羅針盤の向こう

一条 しいな

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棟に入ってエスカレーターに乗る。ぼんやりと自分の教室まで乗せてもらう。前にはたくさんの女の子が楽しげに話をしている。笑い声は明るく、笑顔はかわいいと思う。
 彼女達が降りたとたん、シーンと静かになった。教室を向かう。ビル街の中、隣のビルはさすがに見えない。そうして寒かったはずが、棟の中は暖かい。
 教室に入れば、みな好きな席に座っていた。
 戸井田は机に伏せていた。
「おはよう。なにを寝ているんだよ」
「寝てねえ。落ち込んでいるんだよ」
「なんで? ケンカ? 誰と?」
「違う。彼女は優しい。優しすぎるのが怖い」
「贅沢な悩みで」
「なんか朝から疲れているみたいだな」
「それ、他の人にも言われた。そんなに疲れているように見える。あっそうだ」
 クーポン券をすべて、戸井田に渡す。マッサージ店のクーポン券をほうと、戸井田は見た。前の席の男子は気がついたようだ。
「マッサージ。あやしいな」
「いいよな」
「梅毒には気をつけろよ」
 戸井田はクーポン券を見て店をスマホで検索しているようだった。どうやら見つけたようだ。ふうんという。
「普通のマッサージ店みたいだな」
「女の子、かわいい?」
「うーん」
「ねえ、マッサージって言った?」
 女子がかぎつけるように言ったので僕はうなずいた。先輩からたくさんクーポン券をもらったというと、なんとも言えない顔、申し訳ないような困った顔をした。
「そういうのってたいていつぶれそうな店だろう」
 男子が言った。行くつもりなのかクーポン券を持っていく。女子はちょっとと言った。
「これ、メンズ専用だから女子は使えないからな」
「あっ、本当だ」
「メンズエステだ」
 ようやく女子は気がついて腕を組んでいる。今まで黙っていた戸井田が「ちゃんとした店っぼい」と言った。どういう印象かと聞くと、美容室みたいなサロンみたいと戸井田はクラスメートに答えた。
「なあ、拓磨もらっていい」
 いいぞと言って、クーポン券はだいたいさばけた。これなら捨ててもいいだろうと考えていた。教授が入ってきてなんだという顔をした。
「なに、店を開いているの」
「拓磨君が、マッサージ店のクーポン券をみんなにあげているんです」
「ああ。そういうこと。そういうのってつぶれそうな店が客集めにするんだよな。みんなも気をつけてね」
 はいしまってと言われてクーポン券をしまった。戸井田はため息をついてホワイトボードを見ていた。
 暖かい中、授業が進んでいく。みな眠そうな時間中、真剣に板書をしていく。タブレットやノートパソコンでメモしていくという人もいてそれぞれだ。僕はルーズリーフに書いていた。
「拓磨さ。なんでマッサージ店に行かないのか」
「行かない。整体行っているから」
「なんで」
「腰を痛めたから」
「は?」
「パン屋でバイトしているから」
「は?」
「小麦粉とか重いものを持つから」
 はああと言われた。なるほどと感心された。パン作れると言われたが、首を振った。戸井田に苦笑された。
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