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十 緋い焔の涙。

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緋い焔(あかいほのお)の涙。

これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様とお友達のお話。ここには龍之介と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や動物、人間の子供、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社のたくさんのお話。




その雉鳩(きじばと)は、周りの雉鳩より一周り半は大きくて羽根の先がいつも燃え上がる焔のようにギラギラと怪しく輝いていた。
名前は鳩妓(きゅうき)。
彼女は、死ぬことのできない悲しい過去を持つ雉鳩なのだ。

遠い昔、鳩妓はただ幸せになりたいと願ったただの雉鳩だった。夫との間に卵を成し、ひよこになり巣立つまで大切に大切に育てていた。
その頃、野鳥というのは村の人々にとってとても貴重な収入源であった。
食べられる鳥は焼かれて売られてしまう。
声色の美しい鳥は小さなカゴに閉じ込められ、いい声を聴かせろと言われて一生を終える。
村の男たちは霞網を張っては、鳥たちを獲って生計の一つとしていた。

鳩妓の雛たちは羽根も大人と遜色なく生え揃いそろそろ巣立ちの時とばかりに飛ぶ練習を盛んにしていた。
この子達が、また次の世代につながると思うと胸が高鳴った。
ところが、巣立ちを数日後に控えたある日雛たちが飛ぶ練習をしていて、うっかり霞網に引っかかってしまった。四羽いた雛が全て。もがいて体に食い込んだ網を鳩妓はなんとかしてやろうとしたのだが血が滲むばかりで、そのうちに村人が網を持って帰ってしまった。
悲しみに暮れる鳩妓を夫はそばにいていつも慰めてくれた。
そして、何度も抱卵して雛が巣立つ数日前には必ずと言っていいほど霞網に捕まってしまった。そのうちに夫までもが霞網の餌食となり、鳩妓の心はもはや人間への憎しみに燃える焔と化していた。


鳩妓は、峠の森の中に庵を結び、道ゆく旅人たちに茶を振る舞って暮らしていた。夕方に近くなって峠を降るには暗くなって困っている旅人には、一夜の宿を貸すこともあった。
鳩妓は、そんな旅人たちの目玉を食べてしまうことにしたのだか、両目を食べてしまうとその旅人たちも生活に困るだろう。片目なら、何とかなるはず。そう思い、いつも片目をくり抜いて庵ごと姿を消して、朝には麓の草っ原に寝ているばかりとするようにしたのだ。
噂は山裾の村まで広がり、あの峠は夕暮れ時には近付いてはならぬとおふれまで出るようになった。

鳩妓は、後三つ目玉が欲しかった。亡くなった雛と夫のために。
後三つで、敵討ちも終わる。そうなれば自分はのたれ死のうが地獄の炎に焼かれようがどうということはない。鳩妓は峠にやってくる人々をもてなし続けた。だが、夕暮れ時にはぴたりと旅人の気配はなくなりあと3つがなかなか果たせない。
命を奪らずに帰したのは間違いだったのだろうか?人間に情けをかけたのがいけなかったのか。もう、昼間でも何でもいいから三人襲って、死ぬのが良いのか?
焦りからか人々を取り逃すようになってしまった。

