白木と武藤

一条 しいな

文字の大きさ
23 / 24

17

しおりを挟む
 白木は武藤の感情を食べたいのか。
 そんな武藤の問いに、白木は黙っていた。
 白木は話すかわりに、武藤の背中をトントンと手のひらでたたく。
 白木は武藤を抱きしめて、子どもにするように、優しくあやすように、軽く、たたく。
 それで武藤は自分の心が荒れたと、気がついた。
 その白木から離れたいと思った。
 白木は感情を食べたいのか、今も、武藤は思ったからだ。
 白木が、武藤を愛玩にしたメリットが武藤の感情を食べること以外にない。それしか思いつかない。
「武藤は俺に問いかけたことは武藤の本心なのか? 感情を食べてほしいのか?」
 白木がそういった。だから、武藤は自分がどうしたいのか、わからなかった。武藤は気がついた。
 武藤が感情を食べられることを望んでいたのか。
 武藤は慌てて考えることをやめた。
 針のように触れるようで、怖かった。そのことを考えると、心が痛かったからだ。
 自分が自分を踏み潰したいと思ったからか。
 醜悪な自分を見つめるからか。
 そんな自分を認めたくない。
「わからない。ただ、疑問に思った」
「武藤は俺を試しているのかも」
「白木を試す?」
 そんなつもりもないのに、心外だと武藤は思った。
「良かった。そう思ってくれて」
 なぜそんなことを言われるのか、武藤にはわからない。
 白木の手が武藤の手をにぎる。そうして、白木は武藤に向かってほほ笑む。
 目が合う。
 なんと言えない幸福を感じる。
 白木の顔に違和感というより、白木が人間のように笑えるのだろうかと、武藤は疑問に思った。
 武藤が白木に望んだから、そんな笑顔を浮かべるのか。
 白木はなぜ笑う。そう武藤はつぶやきそうになった。
「白木、おまえはそんな表情もできるのか」
「わからない。人間にはなれまい。俺は」
 武藤を見て自然と笑いが出てきたと、白木が言った。
 武藤は黙った。それは武藤が望んだものだから白木が人間らしくなったのか。
 この世界は願いや思いが現実になると白木が言った。
 誰かと穏やかな会話をしたいという考えが武藤の願望にはあったのか。
 中学のときから、祐樹以外でこうして穏やかな会話をしたかったのだ。
 いつかと思って、自分でもその思いに忘れていた。
 武藤は日差しを感じた。柔らかな光。
 そんなものは、自分で作ったまぼろしだ。
 自分以外の誰かと話していることに、なんとも言えない気持ちになった。
 自分で自分を嫉妬するようで、自分を傷みつけたい。
 それなのに、泣きたいような、嬉しいような、武藤の気持ちが揺らいでいる。
「おまえは姫のことをどう思う?」
 武藤は唐突に言った。白木のことを信用しているのかと武藤は思った。
 武藤は、姫と宮古が幸せになるだろうか、気になった。
 むりやり心を作り変えられ、姫と一緒にいろという願いを宮古は姫に押し付けられた。
 それは宮古が望んだことではない。
「あれは、あれの道理で動いた。それに流れに逆らえば、ゆがみが出る」
 姫が宮古を異世界にさらうことが、必然ということなのかもと、武藤は思った。そうではないと武藤は知っている。
「宮古さんは巻き込まれただけだ」
「そうかも。ただ、宮古は疲れていた。現実から逃げたかったのでは」
 武藤は息を飲んだ。それはなんとなく思い当たるところがあるからだ。
 それは、武藤も同じところがあるからだ。
 現実から逃げたいと思っていたからだ。
「俺にできることはない」
 白木はそういった。武藤はなぜか、ムカムカと腹が立つ気持ちになった。
「おまえたちはいつも突然に現れて、俺たちをさらう。それがどんなひどいことか、わかるか?」
 白木はじっとしている。武藤が感情的になって、白木は驚いているだろう。
 武藤が白木に対して、声を荒げて怒りを誰かにぶつけるとは自分でも意外だった。
 自分にはできまいと思った。
 怒鳴るような感情を持つことは。
 自分がこんなにも怒りを持っていた。
 怒鳴りたい衝動に武藤はとらわれる。
「おまえはいいよ」
「帰りたいか?」
 白木が問う。
 自分の世界に帰りたいような、帰りたくないようなあいまいな気持ちに武藤はなってきた。
「俺を試すな。白木がどうしたい?」
 白木が決めるんだろうと思った。武藤はそう自暴自棄な気持ちになった。
「武藤を手放したくない」
「なら、期待させるな」と白木から背を向けた武藤がいた。
「一瞬だけ帰ろう」
 後ろから、抱きしめるように白木が武藤の手に取る。

