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二十四 舶来の贈り物。

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これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様とお友達のお話。ここには龍之介と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や人間の子供、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社のたくさんの、おはなし。



去年作った味噌がちょうどいい頃合いに仕上がっている。そして、一昨日の神事で新里芋を山ほど奉納してもらった。今日は里芋の田楽と落ち鮎の串焼きで一杯、蕎麦がきで〆じゃな。
龍之介は想像で鼻を膨らませてふふんと息を吐くと前掛けの紐を締め直した。
太郎はせっせと土間を履き清め入り口の方に箒とちりとりを持って出て行ってしまった。

里芋を全部洗い終え湯気の上がった蒸篭に並べてしばし待つ。
その時、太郎が帰ってきていないのに気がついた。
「おーい、太郎さん?どこにおるのかの?」
龍之介は入り口に出て行くと、太郎が床几を出して何やら話し込んでいる。
「そやからね、わし、もう長いことここの街に住んでますねん。て言うか、生まれも育ちもここですねん!爺ちゃん婆ちゃんはちゃいますけどね。アメリカから船に乗ってきはったらしいけどもや。わしは、外国の言葉は、しゃ、べ、れ、ま、へ、ん!て川の中の生き物にしって欲しいんですわ。なんで、わざと変な外国語混じりの言葉喋りかけてくるねん!って話やん!わからはります?太郎さん。」
床几で太郎の隣に座って捲し立てているのは緑亀朧(みどりかめろう)ミシシッピアカミミガメである。彼のおじいさんはお祭りの「亀すくい」の賞品用の卵を産ませるために連れてこられた。歳をとり、しかも「亀すくい」が下火になったことで川に捨てられた緑亀太の孫にあたる。亀太は生まれた時にはアメリカにいたのだが嫁さんともどもはるばる海を渡り連れてこられた。まだ、世界を巻き込む戦の起きる前のことだ。
亀は万年生きると言うが、亀太はもう亡くなって何十年だ。親父さんも亀太のそばで家族をも受けたのだがそれも遠い昔だ。
生まれてしばらくした亀朧は上流がどうしても気になって仕方がなかった。
ある日意を決して旅に出たが、その頃には戦が激化し、この街は戦火を免れはしたがざわつく心がどうにも落ち着かず上流を目指すのは諦めて今の淀みに住み始めて、もう七十余年となる。亀朧は、その間に何度も出会いと別れを経験したが嫁取りまでには至らなかった。
兄弟もたくさんいるので、自分一人くらい嫁がいなくても困るまい。両親や兄弟はやいやい言うがそんなことは気にも留めていなかったのだ。穏やかに過ぎていたこの刻を乱されるまでは。
「おや、亀朧どうしたんじゃ?朝から大きな声を出して。お前さんが怒るなんて、前は五十年ほど昔じゃなかったかの?水が汚れてゴミが散乱して。あれは、お前が乗り移ったかのような男が動いたことで人の意識を変えたんじゃったの。あの時、お前さんたち一家が逃げられる小川が見つかってどれほど安堵したことか。お、里芋が蒸し上がった。中でどんぐりでも食べながら話をするのはどうじゃろう?」
龍之介が里芋の皮を剥くために蒸篭を盆に乗せ皿と一緒に座敷に持ってきた。
亀朧は土産にと持ってきたオオタニシをたくさん入れた麻袋を渡し足水を済ませ座敷に腰を下ろした。
「まだ暑いゆえに冷たい水が良かろう?栗も時間も、たんとある。言いたいことはみんな吐き出したらどうじゃ。」
龍之介はその麻袋を清らかな小川にザルを置いた中にひっくり返しガラガラと泥を洗い落とすと、タニシが逃げぬように蓋をして泥抜きのために浸けると栗と水を亀朧の前に出してやった。
「それがやねん!龍之介さん!オオクチカワスズキっちゅう魚がおるでしょ?ブラックバスとかいうやつ!あいつらほんまはもう何代もここの川に住んでて日本語かて達者なはずやのにきどりやがって訳のわからへん言葉で減らせら喋りよる!しかもなんでもかんでも食い散らかしよるんですよ。わしらみたいに昔からいる外来種まで最近は目の敵ですわ。わしなんか外国語やら知らんっちゅうねん!みんな仲良うやってたのに。どういうこっちゃ。外国から来た奴らは帰れ!とかいうお人もいはる。そない言われても、もう帰る場所も行くあてもない。どないしたら人の気持ちに応えられますねん?迷惑なんかかけてないと思てるんはわしだけなんやろか。あの淀みは、わしの家やねんけどなぁ。」
亀朧は一気に捲し立てたかと思うと、急にため息をついて冷たい水を一口飲んだ。
「龍之介さん、わしら亀は万年生きるて言いますやろ?ほな、仙人になろう思たらえらいことや。まぁ、わしはそんなんならんでええねんけど。それやったら早い目に逝く訳にはいきませんのやろか。」
亀朧は歯切れの悪い言葉を栗と一緒に飲み込むと、また水を飲みため息をついた。
「今日はもう帰りますわ。えらいおやかましさんで。」

