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第58話 怯懦と闘志のロックンロール
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国際ジュニア団体戦 Dブロック 日本 VS イタリア
男子ダブルス 君塚・高鬼ペア VS Frutteto・Reachdoysペア
セットカウント 1ー1 ゲームカウント3-4
ポイント30ー40
日本の強烈なビッグサーブと、イタリアの変化に富んだトリッキーなサーブを軸に展開された男子ダブルスの試合は、いよいよその最終局面を迎えようとしていた。終盤に差し掛かってなお、どちらが優勢なのかは如何とも評価しがたく、肉薄した剣士の鍔迫り合いのような攻防が今も繰り広げられている。ほんのわずかなきっかけで趨勢が傾き得る試合展開に、4人の選手はそれぞれ高い集中力をもって臨む。そんな選手たちの放つ切迫した緊張感は、否応にも見守る観客たちにも伝染し、自然と会場全体は張り詰めた静けさに満ちていく。
構え、狙いを定めるデカリョウは覚悟を決め、やけに狭く感じるコートの隙間へとサーブを放つ。どうにかねじ込まれたボールは、しかし自身が理想とするものとほど遠い。こんなサーブを打つぐらいならいっそ、成否に関わらず力を出し切ってしまいたい。そんな衝動をどうにか抑え、理性の手綱をしっかり握る。この試合はずっと、相手ペアと自分たちとの根競べだった。先に音を上げた方が敗ける、そういう勝負。
(そもそも、テニス自体が我慢比べみたいなもんだよなぁ)
集中力を研ぎ澄まし、高速で飛び交うボールを正確に打ち合う。不規則なリズムを見切り、崩れそうになるバランスを維持し、絶妙なタイミングで捉える。相手より早く、鋭く、深く、正確に、根気よく。そしてやっとのことで得られたポイントも、些細なミスで帳消しになってしまうことなどざらにあるのだ。一撃必殺が存在せず、ひたすら我慢に我慢を重ね、登山のように1歩ずつ確実に調子への道を歩む。それがテニスという競技だ。
しかしそれでも、テニスはおもしろいなと、デカリョウは強く思う。体格を気にすることなく、相手と真剣勝負ができるこの球技の面白さは、他の何ものにも代えがたい。もちろん、自分の身体の大きさが有利に働くことは自覚しているのだが。
(でも、気持ちのぶつかり合いに体格は関係ないんだよなぁ)
苦心して入れたサーブを難なく打ち返され、自分へとボールを集められる。相手の配球やタイミングは見事なもので、相方であるマサキも迂闊にサポートへと回れない。相手のペアは、ダブルスの基本であり極意ともいえる『2人で1人を攻撃する』という戦術を忠実に遂行し、デカリョウを追い詰めていく。その手腕に、デカリョウは思わず攻撃を受けながらも胸中で称賛を贈らずにはいられなかった。
「ゲーム、イタリア。ゲームカウント4-4」
事務的にカウントを告げる主審の声を掻き消すように、会場が歓声に包まれる。
これで、展開は振り出しに戻った。
「すまねぇ、マサキ」
「オーケイ、切り替えよう」
このまま順当に進めば、2ndセットと同じように7ポイント先取になる可能性が高い。しかし、こうも自分のサーブを崩されているとなると、分が悪いのはこちらだ。どうにかして次のゲームを奪い、マサキのサービスゲームをキープしないと勝機が見えてこない。
「勝機なら、さっき見つけたぜ」
「んぇ?」
息を軽く弾ませたマサキが、険しい表情を浮かべながらいう。
「金髪のコワモテ、左目がおかしい」
相棒が見つけたのは、勝利へと向かうひと筋の蜘蛛の糸か。
しかしこのときはまだ、2人には見定めることができなかった。
★
片目のままでも、比較的まともにプレーができるものなんだなとロシューは意外に思えた。初めこそ戸惑いと観客席からの次なる攻撃に対する警戒が解けずミスが出てしまったが、それ以降は思っていたよりもすぐに感覚を掴むことができた。
「ロシュー兄ぃ、目の具合は?」
「問題ねぇ。このまま一気に行く」
ロシューは右目でチラリとイタリアチームのベンチへと視線を向ける。それに気付いたらしいジオが、ゆっくりと頷いてみせた。その表情から、仲間たちはやるべきことをやったのだと察する。懸念すべき事案が一つ解消されたことに、少なからず安堵するロシュー。そして不意に、ロシューの口角がかすかに歪む。
「仲間、ね」
――フルテット、私たちは、前に進むしかないんだ。
やけに綺麗に切りそろえられた前髪を揺らしながら、その女はいった。
ティッキー・フィン・ブロード、それが彼女の名前だ。ローマに拠点を置く世界的な大企業の娘で、末恐ろしいまでの才能を持つイタリア女子テニス界のホープ。だが、彼女が頭角を現し始めた頃、イタリアテニス界はまだ暗黒時代と呼ぶに相応しい状況が続いていた。
トップ選手たちによる大規模な八百長事件。世界ランキングトップ20に入るような上位のテニスエリートが、あろうことかそういう悪事に手を染めていたことが発覚した。それをきっかけに、イタリアテニス界は批判に打ちのめされ、世界中から信頼を失った。
辛くも国際テニス連盟からの追放は免れたが、数年の間は大きな大会への出場が認められず、懲役刑のように何もできない期間を強いられた。そしてその数年は、イタリアテニス衰退に大きく拍車をかけ、栄光は完全に過去のものとなる。
