万華鏡商店街

一条 しいな

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 手紙を書いていた洋吉は父親の顔を思い出していた。父親の顔と一緒に母親も、妹や祖父母も。元気にやっているだろう。それが洋吉の考えだ。家柄はよくないが、金に困ったことがない。裕福かと問われると困る。貧乏かと言われると違う。そんな家庭だった。
 手紙を書き終え、手紙を乾かしていると耳が雨音を拾う。雨音はしとしとという音に変化していた。洋吉はほっとした。
「洋吉君。ラジオを聴かないか」
 と誘われたが、あいにく洋吉は代筆をしなければならず、汚い字をにらみながら原稿を書かなければならない。さすがに殴り書きはないが、読みにくいのは確かだ。洋吉は目を通す作業してから、清書していく。時間がゆっくりとたった。
「神川さん。神川さん」という声がふすま越しに聞こえてきた。洋吉の集中力が途切れたときだったので、洋吉はなんだろうと思った。しかし、こんな時刻に神川を呼び、下宿先まで訪ねてくるような女人がいるだろうかと洋吉は考えた。そこまで考えて洋吉ははてと思った。
 どうして自分は声を女人だと思ったのだろうか。いきなりふすまが開けられた。神川は不機嫌な顔をしている。が、洋吉に気がつくと「女の声がしなかったかい」と今度は優しく言った。
 洋吉はあっけにとらわれて、ああとつぶやいた。ゾッとしている洋吉と安心した洋吉がいた。なぜならばあの声は現実ものであるということに気がついてゾッとして、安堵したのは自分以外にも聞こえる仲間がいるということからだ。
「聞こえたよ」
「やっぱり」
「なにかあるのかい」
 洋吉が怖々という表情を隠さずに言ったから神川は笑っていた。どうやら、洋吉の怖々とした様子を笑ったようだ。
「君、笑うなんて失礼だよ」
「いや。すまない。じゃあ話すかな」
 神川のおとぎ話のような語りが始まった。



 小さい頃から僕は、変なものが見えるんだよ。この文明が発達した社会には珍しいようなものが。母親は精神の病になったことがない。それに、親族も父親も。僕だけだった。
 祖母はよく僕を“戯言”を信じて神社なり寺なり行ってくれたよ。優しい人だよ。ありがたいというべきかな。子供の不安定な気持ちを察してくれたんじゃないかなと僕は思うよ。本当に見えるわけじゃない。
 目の錯覚の一種かな。僕はこんなナリをしているが、目が悪いからさ。眼鏡をかけているのは知っているだろう。うん、そうだね。授業だけだね。それくらいだよ。僕の視力は。
 雨の降っていた日だと思う。傘をさして、道をぶらぶらしていた。なんだい? 目的は? ないよ。暇だから、雨の中を歩いていたよ。もしかしたら知り合いに会えるかなと考えていたからね。ああ女性も含まれている。それは聞かなかったことにするよ。
 道を歩いていたら、びしょぬれのお嬢さんがいたんだ。顔を真っ青な。かわいそうだから、ハンカチと傘をあげた。僕は走って行ったよ。なに色男は違う。なにをそう勝手なことを言い出すんだい。
 まあそれから家に帰ったんだ。そうして服を着替えて、布団の中に入った。妙にあの女性のことが頭の中が鮮明に残って考えていたんだ。そうしてうとうとし始めて。さま、さま、かみかわさまとか弱くいう声が聞こえるんだ。



「最近、つづくのかい」
 怪談めいた。いや一瞬の精神の病か気のせいと洋吉は言いたかった。集団によるヒステリーを起こしたのだろうかと不安になった。洋吉の表情を見て神川は苦笑した。
「多分気のせいかな」
 そんな気がするんだと神川は言った。神川の言葉に洋吉は同意したい。実際に洋吉は怖かった。その上、洋吉の知らないところで神川は関わっているとは思わなかった。
「ならば、万華鏡商店街の朝霧古本屋の店主、三津堂(みづどう)に相談しよう」と洋吉は切り出した。
「なんだい。万華鏡商店街ってそんな商店街があったけ」
 実は、と玲子のことを話すには傷は癒えていないが、洋吉は語り出した。あの夢とは思えない、いや夢と思うような出来事を。
「頭は大丈夫かい。君」
「大丈夫だ」
「しかし。そんな夢物語があったなんて信じられない。万華鏡商店街ってどこにあるか、わからないのか。頼りたくても頼れない」
「そんなことはわかっている。しかし、放っとくと、本みたいにならないか」
「本?」
「とりつかれて頭がおかしくなるという話もある」
「まあ。実害がないから」
「そんなのんきな」
「もしかしたらお礼が言いたかったのかな」
 はあと洋吉は言った。そう言われるとそんな気がする。しかし、ぶると体を震わすような怖さがあるのはなぜだろうか。
 雨はまだまだ降っている。洋吉にはなぜかこの雨がやむまで女は来るだろうと思った。
「不安そうな顔をしないでくれ」
「一緒に神社に行くか」
「困ったな。そんなつもりで話した訳ではないのに」
「じゃあ。君。一体どんなつもりで話したんだい」
「そうだね。ちょっとした気まぐれと怪談話をしたかっただけだよ」
「君はそんなつもりだったのか。私は真剣に考えていたのが馬鹿らしくなったよ」
「すまない」
 三津堂かとぼんやりと神川はつぶやいた。やはり不安なのだろうかと洋吉は考えていた。洋吉の視線に気がついた神川は「一応行ってみるかな」と気まぐれな猫を連想させる目で言った。それくらい神川の目は大きいのだ。そうして洋吉が付き合うのはわかっていた。


