石長比売の鏡

花野屋いろは

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 男女関係なく、エプロン、マスク、アームカバーで武装(?)した総務部員は、改装中のフロアをそれぞれの担当部分を中心に設計図を元にオフィス家具の配置、ネットワークのコンセント、電源、などの確認作業をしている。改装中のフロアは、見えないが埃が凄い。何も身につけないと、喉は痛むし、うっすら汚れてしまう。そこで、武装の必要が出るのだ。樹里は、チラリと傍らで作業する田中をみる。花形営業職だった田中は、作業前に3点セットを渡された時、少し驚いたようだ。しかし、課長の須崎を始め、他の部員が身につけ始めると小さく頷いて、後に続いた。少なくとも見た限りは、嫌がる素振りは見せなかった。
 改装フロアでは、同時にシステム部員もネットワーク開設の準備を進めていた。このフロアは、企画開発部のフロアなので設計図画像などの大容量のデータを扱う、そのため、無線ではなく有線メインでネットワークを引いていく。企画開発部からの要望書を元にシステム部がIPアドレスを割り振り、情報コンセントを設置したが、実際のハードウェアと見合っているか突き合わせチェックをしていく。それは、樹里がシステム部員から、企画課からの要望と実際の配置でそぐわないとことの説明を受けている時だった。
 「田中、面白い格好してるじゃないか。」
背後で記憶にある声がしたのを聞いた。樹里は、声をした方に背をむけるようにしてシステム部員の説明を聞き続けた。孝彦は営業部の数人で改装中のフロアを覗きに来たようだ。そこに田中の姿を見つけたのだろう。ここのところ、営業部は、異例の人事が立て続けに起こっていた。一条のスキップ昇進、田中の総務部への異動、一条の昇進を納得するものは多かったが、田中の異動は首をかしげるものも多かった。決して田中は、無能な営業ではなかったからだ。むしろ、次代のホープと期待されたいた人材だったのだ。それが年度の途中に総務部にあっさり異動してしまったため営業部ではちょっとした騒ぎになったようだ。
「結構似合ってるでしょ?総務の戦闘服ですよ。」
と揶揄する孝彦にたいして爽やかに田中はいってのけた。一緒についてきた営業事務の咲紀は田中を見て
「エプロン男子だ、田中さん素敵です。なんか、お料理とかも出来そうにみえて、ポイント高いです。」
とはしゃいだ声でいう。田中がそれに応えて
「そっか、だったら料理の腕も磨くことにするよ。」
と笑いながら言った。
「咲紀ちゃん、フロアに戻ろう。まだ、何も出来てないし、埃っぽいから汚れてしまうよ。」
田中と咲紀がいい雰囲気になったせいか、孝彦が慌てて退去を促した。田中は、
「じゃあ」
と孝彦達に頷いて、踵を返すと
「長濱さん、こちら終わりましたから、ネットワークのチェック手伝います。」
と樹里に声を掛けながら近づいてきた。いきなり大声で呼ばれた樹里は、焦って田中の方を見た。そして、田中の向こうに樹里を認めた孝彦を見る羽目になった。一瞬、視線が絡んだ。先に目をそらしたのは、孝彦の方だった。樹里は胸の奥にまだ、鈍い痛みを感じる自分に気づいた。視線を田中に向け
「お願いします。」
と返事をして、孝彦から背を向けた。田中は、そんな樹里の背中を見つめていた。
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