そこに、彗星の如く現れたのがティッキーだった。活動拠点はイタリアではなく、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、セルビア、トルコと欧州を転々とし、幼少期からジュニア大会でただ1人戦果を上げ続けていた。彼女の存在がイタリアテニス界に再起を願わせ、小さな希望の火が灯る。そしてその小さな火が寄り集まるように、少しずつそれは大きくなっていく。だが、越えるべき試練はまるでアルプスにそびえる山脈のように、若き選手達の前に立ちはだかった。
ティッキーを中心に、イタリアテニス界の再起を賭けて立ち上がった善良なる者たちの中に、ロシューはいた。正確には、気性が荒く喧嘩っ早い彼が持つテニスの才能を見抜いたティッキーが、半ば強引にミラノにあるテニスクラブから力ずくで引っ張ってきたのだ。
比較的裕福な家庭に産まれたロシューにとってテニスはただの暇潰しで、親が強制する習い事のひとつに過ぎなかった。イタリアテニス界の事情など知ったことではなかったし、合法的に他人の顔面目掛けてボールを力いっぱい叩き込んでも許されるから、お上品な他の習い事より多少気に入っていた、その程度のものだった。
生真面目そうな金持ちの鼻持ちならないクソ女、それがロシューの持つティッキーに対する最初の印象だった。彼女の口車にうっかり乗せられ、テニスで勝負をすることになり、ものの見事に力の差を見せつけられてしまう。腕ずくでその敗北を無かったことにしてやろうと掴みかかると、逆に背負い投げを食らって背中をしたたかに打ち付け、もんどりうっているところをとどめとばかりに腹を蹴り飛ばされ「まだやるか?」と凄まれて勝負はついた。
仲間の前で年下の女に負け、あまつさえ殴りかかって返り討ちというとんでもない大恥をかかされたロシューは、仕方なく敗北を認める。無論、内心では復讐を誓っているが、奇襲や腕力で屈服させたところで誇りを取り戻せないことは承知していた。倒すならコートの上で。そう誓ったロシューは、最後に残ったかすかな誇りを守るべく、ティッキーの軍門に下った。
そしてそこで、自分が暇潰し程度に思っていたテニスの本当の魅力を知り、母国であるイタリアが陥った危機的な状況について目の当たりにする。そして、その状況がただの自業自得なのではなく、誰かの意図が働いていたことに強い憤りを覚え、気付かぬうちにティッキーの目指すイタリアテニス再興の力になろうと決めていた。
(国際ジュニア団体戦、これに参加する為のお膳立てもひと苦労だった。だが、これはまだスタートですらねぇ。ここで名のある世界のジュニアをぶちのめし、世界がイタリアを無視
できないよう、イタリアがまだ死んでねぇことを証明する)
瞑っていた左目のまぶたを開くロシュー。視力はまだ回復していない。両眼を見開いているのに、片方は光を感じず暗闇のままだ。それでもロシューは気にすることなく、虚ろな左目をあけたまま眼前の敵を睨みつける。
(イタリアの誇りは、必ずオレ達が奪り還すッ!)
★
左目に異常を抱えているようだ、というマサキの指摘は的中する。デカリョウは半信半疑だったが、ロシューにボールを集めるとそれが本当らしいということが分かり始めた。ここまであまり使ってこなかった、高いボールと低いボールの組み合わせ、前に落とすボールと深く相手の真正面に向かっていくボールを使うと、徐々にロシューのミスが増え始めたのだ。
「左右の動きだけだと、案外片目でもいけるんだけどな。上下、前後を混ぜると目ってやつはどんどん疲れていく。普通なら両目で補い合ってるのをひとつでやるんだから当然だ。そろそろ、遠近感だけじゃなく、視力そのものが鈍くなってくるんじゃねえかな」
積極的に攻撃するのではなく、かといって守りに徹するわけでもない。標的を一人に絞り、徐々に力を削いでいくようなプレーに切り替えたことで、1ポイントごとのやりとりが次第に長くなり始めた。すると、なんてことのないボールをロシューがミスする場面が増え、マサキは自分の考えに間違いがなかったことを確信する。だが同時に、ひとつの疑問がマサキのなかに浮上した。
(やはりあの時、目に何かあったんだ)
突然頭を庇うようにして倒れ込んだロシュー。どうやらそれが、左目になにか異常を抱えてることになった原因だったのだろうとマサキは予想する。しかし、何が起こったのか、それが分からない。彼がいうように、本当に蜂かなにか虫が襲ってきたのか、もともと何か目に病気を持っていたのか、あるいは――。
(妨害……?)
イタリアテニス界の事情について、マサキは大まかなことしか知らない。ヨーロッパへ遠征に行った経験はあるが、大会はもっぱらイギリス、フランス、ドイツなどのいわゆるテニス大国ばかり。イタリアはテニスで大した実績を持たない、つまりは弱小国であるという認識だ。
しかし、頭の中に過った妨害というワードが、マサキの記憶を呼び起こす。テニス選手を目指すジュニアが受ける講習会で耳にした、あまり気持ちの良いとはいえない噂話。スポーツを使ったギャンブルが合法化されたことで起こる、選手への嫌がらせ。敗北した選手に賭けていた何者かが、試合後の選手にゴミを投げつけたり、SNSで誹謗中傷をしたり、あるいは試合の最中にに嫌がらせをしたり。プロ選手になると、そういう厄介なできごととも付き合わなければならないのだという。酷いものになると、熱狂的なファンを自称する者が対戦相手を刺傷した事件も実際に起こっている。
(アイツ、何かされたのか?)