そんなある日、一人の若者が峠を越えようとやってきた。日は西に傾きじきに暗くなる。
鳩妓は、若者に声をかけた。
「お兄さん、もうじき暗くなりますよ。もしうちでよければ上がって休んでいってくださいよ。ただのお茶屋ですが、粥ぐらいならお出ししますから。」
若者は少し思案してからうなずくと、
「そうじゃな。そうさせていただこうかの。旅というのは見知らぬ人との出会いや会話が楽しいゆえ。お銭(おあし)はたんとは出せぬが、よろしいかな?」
と尋ねた。
「もちろんお銭などいりません。ささ、こちらへ。」
鳩妓は、久々の獲物に小躍りしそうなのを堪えながら茶屋に案内した。古びた茶屋が見えてくると、若者はこんなことを話し始めた。
「ねえさん、名はなんというんじゃ?ここは目玉をくり抜く化け物が住んでおるそうな。わしはその化け物に会ってみたいと思おての。きっと何やら事情があるはずじゃ。そして、本当は心優しいはずなんじゃよ。そうでなければ生きて帰すなどするはずない。しかも山裾まで送り届けているらしいのじゃ。ねえさんはその化け物に会ったことはないのかね?こんな山の中に住んでおって。怖い思いをしていなければいいのじゃがのぉ。」
鳩妓は無言でその話を聞きながら、足湯を用意し、奥の部屋に通した。
若者は足湯を使うと、奥の囲炉裏のある部屋に入り彼女のさす方に腰を下ろした。囲炉裏には粥が掛けられふつふつといい香りを放っている。
「これはまた、うまそうな粥じゃな。薬草でも入っておるのかな?なんともいい香りじゃ。」
若者はお椀によそわれた粥をゆっくりと鼻元へ持っていき、香りを楽しんでから食べ始めた。そして、また語り始めた。
「ねえさん、名前を教えてはもらえんかの?この粥はわしには効かぬよ。お前さんがどんなに自分が強いと思うておってもわしには敵わぬ。なんでこんなことになってしもうたのか、話してくんじゃろうか。お前さんが心の底から人を、命を憎んでいるわけではないと信じたいんじゃ。」
鳩妓は、最初はこの若者の言っている言葉を理解できなかった。何を言っているのか?この薬草が効かない?そして、自分がした事を知られている事を悟った。この若者は普通の人間ではない。もしかしたら人間ですらないかもしれない。
そう思うと、畏れと悲しみで、今まで起きた事、そしてなぜこんな事を始めてしまったのかを素直に話した。
若者は何も言わず、ただ聞いてくれそして頭を撫でると
「わしの知り合いが鳥を探しておっての。心優しいやつなんじゃが、少し怠け者なんじゃ。奴の世話をしてはくれまいか?そこで、今までしてきたことの償いはせねばいかんよ。じゃが、悪いようにはなさるまい。お前さんは本当は子煩悩のいい母親じゃ。じゃからの、そこへ連れて行ってやろうの。」
そう言うと、若者は「ふん!」と腹に力を入れ龍へと変化した。そして鳩妓の返事を待たず彼女を掴むと空へと舞い上がった。
月が、瞬く星を従えて東の空から顔を出している。その横を雲の上へ上へとひたすら上っていく。
鳩妓は龍神に捕まったと悟り、大人しく連れていかれることにした。暴れたとて解かれるはずもなく、また、自分の罪は誰に押し付けることもできない。裁きの時が来たのだ。あと三つ。目玉を捧げたかった。あの子たちと夫の供養のために。

連れてこられたのは眩いほどの光を放つ雲の上の御殿であった。扉は開いていて中は虹色に輝く草花や木々が風にそよいでいた。
「おお!よく来たの鳩妓、待っておったぞ。やはりお前さんの羽根は美しいのぉ。しばらく修行はせねばならんがわしのお使いをしてほしいのじゃ。がんばってみる気はないかの?」
「天の神よ、鳩妓が驚いておりますぞ。」
龍神はそう言うと、そっと鳩妓を雲の上に下ろして体を人型くらいまで小さくした。
「わしの名は龍之介。お前さんの住んでいる山の麓の村の守り神をしておる。皆の目を癒すことに時間を費やしてしもうてお前さんを探すのに手こずってしもうた。すまなんだの。辛い思いをしていたのに探し出してやれなんだ。許しておくれ。」
龍之介は鳩妓の頭を撫でると天の神の屋敷へ入るように促した。
天の神は、
「話は聞いておるよ。お前さん、辛かったのぉ。じゃが、侵してはならぬ罪であると自覚はあるのじゃろう?両目をくりぬき森の奥深くに捨ててしまえば済むはずの事を、必ず麓まで送り届けておったんじゃからの。お前さんには、一つだけ罰を与える。それは、わしら神が死ぬるまで死ぬことができぬ罰じゃ。もっとも重い罰じゃな。じゃが、心を入れ替え修行に励めばきっといいこともあるじゃろう。わしのそばにいなさい。ここにいれば、悪い心も洗われよう。」

鳩妓は、今では天の神の御使い鳥として働いている。
燃えるような緋い羽根と金色の瞳、そして春風のような優しい羽ばたきで龍之介に会いにくる。
時は移ろい、あの峠の茶屋も跡形もなくなって、今では苔むす杉木立の風景に変わってしまった。
それでも、ここにいていいと言われて、お前が必要だと言われることの喜びをかみしめながら。



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