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前編

第一章 後継の少年-2

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「おや、ナリィ来てたのかい。またディルクを甘やかして」
「あっ、おばあちゃん!」

 ナリィの顔がぱっと笑顔に変わった。
 上級魔法使いとして職務もあり、立派に役目を果たす彼女ではあるが、なんだかんだでおばあちゃん子なのは一目でわかる。

「将軍炎子えんしが決まったから報告に来たの。フラム・フレフィルノ、ララ出身二十六歳」
「おや、この間息子が産まれたって言ってた彼かい。最近絶好調じゃないか」
「うん、すっごく綺麗な鷹のオーラだった!」

 ナリィは目がとてもいい。
 魔法使いの目のよさとはすなわち、オーラなどをいかに鮮明に見てとれるかということなのだが、その眼力が買われ、数年前から審査員の職務に就いている。
 血縁による王族と異なり、称号は家柄や地位に寄らない、実力と推薦による任命制である。
 死亡や自主退陣時を除き、大抵の職務には任期毎にナリィのような審査員による見直しが入るのだ。
 炎子フラムも、六十の将軍のうち、四年の任期を終え継続せず引退した者の分、新たに任命されたのである。

 シオネとナリィが仕事の話を始めたので、ディルクは邪魔にならないよう、先程までいた庭に置いてきた本を取りに戻っていった。
 その姿を横目で眺めながらナリィは呟く。

「ディルクの成長も最近特にすごいのね。将軍くらいにはなりそう」

 するとシオネが嗜めるように言った。

「おや、お前ともあろう者が何を言っているんだい」

 そして庭の弟子を眺めて珍しく断言する。

「あの子は、四聖の器だよ」

 シオネの言葉に、ナリィは思わず息を飲み込んだ。
 四聖においても、実力と推薦による任命制は例外ではない。
 ただし他の称号と異なり、任期も後任者の指名も、執り行えるのはその現任者だけであった。
 だからこそ、この何気ない言葉には、とんでもない意味が含まれている。

 次の東聖はディルクだとーー。
 シオネが東聖に就いて四十年。とうとう交代の時期が迫っているのだと。

 ナリィは大きく息を吐き、軽く笑って言った。

「そっか、おばあちゃんもとうとう引退するのかぁ。でもまだ早いわよー、ディルクは」
「そうさね、十年は早いねぇ。十年後っていうと私は九十四かい。年寄りにはきつくなるねぇ」

 やれやれと肩など叩きながら溜息をつくが、どこまでも老体には見えない。まだあと二十年くらいは余裕でやってのけそうな祖母であった。


  ◇◆◇◆◇


「うーん……」

 ディルクは目の前に広げた転移魔法を見ながら、うんうん唸っていた。
 今日はこれから師の使いで、西の果ての都ラクニアまで行かねばならない。
 しかし王都から一度の転移魔法で確実に行けるのは、今の所最寄りの街ーーつまりララまでであった。

『なにお前、長距離転移に失敗してこんな所に出たわけ? だっさー!』

 今まさに行く目的地に住む悪友ガルの顔が目に浮かんだ。
 ひと月前に使いで北の都ベコを訪れた時、王都から一気にベコに転移を試みて、勢い余ってラクニアより西方、禁断の荒野にまで行ってしまい、この悪友に助けられたのだ。
 三つ四つ年上とはいえ、彼と同じ四聖候補、西聖の弟子にだ。
 更にそれを予知して伝えたのが、これまた三つ四つ年上とはいえ、北聖の弟子なのだからいたたまれない。

「くっそ、ガルもネスレイも! これじゃ、ばあちゃん負けてるみたいじゃねーか、ちくしょー!」

 木の棒で地面にガリガリと、転移魔法の構成を描いては消し、描いては消す。
 なんだかんだで、自分のせいで師が負けてるかもと思われるのは悔しい。

「見てろよ、他の街経由なんて言わずに、王都から直で跳んでやる!」

 転移魔法の難易度は、単純に距離に比例し、所要時間に反比例する。
 つまり言うまでもなく、王都からベコよりも、王都からより遠いラクニアの方が一段と難しい。

「大体ベコに跳ぼうとしてラクニアよりも遠くに行っちまったんだから、魔力に不足はないんだよな。要はコントロールだろ。ええっと、ここの構成がこうだから……よし!」

 今までの知識と本による研究、自分なりの応用を加え、それを描き上げると、ディルクは持っていた木の棒を放り投げ、手をパンパンと払った。
 すうっと大きく息を吸い込み、意識を集中する。
 そして今しがた地面に描いた構成を、魔力で丁寧になぞっていく。瞬く間に長距離転移魔法が完成した。
 ここ王都より、直でラクニアに通じる……はず……の転移魔法。

「よし、完璧!」

 もう一度目の前の魔法をチェックすると、ディルクは深呼吸の後に、転移魔法を発動させた。

 転移魔法の失敗例は多々あるが、思った所に出ないのが相場である。
 転移先が魔獣の群れのど真ん中だとか、火の中水の中などでもなければ、次元や時間を飛び越えることもなく、普通は帰ることが出来る。
 という意味では、時間魔法や飛翔魔法の方が余程危険であり、師の指導が必要とされている。
 そしてディルクは、少々危険な転移先でも対応出来る心得があった。
 だからこそこの時も、難しいとされる長距離転移魔法に、臆することなく挑んだのだ。

 発動始めからその魔法はおかしかった。
 いつもと違う、時間と距離が法則を外れ捻じ曲がり、自分の身体が切り離されていく感覚ーー。

「あっ、しまった、あそこの構成間違えた!」

 突如気づいて魔法を停止しようとするが遅い。彼の意に反して魔法はどんどん進行していく。
 何が、とわかるわけではない。だが明らかに身の危険があると本能が警鐘を鳴らす。

(やばい! やばいやばいやばいーー!!)

 最後の抵抗に身を捩るが、逃れることもできない。見慣れた景色が消えていく。目の前が真っ暗になる。

 ーーーー死。

 ゾクリと背筋が凍った。心臓がキュッと締め付けられる。
 この世に生を受けて九年半。ディルクは生まれて初めて死の恐怖を感じた。
 こんなに簡単に突然に訪れるものなのだと思い知る。

(ばあちゃん、ごめんーーーー!)

 ぎゅっと目を瞑るが、光を感じて開かれる。転移魔法の移動中に光を感じたことなどないのにと。
 目の前には、見たことのない巨大な壁が広がっていた。建造物ではない、結界による構成だ。
 通り道、抜け道などは見当たらないその結界に、彼の身体が意に反して真っ直ぐ向かっていく。
 周りには何もなく、無重力状態のように自力で止まることも出来ず、このままだと衝突は免れない。

「うわああああああああっ!!」

 咄嗟に結界に対する防御を試みたが、遅かった。
 もっと遠いと思っていた結界が、突如目の前に迫る。あまりに大きすぎて遠近感が掴めなかったようだ。

 その巨大な結界に引っかかった衝撃と痛みに、ディルクは気を失った。
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