その夜、七輪に串で刺した里芋と素焼きの落ち鮎、オオタニシを炙っていた。味噌は酒で緩めただけにした。いつものように夕映の空を見るために床几を入り口に置くと、七輪もそこに据えた。
太郎が酒とぐい呑を二つ、取り皿やら箸やらを持って出てくると、
「何とも言えん空じゃのう。冥色というよりも摺流しのような墨色じゃな。
明日は雨かぁ。亀朧は土にもくればいいが、あのあたりの木々草花は流れが強いと大変じゃろうの。」
たっぷりと味噌を塗って炙った里芋をホフホフと頬張ると掘り立ての土のような慈愛に満ちた香りが味噌の香ばしさと混ざり合って鼻に抜ける。
今日の肴はいい味に出来上がった。龍之介は味噌の上がり具合に満足を覚えながら酒で喉を潤した。



何日か降り続いた雨もいつしか雲を破り、陽の光に水滴がきらきらと輝き出した午後、一人の精霊が訪ねてきた。襟元は真珠色それが裾にゆくほどに桜色、鴇色(ときいろ)薄紅色、長春色と、徐々に艶やかに濃変わってゆく着物をお引きずりに着こなしている。木賊色(とくさいろ)の帯に若草色の帯締め、髪を玉結びに緩く結い大きな花を一輪飾っている。酔芙蓉のご婦人朱鷺影(ときかげ)だった。
「龍之介さん、亥の子餅の美味しい季節だと亀朧さんにうかがって。最近の亀朧さんの様子についてもご相談したくて参りましたの。」
朱鷺影は酔芙蓉を人枝差し出すと足水もそこそこに座敷のあがりがまちに腰掛けた。
太郎が背もたれのついた座椅子を持ってくると、
「こっちの方が楽じゃからの。」
と世話を焼く。三人分の餅と水出し緑茶を出すと二人は座敷に胡座をかいて座った。
「どうしたのじゃ?この間亀朧がオオクチカワスズキがどうのと言っておったな。そのことじゃろうかの。まさか全滅してくれとか、物騒な話ではあるまい?」
龍之介が笑いながら皿をすすめていると入り口から元気のいい声がした。
「こんにちはー。たくみとこうきと坊です!涼んでもいいですか?」
この三人は、人の子二人と小さな沢の精霊で今は仲良く遊ぶことが多くなっている。
「おお、よう来たの。足水がここにあるから今日は自分らでできるじゃろ?亥の子餅と麦茶でいいか?いつもの席に座りなさい。」
龍之介はお茶の用意を始めた。
三人は朱鷺影を見つけると
「こんにちは!僕はたくみ、こっちがこうきと坊です。精霊さん、きれいなお花。着物が何でこんなふうに色が変わってるん?お花と関係があるん?」
たくみが聞くと、こうきが
「もしかして、酔芙蓉のお花の精霊さん?僕あのお花大好きや。朝は白いのに夕方には赤くなって、ポトって落ちるやん?いつか変わっていくとこを観察しようって思ってるのに気がついたら季節が終わってしまうねん。」
と笑顔で言った。坊は、
「おいらの近くは杉しかないし、暗いからあんまりお花咲かないんだよなぁ。こんなにきれいなお花が咲いたら、杉の爺様ももっとたくさん出てきてくれるかなぁ。」
と真剣な顔で腕組みをした。
たくみがたらいに手ぬぐいを三つ入れて持ってくると
「はい、まずは足水。」
と真面目な顔で手ぬぐいを手渡ししてからニヤリと笑った。
いつもは太郎が渡してくれる。神聖な儀式のように足を清め、この聖域に入ったと実感する。それを自分でしてもいいと言われたことがくすぐったいような誇らしいような気持ちで嬉しかった。
いつもの席に座り餅を食べながら涼んでいると朱鷺影が口を開いた。
「坊ちゃんがたはじめまして。私はこの坊ちゃんの思ったとおり酔芙蓉の朱鷺影と申します。どうぞよろしくね。杉の爺様には時々会いに伺おうかしら。でも、そんなことで出てきてくださるかしらね?」
朱鷺影は三人に挨拶をして笑うと話を始めた。
「確かにオオクチカワスズキのことも気にしておられるんです。でも、亀朧さんは自分が外来種であることをとても恥じておられるのです。人に連れてこられてここに生きてはいるけれど、本来この国にいることすらもおかしな話だと。オオクチカワスズキは、そんなに長く生きるわけではありません。それに、あまり深くそのことを考えることもないようで、どこにいようと楽しければそれが一番と思っているようです。ですが、亀朧さんは長く生きておられるがゆえに外から来た生物がこの国で、この町で我が物顔で色々な生き物に人々に悪影響を与えていることを憂いておられるのです。そんなに思い悩んだとても、来てしまったものをどうこうする事などできはしないとわかっておられるのに。しかも、自らの足でやってきたわけでもないというのに。」
「あの、亀朧さんって、カミツキガメとかワニガメとかかな?なんでそんなに悩んではるの?僕らには何にもできひんけど、聴きたい。真面目に聴きたいねん。」
こうきはカバンからノートを取り出した。たくみも慌ててノートを取り出すと朱鷺影の方を真面目に見つめた。
「あら、まぁ。坊ちゃんがたそんなにお帳面を録るほどではありませんのよ。亀朧さんはね、ミドリガメ。んー、ミシシッピアカミミガメっても言われているわ。私はどちらでもいいんだけど。昔ね、お祭りの縁日なんかで亀すくいなんていう遊戯があってね、坊ちゃんがたの手のひらほどの亀がたくさん売られていたのよ。ところが、いつの間にか廃れてしまって。その上に亀は多産でしょ?それで、とても増えてしまったのよ。さらに亀は長生きなの。亀朧さんはもう七十年は生きておられる。ザリガニやオオタニシやオオクチカワスズキなんかも、昔からそこにいる生き物を食べて減らしてしまっているでしょ?亀朧さんはね、それがとても悲しいの。この国の美しい季節の花々、川の中に生きる魚や川藻、貝。どれもが季節と相まって美しく彩っていたのに自分達が国の外から来たせいで花が、蛍が、お魚が数を減らしている。だからといって食べずにいるわけにはいかない。この矛盾に、いつも頭を痛めていらっしゃるの。」
「ミドリガメ?ミシシッピアカミミガメやったら知ってる。最近水族館にわざわざ捨てにきはる人がいたりして問題になってるやるやんね。お寺の池とか鯉と亀しかいいひんから餌あげたらすごいことになるねんけど、僕は亀さんが餌取りに泳いでくるんみてるの好きやなぁ。」
たくみがそういうと
「特定外来なんとかかんとかやんね?今、増えすぎて問題になってるやつ。ブラックバスとかアライグマとか。オオタニシは在来じゃないんや!ミシシッピアカミミガメも名前から外国から来ましたって感じやもんね。天敵がいないのがあかんねんて。あと、ブラックバスやブルーギルはキャッチアンドリリースって言うて、釣るためだけにいるのがあかんらしい。釣ったら逃さないで持って帰ていたのが、最近はスポーツフィッシングっていうて逃してしまうらしいよ。在来のお魚はリリースで弱って死んでしまう時もあるし、ブラックバスはすごい増えるしものすごく食いしん坊やねんて。在来のお魚がへってしまうので、漁協の人たちが駆除してたりするみたい。なんか変な話やんね。それなら持ってきいひんかったらよかったのに。大人の人達の中にも不思議なことを考える人がいるんやね。」
こうきはノートに特定外来種調べる。と書いた。
坊は
「ふーん。違う国から持ってきて何にするのさ。動物も魚も亀や貝も。他にもあるの?変なの。おいらには難しいことはわかんないけど、住むところがなくなったら動物たちは困るだろうなぁ。」
そう言いながら亥の子餅にかぶりついた。
「そういえば、さっきから朱鷺影さんが言ってるオオグチカワスズキって、在来種じゃないの?日本の名前やん。」
たくみは不思議そうにそう聞いた。
「うむ。それがブラックバスじゃよ。スズキ科の魚でな。旨いんじゃが寄生虫が多いことと、そのリリースとやらで減らんのさ。オオタニシやザリガニも人の洋食化の時に入ってきたんじゃよ。増えるのが早く美味いということじゃった。そうじゃな、人というのは欲や必要に応じて国の外から動物や植物や魚なんかを自国に入れるんじゃよ。食糧難とか、毛皮があれば防寒になるとか、庭に植えたら可愛かろうとか、飼ってみたいとかな。それが施設から事故や嵐で逃げたり大きくなってしまったとか、零れ種で増えたりする。それに、飼いきれぬという理由で野に放つ。ところが国の外から来たものには意外にも天敵がいないことが多い。その上この国の生き物の中に耐性のないばい菌や寄生虫がいたりそもそも在来種が餌となって数を減らしてしまったりするんじゃ。」
「たいせい?ってなんだ?ばい菌や寄生虫って、体にめちゃくちゃ悪いものってこと?」
坊が龍之介の目を覗き込む。
「そうじゃ。普通にこの国にある小さな虫や病気なら自分の体に入っても治す力を持っておる。もちろん弱っていればどんなに力があると言っても負けることもあるんじゃがな。じゃが、今まで出会ったことのない病気や寄生虫にはなかなか体がついてゆかぬ。それに勝つ力を得るためには何代にもわたってその力を備えてゆかねばならぬ。わしらや精霊、仙人であっても出会ったことのない災難には勝てるかどうかわからんこともある。生きとし生けるものは皆出会ったことのない災難と戦うためにはとてつもない力がなくてはならんのさ。それなのに相手が無敵でなすすべもないなんて不公平なことが罷り通るというわけじゃ。それが国を跨いで入ってくる生き物、災いというわけさ。」
子供たちはとても難しい顔でおでこを付き合わせてしかめ面をしていた。
お餅を食べる手すら止まってしまってしばらく沈黙が続いた。

