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前編
第六章 壊れた憧れ-1
しおりを挟むこの次期西聖の行動は、少なからず次期東聖にも影響を及ぼした。
ガルが西聖の屋敷を辞してひと月後、ディルクが十二の誕生日に、思わぬことを師から告げられる。
「ええっ、俺、東聖、内定……? いいの?」
正式に発表されるのはもう少し後になるが、陛下から直々に、東聖内定の言葉があったとのことだった。
突然のことに驚きながらも、湧き上がってくる喜びと感動に、少年の顔が思わず緩んでいく。
そんな彼を見て、シオネはぴしりと釘を刺した。
「ま、だ、内定だけさね。本就任は時期を見て、とのことだよ。まだまだあたしも現役だし」
だからあんまり浮かれて馬鹿やるんじゃないよと注意する。
いつものクールな言葉にディルクは慌てて背筋を伸ばした。が、やはりニヤける顔はなかなか直すことができない。
だってもう、時間の問題だけで、認められたということなのだから。
シオネはそんな弟子をよそに、やれやれと自室の窓から王城を眺めた。
(陛下も焦ったのかねえ。西聖の後継が辞退しちまって)
内定を出しておけば、世に出るまでもなく辞退などということにはならないだろう。例え就任しないことになっても、世間の目があれば、納得させる相応の理由が必要になるはずだ。
それにここ最近のディルクの成長は、目を瞠るものがある。まだまだ魔法や街のことなど教えることは山ほどあるが、世間には知らしめてもいいかもしれないと考える。
ディルクはシオネ自身も認める次期東聖候補だ。
彼女だって嬉しくないわけがなかった。
東聖内定が正式に発表されてから、ディルクの周りは更に慌ただしくなっていった。
街の仕事、警備兵の見回り、魔法の鍛錬もどんどん難しくなっていく。
そして何より、ディルクを訪ねてくる来訪者が劇的に増えた。
今まで疎遠だった貴族や将軍が、我先にと挨拶へ押し寄せてくる。多くの場合、同じくらいの娘を伴いながら。
最初は数分の面会、そしてその後きちんとした招待状が休む間もなく送られてくる。
「うわっ、茶会のお誘い、展覧会のお誘い、パーティのお誘いって、この間夜会で会ったばっかりじゃねーか!」
本当貴族って、貴族って貴族って、他にやることないのかよーーと喚きたくなる。
ほんの半年前の、見合い画が送られてくるだけの状況が、如何に平和だったかを思い知った。
「いやぁ、大変だねえ、ディルシャルク」
二年ほど前にほぼ同じ状況だった王子が、苦笑しながらそんな様子を眺めた。
彼自身は最近一通り巡ったのか、随分と落ち着いているようである。
「お前だって! まだ決めたわけじゃないんだろーが! お妃候補!」
「うんうん、僕ものんびり何人かはお会いしているよ~」
全くその気がなさそうな王子の態度にイラッとする。
大体王族でもないのにこの歳で結婚話とかどうかしてるよ、ぶつぶつ呟くところもこの王子には楽しいらしい。困った次期国王様だ。
そんな状況下、シオネからは今までなかった執務の仕事などもどんどん降ってくるので、こんなたわいの無い会話中でも、ディルクの手だけは休むことなく動かされている。ナリィの淹れてくれたお茶をゆっくり飲む余裕もない。
分単位で予定が詰まっていくとかどこの重役だと言いたい。
「王都の宮廷魔法使いだよ」
「うぐぐぐ」
さりげない王子の突っ込みにも、気の利いた返しが出来ずディルクは拳を握りしめる。
最近は四、五時間は眠るようにしていたのに、それもままならず、睡眠不足の生活に逆戻りになってしまった。
「大変だねぇ、ディルク」
事情を話すと、王子と同じことをニーマにも言われた。
本当にもう、落ち着いていられるのは科学世界にいる時だけではないだろうか。
「寝てる?」
「昨日はにじかん……」
「うわー今日はチェスお休みして寝なよ」
