7 / 7
1冊目 とある林檎の話
第7話 明日の朝まで、おやすみなさい。
しおりを挟む
「先生、また痩せた?」
封印の魔法のあと、意識を失った師匠をケビンは軽々と寝室まで運ぶ。
「今回は魔力の消費が激しかったからね」
「そっか……湊、大丈夫か」
「僕? 僕は平気ですよ」
「嘘だな」
「嘘って」
「俺たちは騙されないぞ。な、ニルス」
「そうだよ。それに、湊、クマが出始めてる」
「……え、そんなに酷いですか?」
「うん」
ベッドに寝かせた師匠の規則正しく動く胸のあたりをぼんやりと眺めながらケビンとニルスの問いかけに答えていたものの、僕の顔を覗き込んで顔をしかめた彼女に問いかければ、彼女は大きくうなずく。
「ひとまず、みんな休息が必要、だな」
「そうだね。湊、今日はもうお仕事終わり!」
「ですが、まだ表も閉めていないですし」
「そのあたりはあたしたちに任せて湊は部屋に戻ること!」
「や、でも」
「ケビン」
「あいあいさー」
そう言って、ニカ、と笑ったケビンと視線が交わる。
じり、と近づいてきたケビンから足を一歩引けば、左の肩が壁にぶつかる。
「湊」
「わ、ちょっ、ケビン?!」
「捕まえた」
強めの光がケビンの瞳に宿った、と思った瞬間、急な浮遊感と視線が動く。
気がついた時には、ケビンの腕が僕の膝裏と背中に回されていて。
僕はいわゆるお姫様抱っこ、と呼ばれる格好でケビンに持ち上げられる。
「ケビン、おろしてくださいっ」
「駄目だよ湊。ふらふらしてた」
「してません」
「いーや、してたね」
ふふん、と言って笑うケビンの腕から降りようともがくものの、鍛えているケビンに力勝負で勝てるわけもなく。
「暴れるならこのまま部屋まで走ってっちゃうもんね!」
「う、わっ?! わ、ケビ、ちょ、揺れる!!」
「おりゃぁー!」
ニヤリとした笑顔を浮かべて僕を見下ろしたケビンが、僕を抱えたまま廊下を走り出した。
「はい、到着っ」
「……お疲れ様でした……」
途中から、おろしてくれと頼むことを諦めた僕は、ひとまずは部屋のベッドにおろしてくれたケビンに労いの言葉を伝える。
「にしても湊といい、先生といい軽すぎだろ」
「僕は普通ですよ」
ベッドに腰をおろしたままの僕を見て、ケビンの瞳が少し細まる。
「普通の人はこんなに華奢な手首してないよ、湊」
そう言って、ケビンは僕の手を持ち上げ、きゅ、と軽く握り僕を見やる。
「いつから?」
「いつから、とは?」
「この任務の前は、もうちょっと掴み甲斐があったよ。いつからこんなだったの」
「……ケビン?」
掴まれた手首は、決して痛くはない。
でも。
僕を見るケビンの瞳が、心の奥をグッ、と掴んだ気がする。
「ケビン、あの……」
なんで胸が痛いのだろうか。
理由が思い当たらない。
確かに、色々と忙しくて食べる量は減った。
それに、魔力を多く使ったから、食べても食べても、吸収されていなかったと思う。
でも、師匠ほどじゃない。師匠の足元には、足元すら、届かない。
「湊?」
そんな風に考えたら、言葉が止まった。
言葉が止まったせいなのか、心なしか頭の奥がグラグラしている気がする。
そして、そんな風に黙った僕を見て、ケビンは「はぁ……」と小さくため息をついたあと、掴んでいた手を緩め、僕の手首を撫でる。
「明日の朝、湊の好きなものを作るよ。何がいい?」
いつもの、夏休みの子どもたちのような笑顔ではなく、雪が降った日の朝の太陽のようにケビンは笑う。
「…………チーズ、……」
「チーズ?」
そのケビンの笑顔に、後押しされるように口を開けば、ケビンが僕の言葉を繰り返す。
「ええ。それと、卵焼きが乗った」
「とろとろチーズトースト、だろ?」
「そ、うです」
どうしてだが、ケビンの言葉が遠くに聞こえる気がする。
「分かった」
「ケビン、なんで」
「……湊、もう寝ていいんだよ」
「僕、は」
「大丈夫。皆いる」
「ケ、ビン」
ケビンが何かを言った気がしたけれど、僕には聞き取ることができなかった。
◇◇◇◇◇◇
「やっと寝たのか愛し仔は」
「……珍しいですね、貴方が私をここに連れてくるとは」
草原のような場所に立っている、と思った瞬間、さわりと吹き頬をかすめた柔らかな風に、この場の主を認識する。
