白木と武藤

一条 しいな

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 白木にそのまま押し倒されたら、どうなっていたのだろう。武藤は想像してみたが、やはりどんなことが起きるのか、わからない。ただ、武藤が白木に対して愛情のようなものを持っているのか、と武藤は自分に問いかけてみた。
 卵がある。それを卵焼きにしてある。漬物もある。白米がたいている。それにみそ汁。魚。よくある日本食である。それはなにかの雑誌で見たようなものである。しかし、作ってくれた以上にどうやって作ったのか、気になる。
「どうやって、作ったのか、気になるのか?」
「ああ」
「気を固めた」
「気?」
「それに似せた」
 なにが言いたいのか、わからない武藤だったが、エネルギー体を人間の食べ物に模したのだろう。それだけはわかった武藤がいた。
「毒や変なものは入れていないだろうな」
「入れたら面白いか。望むのか?」
「いや、いい。食べる」
 湯気が立つ卵から甘い香りが漂っている。みそ汁の具は小松菜で目に優しい緑に豆腐が浮かんでいる。いかにも美味しそうだと武藤は判断した。あんなことをされて、武藤は腹を空かした自分に気がついた。
 箸を取る。素朴な箸だった。薄い茶色で、まだ切ったばかりのものに、漆などをつけず、透明なものにコーティングしたと思う。しかし、肌触りが優しい。
「箸は白木が作ったのか」
「さあ。あるからな」
「えっ」
 戸惑い気味に武藤は箸を見た。ここは化け物の世界ということを実感できた。慣れたはずなのに、まるで知らない世界だと武藤は思った。朝日が差し込む。そうして、武藤の髪を赤く染める。長い髪がさらりと白木が触る。
「で、髪の毛をくれるか?」
「それはダメだ」
「使うわけではない。形見になるからさ」
「もう死ぬのか、俺は」
 さあな、と白木が言う。震えている自分がいることに武藤は気がついた。いつ死んでもいいと考えていた。この苦しみが終わるならば、しかし、実際には苦しんでもこの命が続いてほしいと願っている自分に気がついた。
 それに感動というより、困惑に近い。祐樹が生きているだけで十分というのに、それなのに武藤は自分が生きていると考えている。
 本で異界に行ったら、異界の住人になる。身も心もというわけではないだろうと思った。そうではない。
 それは古い時代だから、異界を受け入れたと、そんな記述を武藤は思い出した。なんとしても、帰りたいんだと思った。武藤は卵焼きを食べていた。そういえば、と記憶を探った。なにかの本で、異界の食べ物は食べてはいけないと。
「俺は」
「なあ。なんで、そんなことをしているのか、わかるか。おまえは俺のものになったんだ」
「記憶を操ることもできるのか?」
「操る? ああ、そういうことか。別になにもしていない。武藤が動揺しているだけだ。忘れているだけだ」
「俺は」
「消えない。俺の側にいれば、いい。それで幸せ」
 武藤は絶句した。異界の食べ物を平然と食べている自分が。吐き出そうとしたが、一度でも食べれば、戻れない。それなのに、胃は拒絶することなどなく、消化しようとしていた。
「吐き出す」
 そうしなければ、きっと武藤は戻れない。お手洗いに行こうとする武藤がいた。しかし、どこにそんなものがあるか、わからない。食卓の前では気が咎めるが、手を口の中に入れようとした。吐き出すことでそのまま、異界にいるなんてまっぴらだと、伝わるだろう。白木は平然としていた。それは、冷ややかな目で見つめている。
「この世界になじめば、生きていけるというのに、な」
「それは」
 結局、吐き出すことはできずにいた。勝手に胃が消化したのか、それも白木が操ることで、吐き出すことができずにいた。そう武藤の体を操作したのか。手がベトベトになった。口から透明な胃酸が出てくるだけだ。
「あーあー、汚したな」
「おまえ、白木。ふざけるな」
「ふざけていない。食べなければ、死んでいた」
 白木は笑う。体力を消耗している武藤にはまるで気にしていないと言いたげでもある。怒りがわき出でくるとはこのことだろう。手がよだれでベトベトなのも構わず、武藤は白木をつかんだ。
「おまえ、俺をどうしたいんだ?」
「○ックスしたい」
「は? 俺を殺したいんだろう?」
「なぜそう思う?」
「生殺しだ」
 こんなことなら、意識をと武藤は口を開けなかった。武藤は唇をかみしめていた。それこそ、武藤の意識を奪うことが白木の目的かもしれないと考えていた。武藤は汚れた手で白木の頬を平手打ちした。
「これで満足か」
 武藤は目をギラギラと光らせていた。怒りを感じている。
「せっかくの朝食を汚したな。悪い子。お尻を叩くぞ」
「白木」
「そういうプレイを望んでいるのか?」 
「俺はおまえと○ックスしたくない」 
 そうはっきりと白木に言った。久しぶりの怒りという感情だった。自分をどうコントロールすればいいのか、わからない。ただ、怒りに任せて、怒鳴っていた。
「で、スッキリした?」
「ヒステリーではない。当たり前の感情だ。俺は白木のことをなんとも思っていない」
 白木の目が薄い膜を張ったまま、武藤を見つめていた。それに武藤はいい気味だと思った。知らないうちに武藤の目には涙が出ていた。これはどういうことだろうか。
「やめてくれ。俺を壊さないでくれ」
「武藤」
 白木から離れるように武藤はしゃがんでいた。そうして、情緒不安定な自分に気がついた武藤は最悪だと自分の印象をそう位置づけていた。武藤は自分の手をみた。こんなに気分が動転しているのは、中学以来だと。中学のときと、なにも変わっていないと武藤は考えていた。
 よだれで武藤の手はテラテラと光っている。白木は汚いとは言わなかった。いつのまにか、白木は手ぬぐいで白木自身を拭っている。そうして、武藤に近づいた。
 昔、母親にやられたように、手ぬぐいで、強い力で、有無も言わさずに拭われた。まるで、これが当たり前のように。
「俺は、また」
「いいんだ。武藤。当たり前だ。それが人間だ」
「は?」
「俺は武藤がいいというまで待つ。何百年でも」
 それが事実だと武藤は実感した。何百年たっても、武藤は生きつづけるということになるのだろう。それがわかって、武藤はめまいがした。