相手の隙を見つけ、それが正しかったことに手応えを憶えたマサキは、そのまま勝利へと突き進むべきだった。だが、見つけた隙に覚えた違和感と、試合中の相手の不可解な行動が、慎重な性格であるマサキを立ち止まらせ、考えさせてしまう。
(いや待て待て、おかしい。もし妨害があったなら、なぜそれを主審に申告しない? 何かされていたのなら、された時点でいうだろフツー。黙ってる理由が無い)
マサキは確かめるように、ロシューが打ち辛いコースへボールを打つ。彼はこれまで打ってきた鋭いボールではなく、しっかり回転をかけてコントロールする。その姿がマサキの目に、どこか痛々しく映った。
「っやべ!」
思考が逸れていたせいだろうか。マサキの打ち返したボールがネットにかかり、終盤の貴重な1ポイントを失う。今は、相手の事情についてあれこれ考えている場合ではない。理由はどうあれ、相手には明確な隙があり、そこを突けば勝利を掴めるのだ。
(クソ、集中しねぇと)
手負いの獣のような相手を前に、マサキはどうしても戦意を燃やすことができない。追い詰めているのか、追い詰められているのか。はっきりしない何かが振り払えず、妙な苛立ちがマサキの中で広がっていった。
★
相手のサービスゲームを優勢に進めていた日本ペアだったが、イタリアのリーチが奮闘し、更にサーブの精度を高めて惜しくもブレイクには至らなかった。これでゲームカウントは日本から見て4-5。サービスゲームではあるが、ブレイクされれば試合が終わる重要な場面。サーブはマサキ。今日ここまでどうにかブレイクされずにきている。これまで通りプレーすれば一応はキープできる公算が大きい。加えて、相手のロシューには大きな隙がある。
(よし、まず1つ集中)
マサキはまず、ここに至るまでの場面を頭の中で再生する。そして相手のロシューがバックのリターンで甘くなる傾向があるのを思い出し、そこに狙いを定めた。
(フォアのボディからバックへ曲がる配球で行くか)
ロシューは左利きのため、見えている右目方向への配球となる。だが、右側にボールが曲がっていけば、必然コートを左目で捉えねばならず、しかしその左目は恐らく機能していない。サーブでの優勢に加え視界の隙を突き、一気に攻勢に転じる狙いだ。
想定通りのサーブを打つマサキ。そして、即座にリターンへ備える。
(詰まらせるか、上手く流……いや、こいつまさか――ッ!)
サーブの着弾を視認した瞬間、ロシューの体勢が充分であることに気付く。しかし、その時には遅かった。ロシューは身体を右側に捻ると、溜めを作ったのち恐ろしく速いスイングでクロスアングルへリターンを放つ。しかも、これまで使ってこなかった、片手一本だ。
(左目、見えてないんじゃねぇの?!)
見事なリターンエースに驚愕するデカリョウ。マサキは一歩も動けず、見送るより他なかった。身体を右に捻っている以上、左方向を捉えるには左目の周辺視野を使う必要がある。普通に視力があれば当然可能だが、今のロシューに左目は使えない。彼はいうなれば、目隠しされたような状態で左側のアングルに叩き込んだのだ。
(片手一本はこれまで1度も使ってねぇ。野郎、得意技を隠してやがったな。とんでもねぇ度胸してやがる)
互いに手の内は出し尽くしたかに思われたが、相手はどうやらとっておきを隠していたようだ。そうなると、まだ他に手がある可能性を考慮しなければならない。それどころか、弱点だと設定していた場所が実はそうじゃない可能性もある。これまでに習得した戦術データを鵜呑みにはできなくなった。忌々し気な表情を浮かべたマサキが、ロシューに視線を向ける。
――テメーら、テニスは上手いが勝負は下手だな
不敵に口角を吊り上げるロシューの表情には、そんな感情が浮かんでいるように見える。さきほど一瞬でも、妨害されたのではないかと相手を心配してしまった自分を、マサキは酷く罵ってやりたい気分になった。サービスゲームではあるが、ブレイクされたら終わりの場面なのだ。もっと冷徹にならなくてはと自分に言い聞かせる。
続く第2ポイント。リターンのリーチにはこれといった穴が無い。デカリョウのサーブこそ取れずに何本も抜かれていたが、マサキのサーブであればどこへ打ってもミスの無い堅実なリターンを見せた。サーブのトリッキーさに目を奪われがちだったが、基本性能が高く返球力も良い。しかし裏を返せば、リターンで積極的な攻撃は仕掛けて来ないとも言える。
(けど、今のを見せられたらな。コイツも何か隠し玉があるかもしれない)
マサキはリターンで角度のつけ辛いボディを狙う。ロシューのような鋭いリターンが来るとは思えないが万が一に備え、前には出ずまずは様子を見る。すると、リーチはマサキのサーブをあえて高く打ち上げるような空に届く一打で返球した。
(ナメてんのかコイツ! デカリョウ、ぶちかましてやれ!)
