彼と彼女の365日

如月ゆう

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November

11月21日(木) しがない此度のエピローグ②

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「ただいまー」

 今日も今日とて、別室での自習と奉仕活動に従事した俺は、心地よい倦怠感を抱えたまま家へと帰ってきた。

「…………おかえり」

 ともすれば、目の前にはラフな格好をしてバスタオルで髪の毛を拭く、妹の陽向が立っていた。
 お風呂上がりなのか、顔が僅かに上気しており、肌などもしっとりと水気を帯びている。

 しかし、彼女が話しかけてくるとは珍しい。
 俺はあくまでもパブロフの犬のように、帰宅という動作の条件反射で言葉を紡いだだけだというのに……何か良いことでもあったのだろうか?

「…………………………………………」

 その割には何も話さない。
 かといって、自室に戻るわけでもリビングに移動するでもなく、頭から被ったタオルの端を指で遊びながら立ち尽くす。

「あー……陽向、何か用?」

「……………………っ!」

 声を掛けると、ビクリと体が大きく跳ねた。
 そのまま少し逡巡するように口をパクパクと開閉させると、ようやく小さく口に出す。

「…………その……頭、大丈夫?」

 問われて、思わず頭に手を当てた。
 痛みはなく、あるのは包帯のザラザラとした手触りだけ。

「あぁ……うん、縫ってもらったし安静にしてたらすぐ治るよ」

「……………………そう」

 そうして会話は終了し、再び沈黙が流れる。

 あの事件のあと家に帰った俺であるが、この怪我のせいで家族に連絡がいき、これまでの事が全て明るみに出てしまった。

 ……思えば、俺は家族に迷惑をかけてばかりだ。
 両親に心配をかけ、引っ越しという名の逃走で金銭的に負担もかけ、その過程で妹からは友達を奪った。

「ごめんな、陽向」

 そう考えると、言葉は自然と口から零れる。

「……何、急に?」

「俺の身勝手で引っ越しして、大事な友達と離れ離れにしたこと――悪かったと思ってる」

 頭を下げれば、妹の息を飲む音が聞こえた。

 ずっと謝らなければと思っていた。
 けれど、自分の弱さを認めたくなくて、選んだ行動が正しいものであると信じたくて……謝罪できず、彼女の怒りを一身に今まで受けてきた。

 それが、俺にできる数少ない償いだから。

「――――ない」

「陽向…………?」

 そんな彼女の肩が震える。

「私はそんなことで怒ってたんじゃない!」

 久しぷりに聞いた感情の叫び。
 その想いがきっかけとなって、堰を切ったように言葉はとめどなく溢れ始めた。

「引っ越しのことなんて気にしてない。体型も、勉強や運動の出来も、どうだっていい。私は、お兄ちゃんがただお兄ちゃんでいてくれたらそれで良かったの! なのに、自分を否定して、無理をしてまで自分を変えて……そのせいで苦しんでいるお兄ちゃんを見てるのが嫌だっただけ! 止めてほしかっただけ!」

 瞳には僅かに雫が浮かんでいる。

「辛いならカッコよくなくていい。苦しいなら頑張らなくていい」

 あぁ……この子は知っていたんだ。
 高い成績を維持なければいけないプレッシャーも、積み重ねてきた努力を天才という一言で一蹴される虚しさも……全て。

「そんな表層的なもので取り繕わなくても、お兄ちゃんは私の大好きなお兄ちゃんのままなんだから……!」

 そう思うと、今までの態度が急に愛おしくなる。

「…………ありがとう、陽向」

 近づくと、その頭を俺は撫でた。
 クシャクシャになった顔を隠そうと、彼女は俺の胸に顔をグリグリと押し付けてくる。

「でも、俺はもう大丈夫。……それにな、目標もできたんだ。だから、誰にも縛られることなく、これからは自分の意思で頑張れるよ」

「そっか……なら、私も応援する……」

 顔は埋めたまま、聞こえてくる返事も鼻声だったけれど、陽向は前向きに答えてくれた。

「――あら……それじゃあ、ひなちゃんの反抗期もようやく収まるのですね」

 ともすれば、突然響き渡る声に二人して振り向く。
 そこには、リビングへと通じるドアを少しだけ開けて、コチラの様子を窺う母さんの姿があった。

「それなら、今日はお赤飯にするのです。……すでにお米は炊き上がってますけど」

「ちょっと……もう、母さん!」
「ちょっと、ママ!?」

 そんな不穏な台詞と、そこから行われうる奇行を止めるべく、蟠りの解けた兄妹は二人でキッチンへと駆けて行く。
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