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56 わからない
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「さて、豆を売りたいのでしたよね。それならこちらですよ」
案内されたのは露店ではなく、きちんと店舗を構えていて少し価格帯の高そうな店だった。
あずきが持って来たのはごく普通の小豆と空豆なので、もっと庶民的な店でいい気がする。
案の定、店主は面倒臭そうに対応してきたが、あずきが取り出した豆を見て態度が一変した。
「これは! この豆はどこから仕入れたものですか?」
「え? いや、私が育てたものです」
「育てた? これを?」
店主は食い入るように豆を見つめ、種皮がどうだとかブツブツ呟いている。
「信じられない品質だ。しかも、妙に豆に力がある。……ありったけ、買い取らせていただきます。価格はこれでいかがでしょう」
そう言って紙に何やら数字を書かれたのだが、そもそもの豆相場がわからない。
まあ、神官が連れて来てくれたし、店構えからしてそこまで怪しくなさそうだし、問題ないだろう。
「それじゃあ、それで。あと、残りはこれです」
手のひらサイズの袋に入った小豆と空豆を机に乗せると、店主は歓喜の悲鳴を上げた。
「……ねえ。あの豆、だいぶいいお値段だった?」
今にも踊り出しそうなほど御機嫌の店主に見送られて店を出ると、あずきは女性神官に尋ねてみる。
「それはもう、とんでもなく」
「と、とんでもない……のね」
神官二人が真剣な表情でうなずくものだから、何だかあずきも緊張してしまう。
「豆の聖女が召喚した豆を、豆の神殿で育てたのですよ。それも、豆の聖女自らが。……どれだけ凄い豆なのか、おわかりですか?」
「……ごめんなさい。わからない」
正直に答えると、今度は神官が二人同時に深いため息をついた。
「そうなのでしょうね。そうでなければ、あの豆を売るという発想が浮かぶはずもありません。サイラス様も、よく許可なさったものです」
街道を戻りながら、神官二人が説明してくれたところによると。
豆の色艶や形などの基本的な項目はもちろん、その実に宿る魔力の量が尋常ではないらしい。
食べても加工しても効果は折り紙付きだし、何なら飾っておくだけでも御利益がありそうだという。
事前にサイラスに豆の質を聞いていた神官は、高品質の豆を見分けられ、かつ信頼できる店にあずきを連れて行ったというのだ。
「じゃあ、普通にひとりで暮らしながら豆を育てて売る……なんていうのは」
今度は神官二人の眉間に盛大な皺が寄った。
この二人、本当に兄妹なのかというくらい、同じような反応である。
「――仮に。ありえませんけれど、仮にそうなったとしましょう。……それでも、豆の聖女が育てた豆が、普通の品質に落ち着くとは思えません。となれば、高価買取は必至。すぐにでもその豆と育てたアズキ様は狙われることになるでしょう」
落ち着くとは思えないというのは何だか納得がいかない話だが、それよりも話の後半の衝撃が強すぎる。
「狙われる、の?」
「当然です。あれだけの豆ですから、金を育てているようなものです。その上、神の祝福を受けた存在ですよ? 狙われない方がおかしいでしょう。……ということで、こちらが本日の売り上げです」
女性神官に手渡されたのは、小さな布袋だ。
見た目に反してずっしりと重く、中をのぞくと金色の貨幣のようなものが詰まっていた。
「それで、街の宿屋ならひと月は余裕で宿泊できます。大事になさってください」
「う、うん」
街の宿屋の値段は不明だが、仮に一泊一万円相当だとすると、このお金は三十万円程度はあるということになる。
一泊三千円だとしても、十万円近い。
一晩で育てた豆なのに、対価が高すぎやしないだろうか。
渡された布袋を開いて中の貨幣を一枚取り出すと、残りを袋ごと女性神官に返す。
「私が育てたぶんはこれでいいわ。あとは、サイラスに渡して。神殿にお世話になっているから、そのお礼」
金貨一枚をポケットに入れて神殿に戻ると、遅めの昼食を摂り、あずきはそのまま書庫に向かった。
王宮宛ての手紙を書くにあたって、ちょうどいい文言を探すためだ。
手紙自体は必要ないかもしれないが、クライヴにはあずきの豆が必要だ。
豆だけを送りつけるというのもどうかと思うし、一応は手紙を添えようと思う。