「そうか? 何、たまにはもう一人の愛し仔の顔も見ておかぬとへそを曲げるだろう?」
風に溶ける声と同時に目の前に現れたのは、白く長い髪を水色の紐で束ねた人ならざる者。
「……そんなことはありませんが」
ふふ、と悪戯が成功したような表情を浮かべている彼に、思わず苦笑いを浮かべれば、彼は愉しげに笑う。
「ハッハッ、なに、ほんの少しの戯れよ。いい、そのままにしていろ」
風の精霊王を前に、膝をつこうとした自分を、目の前の人ならざる者が止める。
「本当は、幼い愛し仔のもとに行こうと思ったんだがなぁ。いまあちらに顔を出したらアイツが怒るからなぁ」
「……お願いですから、あの家は壊さないでくださいね?」
「なに、喧嘩なぞ我はせぬ」
しれ、とした顔で言う風の精霊王に、過去のアレコレを思い出し、小さくため息をはく。
「なんだ、愛し仔、何か言いたげだな?」
「いえ……特には……」
「我もすまないとは思ってはいるのだぞ?」
「承知しております。ですから、今日はあの子の元には行かないのでしょう? ウィンディ」
「おう。だが、近いうち、必ずや会いに行こうぞ」
「……いらっしゃる時は、弱めの風でお願いします」
ふわ、どこからか吹いてきた風に、黄色の花びらが舞う。
あの花は、なんだっただろうか。
そう考えた時、クツクツ、と愉しげな笑い声が耳に届く。
「愛し仔の願いだ、聞いてやろう」
『おれは優しいからな』
柔らかな風に溶けた声が、もう一度、愉しげに笑って消えた。
封印の魔法のあと、意識を失った師匠をケビンは軽々と寝室まで運ぶ。
「今回は魔力の消費が激しかったからね」
「そっか……湊、大丈夫か」
「僕? 僕は平気ですよ」
「嘘だな」
「嘘って」
「俺たちは騙されないぞ。な、ニルス」
「そうだよ。それに、湊、クマが出始めてる」
「……え、そんなに酷いですか?」
「うん」
ベッドに寝かせた師匠の規則正しく動く胸のあたりをぼんやりと眺めながらケビンとニルスの問いかけに答えていたものの、僕の顔を覗き込んで顔をしかめた彼女に問いかければ、彼女は大きくうなずく。
「ひとまず、みんな休息が必要、だな」
「そうだね。湊、今日はもうお仕事終わり!」
「ですが、まだ表も閉めていないですし」
「そのあたりはあたしたちに任せて湊は部屋に戻ること!」
「や、でも」
「ケビン」
「あいあいさー」
そう言って、ニカ、と笑ったケビンと視線が交わる。
じり、と近づいてきたケビンから足を一歩引けば、左の肩が壁にぶつかる。
「湊」
「わ、ちょっ、ケビン?!」
「捕まえた」
強めの光がケビンの瞳に宿った、と思った瞬間、急な浮遊感と視線が動く。
気がついた時には、ケビンの腕が僕の膝裏と背中に回されていて。
僕はいわゆるお姫様抱っこ、と呼ばれる格好でケビンに持ち上げられる。
「ケビン、おろしてくださいっ」
「駄目だよ湊。ふらふらしてた」
「してません」
「いーや、してたね」
ふふん、と言って笑うケビンの腕から降りようともがくものの、鍛えているケビンに力勝負で勝てるわけもなく。
「暴れるならこのまま部屋まで走ってっちゃうもんね!」
「う、わっ?! わ、ケビ、ちょ、揺れる!!」
「おりゃぁー!」
ニヤリとした笑顔を浮かべて僕を見下ろしたケビンが、僕を抱えたまま廊下を走り出した。
「はい、到着っ」
「……お疲れ様でした……」
途中から、おろしてくれと頼むことを諦めた僕は、ひとまずは部屋のベッドにおろしてくれたケビンに労いの言葉を伝える。
「にしても湊といい、先生といい軽すぎだろ」
「僕は普通ですよ」
ベッドに腰をおろしたままの僕を見て、ケビンの瞳が少し細まる。
「普通の人はこんなに華奢な手首してないよ、湊」
そう言って、ケビンは僕の手を持ち上げ、きゅ、と軽く握り僕を見やる。
「いつから?」
「いつから、とは?」
「この任務の前は、もうちょっと掴み甲斐があったよ。いつからこんなだったの」
「……ケビン?」
掴まれた手首は、決して痛くはない。
でも。
僕を見るケビンの瞳が、心の奥をグッ、と掴んだ気がする。
「ケビン、あの……」
なんで胸が痛いのだろうか。
理由が思い当たらない。
確かに、色々と忙しくて食べる量は減った。
それに、魔力を多く使ったから、食べても食べても、吸収されていなかったと思う。
でも、師匠ほどじゃない。師匠の足元には、足元すら、届かない。