「それで、亀朧さんはどうしてそんなに悩んでるの?て言うか、朱鷺影さんは何でそんなに亀朧さんのこと心配なんだ?お友達だからか。おいらやたくみとこうきみたいに?」
坊が今度は朱鷺影の目を真っ直ぐに覗き込んだ。
朱鷺影ははにかむように微笑むと
「そうね。とても仲の良いお友達よ。亀朧さんはミシシッピアカミミガメの割にはかなり長く生きていらっしゃるのよ。普通は30年くらいが平均寿命なの。それなのにもう70年を悠に超えていらっしゃる。この国に生まれていても外から来た生き物が仙人になったことは今までないのよ。植物の精霊は時々出てくることもある。それでも私たちみたいに長く生きていくことはないの。生命力の割にはね。だから、亀朧さんがちょっと心配で。」
朱鷺影はお茶を飲み亥の子餅を一口齧った。
亀朧は、近頃少し弱ってきている気がする。この川の事をあんなに愛しんで自分が食べるものも多くないように気をつけて、なるべくザリガニやオオタニシなんかを食べ、水草よりも落ちてきた花や増えて困るセイタカアワダチソウの根やクレソンを選んで食べている。彼は彼なりの美学の中で生きているのだ。他のミシシッピアカミミガメがみなそうというわけではないと思う。
ただ、亀朧がこの辺りの川や河原の生き物たちに思いやりを持ち続けているだけなのだ。

