万華鏡商店街

一条 しいな

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 大滝はメモを渡してきた。
「ここに書いてあるところに行ってくれ」
「わかりました」
「じゃあ私は」
「一緒に行ってもかまわないよ」
 大滝はそう言って、タバコを飲んでいた。そんな大滝に元気よく神川が行ってきますと言い出していた。明るくその声は紫煙の中にいた大滝との組み合わせは違和感があった。
 万華鏡商店街を出て、近所の八百屋につく、渡された金もあるのだろうか、そんなそぶりは二人とも見せなかった。洋吉は気味悪いものを見たようだった。一瞬だけ、なにかいたようだった。黒っぽいなにかがいたような気がした。
 洋吉はすぐに目の錯覚だと考え直していた。いくらなんでも洋吉には信じられない、一瞬のことだからだか、と片付けていた。信じる、信じないという話になれば、洋吉は信じない。見せつけられては違うという結論を堂々巡りしている。
 日差しが強くなっている。あのときは六月の寒い季節だったが、真夏へと季節は変わっている。洋吉は頭に手をかざし、白く発光している太陽をにらみように見ていた。
 商店街は人がいる。それでもやはり物不足のせいか、混んでいる。高くてもほしい人はほしいらしい。歩いている人々はにらむように洋吉を見ていた。掏摸かなにかと間違われたようだ。
 神川は別のところに行こうとしていた。洋吉はかけていく。
 洋吉が神川のところに行くとなにも買っていない。冷やかしだろうか。神川を不思議そうに洋吉は見ていた。
 洋吉は歩いていく。夏の暑さはムシムシと洋吉と神川の体力を奪うようだった。太陽は高い位置にいてミンミンゼミがうるさげに鳴いている。湿気た空気がたまに動くがそれは暖かい風である。洋吉の背中のシャツは汗で透けていた。白い下着が見えているくらいだった。それは神川も同じようだったらしく、彼の背中には下着とシャツが見えていた。
「神川、暑いからどこか休まないかい」
「そうだね。近く神社があるからそこに行こうか」
 やれやれと言いながら洋吉と神川は坂道を登っていく。暑いのか道に人はさすがにいなかった。通りの家の中からラジオの流れる声が聞こえてくる。庭から朝顔が咲いていた。
「シャツがびっしょりだ」
 神川は笑っている。それに呆れていると「なんで、君はそこまでするのか、私にはわからないよ」と洋吉は本音が出てきた。夏の暑さのためかわからないが、愚痴のような言い方になっていた。
 神川はなにも言わないが、ふむとあいづちをした。
「見えるのは悪いことだと思っていたよ」
「そりゃあね」
「大滝さんは違った。歓迎してくれる。君にはわかるかな。否定された己の一部が認められたときの驚きは」
「わからないよ。さっぱり」
「だから、君は不思議に思うんだ。なぜ僕がこうしているのか」
「当たり前だよ。瓜を食って寝ていた方がいい」
「相変わらずだな。そういうあっけらかんとしている癖に、助けようとするのはなぜかな」
「さあ。わからないな」
 洋吉達の目の前には、御神木が植えてある神社が見えた。まだ建築途中である。御神木の影に神川は立った。風が吹く度に気持ちのよい涼しげな風が二人を包んだ。影の中では枝が張り巡らせ、枝がついた葉が、日に透かし、明るい緑である。まるで着物のように鮮やかな色である。


 次の場所に行く、そこは川だった。せせらぎが聞こえてくる。町の中は日差しの中、人が歩いている。業者が魚を取るための網を担いでいる。それを横目で見ながら、川の中で近所の子供が川魚を捕まえようとしていた。
川の橋に立ち止まった二人は、冷たい風に吹かれていた。川面をなでるように風が吹いている。いくつかの船が通る。気持ちのよい風景である。
 洋吉はぼんやりとその風景を眺めていた。勉学ばかりだった自分には人の営みがいとおしく、のどかな気持ちになる。洋吉は己の中の精神の変化にただ、新鮮な驚きをもたらしていた。洋吉が思うのと違って、人の世は世知辛いはずだが、こうして遠くを見ている分には至極穏やかなものに思えた。
「いい風だ。気持ちがいいな」
「そうだね」
 神川はそう言った。神川はしばらく川の中のものを見ていた。なにか見えているのかと洋吉は思うのだが、それ以上は問わなかった。
 その後、洋吉達は探偵事務所についた。大滝に会おうと、部屋に入るのだが、そこには奥さまらしき女と大滝がいた。
 高そうな猫が首輪をして、夫人に渡されているところだった。洋吉は端によると女は籠に猫を入れて、しゃなりしゃなりと歩いていった。
「ありがとう。大滝さん」
「いえいえ、奥さま」
 奥さまの代わりに使用人が金を払っていた。洋吉はそれを見ながら意外と普通の探偵事務所なんだと思っていた。
「で、どうだい。首尾は」
「ああ。いました」
「よし。じゃあ、行くか。あっ、洋吉君、君はいいよ。上がって」
 はあと言った洋吉はなにがなんだったのかわからず、家に帰ることにした。


