盈月の約束    ー 陰陽師見習いの男子高校生には、吉備真備の魂に刻まれている ー

渚乃雫

文字の大きさ
14 / 42
第一部

第14話 夢買ふ人

しおりを挟む
「ほう? それで朝からそんな頑張っていると」
「頑張ってる、っていうか、何ていうか?」
「まあ別にいいんじゃないですか? そろそろ自分の身は本当に自分で守らなくちゃですし」
「それ、昨日、白澤はくたくも言ってたけど何かあるのか?」
「まだ秘密です」
「またそれ?」

 学校に居たはずが、いつの間にか自宅に戻っていて、しかも時刻もかなり進んでいて。その上、目が覚めた瞬間に、一つ目には抱きつかれて大泣きされ、その声を聞いた白澤が飛んできて説教されること数時間。
 やっとのことで眠りにつき、目が覚めた今朝。
 なんとなく、本当に自分でも理由なんて分からないけれど、なんとなく、きちんと修行をすべきなのかも知れない、と思った俺は、朝から家の敷地内にある書庫に籠もって、いくつかの書物を手にとっていたところだった。

「まあまあ、ちょうどいいじゃないですか。坊っちゃん、今日は念のため大事をとって学校はお休みになってますし、私も付き合いましょうか?」
「お、本当に? 読めないところとかもあって困ってたんだ」
「辞書持ってきましょうか?」
「教えてくれるんじゃないのかよ?!」
「前にも言ったでしょう? 自分でやってなんぼだって」
「えぇぇぇ……これ読み解くだけで何日かかるんだよぉ……」

 紐で綴じられた昔ながらの本と巻物を前に、がっくりと肩を落とした俺に、ぬえは「まあまあ」と言いながら、いくつもの巻物を、「ハイこれも」と俺の前の書物の山に追加していく。

「なぁ、鵺。もう座ってる俺の背丈を超えそうなんだけど」
「大丈夫ですって」
「何を根拠に」
「開いてみれば分かりますよ。多分」
「……多分って」
「百聞は一見にしかずですよ、坊っちゃん」

 はらり、と結んであった巻物の紐をほどき、俺の手の上に転がした鵺に、分かるわけないじゃん、と言おうとした言葉が、文字を目にし止まる。

「……なんで?!」
「何でって、当たり前でしょうに」
「いや、待って、何が?! だって俺、古文とかまあまあ苦手だけど?!」
「そりゃあ種類が違いますからね」
「種類って…なに?」

 パラパラと手に持った本のページを捲りながら、鵺は少し考えたあと、口を開く。

「翻訳機能搭載、みたいな?」
「誰に?」
「坊っちゃんに」
「俺に?!」

 人差し指を片頬にあて、小首をかしげながら言う鵺の言葉に、驚きながら自分を指差せば「何をいまさら」となぜかものすごく呆れられている。
 なんでだよ!

「だって坊っちゃん、小さい頃から見てるじゃないですか、これ」
「これ?」
「それ」

 とん、と自身の持っていた本を閉じながら言った鵺の言葉に、またさらに首をかしげる。

「なぁ、鵺、さっきから鵺といつも以上に意思疎通が出来てない気がするんだけど」
「んー。そうは言われても、分からなかった頃に戻すってのは出来ないですし」
「いや、それはそうなんだけど……」

 一度知ってしまったからには、知らなかったことには出来ない。
 鵺が昔からよく言う言葉だけど。
 俺はいま、なんで俺がこれを読めるのか、が知りたいのだけど……。分かっていてはぐらかされているような気になり、鵺をジ、と見やれば、「坊っちゃんは欲しがりさんですね」と鵺が妙な言葉と溜息を吐いた。

「坊っちゃんにしてみたら昔から慣れ親しんでいる文字なんですよ。この手の本は」
「そんな記憶さっぱり無いんだけど……いつから?」

 この文章とも言えないような、漢字の羅列に、記号の数々。
 一部は、じいちゃんや白澤、鵺に教わって知っているものもあるけど、それにしたって、いつから、何で?