「龍之介さん、なんで外国から来た生き物は仙人や精霊になれへんの?何か事情とか、あるんかなぁ。亀朧さんに僕らも会ってみたい。お話聞きたいなぁ。仙人になる動物とならへん動物の違いって何なんやろう。」
こうきが龍之介をじっと見つめる。龍之介は珍しく子供たちに見透かされたような心の痛みを感じた。
「来週の土曜に亀朧と朱鷺影とお前たちでお茶会でもしようかの。栗がたくさん出る頃じゃ。栗餅がいいかの?渋皮煮にするのがいいかな?」
心の痛みを誤魔化すように子供達をお茶会に誘ってはみたが、さてどうしたものか。

空が花色から瑠璃色、鉄紺色へと忙しく暮れて行き辺りには星が瞬き、静かに虫の音が響いている。
いつものように床几を出し、早々に酒徳利とぐい呑み、取り皿やら箸を盆に乗せて太郎はタバコを燻らせていた。龍之介が蓮根と厚揚げの田楽と、川海老を串焼きにして塩をしたのを持ってきた。にんじんと小松菜をピリ辛に炒めた物を小鉢にし、盆に乗せていく。そして太郎の隣に座ると酒をぐい呑に注いだ。
今日は、言葉を交わさずただ風を味わいたい。星を眺めていよう。

「うーん!うまい。龍之介さん、このエビは串に差して炙っただけですか?旨味が甘さとなって喉を楽しませる。しかし何だろうかこの香り。何でしょう?」
太郎の悪戯っぽい笑顔に我にかえると、
「それはの、ごま油をハケで塗りながら炙ったんじゃよ。そこに藻塩をかけてあるんじゃ。ほんの少しだけ川エビのくせに海の香りになるじゃろ?それに殻までパリパリと食べられるゆえ先のあてにはちょうどいいんじゃ。蓮根と厚揚げには少し甘くした味噌を塗っておるゆえ、味が変わってたのしかろう?」
龍之介は太郎のそんな言葉に少しずつ心を落ち着けていった。

木曜の夜から作り始めた渋皮煮もふっくりと仕上がりツヤツヤと器の中でこれから来る客人を待ち侘びている。
「こんにちはー。たくみとこうきと坊です。今日はおなめきありがとうございます!」
「たくみくん、おまねきやん。」
たくみはこうきの顔をハッとした目で見た後
「めっちゃ練習したのに、大事なとこでかむんよなぁ。」
とがっかりしながら、お母さんが焼いてくれたクッキーを龍之介に渡した。
「大丈夫、お前たちが一番乗りじゃからな。聞いたのはわしらだけじゃ。ないしょにしておこうの。」
そう言うと頭をわしゃわしゃと撫でながら座敷に招き、太郎は足湯の手拭いを三人に渡した。たくみとこうきはポケットに靴下を押し込むと足を丁寧に拭い桶に手拭いを掛けると座敷に上がった。
「朱鷺影さん、なんですのんなぁ。沙蘭姫さんまで。わしなんぞやらかしましたんか?こないだのぼやきがあかんかったん?えええぇ。」
亀朧が大きな声で入り口から入るのを躊躇っている声がする。
龍之介は明るい声で迎えに出ることにした。
「なんじゃなんじゃ、亀朧、美しいご婦人方に囲まれて。中に入られよ。沙蘭姫ひさしぶりじゃのぉ。さ、子供たちが待っておるゆえに。座敷に上がりなされ。」
三人は足湯もそこそこに座敷に上がる。
菓子は卓の上に置いてあった。龍之介は熱い緑茶を沙羅姫と朱鷺影、亀朧の前に置き子供たちには温かい麦茶を渡し席に着いた。太郎は子供たちの少し後ろに座っていた。