マサキの気持ちに応えるように、デカリョウは素早く捕球体制に入る。確かに高く打ち上がった難しいボールだが、高いボールはデカリョウの十八番だ。サーブと遜色ないスマッシュをきっちりぶち込んでやれと内心でマサキは声援を送ったが、ふと1stセットの苦い記憶が蘇る。
そして、イタリアペア2人が同時に前へ詰めた。
★
ボールが落ちてくるまでの間、マサキ以上に苦々しい気分に陥ったのは他でもないデカリョウだ。得意のサーブを前陣で捉えられ、会心のスマッシュを打ち返され、この試合でことごとく彼らはデカリョウを真正面から打ち破ってきた。
(今度こそ決めてやる)
胸中でそう自分に言い聞かせるデカリョウ。だが、同時にイタリアペア2人が前に詰めるのを視界の端で捉え、精神的なプレッシャーが彼を襲う。高く打ち上げられたボールが最頂点に達し、逆再生するように落下してくる。目に映るボールが次第に大きくなるように、デカリョウの中に感じていたプレッシャーもまた同じように肥大していく。同時に、1stセットで血を流しながら不敵に笑った相手の顔を思い出す。
(関係ねぇ! 今度は直にぶち込んでやるッ!)
――金髪のコワモテ、左目がおかしい
「~ッ!」
デカリョウの打ったスマッシュはネットの白帯に当たり、ボールがコートの外へ弾かれる。会場から歓声と落胆の溜め息が聞こえ、にわかに騒がしくなった。得意なはずのスマッシュを失敗し、デカリョウは猛烈に自分の臓腑が沸き立つような錯覚を覚える。
「オイ、デカブツ。遠慮せず来いよ」
試合中、自動翻訳機能のついたインカムを外しているデカリョウにイタリア語は分からない。だが、不思議と、ロシューが何を言っているのかデカリョウには分かった。そして、明確に自分の中で何が足りないのかを自覚する。
(チクショウ……)
コートの上で一番大きいはずのデカリョウが、肩を落とし、やけに小さく見えた。
★
続くポイントではロシューのミスショットをきっかけに日本がポイントを奪い、その後も上手く形を作れたお陰で日本は連続ポイントを獲得、しかしその次にミスが出てカウントは30-40とリードを許してしまう。ブレイクポイントを迎えた日本ペアは、神妙な面持ちのまま、短いポイント間の時間で打ち合わせを交わす。
「ここで無理をする必要はねぇ。ヤツのミスを待つ」
さきほどスマッシュミスをしたデカリョウに、マサキはそう指示した。もう2人とも自覚している。彼らを相手に引いて戦うのは一番やってはいけないことであると。しかし、それと同時に、自分たちが非情になって徹底的に相手の弱点を突き切れないということも分かった。勢いに任せて攻撃しようと思えばできるかもしれない。だが、いざという時、ここぞという場面で攻め切るだけの覚悟を、2人は持つことができない。勝負に対する覚悟、イタリアペアがこの試合で見せつけたそれに、完全に気圧されてしまった。
「けどよぉ、マサキ」
「悲観的になるこたぁない。今はできないってだけだ。それに、ガンガンやるだけが攻撃じゃねぇ。案外、しぶとく粘るほうが相手にとっちゃあ攻撃になるかもしんねぇ。攻撃する覚悟は持てねぇかもしんねぇけど、守りきる覚悟なら持てるだろ。相手の挑発に乗ってこっちばかり攻撃しなくてもいいはずさ」
慎重に狙いを定め、サーブを打つマサキ。リターナーであるリーチのバック側、角度がつけ難いようボディ気味を狙う。しかしそれを読んでいたリーチはすかさずフォアへ回り込み、サーブで見せるのと同じような凄まじい回転をかけたリターンを放つ。
(だろうな!)
リーチが自分のサーブの狙いを読んでいることを想定していたマサキは、逆にリーチのリターンコースを見抜いていた。相手前衛は左利きのロシュー。イタリアペアはセンターを2人ともフォアで塞ぐ鉄壁の布陣。しかしだからこそ、相手はストレートを警戒している。
(ここ!)