何冊もの本に目を通して、ようやく『元気。豆。頑張る』という、小学生の作文以下の手紙を書き終えると、豆と共に封をする。
封筒を手にしたあずきは王宮に届けてもらうために、サイラスのいる部屋に向かった。
「また手紙が来たんですか。しつこいですね、殿下も」
扉をノックしようとした時に漏れ聞こえた声に、思わず手が止まる。
この声はサイラスだが、彼が殿下と呼ぶ存在はクライヴくらいしか思い当たらない。
「やはり、ここに聖女様はいないとお伝えした方がよろしかったのでは?」
聞いたことのない声だが、サイラスと話しているということは、神官なのだろうか。
「私が王宮に行ったことは周知の事実です。門番なども証言もあるでしょうし、無関係を装うのは無理でしょう。殿下は馬鹿ではありません。……それにしても、何度手紙を送ってくるつもりでしょうね。文面からしても、相当な執着です」
「王宮に戻りたくないと返事をしてあるのですよね? それでも、この手紙の量です。このままでは、ここにいらっしゃるのも、時間の問題でしょう。どういたしますか?」
扉の隙間から中を覗いてみると、見たことのない神官がちらりと視界に入った。
「アズキ様が会いたくないと言っているからと、門前払いしてください」
「ですが、相手は次期国王です。神官長かサイラス様でもなければ、止めることは不可能ですよ」
「まあ、そうでしょうね。ですが、神官相手に無茶をする殿下というのも一興です」
サイラスの笑い声が聞こえるが、一体何の話をしているのだろう。
まるでクライヴが神殿に来るかのような会話だが、忙しいと言っていたし、何をしに来るのかわからない。
それにサイラスの言葉が何だかいつもとは違う気がして、扉を開けるのに躊躇してしまう。
「それよりも、聖女様を手懐けた方が話が早いと思いますが」
「そうですね。アズキ様の信頼が私にあると知ったら……殿下は、どんな顔をするでしょうね。……ああ、楽しみです」
サイラスが何を言っているのか、わからない。
わからないけれど、何だかおかしいのはわかる。
あずきは扉に向けていた手を下げて、そのまま後退ろうとする。
だが、その瞬間に扉が開き、サイラスの紺色の瞳が細められた。
「ということで、アズキ様。少しお話をしましょうか」
案内されたのは露店ではなく、きちんと店舗を構えていて少し価格帯の高そうな店だった。
あずきが持って来たのはごく普通の小豆と空豆なので、もっと庶民的な店でいい気がする。
案の定、店主は面倒臭そうに対応してきたが、あずきが取り出した豆を見て態度が一変した。
「これは! この豆はどこから仕入れたものですか?」
「え? いや、私が育てたものです」
「育てた? これを?」
店主は食い入るように豆を見つめ、種皮がどうだとかブツブツ呟いている。
「信じられない品質だ。しかも、妙に豆に力がある。……ありったけ、買い取らせていただきます。価格はこれでいかがでしょう」
そう言って紙に何やら数字を書かれたのだが、そもそもの豆相場がわからない。
まあ、神官が連れて来てくれたし、店構えからしてそこまで怪しくなさそうだし、問題ないだろう。
「それじゃあ、それで。あと、残りはこれです」
手のひらサイズの袋に入った小豆と空豆を机に乗せると、店主は歓喜の悲鳴を上げた。
「……ねえ。あの豆、だいぶいいお値段だった?」
今にも踊り出しそうなほど御機嫌の店主に見送られて店を出ると、あずきは女性神官に尋ねてみる。
「それはもう、とんでもなく」
「と、とんでもない……のね」
神官二人が真剣な表情でうなずくものだから、何だかあずきも緊張してしまう。
「豆の聖女が召喚した豆を、豆の神殿で育てたのですよ。それも、豆の聖女自らが。……どれだけ凄い豆なのか、おわかりですか?」
「……ごめんなさい。わからない」
正直に答えると、今度は神官が二人同時に深いため息をついた。
「そうなのでしょうね。そうでなければ、あの豆を売るという発想が浮かぶはずもありません。サイラス様も、よく許可なさったものです」
街道を戻りながら、神官二人が説明してくれたところによると。
豆の色艶や形などの基本的な項目はもちろん、その実に宿る魔力の量が尋常ではないらしい。
食べても加工しても効果は折り紙付きだし、何なら飾っておくだけでも御利益がありそうだという。
