれば物見のカラスになれるかもしれんの。
わしらは、一応神として祀られておる。例えばこの神社がなくなろうともこの身が滅ぶことはない。
わしらの時間というのはそういうふうに流れておるんじゃよ。
たくみもこうきも解ったか?

龍之介はここまでを一気に話すと子供たちの頭をぽんぽんとなでるとおもむろに台所に立ち、そばを茹でて熱いかけそばを出してくれた。

たくみもこうきもただ黙ったままそばを食べると、真顔で
「六助さんは、たまたま椒太郎さんのところに落ちて来たん?それで、放っとかれへんと思ったら椒太郎さんとおんなじだけ生きるってこと?それは、いいことなんかな。僕らは、2人でずっと長く生きることに決まったら、もしかしたらさみしいかも。」
とつぶやいた。
「ふむ。そうかもしれんが、そうでないかもしれん。感じ方はそれぞれじゃな。さて、二人は帰る用意をしなされ。そろそろ暗くなる。」
龍之介は、そう言いながら丼を下げ卓を拭いて二人を見送った。

「龍之介さん、やはりあの時拾ってしもうたから六助を辛い思いにさせてしまったのかのぉ。これからもわしらは一緒におるのがいいんじゃろうか?」
椒太郎はため息を吐くと腰を上げ
「さて、帰ろうかの。龍之介さん、ご馳走になりました。」
そう告げて家路についた。

六助は一人この龍之介のお食事処に残された。椒太郎の最後の言葉、あれは聞き捨てならない。自分は縁あって椒太郎に助けられて、愛され、ここにいる。なのに一緒にいることが悪いかのような言いっぷりじゃないか。
龍之介も龍之介で、わしが椒太郎さんと共に時間を過ごすことがまるで罰のような言い方。あんなこと言ってしまったら椒太郎さんが傷つくのも解らんのか?
そう思うとイライラしてきて思わず声を荒げてしまった。
「龍之介さん!あんな言い方ないんじゃないかね?確かにわしは椒太郎さんに拾って育ててもろうた。わしに嫁ができた時も卵が雛になった時も我が事のように喜んでくださった。わしと椒太郎さんは、切っても切れん大切な縁で繋がっとるんじゃ!それをまるで悪いことのように言いなさるなんて!あれでは椒太郎さんが悪者じゃないか!わしは、お礼こそすれ恨んだ事など一度もないわ!あのような事!しかも子供達の前で!なぜなんじゃ!」
六助は羽をばたつかせ怒りを露わにした。すると、太郎が
「ふむ。お前さん、悩んでおったろう?自分が取り残されそれでも若者のように元気じゃと。いつまでこのようなことになるのやらと。同じように椒太郎さんも悩んでおられた。そして、子供たちは「刻」と言うものの在り方を知りたがった。たまたまそれがここに集まっただけじゃ。お前にも答えが見つかったろう?お使いカラスの役目、これからもするつもりなんじゃろ?ならば、何の問題もない。椒太郎さんにそう伝えなさい。」
そういわれ、六助は我に帰った。そうだ、悩みの答えはここにあった。わしは、椒太郎さんが好きなんじゃった。それ以外に何があるじゃろう。
飛び立とうとする六助に龍之介が声をかけた。
「椒太郎さんのものとは味が違うじゃろうがの。小エビのしんじょうと菜葉と油揚げのきんぴらじゃ。あちらに酒もあるじゃろうから二人でよくよく語ることじゃな。」
そう言って料理を持たせると、六助の頭を撫でて送り出した。


夕陽が、最後のため息のように紅色を吐き一番星を迎えている。
龍之介と太郎は小エビのしんじょうと菜葉のきんぴらそして、小鮎の佃煮で一杯やりながら、椒太郎と六助に思いを馳せた。
一番星が、二人は大丈夫と、笑顔で輝いて見えた。


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