マサキはあえて、ロシューのフォア側、つまりセンター寄りにロブを通す。やもすればロシューのスマッシュに捕まりかねない危険なコースだが、ロシューの意識がストレートに向いている今の状況ならむしろ狙い目だ。ロブが通り、リターン時にワイドへ寄っていたリーチがわずかに虚と突かれる。同時に、デカリョウはリーチへプレッシャーをかけるべく少しだけ距離を詰め存在感をアピール。大きな体がリーチの視界に入り、コース選択の余地を削ぐ。
「ロシュー兄ぃ!」
リーチは打ちながらペアの名を呼ぶ。ロシューは言われずとも、しゃがむようにして頭の位置をネットの高さより下げる。直後、リーチの打ったボールが通過していく。デカリョウの攻撃範囲を避けるには、それしか無かった。普段ならセンターロブを通したあとはネット前に移動するマサキだが、今回はそうしていない。リーチの返球を見てそうすべきだったなと内心思ったが、すぐにその考えを忘れる。次はどうする、と考えるより早く、既に身体はコースを選んでいた。跳ね際で素早くボールを捉え、身を低くしていたロシューの脇目掛けてボールを運ぶ。「抜ける」というマサキの確信を、即座にロシューのラケットが打ち砕く。
そのまま決まっていてもおかしくない角度だったが、反射的にラケットを出したデカリョウがそれを防いだ。辛うじて返球されたボールは、綺麗に弧を描いて相手コートへ向かっていく。そして、その先にはリーチが待っていた。
「いけ、リーチ」
「arrivederci」
叩きつけられたボールは高く跳ね上がり、観客席に飛んで行った。
続く
男子ダブルス 君塚・高鬼ペア VS Frutteto・Reachdoysペア
セットカウント 1ー1 ゲームカウント3-4
ポイント30ー40
日本の強烈なビッグサーブと、イタリアの変化に富んだトリッキーなサーブを軸に展開された男子ダブルスの試合は、いよいよその最終局面を迎えようとしていた。終盤に差し掛かってなお、どちらが優勢なのかは如何とも評価しがたく、肉薄した剣士の鍔迫り合いのような攻防が今も繰り広げられている。ほんのわずかなきっかけで趨勢が傾き得る試合展開に、4人の選手はそれぞれ高い集中力をもって臨む。そんな選手たちの放つ切迫した緊張感は、否応にも見守る観客たちにも伝染し、自然と会場全体は張り詰めた静けさに満ちていく。
構え、狙いを定めるデカリョウは覚悟を決め、やけに狭く感じるコートの隙間へとサーブを放つ。どうにかねじ込まれたボールは、しかし自身が理想とするものとほど遠い。こんなサーブを打つぐらいならいっそ、成否に関わらず力を出し切ってしまいたい。そんな衝動をどうにか抑え、理性の手綱をしっかり握る。この試合はずっと、相手ペアと自分たちとの根競べだった。先に音を上げた方が敗ける、そういう勝負。
(そもそも、テニス自体が我慢比べみたいなもんだよなぁ)
集中力を研ぎ澄まし、高速で飛び交うボールを正確に打ち合う。不規則なリズムを見切り、崩れそうになるバランスを維持し、絶妙なタイミングで捉える。相手より早く、鋭く、深く、正確に、根気よく。そしてやっとのことで得られたポイントも、些細なミスで帳消しになってしまうことなどざらにあるのだ。一撃必殺が存在せず、ひたすら我慢に我慢を重ね、登山のように1歩ずつ確実に調子への道を歩む。それがテニスという競技だ。
しかしそれでも、テニスはおもしろいなと、デカリョウは強く思う。体格を気にすることなく、相手と真剣勝負ができるこの球技の面白さは、他の何ものにも代えがたい。もちろん、自分の身体の大きさが有利に働くことは自覚しているのだが。
(でも、気持ちのぶつかり合いに体格は関係ないんだよなぁ)
苦心して入れたサーブを難なく打ち返され、自分へとボールを集められる。相手の配球やタイミングは見事なもので、相方であるマサキも迂闊にサポートへと回れない。相手のペアは、ダブルスの基本であり極意ともいえる『2人で1人を攻撃する』という戦術を忠実に遂行し、デカリョウを追い詰めていく。その手腕に、デカリョウは思わず攻撃を受けながらも胸中で称賛を贈らずにはいられなかった。
「ゲーム、イタリア。ゲームカウント4-4」
事務的にカウントを告げる主審の声を掻き消すように、会場が歓声に包まれる。
これで、展開は振り出しに戻った。
「すまねぇ、マサキ」
「オーケイ、切り替えよう」
このまま順当に進めば、2ndセットと同じように7ポイント先取になる可能性が高い。しかし、こうも自分のサーブを崩されているとなると、分が悪いのはこちらだ。どうにかして次のゲームを奪い、マサキのサービスゲームをキープしないと勝機が見えてこない。
「勝機なら、さっき見つけたぜ」
「んぇ?」
息を軽く弾ませたマサキが、険しい表情を浮かべながらいう。
「金髪のコワモテ、左目がおかしい」
相棒が見つけたのは、勝利へと向かうひと筋の蜘蛛の糸か。
しかしこのときはまだ、2人には見定めることができなかった。
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片目のままでも、比較的まともにプレーができるものなんだなとロシューは意外に思えた。初めこそ戸惑いと観客席からの次なる攻撃に対する警戒が解けずミスが出てしまったが、それ以降は思っていたよりもすぐに感覚を掴むことができた。
「ロシュー兄ぃ、目の具合は?」
「問題ねぇ。このまま一気に行く」
ロシューは右目でチラリとイタリアチームのベンチへと視線を向ける。それに気付いたらしいジオが、ゆっくりと頷いてみせた。その表情から、仲間たちはやるべきことをやったのだと察する。懸念すべき事案が一つ解消されたことに、少なからず安堵するロシュー。そして不意に、ロシューの口角がかすかに歪む。
「仲間、ね」
――フルテット、私たちは、前に進むしかないんだ。
やけに綺麗に切りそろえられた前髪を揺らしながら、その女はいった。
ティッキー・フィン・ブロード、それが彼女の名前だ。ローマに拠点を置く世界的な大企業の娘で、末恐ろしいまでの才能を持つイタリア女子テニス界のホープ。だが、彼女が頭角を現し始めた頃、イタリアテニス界はまだ暗黒時代と呼ぶに相応しい状況が続いていた。
