隣国は魔法世界

各務みづほ

文字の大きさ
28 / 98
冒険編

第九章 竜の髭-4◆

しおりを挟む
 
「ディルク!!」

 ライサは慌てて、立ち去ろうとするディルクの腕を掴んだ。
 顔色が酷く悪い。彼女はそのまま無抵抗の彼の頬を両手で包み、コツンとその何もない額に自分の額を当てる。

「ら、ライサ、何し……!」
「熱は……ないみたいね。大丈夫? 精神的な、もの?」

 目をまっすぐ見ながら首を傾げる。至極真剣な顔だ。
 ディルクのオーラは相変わらず荒々しい魔力を放っているーーにも関わらず、怯えも逃げもせず、彼女は堂々と彼の前に立っていた。

「あのね、ディルク、ひとつだけ言っておくわ」

 彼の身体がビクリと硬直する。

「魔獣から守ってくれてありがとう」
「は?」

 思わず発された彼の間の抜けた反応にもめげず、ライサは真面目な表情で続けた。

「何だかわからないけれど、貴方にとってその額の輪を外すことは大変なことだったんでしょう? 私のために悪かったわ。でも助かった。もう一度言うわ、ありがとう」
「いや、えっと、どう……いたしまして?」

 そして暫しの沈黙。すると、ライサが大きく溜息をついた。

「というかね、悪いんだけど、私は貴方が何を怯えているのかわからないのよ。だって、なーんにも見えないんだもの」
「え、あ、まぁ……そう……か?」
「そうなのよ! だからね、一人で感傷に浸られても困るの。人殺したんだか何だか知らないけど、私にはオーラとか何とか見えないんだから、精神的被害なんて受けるわけないでしょう?」

 幽霊だって見えないからそこまで怖くないんだし、オーラなんて尚更、何が怖いのか理解できなくてフォローも慰めることもできないわ、と彼女は降参する。
 確かにそうだ、見えないなら、感じられないなら精神が壊れるわけもない、当たり前だと思いつつも、あまりに呆気ない反応に、ディルクはしばし呆然とする。
 一体自分は今まで何に拘っていたんだろうと思い直してしまうくらいに。

「そう……か、気を使っても意味ないのか」
「そうそう、気を使うだけ無駄なのよ無駄。それに、強いて言えば……」

 ライサは調子に乗って続ける。

「輪っかのないほうが私は好きなのよね。その方がありのままのディルク……で、しょ……」

 と、最後のほうは声が小さくなる。ようやく彼女は自分が何を言ってるかわかってきたらしい。
 馬鹿なことを言った、そう思ったときにはもう言い切った後だった。

 気づけば目の前でディルクが笑っている。
 しかもかなりの大爆笑だ。お腹を抱え、涙さえ浮かべている。
 ライサはあまりの恥ずかしさに、顔を真っ赤にして力なく抗議した。

「も、もう、そんなに笑わなくたって……と、止めてよもう!」
「ああうん、ごめん、悪い! でもすまん、笑わずにいられなくて……あははは! そりゃ、そうだよな! 気にするだけ無駄だよな!」


 しかし恥ずかしいながらもライサはホッと安堵した。
 今にも死にそうだったディルクの顔色が戻っている。それどころか、先程より調子が出てきたのではないだろうか。
 ディルクはひとしきり笑うと息をつき、空を見上げて言った。

「やっぱり……凄いなぁ科学」
「へ? 今のどこに科学的要素があったの!?」
「んーまぁ、いろいろあってな」

 ほとぼりが冷めるまで、科学世界に逃避していたことを彼は思い出す。
 自分を知る者がいないことが、魔法使いがまわりにいないことが、どれだけ落ち着けることだったか。
 だからこそ隣国は、ずっと彼の中では特別な存在なのだ。

「ライサ」

 ディルクは彼女の手をとり、心の底からお礼を言った。

「ありがとう、な」

 ライサがはっと顔を上げると、ディルクはこれ以上ないくらいの優しい笑顔を彼女に向けていた。
 あまりに好意的な素顔に彼女の心は跳ね上がる。

(や、やだ、なんかドキドキするーー。あ、輪を外したから? 見えなくても少しくらい影響があるのかもしれないわね。メモメモ、と)