「湊?」
そんな風に考えたら、言葉が止まった。
言葉が止まったせいなのか、心なしか頭の奥がグラグラしている気がする。
そして、そんな風に黙った僕を見て、ケビンは「はぁ……」と小さくため息をついたあと、掴んでいた手を緩め、僕の手首を撫でる。
「明日の朝、湊の好きなものを作るよ。何がいい?」
いつもの、夏休みの子どもたちのような笑顔ではなく、雪が降った日の朝の太陽のようにケビンは笑う。
「…………チーズ、……」
「チーズ?」
そのケビンの笑顔に、後押しされるように口を開けば、ケビンが僕の言葉を繰り返す。
「ええ。それと、卵焼きが乗った」
「とろとろチーズトースト、だろ?」
「そ、うです」
どうしてだが、ケビンの言葉が遠くに聞こえる気がする。
「分かった」
「ケビン、なんで」
「……湊、もう寝ていいんだよ」
「僕、は」
「大丈夫。皆いる」
「ケ、ビン」
ケビンが何かを言った気がしたけれど、僕には聞き取ることができなかった。
◇◇◇◇◇◇
「やっと寝たのか愛し仔は」
「……珍しいですね、貴方が私をここに連れてくるとは」
草原のような場所に立っている、と思った瞬間、さわりと吹き頬をかすめた柔らかな風に、この場の主を認識する。
「そうか? 何、たまにはもう一人の愛し仔の顔も見ておかぬとへそを曲げるだろう?」
風に溶ける声と同時に目の前に現れたのは、白く長い髪を水色の紐で束ねた人ならざる者。
「……そんなことはありませんが」
ふふ、と悪戯が成功したような表情を浮かべている彼に、思わず苦笑いを浮かべれば、彼は愉しげに笑う。
「ハッハッ、なに、ほんの少しの戯れよ。いい、そのままにしていろ」
風の精霊王を前に、膝をつこうとした自分を、目の前の人ならざる者が止める。
「本当は、幼い愛し仔のもとに行こうと思ったんだがなぁ。いまあちらに顔を出したらアイツが怒るからなぁ」
「……お願いですから、あの家は壊さないでくださいね?」
「なに、喧嘩なぞ我はせぬ」
しれ、とした顔で言う風の精霊王に、過去のアレコレを思い出し、小さくため息をはく。
「なんだ、愛し仔、何か言いたげだな?」
「いえ……特には……」
「我もすまないとは思ってはいるのだぞ?」
「承知しております。ですから、今日はあの子の元には行かないのでしょう? ウィンディ」
「おう。だが、近いうち、必ずや会いに行こうぞ」
「……いらっしゃる時は、弱めの風でお願いします」
ふわ、どこからか吹いてきた風に、黄色の花びらが舞う。
あの花は、なんだっただろうか。
そう考えた時、クツクツ、と愉しげな笑い声が耳に届く。
「愛し仔の願いだ、聞いてやろう」
『おれは優しいからな』
柔らかな風に溶けた声が、もう一度、愉しげに笑って消えた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを
青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ
学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。
お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。
お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。
レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。
でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。
お相手は隣国の王女アレキサンドラ。
アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。
バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。
バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。
せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる