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「home sweet home」
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「荻上ちゃんもアイスでいい? アイスコーヒーをふたつ。急いでね」
注文を取りにきた店員が去るなり、上沼は「実はきょうは荻上ちゃんに折り入って頼みがあってさ……」と、切り出した。
「頼み? 何ですか?」
壮介が訊ねても、うん、それがさ……、と言葉を濁すばかりでなかなか本題に入ろうとしない。先ほどまでのふざけた態度とは変わって言いづらそうなようすに、壮介は「上沼さん?」と訊ねた。
「……実はさ、俺の姪がきみのファンでね、将来はきみのようなアナウンサーになりたいんだそうだ。いまはまだ大学生なんだけどさ、将来についていろいろ悩んでいることがあるらしくて、よかったら一度会って話を聞いてやってくれないかな。いや、もちろん荻上ちゃんが忙しいのはわかってるんだけど……」
「いいですよ」
「へ? いいの?」
上沼は拍子抜けしたようなひどく意外そうな表情を浮かべた。
「ええ、構いません。ここしばらくは特に急ぎの予定もないので、姪御さんが都合のいいときでいいですよ」
手帳を取り出し、スケジュールを確認する。そのようすを眺めていた上沼の表情がぱっと輝いた。
「てっきり断られるかと思ってた。さすが荻上ちゃん、頼りになる~」
「……煽てても何も出ませんよ」
そのとき店員がグラスに入ったアイスコーヒーを運んできた。やっかいな問題は片付いたとばかりに、上沼はグラスに手を伸ばした。
「いや、知ってはいたけど、中身も男前だなあって改めて感心してた。荻上ちゃん、確かまだ独身だったよね。モテるくせに浮いた噂のひとつも聞かないし。俺が言うのもなんだけど、うちの姪、ミスキャンパスに選ばれるくらい器量もよくていい子でさ、年齢は少し離れているけど案外荻上ちゃんと似合いなんじゃないかな。ほら、縁は一生の宝っていうじゃない。よかったら一度……」
「――すみませんが」
最後まで聞かず、壮介は上沼の言葉を遮った。
「結婚はしていませんが、一生を共にしたい相手はいます。この先何があっても大切にしたい相手です」
はっきりと告げた壮介に、上沼はぽかんとした表情を浮かべている。さとりのことを隠すつもりは微塵もなかった。誰に何を言われようとも、壮介の気持ちは決まっている。
「それってさ、騙されてるんじゃないの?」
「はい?」
一瞬何を言われたのかわからなった。上沼は壮介を眺めると、訳知り顔で続けた。
「いやあさあ、荻上ちゃん、人が好いから相手の女に騙されてるんじゃないかと思って。その歳で一生を共にしたいなんて決めなくてもいいんじゃないの? だいだいさ、その人本当に大丈夫なの? 荻上壮介の名前に惹かれているだけじゃない? 荻上ちゃん、相手に利用されてない?」
「な……っ!」
瞬間、頭にかっと血が上った。テーブルの角に腕がぶつかり、その拍子にグラスが倒れる。
「あっ」
「わっ、荻上ちゃん!」
慌ててペーパーナプキンでテーブルの上を拭いていると、すぐに店員がやってきて片付けてくれた。
「大丈夫ですか? お洋服は濡れなかったでしょうか?」
「服は大丈夫です。すみません、コーヒーを零してしまって……」
「いえ、大丈夫ですよ。すぐに代わりを持ってきますね」
「本当に申しわけない……」
「どうぞお気になさらずに」
店員が立ち去ると、後には何も起こらなかったかのように元通りになった。
「案外荻上ちゃんもドジだな、いったい何を考えていたのさ~」
ずけずけと物言う上沼に、壮介は呆れて言葉も出ない。
そのとき、上沼は何かに気づいたように立ち上がると、「悪い、荻上ちゃん! 詳しい話はまた後で! 姪の件、よろしくね!」忙しなく入り口のほうへと向かった。
「上沼さん?」
「や、どうも秋山先生じゃないですか。お久しぶりです。きょうはどうしてこちらに?」
上沼はアシスタントらしい若い女性を連れた初老の男性に話しかけると、そのままカフェを出ていった。壮介はため息を吐くと、伝票を手にした。レジで先ほど対応してくれた店員に謝罪の言葉を告げると、会計を済ませ店を出た。やり場のない思いが渦巻くように腹の底に沈んでいた。次に会ったとき、コーヒー代はきっちり請求しようと心に決めつつ、壮介は上沼の頼みを引き受けたことを後悔しはじめていた。
