羅針盤の向こう

一条 しいな

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「今夜、空いている?」
「バイトがあるから無理」
 あっそうと真澄ちゃんがいう。なにやら考えているようだ。真澄ちゃんは食い下がらないなと僕は唐突に思った。実際は食い下がってほしいくらいだ。
「週末は」
「実家に帰るから」
「あんた、色気ないわね」
 ざっくばらんに言われた。少しは遠慮して言ってほしい。真澄ちゃんは梨田さんの方を向いた。
「あっ、圭介ちゃん」
 ハートマーク付きで二人に話しかける。ついでに僕らは逃げることにした。ちょっとあんた達という野太い声が聞こえたが、あえて無視した。そうして、僕らは一息ついた。
「逃げることないじゃん」
 ニヤニヤしながら戸井田がいう。僕は教室に入って、出席表と今回使われるはずの半紙を取る。
「なんていうの。親切心から来たんだから、別に一緒にご飯を食べてもいいじゃん」
「僕は、ただ真澄ちゃんにしつこくモデルになれと言われたくないだけ」
「なってやれよ。悪いようにはしない。出演料をもぎ取れば」
「そんなあこぎなことができるか」
 と言いながら、半紙を取っていく。好きなところに座り、教授が入ってくるまで会話はつづくと思いきや。戸井田は机に伏した。
「疲れたか」
「疲れたよ。インパクトがあるよな。真澄ちゃんは」
 まあな、と僕はうなずいた。学科と学年、名前を書いていく。真澄ちゃんのことを考えると、また気が重くなるようだった。
「それにしても」
 戸井田は僕を見て何か言いたそうな顔をしていた。僕自身無視していた。真澄ちゃんが何を言おうとモデルにはならない。真澄ちゃんが教室に入ってきた。僕達の方に向かっている。
「逃げたわね」
 逃げるよと言いたくなるのを僕達はあえて言わなかった。真澄ちゃんは仁王立ちをしている。足はきれいに毛が剃られているがたくましい足をしている。
「ケーキバイキングに行かない」
「ケーキ苦手」
「大丈夫よ。圭介ちゃんもついていくわ」
「いや、だからなんで僕達も」
「ついて行くのは、拓磨ちゃんあんただけよ」
 僕があきれていると戸井田はニヤニヤしている。明らかに楽しんでいるのがわかる。梨田さんがなんで行くんだよ、二人で行ってくれないかなと考えていると。
「同じコマを取っているから。行くわよ」
 ずいっと男の顔が近づいてきた。僕は引き下がったが、また近づいてきた。キスされるのではと思ってしまった。赤いルージュが艶やかに蛍光灯を反射する。僕はただ、ひたすらうなずいた。戸井田もさすがに引きつった顔をしていた。真澄ちゃん、やるなと感心しているようには言っているが。
 真澄ちゃんの顔が引いた。真澄ちゃんはにっこり笑う。僕達の周りはざわざわと雑談が始まった。さっきのなにという声も聞こえないわけでもないが、僕はあまりのことに机に伏せたくなった。戸井田が僕を気の毒そうに見つめていた。
「なんというか。ご愁傷様」
 僕はケーキバイキングに行くことになった。真澄ちゃんは半紙を取りに行き、女子達が集まる場所に行ったようだ。女子達に質問責めを受けていればいいと僕は思った。



