僕たちは陽氷を染める

渚乃雫

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第1話 6月1日

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「なあ、千家せんげ。一ヶ月だけ、アルバイト、しない?」

 放課後の教室で、特にすることもなくボンヤリと外を眺めていた俺に後ろの席のソイツはそう言って、笑った。

【6月1日】

 暇だ。

 毎朝、決まった時間に目覚ましに起こされ、学校までの道のりを自転車で通い、ぼんやりと授業を受けて、昼飯を食べ、また授業を受ける。そうしていつの間にか、また代わり映え無く一日が終わり、また自転車に乗り、家に帰るのだろう。

「はよー」
「あ、おはよう!」
「おはよー!」
「朝からうっせーよ!」
「おー」

 朝練に出ていたやつ、眠たそうな顔をしながら登校してきたやつ。朝の教室は少し賑やかで少し気怠げで、部活に所属していない俺は、もっぱら眠たい顔派に属している。というよりは、大体いつも眠たそうだ、などとよく他人から言われる。

 ガタ、と前回の席替えで窓際に当たった自分の席へと腰をおろし、ぼんやりと窓の外を見やる。
 時刻は朝7時50分。
 朝礼の時間までは、あと30分くらいの余裕がある。

 大した中身は入っていない鞄から、一冊の本を取り出し、栞を挟んだ部分を開く。
 今日は、一昨日借りた図書室の本の返却日で、今回はまだ読み終わっておらず、今朝はこの本を読み切るために、いつもよりも早く登校してきたのだ。
 イヤホンをさし、適用な部分で再生ボタンを押し、俺は朝礼の時間までの貴重な時間を、読書の時間に充てることに専念した。

 ー ツン、ツン。

 暫くして、本が終わり間近になった時、横から何かに突かれた気がして視線を動かせば、隣の席の女子が、俺に手を伸ばしているのが見え、イヤホンを外す。

「何?」
「おはよう、千家せんげくん」
「…おはよう」
「そろそろ先生来ちゃうよ」
「ああ、ごめん」

 にっこり、と笑顔を浮かべながら俺に声をかけたのは、俺の右隣の席になった羽白はじろさんで、ふふ、と彼女はもう一度笑う。

 8時25分。
 いつもと同じ、いつもと変わらず、クラス担任が教室にやってくる。
 そうして、俺の1日はまた始まった。

「ーー…であるからして、ここに入る言葉はーー…」

 本日の一時限目の授業、古典。
 うちのクラスの古典担当の先生は、生徒に人気がある。
 授業も分かりやすいし、先生自体も人懐こく、朝一番に数学が入っている水曜日とは違い、皆が起きている割合が高い。
 コツ、コツ、と教室の中を歩きながら教科書を読む先生の声と、足音が近づいてきて、俺のすぐ隣で立ち止まる。

 何だ?とチラ、と教科書から視線を上げれば、隣の席の羽白はじろさんが慌てた様子で、彼女の左斜め後ろを見ており、その視線に沿って、自分の後ろの席を見れば、後ろの席の男子、照屋てるやが、夢の世界へと旅立っている。

 羽白さんの後ろ、照屋の横の席に座る女子、寺岡てらおかさんは「あーあ」という顔をしていて、特に助け舟を出す様子は見受けられない。
 なんとなく、チラ、と先生を見れば、仕方ないなぁ、という表情の先生と視線が合ってしまい、先生は人差し指を唇にあてて、「しー」というジェスチャーをしてニコリと笑う。

 その様子に、俺は黙って、後ろの席の照屋の行く末を見守った。

「何で起こしてくれないんだよー!」
「何回も起こしたのに起きなかったのはアンタでしょ」
「もうちょっと頑張って起こせよ!」
「何であたしが!」

 痛い、と古典の先生に軽く叩かれた頭をさすぎながら言う照屋に「痛いわけあるか」と寺岡さんが呆れた様子でツッコミを入れる。

「なぁ、ひどいと思わないか!千家せんげ!」
「…いや…俺に聞かれても」
「千家のが酷い?!」

 入学してから2ヶ月が経ち、同じクラスであっても席も遠く、特に関わりの無かった照屋と寺岡さんのやり取りは、席替えをした日から、嫌が応でもすぐ後ろで毎日のように繰り広げられる上に、あまり関わるつもりが無かった俺にも照屋てるやは絡んでくるようになり、ここ数日は、休み時間にはすぐに借りてきた本を読むことにしていたのだが、今回は、どうやらタイミングを逃しそうな気配がしている。

「あ!なぁ、なぁ、千家せんげ。それ、一昨日借りたやつだろ?どう?面白い?」

 本を取り出した俺に気がついたらしい照屋がグイ、と身を乗り出して、背後から声をかける。
 やっぱり、と自分の予感が当たったことに小さくため息を吐きつつ、「ああ」と小さく頷きながら答えれば、そんな俺の様子を全く気にすることなく、照屋てるやが「やっぱりー?」と嬉しそうな顔をしながら笑う。