事前にサイラスに豆の質を聞いていた神官は、高品質の豆を見分けられ、かつ信頼できる店にあずきを連れて行ったというのだ。
「じゃあ、普通にひとりで暮らしながら豆を育てて売る……なんていうのは」
今度は神官二人の眉間に盛大な皺が寄った。
この二人、本当に兄妹なのかというくらい、同じような反応である。
「――仮に。ありえませんけれど、仮にそうなったとしましょう。……それでも、豆の聖女が育てた豆が、普通の品質に落ち着くとは思えません。となれば、高価買取は必至。すぐにでもその豆と育てたアズキ様は狙われることになるでしょう」
落ち着くとは思えないというのは何だか納得がいかない話だが、それよりも話の後半の衝撃が強すぎる。
「狙われる、の?」
「当然です。あれだけの豆ですから、金を育てているようなものです。その上、神の祝福を受けた存在ですよ? 狙われない方がおかしいでしょう。……ということで、こちらが本日の売り上げです」
女性神官に手渡されたのは、小さな布袋だ。
見た目に反してずっしりと重く、中をのぞくと金色の貨幣のようなものが詰まっていた。
「それで、街の宿屋ならひと月は余裕で宿泊できます。大事になさってください」
「う、うん」
街の宿屋の値段は不明だが、仮に一泊一万円相当だとすると、このお金は三十万円程度はあるということになる。
一泊三千円だとしても、十万円近い。
一晩で育てた豆なのに、対価が高すぎやしないだろうか。
渡された布袋を開いて中の貨幣を一枚取り出すと、残りを袋ごと女性神官に返す。
「私が育てたぶんはこれでいいわ。あとは、サイラスに渡して。神殿にお世話になっているから、そのお礼」
金貨一枚をポケットに入れて神殿に戻ると、遅めの昼食を摂り、あずきはそのまま書庫に向かった。
王宮宛ての手紙を書くにあたって、ちょうどいい文言を探すためだ。
手紙自体は必要ないかもしれないが、クライヴにはあずきの豆が必要だ。
豆だけを送りつけるというのもどうかと思うし、一応は手紙を添えようと思う。
何冊もの本に目を通して、ようやく『元気。豆。頑張る』という、小学生の作文以下の手紙を書き終えると、豆と共に封をする。
封筒を手にしたあずきは王宮に届けてもらうために、サイラスのいる部屋に向かった。
「また手紙が来たんですか。しつこいですね、殿下も」
扉をノックしようとした時に漏れ聞こえた声に、思わず手が止まる。
この声はサイラスだが、彼が殿下と呼ぶ存在はクライヴくらいしか思い当たらない。
「やはり、ここに聖女様はいないとお伝えした方がよろしかったのでは?」
聞いたことのない声だが、サイラスと話しているということは、神官なのだろうか。
「私が王宮に行ったことは周知の事実です。門番なども証言もあるでしょうし、無関係を装うのは無理でしょう。殿下は馬鹿ではありません。……それにしても、何度手紙を送ってくるつもりでしょうね。文面からしても、相当な執着です」
「王宮に戻りたくないと返事をしてあるのですよね? それでも、この手紙の量です。このままでは、ここにいらっしゃるのも、時間の問題でしょう。どういたしますか?」
扉の隙間から中を覗いてみると、見たことのない神官がちらりと視界に入った。
「アズキ様が会いたくないと言っているからと、門前払いしてください」
「ですが、相手は次期国王です。神官長かサイラス様でもなければ、止めることは不可能ですよ」
「まあ、そうでしょうね。ですが、神官相手に無茶をする殿下というのも一興です」
サイラスの笑い声が聞こえるが、一体何の話をしているのだろう。
まるでクライヴが神殿に来るかのような会話だが、忙しいと言っていたし、何をしに来るのかわからない。
それにサイラスの言葉が何だかいつもとは違う気がして、扉を開けるのに躊躇してしまう。
「それよりも、聖女様を手懐けた方が話が早いと思いますが」
「そうですね。アズキ様の信頼が私にあると知ったら……殿下は、どんな顔をするでしょうね。……ああ、楽しみです」
サイラスが何を言っているのか、わからない。
わからないけれど、何だかおかしいのはわかる。
あずきは扉に向けていた手を下げて、そのまま後退ろうとする。
だが、その瞬間に扉が開き、サイラスの紺色の瞳が細められた。
「ということで、アズキ様。少しお話をしましょうか」
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