「さて亀朧、お前がこの間言っておったことを色々と考えてな。沙蘭姫にも同席を願ったんじゃ。あの川に関わることじゃ。姫に一番の権限があるからの。それと、こちらにおるのは、わしらの友達の人の子達じゃ。たくみとこうき、それと杉林の奥の小沢の滝の精霊。まだ名前はできておらぬゆえわしらは小沢の坊と呼んでおる。これから世の中がどのように変わるかわしらにさえ予想もつかぬ。その分岐点とも言えるこの時期にわしらの元にやってきた人の子にもこれからの話を聞いてもらいたくての。坊もこれから名を冠する沢になるであろうと思われる。そのような未来ある若者たちには継承すべきことじゃからの。」
ここまで一気に言うと、龍之介はお茶を一口飲んだ。
たくみとこうきはカバンからノートを取り出した。
「坊ちゃん方お久しぶり。いつも本当によくお勉強なさるのね。これは書き留めておく価値のあることよ。心にも書き留めておいてね。私たち聖霊界仙人界そして神々のためにね。」
沙蘭姫がいつものように優しい笑みを浮かべている。たくみもこうきも居住まいを正し小さく「はい」と答えた。
「あ、あのはじめまして、わし亀朧いいますねん。ミシシッピアカミミガメです。よろしゅたのんます。ほんで、なんですの?皆して集まって。しかも菓子て。わしは落ち葉を水につけたやつでよろしいで。どうせ食べれしまへんねんから。亀でっせ。」
亀朧は、少し縮こまって首をすくめた。朱鷺影がそんな亀朧の背中をさすり笑顔を向ける。
「ふむ。亀朧、お前気づいておるのじゃろう?普通のミシシッピアカミミガメはもうとっくに寿命を迎えておる。お前の兄弟たちも代替わりをしておるはずじゃ。もちろんまだまだ色々なものを見て、学びお前たちが外から来たものたちとの絆を深めなければならぬ。そして、これから何が起こりどうなってるかのかを見据えなければならぬ。じゃが、お前にはその素質があると考えておる。外から来たもの達をよく観察し、ここに昔からある命をよく知る事がお前の天命であるとわしは思うのじゃよ。もちろんまだ入り口じゃ。引き返したいならばそれはわしらが止めることはできぬ。沙蘭姫意見も聞こうかの。」
「そうですわね、川を護るものと致しましては、これからどういう方向に向かおうとも元からこの川に生きるもの達も外から来たもの達ももう私の下で生きる命に変わりはありません。わたくしは公平に護っていこうと思っております。ですが本来ここにあるべき生き物達と外からやってきた生き物達の間には溝もございます。取り持つ者がいてくれると本当に助かりますわ。」
沙蘭姫は栗の渋皮煮を一口食べて、「秋ですわね。」と呟いてお茶をのんだ。
「え?いやいやいやいや、あきませんて、なんでわしですの?そないだいそれたことわしできしませんて。待っとくれやす。こないだ言うたんは、ただの愚痴ですやん。そ、それにわしには誰も残してきた者も居いしません。これからは老いさらばえるだけでっせ。何ができますのん?」
亀朧は一気にまくし立てると緑茶をごくごくと飲み干した。
渋みと甘さが喉を通り越してゆく。初めて味わう味に不思議と違和感はなかった。
「亀朧さん、これも召し上がってみて?龍之介さんの栗の渋皮煮は絶品ですのよ。ねえ、一人ぼっちのようなこと言っていたけど、私たちずっとお友達だったじゃない?私が若木の時から見守ってくれていた。私が朱鷺影と名をいただいた時あなたはとても喜んでくれた。私もあなたをずっとみてきたのよ?だからあなたを推してみたの。この世界は変わり続けるわ。そうして未来に繋がるのよ。あなたがこれからを見るのもいいんじゃないかしら。」
朱鷺影が渋皮煮を皿に取り亀朧に差し出す。
「あの、僕らはノートに何を書いたらいいの?揉めてはるみたいやしここに居ていいんかな。」
たくみが困った顔をして龍之介を見るので龍之介は
