彼と彼女の365日

如月ゆう

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November

11月30日(土) 第一次・勉強ブーム④

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「今日は誘ってくれてありがとう」

 埃一つないフローリング。オシャレな家具。窓から覗く構想の景色。
 清潔感を感じさせる香りが漂う二人きりの空間で、私は声を掛けた。

「気にしないでいいよ。俺も試験勉強はするつもりだったし、それなら一緒にした方が捗るからね」

 そう答えて顔を上げた翔真くんは、カリカリとノートにシャープペンシルを走らせる手を止めて、こちらにニコリと笑いかけてくれる。

 気分はオフなのか、外行きの装いをしつつも、その顔には以前に紹介していた度のないメガネが。
 けれど、その姿もまた普段とのギャップでかっこいい……。

「……けど、驚いたよ。何故か皆、勉強にやる気になってさ……おかげで今週の昼休みは大忙しだった」

「最後の方は、黒板と教室の前方を占拠して皆に授業をしてたもんね……」

 まさか私たちもそんな事態にまで発展するとは思っておらず、あの時の様子を思い出して、互いに苦笑を浮かべ合った。

「でもまぁ、そらがいて助かったよ。そうでないと、それこそ今度は過労で学校を休んでいたかもしれないしね」

「あ、あの……一応はかなちゃんも……。頑張ってた……とは言えないけど、もしかしたら人は分散していたかもだから……」

「うん、そうだね。助かった」

 などと、合間に小話を挟みながら勉強を進めていると――。

「――ただいまー」

 ガチャガチャと物音がした後に、女の子の声が響きわたる。
 以前にお会いしたお母様でも、お姉様でもない、若い声が。

 思わず玄関口に視線を向けるも、生憎とこのリビングへと繋がる扉は閉じていた。
 気にした翔真くんは、すぐに答えを教えてくれる。

「妹だよ。部活が終わったから、帰ってきたんだと思う」

「あっ…………そ、そうなんだ」

 ……そういえば、そんな話を過去に聞いたかも。

 明かされる正体に納得し、再びペンを執る。
 しかし、向こうはそうでもないようで、しばらくした後に急に騒がしくなったかと思えば、バタバタとこちらに走ってくる音が聞こえ始めた。

「お、お兄ちゃん! あの靴ってまさか――」

 勢いよく開かれる扉。
 密閉からの解放に空気は揺れ、壁や床にまで響き、この部屋全体が僅かに揺れたように感じる。

 そして、かち合う瞳。

「……陽向、もう少し静かにしないと下の人に迷惑だよ」

 翔真くんの妹――陽向ちゃんなる人物を目の当たりにして、私は頭を下げた。
 彼女も僅かに黙礼を返し、指を差して一言。

「…………お兄ちゃんの彼女?」

 瞬間、吹き出すかと思った。
 このまま黙っていたら、多分、翔真くんが良い感じのフォローをしてくれたと思うのだけど、困惑してしまった私はありのままの事実を答える。

「ち、違うよ! 私たちは全然、まだそんな関係じゃなくて……!」

 ――って、『まだ』って何ー!?

 ついついしてしまった他意のある言い方に、陽向ちゃんからは謎に敵対心の籠った視線を向けられる。
 翔真くんもまた、気まずそうに顔を背けていた。おかげでその表情は見えないけど……果たしてそれが良いのか悪いのか。

「…………お兄ちゃん、どういうこと?」

 彼女の目が兄へと移った時、ようやく彼は顔の向きを戻した。

「――ん、んんっ! ……一応、紹介するよ。この子が妹の『陽向』だ」

 咳払いという、古典から伝わる前振りを頼りに、手のひらを差し向ける。

「そして、彼女がクラスメイトの『菊池詩音』さん。今日は、試験勉強に来たんだよ」

 簡潔で、この上ないほどに正しく間違いのない他己紹介。
 それを受けて、陽向ちゃんは何かを考えるように私たちを見比べ始めた。

「ふぅーん……じゃあ、私も一緒に勉強する」

 そして、対抗するようにそう呟く。

「えっ……いやでも、陽向の方は先週でテスト終わってただろ?」

「結果が返ってきたから、解きなおしをするのー!」

 どうやら一歩も引く気はないようで、翔真くんの指摘にもちゃんと反論すると、プリントの束と筆記用具を持参して彼の隣を陣取った。

「はぁー……ごめん、詩音さん。邪魔はしないと思うから」

「あっ、ううん……大丈夫だよ」

 謝る翔真くんに、私は気にしてないとばかりに首を振る。
 二人きりでなくなったことは少し残念なことではあるけど、仕方のないことだから。

 ……けれど、ほんの少しだけ。
 『彼の妹』というポジションを羨ましく感じたのは、私だけの秘密だ。
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