 代筆は終わったので、疲れた体をゴロゴロと畳の上に転がした。暑かったので水を飲んだ後だ。ぼんやりと窓の外をのぞいていた。人通りは絶えない。頬杖をついて、ひたすら洋吉は今日、あったことを思い出していた。
 洋吉にはわからなかった。あれだけがんばって歩いたというのに、ただそれだけでいいのなんてそんなことをつらつらと洋吉は考えていた。
 気がつけば、畳の上で頭に座布団を敷いて眠っていた。我ながら自分の無意識の行動には驚かされると洋吉は考えていた。
 赤い座布団は最近干していないからペラペラである。臭い油の匂いがした。洋吉は眠りながら、これは一体なんだろう。なんの匂いなんだろうと思っていた。嗅いだことがある匂いだった。なにかが燃えるような。洋吉は、ぱっと体を起こしていた。
 火の元を探す。明かりは電気だが、ランプをたまに使うときもあった。焦げ臭くないか、階段を下りて、台所に行く。流しがあり、火の元にある七輪はなにもない。それを見ていると、燃えているわけではないかと洋吉は安堵した。
 変な夢を見てしまった。一体どんな夢を見たかは洋吉には思い出せなかった。洋吉は階段を上り、二階に上がると、座布団に焦げ跡のようなものがあった。いつ、つけたんだと洋吉は首をかしげていた。


 洋吉は眠っていた。洋吉の目の前には火が踊っていた。火はメラメラと燃えて、まるでなめるようにすべてを覆い尽くしていた。その中で洋吉は今自分が死ぬんだとわかっていた。何度もそうやって、繰り返していたからだ。
 なぜか涙は出なかった。火がきれいだったからだ。そうして気がつけば洋吉は目を覚ましていた。
 寝汗がびっしょりで、浴衣はベトベトだった。汗だくの体で、洋吉は辺りをみまわした。あるのはいつも通りの日用品や文机だ。洋吉は暗がりの中ため息をついた。安堵のためかわからない。ただ助かったと思っていた。なにから助かったのか洋吉にはわからない。ただ、なんとも夢見の悪いことこの上ない。
 そうして洋吉ははたと気がついた。自分は一体どんな夢を見ていたのだろうか。とりあえず、悪い夢から逃げ出すために、くんだ水を飲むことにした。洋吉は再びうなされることになった。


 体がふらふらとする。洋吉はあれから満足に眠れなかった。朝の日差しは頭にキンキンという痛みのような、興奮のようなものを刺激する。
 洗面所で顔を洗っている。無駄に広い洗面所は、下宿所として使う男達を配慮したものだ。今ではおかみさんの顔があんなだが、昔はそりゃあべっぴんだったよと紹介してくれたおじさんの言葉を思い出す。
 洋吉は顔を洗っていると、神川が現れた。
「おはよう」
「おはよう」
 どちらかともなく、声をかけた。洋吉には力なく言うくらいしかできずにいた。洋吉の様子を見ていた神川は「大滝さん」とつぶやいた。
「どうしたんだい」
「いや。君、顔色が悪い。どうしたんだい」
「悪夢を見ていたらしくて、一晩中、うなされたんだ。おかげでふらふら。昼間に寝るよ」
「大学の講義がなくてよかった。あまり無理しないでくれ。疲れすぎたのかな」
 洋吉はその言葉を聞いて理解してしまったのだ。
 疲れすぎたせいで夢見が悪かったのだ。洋吉は自分に確認するように思った。歯ブラシを口に含ませると、神川の心配そうな視線に気がつかないで、歯を磨き始めていた。まるで洋吉自身、認めたくないと考えているように。洋吉は、まるで考えないようにしていた。
 これは穢れを受けたせいだと。


 洋吉は実家に帰ろうか帰らないか迷っていた。盆に帰ればいいが、それをすると汽車は混んでいた。海水浴にしゃれこむ友人達を尻目に洋吉はコンサートに行っていた。音楽を聞いて、悪い夢を蹴散らそうという作戦かもしれない。
 埃っぽい道を歩いている。陽気はまだまだ暑い。背中に日差しが刺さるような、暑さだ。太陽はギラギラと油を塗ったように光り。地面は白く反射している。眠れないだけだが、妙に頭が軽く、なにも入っていないような軽さだ。脳が入っているはずだか、不思議と暑く、また喉が渇いていた。洋吉は日陰に入る。
 はあと息をつくと、誰かに見られているようなねっとりした視線を感じた。辺りを見回すと、誰もいない。洋吉は気のせいかだと思って、気にしなかった。暑いから少しだけの日陰。木陰にかくれる。ミンミンゼミの合唱に包まれていた。
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