 心の中でチェックしながら目一杯動揺しているライサに対して、ディルクの方は至極冷静に彼女の手に視線を移した。

「お前、冷えてね?」

 軽く片手を振ると温かい風が吹き、湿っていた服がみるみる乾いていく。
 そういえば河に落ちてそのままだった。ライサは今思い出したように、小さくくしゃみをする。

「あーもう、来いよライサ」

 風の魔法を鎮めると、彼はそのままライサを抱き寄せた。

「ちょ、ディルク!?」
「いいから、黙ってろ。震えてんじゃん」

 言うとディルクは少し力を強め、しっかりとライサを抱きしめた。
 温かい、心臓の鼓動が聞こえてくる。
 なんともいえない緊張感と更に同等の安心感に、ライサの身体はどんどん温まり、徐々に感覚が戻っていく。
 そしてあまりの心地よさにしばらく時を忘れた。

 どのくらいそうしていただろうか。

「今度こそ、大丈夫か」

 ディルクの声に、ライサははっと我に返った。
 そしてあらためて、自分がどんな状態なのかに気づき硬直する。
 ばっ、と勢いよく顔を上げ、ライサは即座にディルクから離れた。そのままくるりと後ろを向く。

「ううううんだいじょーぶ。あ、ありがと!」

 顔が火照る。体温が、心拍数が、どんどん上昇していく。血圧も上がっているのではなかろうか。

(どうしたの、私の副交感神経……!)

 交感神経を興奮させすぎ、上級魔法使いのオーラにはやっぱり抑制する輪が必要なのよーーそんなことをあれこれ考える。
 ディルクは、そんな慌てるライサを見て笑うと「行くか」と声をかけた。

「え、い、行くってどこへ……!」
「だから、マナ……南聖のところだよ。もう日も暮れるし、サークレット借りたいから転移するって言ったろ?」
「え、ええ!? て、転移……? で、出来るの!?」
「ん、余裕」

 ニカッと子供のような笑みを浮かべる。
 すごく高度な魔法で、上級魔法使いとして誇れるスキル。街から街に行こうとするとべらぼうに高いお金がかかるっていうあのーーまだまだ動揺が収まっていない中、必死に思い起こしつつライサは何度も深呼吸を続ける。

「……それとも、お前連れて飛ぶほうがいいか?」

 出会ったばかりの時には、欠片も使おうとしなかった魔法を次々と挙げられる。
 一体あの貧相なサークレットで、どれだけの魔力を抑えていたのかとライサは驚きを隠せない。
 と、ふと気づいて声をかけた。

「あ、ねぇ! 鞄、見なかった?」

 河に落とした鞄、結局拾い上げる前に彼女は溺れてしまったのだ。

「鞄? やっぱ、持ってないのか」
「え、ないよね?」

 きょろきょろと周りを見回して確認する。
 先程火照っていたくせに、ライサの顔は今度はみるみる青くなっていく。

「ど、どうしよう……ね、捜す魔法とか、ない?」

 輪っかのない彼ならもしかしてと、期待の目を向ける。しかしディルクは困惑したように答えた。

「あるにはあるけど……ちゃんと見えるのか? それ。見えないもんは捜せないぞ?」

 聞けばライサが鞄を持っていることにさえ、最初は全く気づかなかったのだそうだ。これは望み薄である。

「や、やだ、どうしよう! あれには大事な書状が!!」
「濡れてんじゃねーの?」

 ディルクはさりげなく突っ込みを入れる。

「失礼ね! ちゃんと防水加工してあるのよ!」
「あそ、だから見えねーんかい」

 それはともかく、困った。王女の書状をなくしてしまっては切腹する他ない。
 なんとか捜す方法はないものかーーーー。
 ライサが真面目にうんうん唸っていると、突然ディルクの腕が背にまわり、そのまま彼女を抱き上げた。

「な、え……!?」

 突然の抱擁に、先程の熱が再び湧き上がってくる。そんな場合ではないのに。

「このまま飛んで行くぞ。マナの家はこの河下だから捜せるだろ?」

 そう言うなり、フワリと音もなく飛び上がる。飛行魔法など普段のライサなら一も二もなく分析し始めるところなのに、この時はそんな余裕もなかった。
 ただただ激しい動悸を必死に抑えつつ、ライサは懸命に失くした鞄を捜した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

アルフレッドは平穏に過ごしたい 〜追放されたけど謎のスキル【合成】で生き抜く〜

芍薬甘草湯
ファンタジー
アルフレッドは貴族の令息であったが天から与えられたスキルと家風の違いで追放される。平民となり冒険者となったが、生活するために竜騎士隊でアルバイトをすることに。 ふとした事でスキルが発動。  使えないスキルではない事に気付いたアルフレッドは様々なものを合成しながら密かに活躍していく。 ⭐︎注意⭐︎ 女性が多く出てくるため、ハーレム要素がほんの少しあります。特に苦手な方はご遠慮ください。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...