「千家なら面白いって言ってくれるんじゃないかと思ったんだよー!」

 へへ、と妙に嬉しそうに笑う照屋の言葉に理解が追いつかず、首をかしげれば、俺と同じ疑問を持ったらしい寺岡さんが「どういう事?」と俺の気持ちを代弁するかのように、照屋に問いかける。

「いや、オレ、図書委員じゃん?千家がいつも本読んでるから、いつも気になっててさ。読んでる本、いつもチラっと見てたりしてたんだけど」
「……やけに見られてる気がしてたのは、照屋か」
「あ、ごめん」

 本を開く度に、何処かしらか視線を感じる気がしていたのだが、身近なところからだとは、と驚きとともに、少しのため息をつく。

「でも、照屋くん、何でそんなに気になってたの?」

 照屋にそう問いかけたのは、俺の隣の席の、羽白はじろさんで、彼女もまた首を傾げながら、照屋てるやに問いかけている。

「いやぁ、それがさぁ。オレの好きな傾向と、千家せんげの好きな傾向が似てるような気がしてさあ」
「…そうなのか?」
「うん。千家、本格ミステリーとか、純文学、好きだろ?」
「……よく見てるな」
「まあね!図書委員だからね!」

 確かに当たっている。今日、読んでいるものも、図書室で見かけた本格ミステリもので、えっへん、と胸を張っていう照屋の洞察力に、少し感心するものの、だからと言って、何で照屋は妙に嬉しそうなのだろうか、と新しく湧いた疑問に、口を開きかければ、「でもさあ」と聞こえてきた声に、視線をずらせば、今度は、寺岡さんが不思議そうな表情を浮かべている。

「千家くんが好きなものと、善人よしとが好きなものが一緒だったとしても、何で「やっぱり」なのよ」

 寺岡さんの言葉に、さっきの照屋くんの言葉を思い返してみるが、彼は、さっき「やっぱり!」と喜んでいた。やっぱり、とは何なのか。

 そう考えた時に、ふと一つの答えにたどり着き、「もしかして」と呟けば、「え?千家くん何か知ってるの?」と寺岡さんの不思議そうな視線が俺へと映る。

「あー…いや」

 知っているわけじゃ、と言葉を続けようとした時、キンコーン、と授業開始1分前を知らせるチャイムが校内に響く。

「あ」
「おっと!残念!怜那れいな、タイムリミット!」
「まだ1分あるし!」
千家せんげの邪魔になるだろ!」
「え、いまさら?」

 予鈴を聞き、寺岡さんは、「あ」と短く声を零し、照屋てるやは何故か嬉しそうに、寺岡さんにタイムリミットを告げるが、照屋の言葉に、思わず口を挟めば、「あ、うん。ごめん」と照屋がほんの少しだけ申し訳なさそうに笑う。
 その様子を見て、羽白はじろさんは、クスクス、と楽しそうに笑った時、「ガララ」と教室のドアが開いた。

 珍しく。今日は、珍しく、会話をした。
 いや、別に、普段から喋らないわけでも無いし、話しかけられたら会話はするが、何と言うか、会話をした感が、ある。

 まぁだからと言って、何がどうこうなるわけでも無い。借りてきた本を読み終え、昼休みに、返却をし、午後の授業も代わり映えなく過ごし、そんなことを考えていれば、もう帰りのHRになり、クラスメイト達は各々に部活へ行ったり、委員会へ行ったり、帰宅の準備や、帰りに何処かへ立ち寄る約束などをしている。

 新しい本を借りてこなかった俺は、混んでいるであろう昇降口に行く気分にもなれず、人の少なくなった教室で、特に何をするでもなく、ぼんやりと人の流れを眺めていた。
 天気も良い。まだ気温もそこまで高くなく、湿気も少ない。
 風も気持ちがいいし、しばらくボケっとしてから帰るか、と自分の席に座ったまま、肘をついて相変わらずに窓の外を眺めていれば、ふと、カタン、という音が聞こえ、音の方向へと振り返る。

「よっ」
「…おう…?」

 聞こえた声の出処は、いつもなら羽白はじろさんが座っている俺の隣の席からで、そこには明るい声と、人懐こい笑顔を俺に向けた照屋てるやが座っていて、思わず、首を傾げながら答えれば、照屋が、「なあなあ、千家せんげ」と俺の名前を呼ぶ。

「…何?」
「千家って、何かバイトとかしてんの?」
「…いや?特には」

 興味深そうに聞いてくる照屋の質問の意図が汲めず、思い切り不審な表情を浮かべながら口を開けば、「何を聞いてるんだコイツって顔してんね」と照屋が笑う。

「そりゃあな」

 今日の今日までたいして接点の無かった照屋に、唐突にそんな事を聞かれれば、そんな表情にもなるだろうよ、と思いながら答えれば、「そりゃそっか」と照屋は可笑しそうにまた笑っている。

「なぁ、千家」
「…何だ?」

「一ヶ月だけ、アルバイト、してみない?」

 放課後の教室で、特にすることもなくボンヤリと外を眺めていた俺に後ろの席の照屋てるや善人よしとはそう言って、もう一度、笑った。

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