あ・ら・か・る・と

花野屋いろは

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彼の話(待つ男)

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 「あっ、ここに出るんだ…。」
 瑞穂は、ターミナル駅の駅ビルのテラス広場に設置されたクリスマスツリーを
見上げながら思わず声をだした。ここに来るのは、3年ぶりのうえ、
隣接するバスターミナルの改装工事のため、通路が複雑になっており、
瑞穂としては、西口に出たかったのに、中央口に出てしまったのだ。

-- よりによってクリスマスイブに此処に来ちゃうなんて

 瑞穂は、思わずため息をついた。そして、躊躇わずにツリーに
背を向けると、さっさとここから立ち去ろうと歩き出した。

 ◇ ◇ ◇

『今度のイブ、ターミナル駅のあのツリーのところで、待っていて欲しい、
18:30、遅くても19:00には、行くから』

 3年前、SNSのメッセージに胸をときめかせ、瑞穂はいわれたとおりに
ツリーのところで待っていた。しかし、約束の時間を過ぎても瑞穂に
メッセージを送った男は現れなかった。 

約束の時間より30分遅れた19:30に

『ごめん、今日は無理。今度埋め合わせをする。』

という内容のメッセージが送られてきて、がっかりした瑞穂は、
返信を返す気にもなれず、ノロノロとツリーから離れ、家に帰るべく駅に
向かった。この時、ステーションホテルの玄関前を通ったのも間違いだった。
 ふと玄関からロビーを見た時、瑞穂を呼び出した本人が、ドレスアップした
美人をエスコートしてフロントに向かうのを見てしまったのだ。脱力した。

-- なにあれ、どゆこと? 

 瑞穂は、美しく装った女性と自分を比べ、自分は何かを間違えたのでは
ないかと思った。彼からのメッセージには、待ち合わせの時間と場所しか
指定されていなかった。
しかし、クリスマスイブなのだから、自分は、もっと気を回してちゃんとした
格好をするべきだったのではないか? 実は、彼は時間通りに来たが、
瑞穂の様子を見て、あの身なりでは彼の意図したところへは連れて行けないと、
別の女性を手配し、瑞穂をドタキャンしたのではないだろうか。

-- でも、何も聞いていないし、ドレスコードがあるようなところに
       連れて行くなら教えてもらわないと。

今日は、クリスマスイブとはいえ、平日だから瑞穂のようなOLは、
普通は仕事をしている。 改まった席に着ていく服では仕事はできないから、
ドレスコードがあるようなところにいくなら、着替えを持参しなければならない。
それになにより、彼が瑞穂を誘ったのは今日が初めてで、
今日が実質初デート(?)なのだ。すべてを察して準備するなんて、
恋愛奥手の自分には無理な話だ。

 加えて、自分から誘っておいてドタキャンの上、他の女性とハイクラスの
ホテルにいるなんて、これはもうないだろう。そこまで考えた瑞穂は、
スマホを取り出すと、彼の連絡先をスッパリ削除し、SNSもブロックするように
設定した。そして、この駅ビルのあのテラス広場には近寄るまいと決心した。

 ◇  ◇  ◇

 ツリーに背を向け足早に歩き始めようとした、瑞穂の腕を誰かがつかんだ。
そして、強く引き寄せられる。

「えっ、えっ、なっ何?」

思わず振り返って瑞穂は吃驚した。瑞穂の腕を引っ張ったのは、3年前、
ドタキャンした彼だった。

「瑞穂…。」

力なく笑ったその瞳がなんとなく潤んでいるようにみえる。

-- いきなり名前呼びの上に、呼び捨てですかぁ!

「あっあの、何で、どうして、ここに? どうして、私がここに
いることを?」

瑞穂は、なんとか腕を放してもらおうと体を引くが、腕をつかむ力は緩まず、
それどころか、もう一方の手で腰を引かれますます引き寄せられることになった。

「ここにいるのは、瑞穂が来るのを待ってたから。でも、瑞穂が
ここの来るかどうかはわからなかったけど。」

「は?」

-- 来るかどうかもわからない私を待ってたって、どゆこと?

 瑞穂は、ますます困惑する。3年前、ドタキャンされたクリスマスイブから後、
瑞穂は徹底的に彼を避けた。勤務先の取引相手で時々打ち合わせに訪れる彼に
お茶を出しているのは自分の仕事だった。しかし、あのイブから、瑞穂は、
お茶出しを他の女子社員に譲った。イケメンの彼は、瑞穂の会社でも人気があり、
前々からお茶出しを交代して欲しいという打診は同僚達からあったので
話はすんなり通った。
 来社することは、会議室の予定表で、お茶出しを頼まれるから
事前にわかるので、同僚にそれを伝え、自分は、必要な仕事を作って
机から離れないようにしたり、お使いに出るなりしていた。そうこうするうちに、
プロジェクトは終了し、彼は来社しなくなり、噂で転職したとも聞いた。

「これから、予定はある?」

瑞穂が色々考えを巡らしていると、彼が耳元で囁くようにして聞いてきた。

-- 近い、近い、止めて、その声で耳元で囁かないでぇぇぇ!