注文を取りにきた店員が去るなり、上沼は「実はきょうは荻上ちゃんに折り入って頼みがあってさ……」と、切り出した。
「頼み? 何ですか?」
壮介が訊ねても、うん、それがさ……、と言葉を濁すばかりでなかなか本題に入ろうとしない。先ほどまでのふざけた態度とは変わって言いづらそうなようすに、壮介は「上沼さん?」と訊ねた。
「……実はさ、俺の姪がきみのファンでね、将来はきみのようなアナウンサーになりたいんだそうだ。いまはまだ大学生なんだけどさ、将来についていろいろ悩んでいることがあるらしくて、よかったら一度会って話を聞いてやってくれないかな。いや、もちろん荻上ちゃんが忙しいのはわかってるんだけど……」
「いいですよ」
「へ? いいの?」
上沼は拍子抜けしたようなひどく意外そうな表情を浮かべた。
「ええ、構いません。ここしばらくは特に急ぎの予定もないので、姪御さんが都合のいいときでいいですよ」
手帳を取り出し、スケジュールを確認する。そのようすを眺めていた上沼の表情がぱっと輝いた。
「てっきり断られるかと思ってた。さすが荻上ちゃん、頼りになる~」
「……煽てても何も出ませんよ」
そのとき店員がグラスに入ったアイスコーヒーを運んできた。やっかいな問題は片付いたとばかりに、上沼はグラスに手を伸ばした。
「いや、知ってはいたけど、中身も男前だなあって改めて感心してた。荻上ちゃん、確かまだ独身だったよね。モテるくせに浮いた噂のひとつも聞かないし。俺が言うのもなんだけど、うちの姪、ミスキャンパスに選ばれるくらい器量もよくていい子でさ、年齢は少し離れているけど案外荻上ちゃんと似合いなんじゃないかな。ほら、縁は一生の宝っていうじゃない。よかったら一度……」
「――すみませんが」
最後まで聞かず、壮介は上沼の言葉を遮った。
「結婚はしていませんが、一生を共にしたい相手はいます。この先何があっても大切にしたい相手です」
はっきりと告げた壮介に、上沼はぽかんとした表情を浮かべている。さとりのことを隠すつもりは微塵もなかった。誰に何を言われようとも、壮介の気持ちは決まっている。
「それってさ、騙されてるんじゃないの?」
「はい?」
一瞬何を言われたのかわからなった。上沼は壮介を眺めると、訳知り顔で続けた。
「いやあさあ、荻上ちゃん、人が好いから相手の女に騙されてるんじゃないかと思って。その歳で一生を共にしたいなんて決めなくてもいいんじゃないの? だいだいさ、その人本当に大丈夫なの? 荻上壮介の名前に惹かれているだけじゃない? 荻上ちゃん、相手に利用されてない?」
「な……っ!」
瞬間、頭にかっと血が上った。テーブルの角に腕がぶつかり、その拍子にグラスが倒れる。
「あっ」
「わっ、荻上ちゃん!」
慌ててペーパーナプキンでテーブルの上を拭いていると、すぐに店員がやってきて片付けてくれた。
「大丈夫ですか? お洋服は濡れなかったでしょうか?」
「服は大丈夫です。すみません、コーヒーを零してしまって……」
「いえ、大丈夫ですよ。すぐに代わりを持ってきますね」
「本当に申しわけない……」
「どうぞお気になさらずに」
店員が立ち去ると、後には何も起こらなかったかのように元通りになった。
「案外荻上ちゃんもドジだな、いったい何を考えていたのさ~」
ずけずけと物言う上沼に、壮介は呆れて言葉も出ない。
そのとき、上沼は何かに気づいたように立ち上がると、「悪い、荻上ちゃん! 詳しい話はまた後で! 姪の件、よろしくね!」忙しなく入り口のほうへと向かった。
「上沼さん?」
「や、どうも秋山先生じゃないですか。お久しぶりです。きょうはどうしてこちらに?」
上沼はアシスタントらしい若い女性を連れた初老の男性に話しかけると、そのままカフェを出ていった。壮介はため息を吐くと、伝票を手にした。レジで先ほど対応してくれた店員に謝罪の言葉を告げると、会計を済ませ店を出た。やり場のない思いが渦巻くように腹の底に沈んでいた。次に会ったとき、コーヒー代はきっちり請求しようと心に決めつつ、壮介は上沼の頼みを引き受けたことを後悔しはじめていた。
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