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日乃本 義に手を出すな
拾壱
しおりを挟むヒツジ、か。
変わった名前だと思ったが、上流階級の子女には存外珍しくない。それに羊は、美と善の象徴だ。善良で心の美しい人間になってほしいと、御両親が願いを込めて名付けたのだろうと柾彦は推測した。
柾彦はポケットにメモを仕舞い、ヒツジを見てにっ、と笑うと、右手を差し出した。
「ヒツジ、俺は柊柾彦。茨樹から来た。
改めて、よろしく」
ヒツジはぱあっ、と顔色を明るくして
「柾彦」
と呼ぶと、嬉しそうに柾彦の手を握り返した。
「柊…ということは、君は茨樹の名医、柊竹彦男爵のご子息かい?」
握手を終えると、ヒツジが柾彦に問いかけた。
「えっ、知ってんの?親父の事」
片田舎の貧乏華族の一人にすぎない父の名を知っている者がこの会場に居るとは思わず、柾彦は驚いた。
「確か、彼は布留川村の領主でもあったね。
彼ほどの能力があれば、もっと富を成す事も出来るにもかかわらず、領民に廉価で治療を行い、徴税も最低限に留めていると聞いている。問題が起これば、自ら足を運ぶ事も多いそうだね。
民との分かち合いを積極的に図る、この国では貴重な心優しい明主だと存じ上げているよ……その優しさの所為で、些か財政難に陥っているみたいだけどね」
「……俺より、お前のほうが詳しいかもしれないな。…親父の事」
「そんな事はない。君が今、そんな表情をしているのは、君が誰よりもお父様の事を理解しているからだ」
「そうか」
柾彦は、それだけ答えるのが精一杯だった。
貧乏で、時々抜けている事も多い父だが、布留川とその領民を想う気持ちは誰よりも強い。
そんな父の事を、この東喬でも識っていてくれた人が居る事に胸がいっぱいで、目頭が熱くなっていた。
「親父と…あと兄貴も医者でさ。兄貴とは八つ歳が離れてるから、俺が進路とか考える頃には、もう兄貴が後を継ぐ事が決まってて。
…で、お前は次男だから好きな道に進んだらいいって言ってくれてるんだけど、ずっと二人の背中を見てきたから、俺も医者になって、親父と兄貴の力になりたいって思ってるんだ。
あとどうやら、あの二人にはマネジメントの才がないみたいだから、経済と経営についても学びたいと思ってるんだけど……現在医学部二浪中」
柾彦は自虐と数字の2を掛け合わせて、胸元にピースサインを作った。
「明けない夜はない。君の崇高な志と努力が報われる日が、きっと来る」
「受験は運も絡んでくるからなあ……まあでも、ありがとな、ヒツジ。
てかさ、お前が柊家の事知ってたのも驚いたけど、なんでこんな田舎の男爵家にまで届いたんだろうな?招待状」
「第一皇子の婚約者は侯爵家以上の子女でないと結婚が許されていないけど、今回は第二皇子だからね。
嫡子以外は、爵位を持っている家系の子女でさえあれば、家柄よりも人物重視で婚約者を選定する事もあるよ。今回も、黒い噂のある家には招待状が送られていないらしい」
「黒い噂、ねえ…」
どうりで、柊家みたいな地方男爵家まで招待されている割には参加者が少ない訳だ。
「しかしさ、さっきヒツジも言ってたけど『子女』って表現、男も含まれてるんだよな?招待状にも参加資格のところに書いてあったから、俺は妹の代わりに来たんだけど。
まさか会場に俺達みたいな男が居るとは思ってなかっただろうな、第二皇子サマも」
「どうかな…日乃本帝国では同性婚が認められているし、僕は男が参加していても、それはおかしな事ではないと思うけど」
「まあお前もここに居る訳だしな」
ふと、柾彦の中に、一つの疑問が生まれた。
「そういやヒツジは、……どうして今日、ここに来たんだ?」
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