 異界のものを食べたせいか、食べ物を食べたくない。異界の住人に近くなるのかもしれない。それは人間ではなくなるということでもある。それを阻止したいはずなのに、それを受けている、冷静に受け止める武藤がいた。不安定な気分はさっき白木に当たり散らして、消化できた。それでも、スマホを見ている武藤がいた。担当の連絡を見ていた。
 しかし、事務的なことだった。それと祐樹は忙しいのか、あれ以来連絡がない。現実だとしても、受け入れられないのは当たり前だ。
 自分が死んで、バケモノによって生き返っていたなんて、誰かが言っても信じられないことだ。だから、武藤は知られたくなかった。幸いなことに、そこにいた人間は武藤以外覚えていない。多分、白木が記憶を消したか、その場にいた人間も思い出したくないことだろう。そんなことを理解できるくせに、白木が実際にこんなことをするなんてわからない武藤は自分が腹立たしい。
 愛玩にするために武藤を狙っていたのかもしれない。異界の住人は気まぐれだ。それは確かだ。武藤はすぐに飽きて殺されるだろう。ずっと一緒にいたのは人間の武藤だ。異界の武藤など面白くないだろう。
 スマホの画面からなにもわからない。メッセージを送ることができずにいた。武藤はしばらくスマホを見ていたが、やめた。母親の言葉、母親がメッセージアプリで話しかけている。それを見ていた。痛い。帰りたいと強く思う。
 ここでメッセージが届けばいいのだ。それはできずにいる。言葉を交わせないのは苦しい。そう、こんなにもいらだつ。一方的なコミュニケーションでもある。
「白木が悪いんだ」
 しかし、心の中では武藤が自分にも非がある。それは確かだ。自分の気持ちと白木の気持ちを見ないふりをしていた。なぜ白木が武藤を選んで、殺さなかったのか、そこは気まぐれだと考えていた。そんなことはなかったのだ。
 武藤が白木を好きということはないだろう。しかし、長年一緒にいたせいか、あまえてしまう。そう、操作されていると考えれば楽だが、白木はそんなことをしないと言っている。何百年も待つという。それが武藤に恋をしているということに、ようやく武藤は気がついた。
 どうして、そう言わない。言えば、変わるというのに、少しだけ楽になると思う。そうではないのだ。武藤はわかっている。そう、白木は武藤に恋している。
 そんなことを考えて、時間を無駄にしている。ときがすぎれば、すぎるほど武藤が不利になる。仕事がなくなっていく。社会に戻れない。
「武藤、昼食はなにがいい?」
「おまえ」
「おまえの体は大切なんだ。俺のものでもあるんだ」
「ふざけるな」
「俺は、な。おまえを手に入れたかった」
「それで現れたのか?」
 あの夏のときと武藤はいまいましい記憶を刺激するのか、苦い口調になる。白木はそれをなにも考えていないのか、ただ見つめている。無表情で。
「俺はたまたま、遊びに来たとき、おまえたちが現れただけだ」
「それは、白木がいけなければ」
「そんなことを言っているけど、覆水盆に返らずという言葉が武藤の世界にあるだろう?」
 そうであると言うことが武藤にはできずにいた。
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