トップ選手たちによる大規模な八百長事件。世界ランキングトップ20に入るような上位のテニスエリートが、あろうことかそういう悪事に手を染めていたことが発覚した。それをきっかけに、イタリアテニス界は批判に打ちのめされ、世界中から信頼を失った。
辛くも国際テニス連盟からの追放は免れたが、数年の間は大きな大会への出場が認められず、懲役刑のように何もできない期間を強いられた。そしてその数年は、イタリアテニス衰退に大きく拍車をかけ、栄光は完全に過去のものとなる。
そこに、彗星の如く現れたのがティッキーだった。活動拠点はイタリアではなく、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、セルビア、トルコと欧州を転々とし、幼少期からジュニア大会でただ1人戦果を上げ続けていた。彼女の存在がイタリアテニス界に再起を願わせ、小さな希望の火が灯る。そしてその小さな火が寄り集まるように、少しずつそれは大きくなっていく。だが、越えるべき試練はまるでアルプスにそびえる山脈のように、若き選手達の前に立ちはだかった。
ティッキーを中心に、イタリアテニス界の再起を賭けて立ち上がった善良なる者たちの中に、ロシューはいた。正確には、気性が荒く喧嘩っ早い彼が持つテニスの才能を見抜いたティッキーが、半ば強引にミラノにあるテニスクラブから力ずくで引っ張ってきたのだ。
比較的裕福な家庭に産まれたロシューにとってテニスはただの暇潰しで、親が強制する習い事のひとつに過ぎなかった。イタリアテニス界の事情など知ったことではなかったし、合法的に他人の顔面目掛けてボールを力いっぱい叩き込んでも許されるから、お上品な他の習い事より多少気に入っていた、その程度のものだった。
生真面目そうな金持ちの鼻持ちならないクソ女、それがロシューの持つティッキーに対する最初の印象だった。彼女の口車にうっかり乗せられ、テニスで勝負をすることになり、ものの見事に力の差を見せつけられてしまう。腕ずくでその敗北を無かったことにしてやろうと掴みかかると、逆に背負い投げを食らって背中をしたたかに打ち付け、もんどりうっているところをとどめとばかりに腹を蹴り飛ばされ「まだやるか?」と凄まれて勝負はついた。
仲間の前で年下の女に負け、あまつさえ殴りかかって返り討ちというとんでもない大恥をかかされたロシューは、仕方なく敗北を認める。無論、内心では復讐を誓っているが、奇襲や腕力で屈服させたところで誇りを取り戻せないことは承知していた。倒すならコートの上で。そう誓ったロシューは、最後に残ったかすかな誇りを守るべく、ティッキーの軍門に下った。
そしてそこで、自分が暇潰し程度に思っていたテニスの本当の魅力を知り、母国であるイタリアが陥った危機的な状況について目の当たりにする。そして、その状況がただの自業自得なのではなく、誰かの意図が働いていたことに強い憤りを覚え、気付かぬうちにティッキーの目指すイタリアテニス再興の力になろうと決めていた。
(国際ジュニア団体戦、これに参加する為のお膳立てもひと苦労だった。だが、これはまだスタートですらねぇ。ここで名のある世界のジュニアをぶちのめし、世界がイタリアを無視
できないよう、イタリアがまだ死んでねぇことを証明する)
瞑っていた左目のまぶたを開くロシュー。視力はまだ回復していない。両眼を見開いているのに、片方は光を感じず暗闇のままだ。それでもロシューは気にすることなく、虚ろな左目をあけたまま眼前の敵を睨みつける。
(イタリアの誇りは、必ずオレ達が奪り還すッ!)
★
左目に異常を抱えているようだ、というマサキの指摘は的中する。デカリョウは半信半疑だったが、ロシューにボールを集めるとそれが本当らしいということが分かり始めた。ここまであまり使ってこなかった、高いボールと低いボールの組み合わせ、前に落とすボールと深く相手の真正面に向かっていくボールを使うと、徐々にロシューのミスが増え始めたのだ。
「左右の動きだけだと、案外片目でもいけるんだけどな。上下、前後を混ぜると目ってやつはどんどん疲れていく。普通なら両目で補い合ってるのをひとつでやるんだから当然だ。そろそろ、遠近感だけじゃなく、視力そのものが鈍くなってくるんじゃねえかな」
積極的に攻撃するのではなく、かといって守りに徹するわけでもない。標的を一人に絞り、徐々に力を削いでいくようなプレーに切り替えたことで、1ポイントごとのやりとりが次第に長くなり始めた。すると、なんてことのないボールをロシューがミスする場面が増え、マサキは自分の考えに間違いがなかったことを確信する。だが同時に、ひとつの疑問がマサキのなかに浮上した。
(やはりあの時、目に何かあったんだ)
突然頭を庇うようにして倒れ込んだロシュー。どうやらそれが、左目になにか異常を抱えてることになった原因だったのだろうとマサキは予想する。しかし、何が起こったのか、それが分からない。彼がいうように、本当に蜂かなにか虫が襲ってきたのか、もともと何か目に病気を持っていたのか、あるいは――。
(妨害……?)
イタリアテニス界の事情について、マサキは大まかなことしか知らない。ヨーロッパへ遠征に行った経験はあるが、大会はもっぱらイギリス、フランス、ドイツなどのいわゆるテニス大国ばかり。イタリアはテニスで大した実績を持たない、つまりは弱小国であるという認識だ。
しかし、頭の中に過った妨害というワードが、マサキの記憶を呼び起こす。テニス選手を目指すジュニアが受ける講習会で耳にした、あまり気持ちの良いとはいえない噂話。スポーツを使ったギャンブルが合法化されたことで起こる、選手への嫌がらせ。敗北した選手に賭けていた何者かが、試合後の選手にゴミを投げつけたり、SNSで誹謗中傷をしたり、あるいは試合の最中にに嫌がらせをしたり。プロ選手になると、そういう厄介なできごととも付き合わなければならないのだという。酷いものになると、熱狂的なファンを自称する者が対戦相手を刺傷した事件も実際に起こっている。
(アイツ、何かされたのか?)