言うと、ニーマは丘の樹にもたれ、鞄から参考書を取り出し、静かに勉強を始めた。
勉強するなら帰った方がとも思うが、ニーマは塾などの予定がない限り、ディルクより先に帰ることはなかった。
ディルクは横で半分意識を失いつつ、そんな彼を見上げる。
「そういえば、するんだって? 飛び級」
現在小学六年生の二人だが、ニーマが持っているのは高校の参考書である。
気づけば彼は全国模試トップの成績をとり、小学生であるにも関わらず、複数の高校から推薦を受けるようになっていた。
「……ディルクこそどうすんのさ、中学」
視線を外さずにニーマが聞く。
小学校を卒業し、中学生ともなれば、学校に必要な時間は益々増えていくという。どう考えても両立できそうにない。
「捨てたくないよ、諦めたくないんだけどさあ!」
ふと、ニーマはもっと早くから飛び級できて、もっと上に行けていたんじゃないかとディルクは思った。
それでも小学校を卒業するまで、今までわざわざ待っていてくれていたのではないかと。
「別に、いたかったからだよ、この小学校に。飛び級なんていつでも出来るじゃん」
参考書から目を離し、彼はディルクと同じように空を見上げる。
いつか、こんな生活が出来なくなる日が来るとわかっていた。
ディルクもだが、飛び級を決めたニーマだって、これからどんどん忙しくなっていく。小学校卒業なんて、いい区切りだと思う。
「また、来てよ、遊びにでもさ……侵略は困るけど」
ぷっと笑ってディルクは応えた。
「ああ、また気分転換にチェスでもしようぜ」
「まあまだ半年あるけど。なんか今すぐ別れそうな言葉だね」
「確かに」
言って同時に笑い出す。
本当に夢のような時間を過ごさせてもらった。この記憶だけはいつまでも大切にしたいとディルクは心から思う。
◇◆◇◆◇
いつものように挨拶をして職場を出ようとしていたナリィは、聞き覚えのある低い声に呼び止められた。
「やあ、今お帰りですかな、ナリィ殿」
一瞬渋い顔をしてしまいそうになるが無理矢理に笑みに変え、彼女は軽やかに振り返って会釈する。
「あら、フォーレルン様、ご機嫌麗しゅう。先日は素晴らしい機会をありがとうございました」
将軍鋼子。将軍の中でもかなりの実力者だ。その纏うオーラは世にも珍しい鋼の巨人である。
上級魔法使い、とりわけ将軍にもなれば、その巨大さからそうそうオーラを人に見せることなどないが、彼の者はむしろ率先してオーラを披露していた。
鋼の巨人、科学世界では巨大ロボットと言われるかもしれないその姿は、何故か男性に絶大な人気があり、本人も大層誇りにしている。
「お気に召していただけたなら何よりです」
正直女性であるナリィに男性の激しい盛り上がりはわからないのだが、先日わざわざ招待し披露してもらったことは、仕事の上でよい機会だったと思っている。
「本当に、皆様から慕われるだけありますのね」
「貴方様に慕われるのが何よりの喜びでありますよ」
言葉と共に至極滑らかにナリィの肩に手を回す。
鋼子将軍は独身で婚約者の話なども聞かない。するとこの場合、同じく妙齢で相手のいないナリィを口説かないのは失礼にも当たる。
また、そんな女性を気軽に招待する以上、全くその気がないわけでもないだろう。
「フォーレルン様のオーラ然り、周囲には東聖の内定を得る者など、魅力的な殿方がいらっしゃいますのに、気づきもしない愚かな私には、勿体ないお言葉ですわ」
最初から仕事の参考以外に考えていなかったナリィは、そっと手を離しつつ、相手を立てて機嫌を損ねないよう、遠まわしに断りを入れる。本当に貴族社会というのは面倒くさい。
ここで勘違いする愚か者もたまにはあるが、流石は将軍。
意を解してそれ以上の身体への接触はせず、何事もなかったかのように、その「もう一人の魅力的な殿方」について話を続けた。
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