 万華鏡商店街を知っている古本屋に顔を出してみた。洋吉と神川を見るなり、店主は猫の相手をし始めた。
「あの」
「なんか用かい」
 相変わらずぶっきらぼうな店主である。しばらくして神川は本を何冊か持っていく。買う意志を見せる。店主は舌打ちをした。
「万華鏡商店街の行き方ってわかりますか」
 神川がいう。
「あんた。行ってどうするんだい。万華鏡商店街に」
「聞きたいことがあるんです」
「まいったな。色男の恋のもめ事には大変だからな」
「そんなことではありません」
「まあいいよ。それともう一冊買ってくれれば」
 今度は洋吉が神川に見られた。本を買った。文学論を書いたものになったのは、はやりのためか、洋吉にはわからない。店主は「まあいいっか」と言った。
「すぐに行けば。わかるよ。裏道に通っていけばすぐだよ。うちの裏道ね。言いふらすなよ。言いふらしたら」
 ゴクリと洋吉は唾を飲んだ。神川は涼しい顔をしている。
「あいつらに恨まれるぞ」


 あいつらとはなんのことかわからなかった。古本屋の裏道には本当に道があった。道をまっすぐに行くと、すぐ目の前に万華鏡商店街の旗が見えてくる。三津堂に会えると思った矢先に、ちょいとと言われた。見知らぬおばあさんが神川に話しかけていた。
「なにか」
 三津堂ではないぞと神川に注意したい洋吉に対して、神川は穏やかな顔で応対する。その穏やかな顔はひなたぼっこの延長のような会話だった。古本屋朝霧が見えて「三津堂」と扉を開けた。三津堂は寒いのか、いやいやと言いながら、洋吉達を迎えてくれた。
「なんでまた見知らぬお客様を連れてきたんですか」
「彼は、危ないんだ」
 三津堂は茶を用意して、住居に上げた。神川は正座している。三津堂の顔をまじまじと観察している。三津堂の精神を刺激するのか、三津堂は嫌そうな顔を隠さない。
「依頼ということならば、違うところにしてください」
「なんだい。騒がしい店だな」
 三津堂の住居の敷地から、店側の仕切りのふすまから顔を出した男がいた。体が細長いというのが、印象的な男だ。パノラマ帽をかぶって、薄茶色のシャツに丸い眼鏡。ひげはそらず、ポツポツとはやしている。細長い顔に大きな目がぎょろりとこちらを見つめている。
「大滝(おおたき)さん」
「こちらの学生さんがね。私に退治しろ。って」
「退治か、大変だ。見たところ、若いものだし、金はなさそうだな」
「まあね」
「なにかくれないか。若者」
 これならヤケクソに本を出す。大滝と呼ばれた男は苦笑する。嫌がっているわけでもなく、軽蔑することもなく。
「三津堂、手前。紹介するなら、茶を出せ。今回はそれで手を打ってやるよ」
「ありがとうございます。ほらあんた達も礼を言うんだよ」
「別にいいよ。特にあんた。うまそうだ」
 あんたと言ったのが神川だ。神川は、はあと言った。どんな意味が込められているのかわからないが、大滝は神川の話を聞いていた。「ふむ」とは、「はん」とか笑っていた。
「まあ、かわいそうな女だな」
「女がかわいそうですか」
 神川は意外そうに笑っている。まるでひとごとであるから、洋吉は本当に大丈夫か心配してしまう。洋吉の気持ちを知らずに「じゃあ。兄ちゃん。あんた、女に名前を教えたかい」と尋ねると「教えていません」と答える。
「あっ。傘には名前を入れていました。それですかね」
「ふふっ。まあそれだろう。思いのほか色男だったからついて行きたくなったのだろうよ」
 くっくっと男は不気味な笑みを漏らしていた。しかし、洋吉には不思議と「じゃあなんで下宿先がわかったんですか」とムキになって言っている洋吉がいた。
 洋吉の言葉にうっすらとした、楽しいといいたげな目とかち合った。三津堂である。
「そりゃあ、ついて来たんでしょうね」
 こともなげ言い出す三津堂に洋吉はゾッとした。洋吉の気持ちも知らずに大滝は「だろうよ」と笑っていた。
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