銀色の粉雪

いりゅーなぎさ

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追憶

帰郷の朝

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「おばあちゃん。いままでお世話になりました」
 美冬は雪子の家の玄関で、雪子に向けてそう口にした。
 美冬が村を出て六年。十八歳に成長した美冬は今日、美雪と銀雪と暮らしていたあの家に戻ることとなる。
「本当に大丈夫ですか、美冬ちゃん? あの家に戻るということは、美雪や銀雪くんのことを……」
 雪子が気を使ってくれているのはよくわかっていた。その上で、美冬ははっきりと答えた。
「大丈夫だよ、おばあちゃん。……私ね、本当のことを言うと、いままであの家に戻りたいって気持ちと戻りたくないって気持ちが交錯していたんだよ。けど、私は一人で暮らせるようになったら、あの家に――銀雪が見守るあの村に戻らなくちゃならないの」
「戻らなくちゃ、ならない?」 雪子は美冬の妙な言い回しに思わず問い返した。
「多分、この先竜神様に会ったとしても、竜神様は――銀雪は私のことを覚えてはいないと思う。けど、私は――それでも銀雪に会って話したいことがあるの。銀雪に会って、貴方がいて幸せだったって伝えたいの。そのために私はあの村に戻るの」
「美冬ちゃん……」

 村に戻ることを決意したのは私。最初、おばあちゃんには猛反対されてしまった。
 私が村に戻ることを迷っていたのは本当。でも、私は決めていた。
 私一人で暮らせるような歳になった時、私はもう一度あの家に戻ることを。
 おばあちゃんが源一おじさんに頼んで、あの家を管理してもらっていることも知っている。
 きっと、おばあちゃんも私があの家に戻ると言い出す日が来ることを予想していたんだと思う。
 ……あの家の敷居をまたいだ時、私はあの日のことを思い出してしまうかもしれない。
 お母さんも、銀雪もいないあの家で、私が一人で暮らしていけるのかは、正直なところわからない。
 でも、私は――

「本当に歩いて村まで行くのですか?」
 見送りのため、雪子は町の入り口――山の麓のところまで、一緒に来てくれていた。
「うん。……なんだか、歩いて帰りたい気分なんだ、私」
 美冬がそう答えると、何故か雪子が笑みを浮かべた。
「? どうしたの、おばあちゃん?」
「ちょっと思い出してね。昔、冬弥くんが都会から帰ってきたときにも同じようなことを言っていてね」
「お父さんが?」
 美冬がそう聞き返すと、雪子は悲しげな表情を浮かべた。
「……美冬ちゃん。あなたは忘れちゃったのかも知れないけれど、昔、あなたが私に『私が冬弥くんのことを嫌いじゃないか』って聞いたことがあったのを覚えてる?」
 それは美冬が銀雪と出会う前に聞いた、些細な質問だった。
 けど、美冬はそれを覚えていた。……正確に言えば、今この瞬間で思い出したというべきか。
 雪子の、悲しげな表情を目の当たりにして。
「覚えているよ。その時もおばあちゃん、今のような悲しそうな顔をしてた」
「私ね、冬弥くんが美雪を迎えにきたあの日、本当に嬉しかったの。二人の結婚式をするって聞いた時なんて、年甲斐もなくはしゃいじゃってね。……そして、あなたが生まれた時、なんとも言えない気持ちになったの」
「おばあちゃん……」
「冬弥くんが亡くなったって聞いた時、私は心の中にあった大切な何かが壊れてしまったような感覚に陥ったの。……って、以前もこんな風なことを答えましたよね?」
「うん、多分。けど、今ならおばあちゃんのその気持ち、わかるよ」
 美冬は銀雪が自分の前から去っていった時の感情と雪子の言う感覚を重ねてそう答えた。
「前に美冬ちゃん、冬弥くんと美雪、そして銀雪くんとが一緒にいる夢をあの日に見たっていっていましたね?」
「うん。きっとあれが、銀雪の望んでいた光景だったんだと思う」
「それはきっと、銀雪くんだけの望みではないでしょうね。私もそんな光景が現実であればいいって思っていますよ? 美冬ちゃんもそうじゃないかしら?」
 今度は美冬が悲しげな表情を浮かべる。わかっているのだ、あれは夢の光景でしかないという現実を。
 そんな美冬に対し、雪子が言葉を続ける。
「そんな顔をしないでください。私はね、あなたを羨ましいと思っていますよ? 夢とはいえ、そんな光景の中に入れたあなたを」
 息をつき、さらに言葉を続ける。
「だから、美冬ちゃん。そのときの光景は絶対に忘れないでくださいね。私が冬弥くんと暮らしていた数ヶ月だけの思い出が冬弥くんを失ったときの支えになったように、その夢はきっとあなたの支えになってくれるから」
「おばあちゃん……」
 話を終えると、雪子は美冬の背中を軽く押した。
「さあ、行きなさい美冬ちゃん。あなたの帰るべき場所へ。あっ、でも、麓(ここ)に来た時は私の家にも顔を出してくださいね。あなたはただ一人の、大切な家族なんですから」
 その言葉に、美冬は満面の笑みを浮かべながらこう返した。
「はい。じゃあ、行ってきます、おばあちゃん」

 山道を歩きながら、私は考えていた。
 あの家に戻ったら、最初にどんな言葉を口にしようかと。
 でも、考える必要なんてなかったんだ。
 村に着いて、駆け寄ってきた銀雪くんの顔を見て、その言葉は自然と私の口から出てきていた。
 それは、目の前にいる源一さんと涼子さんの息子の銀雪くんと、今もどこかでこの村を見守ってくれている竜神様の銀雪の二人に向けた私の言葉。

「ただいま、――銀雪」

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