僕たちは陽氷を染める

渚乃雫

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第9話 6月9日

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「おはよう」
「あ、おはよう。千家せんげくん」

 カタン、と引き出し椅子の音が響く。腰を下ろし、カバンの中から朝飯のパンを取り出していれば、なんとなく、視線を感じた気がして顔をあげれば、こっちを見ていたらしい羽白はじろさんと目が合った。

「どうかした?」
「千家くん、それ、朝ごはん?」
「ああ、うん。寝坊した」
「今日はバス?」
「そう。午後に雨降るって言ってたのすっかり忘れてて」
「ふふ、だからか」

 くすくす、と控えめに笑う羽白さんに、首を傾げれば、羽白さんが自分の頭に手をやりながら「寝癖ついてる」と教えてくれる。

「え、マジで」
「うん。ぴょこんって」
「あー」

 鏡なんて持ち合わせていない俺はかろうじて映る教室の窓の反射を利用して髪をなでつけるものの、よくわからない。
 ぼんやりとしか映らない不透明な窓鏡に、若干、首を傾げるものの、ぐうう、と空腹のサインが鳴る。寝癖はまぁ、いいか。そう割り切って、朝飯食おう、とさっきコンビニで買った焼きそばパンの袋を開ければ、カタ、という音と、人が動く気配がする。

「直ったよ」
「……あ、うん?」

 にっこり、と笑いながら伝えた羽白はじろさんの言動に思わず焼きそばパンを食べる手が止まる。

「ん?」
「あ、いや…」

 多分、この子は無意識なのだろう。
 きょとん、とした表情で首を傾げる羽白さんに、心臓のあたりにチク、とした痛みを感じたような気がした。

「ねぇ、なる。なんで高校に入ってまで調理実習なんてものがあるんだと思う?」
「俺が知るか」

 3、4時限目はものすごく久しぶりの調理実習の授業で、家庭科室の中ではブーイングをあげる人間、妙にやる気のある人間、やってもやらなくてもどっちでも良い人間と大きく3つに分かれている。
 当然のことながら、俺はどっちでも良い派だ。やれって言われたらやるけど、やらなくていいならやらない、くらいの感覚だ。
 エプロンをつけ、席につくものの、教室の座席そのままのため、たいして代わり映えは無い。
 あるとすれば、いつもは後ろに座る照屋てるやが、横に座っていて、羽白はじろさんと寺岡てらおかさんと向かい合わせで座っている、ということ位だろう。

「まぁ、でも、今回は割と簡単そうだし」

 口を尖らせている照屋に対し、寺岡さんが宥めるように言うものの、「怜那れいな、全然料理できないじゃん」と言い放った照屋の一言に寺岡さんがキレたのは、言うまでもない。

「じゃあ、えっと、どうしようか」

 料理の腕が壊滅的だと自己申告をしてきた照屋と、照屋いわく、料理の腕は自分と同じくらいだ、という寺岡さん。その二人に包丁を握らせるのは、まだ少し怖い、というのが羽白はじろさんの意見で、この意見には俺を含め、照屋も寺岡さんも同意している。

 今日のメニューが、味噌汁、豚の生姜焼き、卵焼き、人参サラダという献立だ。
 白米は先生がもうすでに大量に炊く準備をしてくれていて、最悪、どの班も米すら食べられない、という心配は要らない。
 豚の生姜焼きなら家で作っているし、羽白はじろさんが料理ができることも、この前のばあちゃん家で食べた味噌汁で知っているし。
 二人で作れるものをサクッと作ってしまえば早く終わるのだろうけど、それだと授業にならないからダメだ、と家庭科の先生が言っていたし。さて、どうしよう。
 そう考えたのであろう羽白さんの困ったような表情に、「あー…」と少し考えながら、口を開く。

「とりあえず、俺と照屋てるやで生姜焼きと人参サラダを作ろうか?人参サラダは、ほとんど包丁使わないし」
「じゃあ、私と怜那れいなちゃんで卵焼きとお味噌汁、でいいかな?」

 各テーブルに置かれた食材の前に立っていた俺と、俺の横にいた羽白はじろさんが、俺と食材を交互に見たあと、小さく頷きながら口を開く。

「で、いいか? 二人とも」
「お任せします…」
「ごめんね、帆夏、千家」

 ちょこん、と所在無さげに、困った表情を浮かべながら椅子に座っていた照屋てるや寺岡てらおかさんを見て、ふふ、と笑う。

「二人とも、大丈夫だよ。そんなに難しくないから。ね、千家せんげくん」
「ああ」
帆夏ほのか、ほんと?嘘ついてない?」
「本当だってば。ほら、手、洗っちゃお?」
「よっしゃー!そうと決まれば美味いの作るぞ!」