 目を開けると、そこは自分の部屋だ。なにもない部屋。パソコンと机と本と。
 帰ってきたのに、会おうと思う人が思いつかない。
 母親に連絡しようと思っても動かない。体が。動くことを拒絶している。
 感情が食われて、心がなにもないからだ。
 空虚という言葉が、自分の今の気持ちによく似合う。なにもない。
 心が死んでいる。
 悲しみくらいしかない。
「ああ、俺は寂しいんだ」と思い、武藤の心が弱い吐息になった。
 武藤は消えたいくらい憂うつな気持ちになっていた。動かない体でぼんやりと天井を見ていた。
 白木が武藤の顔を見ているようだ。目を開けるのも嫌気がさす。
 体が重い。息をするだけでだるいと訴える。
 心が泣きたいという気持ち。なにも感じないはずが、自分を責めたい。
 こんなふうになった理由は自分がむちゃなことをしたからだ。
「誰も頼んでいないことをしただけ。愚かだ。俺は」
 武藤はそうつぶやいた。
 うっすらとわかっていた。薄い膜をおおわれた感情。
 虚しさだ。
 こんなことをしても、誰も感謝してくれない。
 祐樹にとっても迷惑だをわかっている。
 自己の欲求。祐樹から離れたくない。
 弱い心がむき出しになった。
 俺が祐樹と別れたくなかったからだ。あのとき、白木がしたことは、武藤が祐樹に執着していることをわかっていたのか。
 それとも白木の気まぐれか。
 自分が許せなかった。
 ゆがんだ形にした理由が、武藤の弱さにあった。
 白木を使って祐樹をよみがらせた自分のゆがみ。
 箱庭で、一人になることの恐怖。
 それだけ、祐樹に依存していた。
「武藤。責めているのか」
「武藤は悪くない。武藤が感情を与えなくても、祐樹は生きている」
 なにを言っているのか、武藤は理解できず、白木を見つめる。
 武藤は小さく笑った。
 だまされていたんだと気がついた。
 その可能性はあったが。考えたくなかった。
「白木、俺を食べろ。それで」
「悲しいのか」
「だましたんだろうな。俺が愚かと思うだろう。だったら、俺はなにのために今まで生きていたんだ。俺は」
 悲しくて涙で前が見えない武藤がいた。ヒリヒリと胸が焦げるように痛い。
「白木。俺が憎いのか」
「俺はおまえを生かすためなら、なんでもする。悪魔にもなれる」
 生かす? 武藤の乾いた感情にはなにも浮かばない。
 なにを言っているんだと武藤は白木をあざわらいたい。
 愚かな自分を責めることしかできず、涙が出てくる。
「俺は愚かだ」
 そう武藤が言った。
「おまえが死ぬなら、俺は悲しい。そこは絶望だ」と白木が言った。白木が手を伸ばして武藤の顔を触る。
 武藤は息を飲んだ。
 白木の声が震えている。
「やっぱり傷つけた」と白木が言った。
 白木がギュッと武藤を抱く。武藤は笑った。
 笑えと思った。
 白木が武藤と同じとは思えなかった。
 ただ、そういえば白木が救われると思っている。武藤は白木を疑っている。
 それほど、武藤は祐樹が好きなのだと気がついた。
 それほど、愛していた。
 友達として。
 恋と間違うくらいに好きだった。
 幼くてわからなかったが、愛していた。 
 それは友愛なのか、その境界線はあいまいだ。
「白木は、俺をどうやってよみがえらせる?」
 そう言っていた武藤に、白木は武藤の頬に口づけをする。
「よみがえらなくていい。生きていればなんでもいい」
「俺は知らなかった。こんなにも虚しさがあったことを」
 白木が武藤に目を閉じろという。そうして武藤は、その白木の言葉にしたがうように目を閉じる。
 目を開けると、体のだるさもなく、傷口がふさがっていた。
 いつもの和室だ。
 あかりがぼんやりとつき。布団の中にいる武藤。
 外は暗い。
 薄い光で、古傷は皮膚が薄く包まれているのがわかる。
 この虚しさは心の中で顔を隠している。
 でも、武藤は気がついた。そこには悲しいと虚しさしかない。
 それを再び感じたくないと考えていた。
 ようやく武藤はこの苦しみを感じようとした。
 それは鈍痛でも、重い痛みだ。
 重くて息が切れそうで。それから目を離せなくて、傷口から血が出てくる。
「そうか。忘れたかったんだな」
 感情を感じたくないと以前、武藤は思った。
 それは中学のとき。いじめられたときに、感じたことだ。
 武藤は感情なんていらないと思った。
 現実から逃げたかったからだ。
 中学のとき、白木が迎えにきたのか。
 それとも、そのまま、さらわれて幸せになれるだろうか。
 武藤はこのままでいいのだろうか。
 なにか、変わらないと焦る武藤がいる。
 疲れたのだと気がついた。床に横になる。武藤は目を閉じる。
 涙が出てきた。
 うっすらをまぶたの下がうるむ。
 白木にだまされたことも苦しい。
 しかし、それ以上にこの虚しさが苦しい。
 この虚しさはどこまでもつづくようで、苦しみを味わう。悲しいくらいで。
 重くて、ドロドロしていて。
「白木、頼む。そばにいてくれ」
 武藤は白木に頼る以外、知らない。
 それは昔からだ。
 依存しているのか。
 仕方がないと武藤はあきらめた。そうやって生きてきたからだ。
 そうやって、生き延びたのだ。
「白木」
 白木が近づく。ゆっくりと背中から体を包むように、抱きしめる。
 それ以上、なにもしない。
 それが安心する。
 武藤は白木の呼吸を感じる。
 こいつは生きているんだと武藤は思った。それが間違えていても、武藤は信じてしまう。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか

BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。 ……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、 気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。 「僕は、あなたを守ると決めたのです」 いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。 けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――? 身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。 “王子”である俺は、彼に恋をした。 だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。 これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、 彼だけを見つめ続けた騎士の、 世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

敗戦国の王子を犯して拐う

月歌(ツキウタ)
BL
祖国の王に家族を殺された男は一人隣国に逃れた。時が満ち、男は隣国の兵となり祖国に攻め込む。そして男は陥落した城に辿り着く。

処理中です...