屋敷の主

麻戸槊來

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屋敷の主

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―――プルメリアには、気品や親愛、恵まれた人という花言葉があるらしい。以前、私が大好きだった花の名だ。これがうちに来た時とは、まったく違う心持で、緑が生い茂るさまをみた。外から注ぐ陽の光がまぶしすぎて、手でそっと目を覆う。

「ママー!みてぇーぼく、パパより高くこげたよぉー」

「おっ?パパだって負けないぞ」

「あっ!じゃあ、もっとこいでやるぅー」

あはははっ

居間から庭をのぞくと、今でもそんな二人の笑う声がきこえてくるような気がする。実際に二人がブランコで遊んでいたのは遠い昔の記憶であり、息子が5歳くらいのことであるため夫も若い。
まだ夫は皺などなく、お腹も出ていなかったとまで考えて苦笑する。そんな事口を滑らそうものなら、途端に反撃されるのは目に見えている。私だって、顔や手のシワは隠しようがないのだから。

ここからでは少し見え辛いが、プルメリアの淡い香りとともに、ちらりちらりと記憶をくすぐる。

「ママ―!パパと綺麗なお花かってきたよぉ」

「おいおい、焦って鉢を落さないでくれよ?」

「だいじょうぶだよ」

うんしょっ、うんしょっと掛け声をかけながら、息子が自分の背丈ほどありそうな木を抱えている。エレメンタリー・スクールにあがったばかりの息子は、なんでも自分でやりたがった。学ぶ楽しさを、学校に通いはじめて理解したようだ。いくらこちらが諭しても、全然言うとおりにしてはくれない。
それを私たち夫婦は、ハラハラしながら見守るのだ。本当は大事な可愛い一人息子。傷ひとつつけさせたくないけれど、見守ることも大切だと、息をのんで応援するのが夫婦で決めた、約束事だった。

あの日も、いきなり運んできたプルメリアをみて「見るのはいいけど、育てるのは大変だから嫌だ」と反対したのに、夫と息子が勝手に買ってきたためしかたなく育てているものなのだ。
プルメリアは五枚の花弁があり、先が丸々としたその花は南国をおもわせ可愛らしいのだが、植物を育てるのが苦手な私には世話するのが大変だ。
息子が一生懸命運んでくれば、私がダメと言い難いだろうと考えた、夫の作戦勝ちだった。結局、二人に甘い自分を自覚しつつも、あの笑顔を見ては、何も言えなくなってしまって……。


いつまでも窓際にいたら、思い出から抜けだせなくなってしまう。ゆっくりと体をはなすと、指輪に何かがあたり、カツンッと甲高い音が鳴った。

「―――嗚呼、こんな所にあったのね」

ここしばらく見ないと思ったら、物のあいだに埋もれてしまっていたようだ。
底がボコリと歪んだ鍋が出てきた。これは母の代から使っているもので、使い勝手がよくお気に入りだった。花嫁修業をする時もこれを使っていたため、「他の道具だと、夫に美味しい料理を食べさせるか不安だから」と、無理いって譲ってもらった。今となっては形見の一つだ。


色の褪せたそれに指を這わせると、固いもので叩いたあとが残っている。
鍋など、そうそうの事がない限りへこまないであろう思うのに、息子はそれを簡単にやってみせておどろいた。

「ごめんなさっ、ママ、ごめんなさい……」

どうやら、かぼちゃを煮ていたその鍋を運んでくれようとしたらしいのだが、予想外の重さで下に落としてしまったらしい。運よく息子専用の踏み台にあたり、火傷などはしていないようだ。けれど息子は、まるで大切なおもちゃが壊れたときのように泣き叫びはじめた。

「あらあら、どうしたの?」

頬の涙を拭って理由を聞くと、私が「息子にとってのおもちゃと同じくらい大切なものだ」と、以前に教えたのを覚えていたらしい。そんな大切なものを壊してしまい、悲しくなってしまったらしい。

何とも可愛らしくもうれしい気遣いに、私はそっと息子を抱きしめて彼が無事であったことを喜んだ。鍋いっぱいにかぼちゃをいれていたためそれはとても重く、熱いため当たったらひどい怪我になったかもしれない。頑丈なふみ台にまけて鍋はダメになったが、それより息子が無事であるほうが重要だった。

「ママは、どうして僕を許してくれるの?」

抱きしめた息子から問われた言葉があまりに意外で、私はどういうことかと問いかけた。

「だって僕は大事なおもちゃを壊されたら、きっと友達でも嫌いになっちゃうよ」

ぽろぽろと涙をこぼしながら失敗を悔やむ彼を見て、人の痛みを感じられる人間になったのだと、私は嬉しく思っていた。
もしかしたら、母親である私に嫌われるのではないか……。という有り得ない妄想にかられた結果かもしれないが、それだけ私の思い出を大切に感じてくれているのだと分かった。

「ママの大事なものを、大切に思ってくれてありがとうね」

にこにこと微笑みながら理由を説明し逆にお礼をいうと、息子は照れくさそうに、えくぼをつくりつつ笑った。



ふっと、目の前に影が差す。

「おばあちゃん、聞いているんですかっ?
 こんなに物を集めても、しょうがないでしょう?」

苛々と声を荒げたかと思うと、猫なで声で囁きかけてくる。
大の大人が何人も敷地外にいるとそれこそ近所迷惑になるだろうと、しぶしぶ家に招き入れた。それだというのに、カメラを抱えた男たちは勝手に人の家の中を撮影しはじめ、奇麗な服装の男は私にマイクを向ける。