「そうじゃな。今からいうことを書いておくれ。亀朧、お前を外から来た者で初めての仙人候補に推すこととする。まだ見習じゃ。日々この川のことを見聞きし、外から来た者達をよく統べ本来この国に生きるものと仲良くするよう精進せよ。これは長きに亘りこの川を見てきたお前にしかできぬこととわしらは考えておる。この願いを聞き入れてはくれぬか?」
そう言うと亀朧を慈愛の目で見つめた。
「こんなん、あかんて言えませんやん。わしでできますやろか。ただの亀でっせ。亀は万年ちゃいますの?たかが七十余年生きてきただけの。つまりは万年生きよ、言うことですか?そろそろ爺さんが迎えにこんかなぁとおもてましたんやで。はぁ。やれるとこまでは頑張ってみます。そやけど、ほんまに独りではそんなできまへんで。朱鷺影かて、そうそう長いことは居れませんやろ?精霊はその草木の命に準ずる、それくらいわしかで知ってます。朱鷺影がいいひんようなったら、わし。」
亀朧はそこまで言うと言い淀み渋皮煮を半分口に放り込みもぐもぐと口を動かした。栗の香りと渋皮の香りそれに奥深い甘味。今まで味わったことのない旨味にぶるりと身震いが起きた。これが、神々や仙人精霊が食べる物の味なのか。飲み下すと喉を旨味が胃の腑まで転がり落ちてゆくのがわかった。思わずもう一口、今度はゆっくりと時間をかけて味わう。そして、「旨い」と、声に出していた。
こうきは、不思議そうにその光景を見ていた。今まで精霊や仙人神々が龍之介が作った食べ物を食べる姿は普通に見てきた。そう、普通だと思って見てきたのだ。だが、今日は違う。動物が、仙人としての一歩を踏み出す瞬間を栗の渋皮煮を通して知ったのだ。こうきは思わずノートにこう書いた。
『動物が龍之介さんの作った物を食べるって言うことは特別なこと。僕らも、それを知っていなくちゃいけないんだ。だけど僕らはまだ子供なんだけど、これからどうなるんかな?』
「さて、亀朧も気持ちを決めたみたいですし、今日はわたくしが朱鷺影とほんの少しだけどお祝いの舞でもしましょうか。」
沙蘭姫がそういい朱鷺影と立ち上がった。
たくみが
「どう言うこと?」
と小声でこうきと坊の方を見て聞いた。
「亀朧さんか龍之介さんの栗食べだろう?普通の動物はあんな風に龍之介さんの作ったものは食べられないんだ。おいら達みたいな精霊と違ってね。たくみとこうきは、何で食べられるかは知らないけどさ。だから、亀朧さんがおいら達の側に来たってこと。そう言う意味じゃたくみとこうきもこっち側なんじゃない?おいら達のこと見えるし。いいじゃん、難しいことはおいら達三人にはまだわかんないんだよ。亀朧さんもおいら達と一緒さ。子供みたいなもんなんじゃないかな。なぁたくみ、お母さんのクッキーおいらにとってよ、届かなくてさ。美味しそうな匂い我慢するの大変だったんだ。」
坊がそう言って笑った。
三人はクッキーを片手に沙羅姫と朱鷺影の舞を眺めた。


夕映えがべに掛けの空色から刻々と蒼を濃くしてゆく。
龍之介は入り口の床机でタバコを燻らせていた。
栗の素揚げと、舞茸とにんじんと長ネギのかき揚げと、豆腐のあんかけを二人分盆にならべ、ぐい呑に酒を並々と注いで太郎に渡す。
「亀朧はあれで良いのよの?朱鷺影はきっと隣に若株を作っておろう。そして沙蘭姫も次をその株に引き継がせるに違いない。あのあたりが酔芙蓉でうまっても美しかろうの。外から来るものを拒むことはわしらにはできぬし、人の欲を無くすることもできぬじゃろう。これから先この国の生き物達がどうなるのかはわしらにすら見当もつかぬ。亀朧のようなどちらのものも公平に見られる生き物に託すのもわしらの使命なのかの。」
太郎は頷くと酒を一口口に含んだ。

秋の日はつるべ落とし、空には上弦の月が輝いていた。
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