相手の隙を見つけ、それが正しかったことに手応えを憶えたマサキは、そのまま勝利へと突き進むべきだった。だが、見つけた隙に覚えた違和感と、試合中の相手の不可解な行動が、慎重な性格であるマサキを立ち止まらせ、考えさせてしまう。
(いや待て待て、おかしい。もし妨害があったなら、なぜそれを主審に申告しない? 何かされていたのなら、された時点でいうだろフツー。黙ってる理由が無い)
マサキは確かめるように、ロシューが打ち辛いコースへボールを打つ。彼はこれまで打ってきた鋭いボールではなく、しっかり回転をかけてコントロールする。その姿がマサキの目に、どこか痛々しく映った。
「っやべ!」
思考が逸れていたせいだろうか。マサキの打ち返したボールがネットにかかり、終盤の貴重な1ポイントを失う。今は、相手の事情についてあれこれ考えている場合ではない。理由はどうあれ、相手には明確な隙があり、そこを突けば勝利を掴めるのだ。
(クソ、集中しねぇと)
手負いの獣のような相手を前に、マサキはどうしても戦意を燃やすことができない。追い詰めているのか、追い詰められているのか。はっきりしない何かが振り払えず、妙な苛立ちがマサキの中で広がっていった。
★
相手のサービスゲームを優勢に進めていた日本ペアだったが、イタリアのリーチが奮闘し、更にサーブの精度を高めて惜しくもブレイクには至らなかった。これでゲームカウントは日本から見て4-5。サービスゲームではあるが、ブレイクされれば試合が終わる重要な場面。サーブはマサキ。今日ここまでどうにかブレイクされずにきている。これまで通りプレーすれば一応はキープできる公算が大きい。加えて、相手のロシューには大きな隙がある。
(よし、まず1つ集中)
マサキはまず、ここに至るまでの場面を頭の中で再生する。そして相手のロシューがバックのリターンで甘くなる傾向があるのを思い出し、そこに狙いを定めた。
(フォアのボディからバックへ曲がる配球で行くか)
ロシューは左利きのため、見えている右目方向への配球となる。だが、右側にボールが曲がっていけば、必然コートを左目で捉えねばならず、しかしその左目は恐らく機能していない。サーブでの優勢に加え視界の隙を突き、一気に攻勢に転じる狙いだ。
想定通りのサーブを打つマサキ。そして、即座にリターンへ備える。
(詰まらせるか、上手く流……いや、こいつまさか――ッ!)
サーブの着弾を視認した瞬間、ロシューの体勢が充分であることに気付く。しかし、その時には遅かった。ロシューは身体を右側に捻ると、溜めを作ったのち恐ろしく速いスイングでクロスアングルへリターンを放つ。しかも、これまで使ってこなかった、片手一本だ。
(左目、見えてないんじゃねぇの?!)
見事なリターンエースに驚愕するデカリョウ。マサキは一歩も動けず、見送るより他なかった。身体を右に捻っている以上、左方向を捉えるには左目の周辺視野を使う必要がある。普通に視力があれば当然可能だが、今のロシューに左目は使えない。彼はいうなれば、目隠しされたような状態で左側のアングルに叩き込んだのだ。
(片手一本はこれまで1度も使ってねぇ。野郎、得意技を隠してやがったな。とんでもねぇ度胸してやがる)
互いに手の内は出し尽くしたかに思われたが、相手はどうやらとっておきを隠していたようだ。そうなると、まだ他に手がある可能性を考慮しなければならない。それどころか、弱点だと設定していた場所が実はそうじゃない可能性もある。これまでに習得した戦術データを鵜呑みにはできなくなった。忌々し気な表情を浮かべたマサキが、ロシューに視線を向ける。
――テメーら、テニスは上手いが勝負は下手だな
不敵に口角を吊り上げるロシューの表情には、そんな感情が浮かんでいるように見える。さきほど一瞬でも、妨害されたのではないかと相手を心配してしまった自分を、マサキは酷く罵ってやりたい気分になった。サービスゲームではあるが、ブレイクされたら終わりの場面なのだ。もっと冷徹にならなくてはと自分に言い聞かせる。
続く第2ポイント。リターンのリーチにはこれといった穴が無い。デカリョウのサーブこそ取れずに何本も抜かれていたが、マサキのサーブであればどこへ打ってもミスの無い堅実なリターンを見せた。サーブのトリッキーさに目を奪われがちだったが、基本性能が高く返球力も良い。しかし裏を返せば、リターンで積極的な攻撃は仕掛けて来ないとも言える。
(けど、今のを見せられたらな。コイツも何か隠し玉があるかもしれない)
マサキはリターンで角度のつけ辛いボディを狙う。ロシューのような鋭いリターンが来るとは思えないが万が一に備え、前には出ずまずは様子を見る。すると、リーチはマサキのサーブをあえて高く打ち上げるような空に届く一打で返球した。
(ナメてんのかコイツ! デカリョウ、ぶちかましてやれ!)
