僕たちは陽氷を染める

渚乃雫

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第13話 6月13日

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 ガチャ、と静かだった家に音が響く。

「父さん? 忘れ物?」

 ついさっき、母さんを迎えに行きがてら買い物に行く、と家を出た父さんが、何か忘れ物でもしたのか、と開けっ放しにしておいたリビングのドアに向かって声をかける。

「あれ? 成浩なるひろ一人?」

 そう聞こえた声は、俺の予想とは、違うものだった。

「……なに?」
「いやー?」

 にこにこ、と妙に楽しそうな表情を浮かべて、リビングのソファの背もたれから腕を伸ばしながら、台所にいる俺を眺めているのは、都内で一人暮らしをしている俺の兄貴だ。今日、帰ってくるとは聞いていなかった俺は、てっきり父さんだと思っていたところに急に兄貴が現れて、思わず「うわあ?!」と変な声をあげた。
 そして、そんな弟に、けらけらと笑いながら「成浩の淹れたコーヒーが飲みたいんだけどさ」と駅前のドーナツ屋の箱を見せながら笑った兄貴は、帰宅して早々、もうすでにちゃっかりとソファに座っている。

「母さんたちは知ってるの?」
「帰ってきてること? ああ、知ってるよ。そもそも今日、泊まるしな」
「え、そうなの」
「おう」

 兄貴が泊まる。
 ただ、それだけの事なのだが、普通に嬉しい。
 お湯でとくだけのインスタントコーヒーではなくて、ドリップ式のコーヒーを選んで良かった。
 よく分からないが、そう思いながらコーヒーを準備していれば、「あ、そうだ」と何かを思い出したらしく、兄貴が軽く手を叩く。

「成浩、明日はなんか用事ある?」
「…いや、特に何もないけど」
「無いのか」

 フィルターにセットしたコーヒー粉末に湯を注げば、コーヒーの匂いが部屋の中に漂う。
 コポコポコポ、と小さな音を立てるコーヒーを眺めながら「帰宅部だし」と兄貴に告げれば、「知ってる」と兄貴が笑う。

「はい」
「お、さんきゅー」

 ソファから伸びていた兄貴の手にコーヒーカップを手渡せば、「あー、いい匂い」と兄貴はしばらく匂いを堪能したあと、カップに口をつける。
 自分の分のコーヒーを持ち、兄貴の反対側へと腰をおろせば、「学校どう?今どれくらい図書室の本よんだ?」と兄貴が唐突に質問をぶつけてくる。

「いきなりそれ?」
「そう? 気になるじゃないか。成浩があそこを選んだ理由だろう?」

 高校を決める時に、兄貴の通った高校も検討はしたものの、私立だったし、家から少し遠い。
 どうしてもその学校で学びたいものがある、とかそんな理由も特に無かった俺は、いくつかの学校見学をした際に、今の学校の図書館が、一番充実していて、一番大きかった、という理由が学校を選んだ。しかもそれが決め手となった。あとは、たまたまだが、家からも一番近い。
 両親も、兄貴も最初は驚いていたが、俺の本好きは今更か、と特に今の学校を選んだことに反対することなく笑ってくれていた。

「始めのうちは結構ハイペースで読めてたけど、最近はあんまり」

 ここ数日は、帰宅してからを除けば昼休みと、ばあちゃん家に居るとき以外は、借りてきても、ほとんど読み進められずにいる。
 それもこれも、照屋てるやや、他のクラスメイトとの会話が増えて、本を開いたとしても、読み進められずそのまま閉じてしまうことが多い。
 もう少し色々と読みたいのだが、構わないと構わないで照屋がうるさいしなぁと小さくため息をつけば、「まあ、まだ時間はあるさ」と兄貴は笑う。

「他には? 例えば、そうだね。友達はどうだい? 良い出会いはあった?」
「良い出会い…」
「そう。例えば…ボクと西みたいな、言いたいことが言い合えるような、そんな友人とかね」

 西さんは兄貴が高校に入ってから出来た友人で、兄貴の口から出てくる会話のほとんどに西さんが登場している気がする。それくらい西さんはとても大事な位置にいるらしい。

「言い合い……」

 昨日のアレは、言い合いと、言うのだろうか。
 結局、なんであんなに言い争う必要があったのか未だによく分からない。
 けれど、あんな風に誰かと言い合ったのは、照屋が初めてだった。

「思い当たる子がいるのかな?」

 考え込んだ俺を見て、兄貴が、ふふ、と俺を見て嬉しそうに笑う。

「………昨日」
「昨日?」
「…昨日、喧嘩? した」
「疑問系だね?」
「……喧嘩、というのかどうなのか、だったから」

 そう言って、コーヒーを飲んだ俺を見て、「おやおや」と兄貴が珍しいものを見た時と同じような声を出す。
 その声に何故だか、見透かされているような気分になり、チラリ、と兄貴を見やれば、兄貴が妙に嬉しそうに笑っている。

「……なに?」

 なんとなく気恥ずかしくなって、コーヒーカップに口をつけたまま問いかければ、「いや、成浩、楽しそうだなあと思ってね」と兄貴がまた笑う。

「……俺が?」
「うん」
「……楽しい、というか、ここ数日まいにち騒がしい、というか」
「うん」
「最初は突然すぎて、よく分かんなかったっていうか…」

 ずっと、何で俺なんだろう、と思っていた。
 照屋なら、店番を誘える奴なんていくらでもいるだろ、と思っていたけど。
 でも。

「誰でもいい、ってわけじゃ、ないんだよな」

 好きなものを、それを同じように好きだという人と一緒に楽しむ。
 これは、相手が誰でもいいわけじゃ、ない。
 俺が、本が好きで、俺の好きな本の傾向が、照屋と似てたから。
 だから、あの日、声をかけてくれたんだろう。
 コーヒーカップの中に視線を落としながら、そんな風に考えていれば、コト、と小さな音がする。

「相手の子は、よく成浩を見てくれてたんだね」

 優しい声色に視線をあげれば、兄貴が俺を見て、ふふ、と小さく笑う。

「あの高校、選んで良かったね。成浩」

 兄貴のその言葉に、俺は「ん」と短く、小さく頷いた。






【6月13日 終】
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