滅びゆく王国と平等の国を築く王女

プロローグ

彼の人生は、闇に覆われていた。
鎖と鞭の音が、彼の記憶の底に永遠に刻まれていた。幼い頃から、彼はただの「物」として扱われてきた。名前さえ与えられず、番号で呼ばれる存在。彼の肌の色は、彼を人間以下と見なす者たちにとって、ただの「商品」の印でしかなかった。

祖国は南の大陸である『クマシャ』のとある部族連合国。
運悪く、海岸沿いの小舟で釣りをしていたら、北からの白人海賊達に捕まって奴隷商人に売り飛ばされ、今に至る。

毎日が地獄だった。
灼熱の太陽の下、彼は鉄の鎖を引きずりながら、広大な農園で働かされた。背中には鞭の跡が幾重にも重なり、新しい傷が古い傷を覆い尽くした。夜になれば、冷たい石の床に鎖でつながれ、暗い牢屋の中で孤独と痛みに耐えるしかなかった。彼の周りには、同じ運命を背負った者たちがいたが、彼らは次々と消えていった。過労で倒れる者、反抗して殺される者、あるいはただ諦めて魂を失う者。彼だけが、なぜか生き延びてきた。

「お前は強いな」
ある日、同じ鎖につながれた男が彼に言った。その男は、彼よりも年上で、目には深い悲しみが宿っていた。「でも、その強さが仇になるかもしれん。ここの連中は、反抗する者を許さない。お前が生き延びたければ、声を殺せ。感情を殺せ。そうしなければ、お前もすぐに消える。」

彼はその言葉を胸に刻んだ。
それから、彼は声を失った。感情を捨てた。鞭が振るわれても、罵声が浴びせられても、彼はただ黙って耐えた。彼の目は、いつしか虚ろになり、心は凍りついた。彼はもう、何も感じなかった。痛みも、怒りも、悲しみも。ただ、鎖の重さだけが、彼がまだ生きていることを教えてくれる。

しかし、ある日、全てが変わった。
農園の主人が、彼を市場に連れて行った。彼はまた売られるのだと思った。だが、そこに現れたのは、彼の人生で見たこともないような光景だった。金色の髪をなびかせ、白と金の豪華なドレスをまとった若い女性が、彼の前に立っていた。彼女の目は青く、まるで海のように深く、彼の魂を見透かすようだった。

「これが最後の一人か？」
彼女の声は柔らかく、しかし威厳に満ちていた。彼女は農園の主人にそう尋ねると、彼の鎖に手を伸ばした。

「はい、王女様。これが最後の奴隷です」
農園の主人は卑屈に頭を下げた。

彼女は彼の鎖を触り、その重さに眉をひそめた。「こんなものを、人間につけるなんて…」
彼女の声には怒りが込められていたが、彼にはそれが理解できなかった。なぜ、彼女のような高貴な人間が、彼のような者に興味を持つのか？

「お前、名前はあるの？」
彼女は彼に直接尋ねた。彼は驚いた。初めて、白人の女性に名前を問われ、まるで彼を対等に見ているかのようだったから。

「…ない」
彼はかすれた声で答えた。

彼女は一瞬、悲しげな表情を浮かべたが、すぐに決意に満ちた目を向けた。「なら、自分で考えてつけなさい。今日から、お前は自由の身だ。もう誰にも縛られない」

彼はその言葉を信じられなかった。自由？それは彼にとって、遠い夢でしかなかった。しかし、彼女は鍵を取り出し、彼の鎖を外した。重い鉄の音が地面に響き、彼の体から長年の重荷が消えた。

「なぜ…？」
彼はつぶやいた。彼女のような高貴な人間が、なぜ彼を解放するのか？

彼女は彼の目をじっと見つめ、微笑んだ。「私は、ただ正しいことをしたまで。これからは、私のそばにいてくれないか？」

彼は言葉を失った。彼女の目には、偽りがなかった。彼女は本気だった。彼は初めて、自分が鎖以上の存在になれるかもしれないと思った。そして昔、夢の中でいつも見ていた、『彼女』の残像さえも、自分の目の前の王族らしき女性に重なって見えているかのようだ。