彼と彼女の365日

如月ゆう

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November

11月25日(月) かくして、彼は一歩を踏み出した

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 ざわめく人の声。
 その一つ一つはとても小さな囁き声でも、波紋のように周囲に広がり、音同士がぶつかり合って大きくなることで耳障りな雑音へと変化していた。

「――えー……全校集会はこれで終わりだが、ある生徒の達ての希望で最後に彼の話を聞いてもらいたい。……それでは、壇上へ」

 司会の――マイクを通した指示を受けて、俺は舞台の袖から中央へと足を進める。

 訝しげな眼差しとともに生じていたざわめきは、その正体を目の当たりにしてどよめきへと変わった。
 何千という視線がこちらに向けられ、圧迫感だけで今にも潰れてしまいそうだ。

 けれど、退かない。退く気もない。

 全ては偽りの自分を殺すために。何もかもを晒すために。
 誰の指示でもない、自分の意志で俺はここに立っているのだから。


 ♦ ♦ ♦


「――まずは、今回の件に関してすみませんでした」

 マイクにスイッチを入れ、小さく深呼吸をすれば、手始めとばかりに頭を下げた。

「相手が武器を持っていた、襲われている生徒を守ろうとした――という建前は存在しますが、最終的に行ったことは他校生との諍いです。皆さんにはご迷惑をおかけしました。今後は同じ過ちを繰り返さないよう、精一杯学校生活に励んでいきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。……本当にすみませんでした」

 再び、頭を下げる。
 それで、本来は終わるはずだった。

 しかし、マイクのスイッチは切らず、その場から立ち去ろうともしないで、またも息を吸う俺の姿を見て教師陣はざわめき立つ。

「――俺は、虐められていたんです」

 その僅かな間隙を縫って、一言だけそう紡いだ。

 俺の言葉が衝撃的だったのか。
 先生たちの態度が伝播したのか。

 理由は分からないけれど、清聴してくれていた生徒たちも動揺を隠せないでいる。

「小学生から中学生二年生までの間、その件の彼らからいじめを受けていました。……それは、俺が今よりも太っていて、背も高くなくて、頭も運動神経も悪いダメな人間だったからです」

 そんな状況下で、自然と口が回る自分に驚きを隠せない。
 あれだけバレることを恐怖していたというのに、覚悟を決めれば、こんなにもあっさりと打ち明けられるものなんだな……。

「今でこそ、多くの方が好意的に接してくれて、褒めそやしてくれますが、俺なんて一皮剥けばそんな人間です。天才でも、ましてや『神』でもない……ただの成り上がりの凡人なんです」

 凡人……なんてのも、言い過ぎなくらいだ。
 身の丈に合わない努力で自分を着飾って、妹にさえ怒られていたのだから。

「この事実も、俺が打ち明けなければバレずに済んだのかもしれません。ですが、もうこれ以上皆の俺に持つイメージと実際の俺とのギャップに苦しみたくない。なので、この場をお借りして伝えさせて頂きました。今まで騙して、すみません……」

 そうして、三度頭を下げる。
 もはや囁き声とは思えないほどに膨れ上がる大きな音の波。

 非難も罵倒も、全てを受け入れるつもりでその場に立ち尽くしていると、そんな空気を切り裂くように鋭い声が飛んできた。

「――何を言っているんだ! 努力でなし得たことなら、全ては君の実力だ! 謙遜するな!」

 顔を上げて見てみれば、そこには佐久間部長……いや、元部長が力の限りを込めて叫んでいる。

「そうだよ! 過去なんて関係ない……ううん、関係付けたら翔真くんはもっと凄いよ!」

 少し離れたところでは結菜先輩も立っていた。
 手をメガホン状にして口に当てていた彼女は、その後に笑顔で手を振ってくれる。

「私も同じー! そんなに頑張れる翔真くんは凄いよー!」
「わ、私もそう思います……!」
「そうだぜ、翔真! 勉強に運動に……俺だったら、そんなに頑張れねーよ!」
「だから、教え方がいつも上手いんだな! ありがとー!」

 他にも……マネージャーの美優さんに楓ちゃん、部員やクラスメイトなど……多くの人が立ち上がって声を掛けてくれる。

 そして最後に――。

「――これが、翔真くんの……今までの積み重ねてきた証だよ」

 詩音さんは立ち上がり、大事なもの握り込むように胸元に添えられていた手を広げた。

 瞬間、視野が広くなる。
 壇上から見下ろす体育館の一面には、花でも咲き誇るかのように仲間が、友が、笑顔を向けてくれている。

「…………ありがとう」

 視界が滲む。

「ありがとう……!」

 俺は間違っていなかった。
 『優しさ』という種をくれた陽向を信じて、腐らせることなくここまで育ててきたけれど、それがようやく芽を生んで、今こうして花開き、身を結んだのだ。

「――ありがとうございました!」

 頭を下げた俺は、一歩後ろへと引いて壇上を降りて行く。

 しかし、これは後ろ向きな一歩ではない。
 未来へと進む、大切な一歩。

 沸き起こる拍手に背中を押されるように、俺は胸を張ってこの場をあとにした。
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