 瑞穂があたふたしていると、彼は、

「これからデート? ここが待ち合わせ?」

「いっいいえ! もう、帰るところです!! だからっ…」

離してください、と言おうとしたらますます引き寄せられ、頭を抱き込まれる
ようにされた。

「じゃあ、少し付き合って、話を聞いて…。」

 ◇  ◇  ◇

 話を聞くまでこのまま離さないと頭を彼の胸に押しつけられ、耳元で囁かれた
状態で脅され、渋々瑞穂は、彼が一緒に夕食をと言うのに付き合うことになった。
連れて行かれたのは、クリスマスイブにふさわしい高級フレンチレストラン…
ではなく、おっとり、ほんわかな雰囲気の日本料理というより家庭料理屋であった。

 店に入ると女将とおぼしき女性が、彼を見て、傍らの瑞穂を見てにっこり笑って、

「お待ちしておりました。どうぞこちらに。」

と奥の個室に案内してくれた。お茶とお通しを出した女将がさがると瑞穂は
疑問を口に出した。

「あ、あの、まさか予約していたんですか?」

「うん、3年前から、瑞穂を絶対此処に連れてきたいと思っていたから。」

「毎年?」

「そう、毎年、去年も、一昨年も…。」

「どうしてですか?」

「君とちゃんと付き合いたかったからだよ。3年前のイブ、俺は
君に交際を申し込むつもりだった。でも、失敗した。ただ、失敗しただけじゃない。
君を失った。」

「でも、それは…。」

「そうだ。俺が悪い。君を蔑ろにした。」

-- そう、あなたは、ホテルのロビーで別の女性をエスコートしていた。

 瑞穂は、黙って彼の言葉を待つ。

「あの日、見たんだよね。俺が、どこで誰といたのかを?」

 瑞穂は頷いたとぼける必要も無い。彼は続ける。

「そうだよな。あのホテルは、待ち合わせの場所に近すぎた。俺は、ドタキャンの
本当理由を君に知らせなければ、急な仕事だと謝罪すればすむと甘く考えていた。
でも、翌日、連絡が取れなくなっていて愕然とした。」

 自惚れていたんだと彼は続けた。鼻に掛けるつもりはなかったが、自分が
それなりにモテることは自覚していた。大体の女の子は、自分の謝罪を
受け入れてくれると高を括っていたことも認めた。
でも、信じて欲しいと、あの日エスコートしていた女性は、上司、常務の娘で、
突然、常務室に呼ばれ、ステーションホテルで開催されるクリスマスパーティーに
娘を送り届けて欲しいと言われたからだと。
約束があるからと断ったが、パーティー会場の入り口まで送り届けてくれれば
良いと言われ、仕方なしに引き受けたそうだ。
 彼としては、一刻も早く送り届け、私との待ち合わせ場所に向かうつもりが、
化粧直しをするから待って欲しいといわれ、延々待たされたあげく、やっとホテルに
たどり着いた時には、今日は、パーティーで遅くなるので、常務が部屋を
取ってくれているが、チェックインの仕方がわからない(絶対嘘だろう)に始まり、
あれやこれやごねられ、挙げ句の果てにパーティーに一緒にと言われたとのこと。

 図られたことはわかっていたが、上司の意向があるため、無下には
できなかった。なんとか、パーティ会場に放り込んで、さっさと帰った。
帰る前に、無駄だと思ったが、待ち合わせの場所に行ったが、私は帰った後
だったそうだ。
それはそうだろう、真冬に来ない人をまっているなんてことはしない。
 その晩、改めて謝罪の連絡をしようとして、私が彼からの連絡を断った事に
気が付いて、愕然としたそうだ。意気消沈しているところに、しつこく常務を介して
常務の娘からの呼び出しが繰り返され、断ると今後のためならないという脅しもあり、
転職を決意し、プロジェクト終了と同時に実行したそうだ。

瑞穂は、彼が可哀相になって思わずいった。

「はぁ、大変でしたね。」

「あの会社、同族会社で株式も公開していないから、ごり押し人事がまかり
通ることもある。常務は会長の娘婿だから、下手な恨みを買うと干される
可能性はあった。それで、大学時代の先輩を通して今勤めている会社から
誘いが来たから思い切って転職した。」

「でも、常務の娘さん、追いかけてきたんじゃないですか?」

「いや、彼女には、転職することを伝えたら、すぐに振られた。
『おじいちゃまの会社に勤めている男性』
でないとだめらしい。転職で給料がダウンしたことも伝えたら、
まったく興味が無くなったようだ。あ、給料は転職したての時は、
一旦下がったのは事実。今は、プロジェクトを成功させ、成績を上げたんで
同じぐらいにまで取り戻している。」