「もう、言ってしまうなら生まれてからずっと、ですかね」
「生まれてから……」
「絵本のかわり読んでたりしてましたからね、十三代目が」
「父さん?! 何してくれてんの?!」

 驚く俺を全く気にすることなく、鵺はほんの一部を指さす。

「ほら、このあたりの字列。読めるでしょう?」
「蘇婆訶って、これ『ソワカ』、だよな。呪で使うやつ。確か……なんちゃらになりますように、とかそんな意味の……」
「そうですね。あと祓詞はらえことばとかも、十二代目や十三代目のをいつも聞いているでしょう?」
「……聞いてはいるけど……ぼんやりだ」
「それは坊っちゃんがちゃんと聞いてこなかったのが悪いんです。まぁ、でもとりあえず、坊っちゃんはスラスラ読めるはずなんで、とりあえずこの山、午前中に読んじゃいましょう」
「……え…」
「大丈夫ですって。これくらいなら。今までサボってたんですから取り戻すんでしょう?」

 にっこり、という効果音がぴったりな満面な笑みを浮かべた鵺に押し切られる形で、俺は泣く泣く山積みにされた書物に手を伸ばしたのだった。


 文字とおり山積みにされた本のうちの一冊。
 宇治拾遺物語うじしゅういものがたり、第百六十五話.巻十三ノ五話、夢買ふ人。
 『夢買い』
 他者の見た夢を、買い取ること。吉夢でも悪夢でもどちらでも可能。

「夢、買い」

 どこかで聞いたことがあるような気がする。

「備中…の国司……名は……」

 ー お前、名は?
 ー 吉備真備きびのまきび、さ。
 ー 吉備、備中の者か
 ー そう。流石、阿倍仲麻呂あべのなかまろ殿だね
 

 「仲麻呂! それならば、君の夢を僕に売ってくれ!」
 
 僕の言葉に、振り返った友が、目を見開く。
 
 「真備、こんな時になにを」
 「こんな時だからだ、君だからだ! 僕にとっての、君だからだ!」
 
 涙で、彼の顔が、見えなくなりそうだった。
 
 「言え! 友よ! 君の夢を、僕が買おう! この命をかけて!」
 
 そう叫んだ僕の声に、友の口が開く。
 
 「真備! 俺の夢はーー」


「あべの、な」
「……っちゃん、坊っちゃん!」

 ぺちぺちと俺の頬を叩く必死な顔をしたぬえと、目が合う。

「ぬ、え?」

 どうしたの、と声にならないまま目で問いかければ、鵺がはあああ、と本当に深い息を吐き出す。

「うん? え?」
「……無事ならいいんです。何もなかったのなら、それで」
「無事? 何、で俺、また泣いて」

 ひょいと俺が持っていた本を自身の手に移しながら、頬を一撫でした鵺の手が、俺の頬に流れていた涙を拭う。彼の手はひやりとしていて気持ちいい。

 思わず目を閉じた俺に、「休憩しましょう、坊っちゃん」と鵺がいつもと変わらない声で、俺に言った。


「はい、麦茶」
「あ、うん」

 ずいと眼の前に出されたグラスを受け取り、口元へと運ぶ。
 あんな山、絶対に読みきれないと半ば自棄になりながら読み始めたものの、ものの数分で、山積みの大量の本というマイナスな感情、よりも読める楽しさが勝った。
 気がつけばもう最後の本の、終わり部分に差し掛かっていて、時間もだいぶ経っていたらしい。
 鵺の持ってきてくれた麦茶が、身体の中を通っていくのがよく分かる。

「っはぁー」
「一気飲みですね。おかわりいります?」
「いや、大丈夫」

 カランと液体がなくなったグラスの中の氷が静かな音を立てる。

「なぁ、鵺、俺が最後に読んでいた本」
「……気になりますか」
「アノ人の声が、聞こえた。その本から。途中までは普通だったのに」

 そう言って、鵺の手に渡った最後の本を見やれば、鵺がどこか痛みを堪えているような表情をしながら、「でしょうね」と静かに答える。

「なあ、鵺」
「……はい」
「その本、さ」
「気に、なりますか」
「うん」

 そう言った俺を見て、鵺はほんの少し視線をさげたまま、持っていた本を手渡す。

「真っ白になってる」

 ついさっきまで、表紙も、中身も書いてあったのに。
 今は何もない、ただの紙の束。
 ざらりとした感触だけが、指先から伝わる。
 何で、と問いかけようとした言葉は、いつもとは違う鵺の様子に、声にならずに止まる。

「なぜです。私を置いていった貴方なのに。なぜこんな本を、ここに預けたのです」
「鵺?」

 苦しそうな表情のまま、視線をあげた鵺と目があう。
 それなのに、鵺は俺を見ていないような気がして。

「鵺?」

 彼の名をもう一度呼んでも、鵺は俺を通して、違う誰かを視ている。

「どうして、坊っちゃんの中なんです? どうして、坊っちゃんを選んだんだ。真備」
「真備、って、鵺。まさか」

 ー 「すまんな、我が子よ」

「その声、は」

 ー 「今だけ、代わっておくれ」
 
 一番近くに居た大切な人が泣く声に、遠くから聞こえた優しい声が、俺の瞼をそっと伏せた。












しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

月華後宮伝

織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします! ◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――? ◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます! ◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

処理中です...