 寒い。お昼休みになった。ケーキバイキングに行くことになり、戸井田とは別れた。真澄ちゃんから連絡があり、学校の近くにある、カフェに行く。洋風な作り、焦げ茶色の扉、窓が小さくあり、その窓には紙でオープンと英語で書かれている。多分おしゃれな店なんだろう。引き戸になっている扉を開けた。甘い香りがした。クッキーとか香水が入り混じった匂い。けして嫌みなものではなく、女の子が行く場所なんだと僕は思った。そんな僕は周りを見回した。木のテーブルと木の椅子、椅子には柔らかそうなクッションがはめ込まれている。窓側はあまり日当たりはよくなく、窓からは植えた植物、キンモクセイが見える。オレンジ色の花はすでになく、濃い緑と背の高い木があるだけだった。近くに花壇があるが、冬のせいか、クリスマスローズが飾られているくらいだ。
「こっちよ。こっち」
 いきなり呼ばれた。だから僕は振り向くと梨田さんと真澄ちゃんが座っている。コーヒーはなく、紅茶を頼む。ピアノがBGMに流れていた。モーツァルトかなと知ったかぶりを僕は発揮していた。頭の中で。
「で、どうしてみんなで集まったんですか」
「ノリ」
 僕の問いに梨田さんが答えた。なんとなくだが、そのような気がしないでもなかった。むしろ反対に、意味があったらなんだろうか、また夜の話になるのはわかっていた。
「また夜に会いに行く」
 真澄ちゃんが好奇心をむき出して言い出す。僕はあきれていると梨田さんは「いいな。百円くらいならやれる」と言い出す。
 紅茶を飲んで、ケーキを頼む。甘すぎないタイプで香辛料はそれほど使っていない。むしろ押さえ気味。良かったと僕は思った。姉のお土産で香辛料が強い、ケーキを食べさせられたからか、今回は無難に過ごせる。小さいショートケーキとレーズンが乗ったチーズケーキを食べる。食べるならば、とことん食べてやるというのが僕の意気込みだ。
「美味しいでしょ。このケーキ」
「うん」
「どんどん肥えなさい」
 あきれていると真澄ちゃんはタブレットを取り出した。パソコンのようなそれを見て、いやな予感がした。
「これを読んで」
 案の定読んでみると、僕らしき人間が年下の子に振り回される話だ。僕は真澄ちゃんをにらみつけた。
「いいって」
「あなたをモデルしたわけではありません」
「じゃあ、誰」
「圭介ちゃんよ」
 梨田さんは照れた顔をした。梨田さんだと思わなかったから、小説を何度か読み直していた。僕には僕で衝撃だった。真澄ちゃんの手によれば、梨田さんもこんな弱々しい男性になってしまうのかと。
「どう私の技術」
「すごいような、なんとなくわからない」
「どうこれ、あんたでもわからないわよ」
「うーんわかったよ。だから、僕には関わらないでくれ」
「いやよ。あんたは観察対象なんだから。じっくりと見るわよ」
 真澄ちゃんはにやっと笑った。白い丈夫そうな歯が見えた。ホワイトニングされた歯を僕は折りたい気分になったのは言うまでもない。
「まあ。いいんじゃない。いつもと変わらないから」
「まさか、真澄ちゃんと仲良くなったきっかけって」
「本のモデル」
 ああと僕はうめき声を上げた。柄でもないことをしている自覚があるが、これは仕方がない。運命なのかと思ってしまう。真澄ちゃんと仲良くなったのは良かったと思うしかない。無理やりにも。



 絶望感に打ちひしがれている僕を梨田さんはのんびりとりんごのパイを食べながら、かすかにシナモンの香りを漂わせてながら言った。
「気にするなよ」
「気になります」
 弱々しく言い出す僕に梨田さんはうーんとうなった。何か考えている様子だ。
「俺もさ。最初は何を言っているのだ。このこいつはとか思ったよ」
「こいつじゃない。LGBTQよ」
「まあ。よくわからないけど悪い奴じゃない。いい奴でもないけど。ただ、話せばいい。いなくなると寂しいもんだよ。意外と」
 そういうものかなと僕は真澄ちゃんを見つめた。真澄ちゃんは金髪に染めた髪をゆるく三つ編みにして、赤と黒の長いチェックのシャツにTシャツを膝丈スカートにインしている。スニーカーをはいているが、何かを考えている。
「あたしってそんな普通」
 考えから戻ってきた真澄ちゃんは意外なほど、簡単に笑った。僕はそんな顔をもするんだと思った。紅茶を飲む。砂糖を入れた紅茶は美味しい。多分いい茶葉を使っている。
「真澄ちゃん。悪意のある表現はしない」
「あんたのこと、嫌いじゃないから大丈夫」
「じゃあいい」
 真澄ちゃんの目が大きく見開いた。口角が自然と上がっていく。キラキラとした目で僕を見つめたら、僕は黙ってバイキングに立ち上がっていた。真澄ちゃんはついていく。
「私を信じてくれるのね」
「いやだけど」
「何を、その態度」
「かわいくないと言いたいなら、言えばいい」
「かわいくない、かわいくない」
「じゃあ。真澄ちゃん。売り上げの何パーセントかくれる」
「上げない。雀の涙位の売り上げよ」
 真澄ちゃんは笑った。僕は本当かなと考えていた。本当かわからないから、僕は梨田さんを見つめていた。梨田さんの一言が効いたわけではない。ただ、このまま付き合っていたら自然と書いてほしいと思うから。いやなのに、僕は受け入れてしまう。だったら、素直に受け入れてしまえとヤケクソにも思ったのだ。
 真澄ちゃんはブルーベリーとミント、木苺が乗ったケーキを取る。僕はなんとなく定番を選ぶのに、真澄ちゃんはチャレンジャーである。僕の視線に気がついたのか「美味しいわよ」と言う。ケーキをいくつか選んで僕は席に座る。
「まさか。俺の言葉で決めたってわけじゃないよな」
「まさか」
 梨田さんは落ち着かない様子で明らかにうろたえていた。僕はどうしようかと考えたが、梨田さんには正直言おうとした。
「別に梨田さんのせいにするつもりはありませんから」
「まあ。変な作品ができたら俺の責任が重大になる」
 そんなことを言う梨田さんにケーキを取ってきてくださいと言う。梨田さんは犬みたいな目をした。まるでしょぼくれた犬みたいな。僕は図らずもかわいいなと思った。梨田さんはそんな僕に気づかない。
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