「そんなの、私の勝手だよっ。大体、敷地外には出していないんだ。
 何を置こうと、非難されるいわれはないね」

はんっと笑ってやると、これは面白くなったと男たちの目の色が変わった。
どうやら目のまえの男たちは、私に典型的な話の分からない陰険婆を演じて欲しいらしい。これ幸いと古びた紙コップを持ち出して、とくとくお茶を注いでやった。形が残っているのが不思議なほどにへこみ、周囲の色も変わっている。お茶はわざとラベルをはがし、少し濁った色をしている物を選んだ。

にたりと皺を歪めて笑うと、取材陣の顔が引きつったのが分かる。
きっとこんな家で出されたものを飲んだら、腹でも壊すと思っているのだろう。あいにく古いといっても紙コップは未使用の綺麗なもので、お茶も昨日買ってきたばかりのものだが、わざわざそんな事を教えてなどやらない。

いい加減、さっきから投げかけられる不躾な質問にも、部屋を荒らすほどの大人数にも嫌気がさしているのだ。早々にお帰り願おうと嫌がらせするが、相手もなかなか引こうとしない。



近所の人間がいい顔しないのは知っている。
家の前をとおるたびに顔をしかめ、大きくはないがこちらに聞こえるような声で「不衛生だ」「気が狂っている」などいわれつづけて久しい。

国の人間もいきなりやってきたかと思えば、ろくに挨拶もせずに「処分しろ」だの「捨てろ」だのうるさい事をいってくる。こちらにしてみれば蠅のようにうるさい周囲を蹴散らしながら、今まで思い出の品を守ってきた。よくきく人間のように、ゴミを拾ってきたことなどないし、ゴミ捨てだって地域の決まりを守っている。


取材陣を家にいれると、少しでも目立とうとしているのか、恥知らずな近所の人間が我が家の敷地に侵入してくる。

「ちょっと!勝手に人の家に入ってくるもんじゃないよっ」

庭には壊れやすいものだって多くあるし、自分の場所を荒らされたくはなかった。
そもそも、自分の敷地に勝手に入られた上に怪我をされては堪ったもんじゃない。きゃーきゃーと楽しそうに騒いでいたのが、注意した瞬間にぎろりとこちらを睨みつけてくる。取材陣に聞こえないくらいの声でいわれた罵倒は、きっと放送されることはないのだろう。

私が怒鳴った瞬間をおもしろおかしく加工して、まるで猟奇的な危険人物のように扱うのだろう。本当に危険な人間のもとには近寄らない癖に、いざ少し人とちがう人間をみつければストレスを発散するかのように攻撃しだす。


そんな周囲の人間をみているうちに、いつしか疲れて人と関わること自体が少なくなった。
息子が幼いときは仲良くしていた隣人とも、ぞんざいな扱いを受け、まともに話をしてもらえなくなってからは疎遠となった。

「いつになったら、このゴミを片付けるんですかっ?」

息子ほどの年齢の男が、再びマイクを向けて詰め寄ってきた。
整えた髪に小奇麗な服装。近寄るとふんわりと香水の匂いが香っているが、私の鼻にはどうも強すぎていただけない。

「だから、ゴミじゃないって言っているだろう!」

取材をしに来たと言ってもこちらの言葉を聞く気などはなく、どうやって望む言葉をひきだし行動をさせようかと、企んでいるのがよく分かる。

時にはわざと強くでて、きつい言葉を投げかけてくる。
もう……どんなに頼み込まれても、取材など受けるものかと心に刻み込んだ。取材の許可を取るときはやけに丁寧だったため、油断をしてしまったのだ。こいつらだって、周りのやつらと変わらない。私を理解できないものと切り捨て、こちらの言うことなど聞く気はないのだ。

「おい見ろよ、このカップだけやけに綺麗だぞ」

「いやだなぁ、こんなカップがあるなら、これでお茶を飲ませてくださいよ」

どこかふざけたような声がきこえた瞬間、私は目についた光景に驚き叫び声をあげた。

「それに触らないでおくれっ」

ガッと物がくずれる音に構うことなく、私は男に掴みかかった。
男が持っているのは、最後に二人からもらった私宛の誕生日プレゼントなのだ。かれこれ数十年たつが、これ以上に大切なものはみつからない。

「おかあさんおめでとー」

「はいこれ、俺とこいつで協力して買ったんだ。誕生日おめでとう」

「僕も貯金箱こわしたんだよ?」

小学校高学年になった息子は、これまであつめたお金を使って私にティーセットをプレゼントしてくれた。亡き夫と協力して買ってくれたこのブランドはとても高いもので、ずっと欲しいと思いながらも値段が高くてなかなか手を出せずにいた。

お茶を好きなのは私ばかりで、「何でこんな物がそんなに高いんだ」と、カタログをみているだけで文句を垂れていた夫まで、私の好みを優先してくれたというのが嬉しかった。

何とか取り戻そうとした最後のティーカップが、ゆっくりスローモーションで床へと落ちていく。ほかの物は割れたりひびが入ったりして使えないから、あれが唯一綺麗な形で残っているものだった。

生きていたら、息子と同じくらいかも知れないなどと考えて、取材陣を家に招くのではなかったと後悔する。だがそんな私をあざ笑うかのように、カップをつかもうと伸ばした手は空を掻いた。


いくら物を捨てられないといえど、最低限の生活くらいはしようと歩く場所を確保していた自分が憎らしい。
パリィンと陶器が割れる音が響きわたって、私はその場に崩れ落ちた。

「いやぁぁぁー!」

―――最愛の人たちからもらったプレゼントは、幸せな日々同様。
いとも簡単に砕け散った。

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