「そうですか、ご苦労されたんですね。」

しみじみ声を掛けると、彼は、私をじっとみて何か言おうとしたが、
扉がノックされ、料理が運ばれてきた。

-- あれ、何も注文してないし、メニューすら見てないのに

 瑞穂は、テーブルの上に色々置かれる料理と彼の顔を代わる代わるみながら、
店員が下がるのを待った。どうぞ、ごゆっくりと店員が扉を閉めると、

「ごめん、君の上司に、『好き嫌いはなくなんでも美味しいって食べるいい子だ。』
って聞いているから、料理は勝手に選ばせてもらった。」

君に俺を知って欲しくてと彼は、にっこり笑った。

 ◇ ◇ ◇

 気が付いた時、瑞穂は、デザートを食べ終え、香ばしいほうじ茶をすすっていた。

-- 美味しかった。全部、私好みの味で、なんか、幸せ。

美味しいものをたべ、まったりしている瑞穂をみながら彼は言った。

「気に入ってもらえてよかったよ。 」

「ええ、ほんっと、美味しかったです。ありがとうございます。」

瑞穂は、心からお礼をいった。

「それで、話の続きなんだけど…。」

と彼がいうのに、なんでしょうと首を傾げると、

「これから、週1ぐらいでいいから夕食に付き合って欲しい。」

「え?」

「3年前、付き合って欲しいって言うつもりだったっていっただろう。
でも、俺の信用地に落ちたから、まずは、飯友から始めて徐々に上げていきたいんだ。」

「はぁ…?」

「幸い、食に関しては相性がいいと言うことはわかったから、他にも色々相性の
いいところ見つけていきたい。そして、君に信頼される男になりたいと思ってる。」

「でも、あの…。」

「そして、最終的には、結婚して欲しい。」

「はっ!? 」

-- なにいってるの? 付き合ってもいないのに、結婚??

二の句が付けなくなっている瑞穂に、彼は畳み掛けるように言った。

「先刻も言ったけど、3年前、この店で君にご馳走して、付き合って欲しい
という予定だった。予定通りに言っていたら、今年あたり結婚していた
可能性だってあった。」

「それは、可能性の一つであって、喧嘩して別れている事もありますよね。」

瑞穂も負けずに反論した。

「それは、否定しない。だが、3年経って俺は、30過ぎになり、君だって
20代後半になった。この年で週1で飯に行く付き合いを始めるなら、
行き着く先は、結婚になるだろう。俺としては、今すぐ、正式にプロポーズしたい
ぐらいの気分なんだ。」

「何故なんです?」

「それは、君が俺を3年前、見限ってくれたから。」

「は? 何を言っているのかわからないんですけど…?」

「繰り返すようだが、あの頃、俺は、自分の容姿に自惚れていて、
少々女性に対して傲慢だった。」

否定できないので、瑞穂は黙って頷いた。それでもと彼は続けた。

「女の子達は、纏わり付いてくるし、少々のことなら許してくれた。」

まぁそうだろうと瑞穂は思った。ハイスペックな俺様を手に入れるためなら
多少のことなら譲歩する人もいるだろう。でもそういう女の子達は、
と彼は吐き捨てるように言った。

「俺に求める物は、見てくれと高収入。」

それも否定できない。彼が来社する事がわかると、お茶出しを同僚に代わって
もらっていたが、その争いはものすごい物があった。簡単にその役割を放棄した
瑞穂に感謝もするが、変人を見るような目で見てもいた。
「でも君は違った君が俺に求めたのは、誠実と信頼だよね。あの日、君は俺からは
それが得られないと考えさっさとおれを切った。」

だからと彼は続けた、君を失った時の喪失感は半端なかった。その後の3年間、
俺にあの場所に通い続けたさせるほど。

「通ってたんですか? ずっと?」

瑞穂は思わず言った。彼は、そうとつぶやいた。

「君が来るとは思ってなかったけどね。」

「どうして…?」

「わからない。強いて言えば、『イブにあの場所にちゃんと行けば君との
約束を果たしたことになる』って思ったのかもね。結果、君は現れた。」

「偶然です。もっと正確に言えば、今日だって改装工事でいつもと風景が
変わってしまって、道に迷ってあの場所に出てしまっただけで、あそこに
行こうと思ったわけではないです。」

瑞穂は、素っ気なく言った。うん、と彼は頷いた。

「多分、サンタクロースが、俺に同情してくれたんだよ。」

「はぁ、何ロマンチックなことを…。」

呆れたように瑞穂が言うと、彼は、ちょっと目元を赤くして、

「いい年した男が言うことではないが、そうとしか思えない偶然だから、
結構舞い上がってるんだ。」

やろうと思えば、君の会社の前で待ち伏せることもできたが、それは君が
困るだろうと思ってできなかった。自分ができる精一杯がイブの日、
この店を予約して、あの場所で君を待つだけだった。そして君は現れ、今、
ここにいる。俺としてはもうそれで十分、だから俺とのこと考えてといって
彼は瑞穂を正面から見つめた。

ー- ああ、もう、これはダメかも…。

 瑞穂は、覚悟を決めた。そして、スマホを取り出すと

「連絡先、削除しちゃったんです。もう一度登録しないといけないんですけど、
いいですか?」

と聞いた。

 彼は、ちょっとの間、固まったが、小さく息を吐いて、スマホを取り出し微笑んだ。
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