 羽白はじろさんの笑顔に後押しされたのか、寺岡さんと照屋てるやが、元気を取り戻して手洗いをしに行く。
 その後ろを、ふふ、と楽しそうに笑う羽白さんを見て、俺もまた小さく笑い声を零した。

「照屋、ストップ」
「へ?」
「そこに手を置いといたら指切るから、こっちを持って」
「お、なるほど」
「で、また持つとこが小さくなったら、こうして」
「……なる、早い」
「早くない」

 ピーラーを使い、するすると人参の薄切りをしていく照屋てるやを横目に見ながら、生姜焼き用の玉ねぎを切っていく。
 時々、ひやりとする瞬間はあるが、まぁそこは運動神経もいい照屋なだけあって、いまのところは怪我をせずに順調に薄切り人参の山を作り始めている。
 テーブルの反対側では、羽白はじろさんが寺岡さんに、「ここをこうして、こうで……」と俺と同じように説明をしていた。前回は班が違ったから見る機会がなかったし、店番の時はもうすでに味噌汁が出来上がっていたから、初めて見る羽白さんの様子が少し新鮮で思わず、じい、と見てしまう。
 そんな時、ふいに顔をあげた彼女と視線が合わさる。

「?」

 見られていたことに、きょとん、という顔をした羽白さんが、口を開きかけた時、「出来た!」と元気よく聞こえた照屋の声に、慌てて視線をそらした。

「お、照屋班、いい感じじゃないか」
「あ、先生!」

 室内で悲鳴やら、何かを落とす音やら、若干の焦げ臭い匂いやら、様々な音などが鳴り響く中、家庭科担当の先生が、俺たちの班の見回りにやってくる。

「見てこれ、凄くない?」
「どれどれ。おお、随分と長いものを作ったね」

 ドヤ顔をしながら照屋てるやが先生に見せたのは、いかに途切れること無く人参をピーラーにかけ続けられるか、という謎の挑戦をした結果で、何気に結構な長さになっている。
 むしろ縦にピーラーをかけるように言ったはずなのに、何でいつの間にか斜めに回してるんだよ、と妙な器用さに若干のため息を吐けば、先生がくくく、と笑って口を開く。

「でもなぁ、照屋、これ、あとで切っちゃうよ?」
「え、そうなの!?」
「レシピに書いてあるでしょ。一口大に、って」

 先生の言葉に地味にショックを受けている照屋に、先生はクツクツと面白そうに笑い、照屋の肩を軽く叩き「ドンマイ」と声をかける。

「それにしても」

 照屋を見て、ひとしきり笑った先生が、何故だか俺を見て愉快そうな表情をしている。

「ほんとにダークホースだよなぁ。千家せんげって」
「…はい?」

 調理終了目安時間もあと10分を切ったし、もう肉を焼いてもいいだろう、と豚肉の調理にかかっていた俺を見て、先生は頷きながら照屋の横に並ぶ。

「そう思わないか?照屋てるや
「なるの何がダークホース?」
「おいおい、照屋、ちゃんと見てるか?あの姿」
「なるが料理してる」
「いや、そうなんだけど、それだけじゃなくてだなぁ」
「えー、どういうことー?」

 じゅう、じゅう、と焼けていく油の音ともに、ガヤの視線と会話が煩い。煩い、という意味をこめて先生を軽く呆れた視線を送れば、先生は俺の視線に気がついた癖に、それを無視してまた照屋てるやと話し始める。もういいや、としばらくの間、照屋と先生の会話を意識から遮蔽することに決めた。

千家せんげくん、お皿ここに置くね」
「あ、ありがとう」
「千家、普通に美味しそうな匂い」
「…まぁ、食べられる味だ」

 皿を用意してくれた羽白はじろさんに礼を言いながら、皿を手に取れば、羽白さんにぴったりとくっつきながら寺岡てらおかさんがフライパンを覗きにきた。

 兄貴が教えてくれたのは、最後に生姜を入れて、香りを残しておく作り方で、教科書のレシピとは違ってはいたものの、どうせ食べるならそっちがいい、と勝手に順番を変えたのだが、その匂いに釣られたのが、もう1人。

「うっわ、美味そうな匂い!腹減ったぁぁ」

 そう言って、4枚並べた皿に出来上がった料理を移している時に現れたのは、ついさっきまで先生と話していた照屋てるやで、いつの間にか先生はまた別のテーブルの女子と、きゃっきゃ言いながら話をしている。
 話し相手を終えた照屋は、フライパンの中に、よだれを垂らすのでは無いかという勢いで料理を凝視している。
 そんな照屋の様子に、思わずくつくつ、と笑い、テーブルに準備してあった盛り付けようの皿とは別の小皿を一枚とって、口を開く。

「味見するか?」
「いいの!? するする!」

 ぶんぶん、とまるで尻尾が生えて全力で振られているような気すらする照屋の様子に、くっ、と小さく吹き出せば、照屋もまた楽しそうに笑った。






【6月9日 終】
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