マサキの気持ちに応えるように、デカリョウは素早く捕球体制に入る。確かに高く打ち上がった難しいボールだが、高いボールはデカリョウの十八番だ。サーブと遜色ないスマッシュをきっちりぶち込んでやれと内心でマサキは声援を送ったが、ふと1stセットの苦い記憶が蘇る。
そして、イタリアペア2人が同時に前へ詰めた。
★
ボールが落ちてくるまでの間、マサキ以上に苦々しい気分に陥ったのは他でもないデカリョウだ。得意のサーブを前陣で捉えられ、会心のスマッシュを打ち返され、この試合でことごとく彼らはデカリョウを真正面から打ち破ってきた。
(今度こそ決めてやる)
胸中でそう自分に言い聞かせるデカリョウ。だが、同時にイタリアペア2人が前に詰めるのを視界の端で捉え、精神的なプレッシャーが彼を襲う。高く打ち上げられたボールが最頂点に達し、逆再生するように落下してくる。目に映るボールが次第に大きくなるように、デカリョウの中に感じていたプレッシャーもまた同じように肥大していく。同時に、1stセットで血を流しながら不敵に笑った相手の顔を思い出す。
(関係ねぇ! 今度は直にぶち込んでやるッ!)
――金髪のコワモテ、左目がおかしい
「~ッ!」
デカリョウの打ったスマッシュはネットの白帯に当たり、ボールがコートの外へ弾かれる。会場から歓声と落胆の溜め息が聞こえ、にわかに騒がしくなった。得意なはずのスマッシュを失敗し、デカリョウは猛烈に自分の臓腑が沸き立つような錯覚を覚える。
「オイ、デカブツ。遠慮せず来いよ」
試合中、自動翻訳機能のついたインカムを外しているデカリョウにイタリア語は分からない。だが、不思議と、ロシューが何を言っているのかデカリョウには分かった。そして、明確に自分の中で何が足りないのかを自覚する。
(チクショウ……)
コートの上で一番大きいはずのデカリョウが、肩を落とし、やけに小さく見えた。
★
続くポイントではロシューのミスショットをきっかけに日本がポイントを奪い、その後も上手く形を作れたお陰で日本は連続ポイントを獲得、しかしその次にミスが出てカウントは30-40とリードを許してしまう。ブレイクポイントを迎えた日本ペアは、神妙な面持ちのまま、短いポイント間の時間で打ち合わせを交わす。
「ここで無理をする必要はねぇ。ヤツのミスを待つ」
さきほどスマッシュミスをしたデカリョウに、マサキはそう指示した。もう2人とも自覚している。彼らを相手に引いて戦うのは一番やってはいけないことであると。しかし、それと同時に、自分たちが非情になって徹底的に相手の弱点を突き切れないということも分かった。勢いに任せて攻撃しようと思えばできるかもしれない。だが、いざという時、ここぞという場面で攻め切るだけの覚悟を、2人は持つことができない。勝負に対する覚悟、イタリアペアがこの試合で見せつけたそれに、完全に気圧されてしまった。
「けどよぉ、マサキ」
「悲観的になるこたぁない。今はできないってだけだ。それに、ガンガンやるだけが攻撃じゃねぇ。案外、しぶとく粘るほうが相手にとっちゃあ攻撃になるかもしんねぇ。攻撃する覚悟は持てねぇかもしんねぇけど、守りきる覚悟なら持てるだろ。相手の挑発に乗ってこっちばかり攻撃しなくてもいいはずさ」
慎重に狙いを定め、サーブを打つマサキ。リターナーであるリーチのバック側、角度がつけ難いようボディ気味を狙う。しかしそれを読んでいたリーチはすかさずフォアへ回り込み、サーブで見せるのと同じような凄まじい回転をかけたリターンを放つ。
(だろうな!)
リーチが自分のサーブの狙いを読んでいることを想定していたマサキは、逆にリーチのリターンコースを見抜いていた。相手前衛は左利きのロシュー。イタリアペアはセンターを2人ともフォアで塞ぐ鉄壁の布陣。しかしだからこそ、相手はストレートを警戒している。
(ここ!)
マサキはあえて、ロシューのフォア側、つまりセンター寄りにロブを通す。やもすればロシューのスマッシュに捕まりかねない危険なコースだが、ロシューの意識がストレートに向いている今の状況ならむしろ狙い目だ。ロブが通り、リターン時にワイドへ寄っていたリーチがわずかに虚と突かれる。同時に、デカリョウはリーチへプレッシャーをかけるべく少しだけ距離を詰め存在感をアピール。大きな体がリーチの視界に入り、コース選択の余地を削ぐ。
「ロシュー兄ぃ!」
リーチは打ちながらペアの名を呼ぶ。ロシューは言われずとも、しゃがむようにして頭の位置をネットの高さより下げる。直後、リーチの打ったボールが通過していく。デカリョウの攻撃範囲を避けるには、それしか無かった。普段ならセンターロブを通したあとはネット前に移動するマサキだが、今回はそうしていない。リーチの返球を見てそうすべきだったなと内心思ったが、すぐにその考えを忘れる。次はどうする、と考えるより早く、既に身体はコースを選んでいた。跳ね際で素早くボールを捉え、身を低くしていたロシューの脇目掛けてボールを運ぶ。「抜ける」というマサキの確信を、即座にロシューのラケットが打ち砕く。
そのまま決まっていてもおかしくない角度だったが、反射的にラケットを出したデカリョウがそれを防いだ。辛うじて返球されたボールは、綺麗に弧を描いて相手コートへ向かっていく。そして、その先にはリーチが待っていた。
「いけ、リーチ」
「arrivederci」
叩きつけられたボールは高く跳ね上がり、観客席に飛んで行った。
続く
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