隣国は魔法世界

各務みづほ

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冒険編

第十章 南聖の書斎-5

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 扉が閉まるのを確認すると、ディルクはスッと笑いを収め、廊下を歩きだした。
 これで彼女は再び研究を始め、自分への意識はしばらく向かないだろうと考える。
 数日部屋に篭っていてくれればなおよいと。

 誰もいない静かな中庭で、ディルクは目を閉じ集中した。
 しかし程なくして目を開け大きく息を吐くと、周りを見回し、一番手近な泉に向かう。
 泉の水にそっと手を触れると、魔力を注ぎ込んだ。

捜索サーチ

 水鏡となった水面に、ひとつの風景が映し出される。
 まずその現象にホッとすると、改めてその映像を注意深く観察、更にトントンと水面をたたいて、いくつか異なる映像を映す。
 ひととおり見た後ディルクはそれを消し、南西の方角へ身体を向けると、そのまま飛行魔法を使おうとした。

 その時、バチッと前方の何かにひっかかる。
 結界だ。大した威力はないが、ビリビリ痺れるくらいの効果はある。慌ててディルクは後退した。

「やっぱり、そんな簡単な結界も、見えなくなっているんですねぇーーディルク?」

 背後から聞きなれた声が聞こえる。南聖マナフィだ。
 彼はディルクが部屋から出て中庭に向かうのを見ると、そこに魔法使いなら誰でも作れるような簡単な結界を張っておいた。
 当然、魔法使いならこんな結界基本中の基本、よけることも解除することも簡単に出来る。
 だが、ディルクはその簡単な結界にひっかかってしまった。
 そして建物の壁などにはぶつかっていない。
 これが何を意味するか、答えは一つである。

 物質的なものは見えるが、魔法結界などが見えないーーつまり、見えるものが変わってしまった。

 先程の捜索の魔法も、本来ならオーラで見えるはずが全く見えないので、水鏡という媒体を使わざるを得なかった。
 魔法世界の視覚から科学世界の視覚へーーライサは薬品の開発に成功していたのである。

「感想を伺いたいところです」
「……異次元世界に迷い込んだ感じかな。何もかもが違って見える」

 ディルクが苦笑して答えると、マナは「貴方が言いますかー」とのんびり返してくる。何度も異世界の科学世界に行っているのに、と。
 しかし、彼は戸惑ってはいるが、落ち着いてはいるようだとマナは確認した。

「最初は怖かったんだけどな……でも、うん……大丈夫だ、もう」

 それは他ならぬ彼女のおかげだとディルクは自覚している。
 意識を失い目覚めたとき、あまりの視界の変化に現実がわからなくなり、最初は足元が見えなくなっていた。
 だが彼女が傍にいてくれた。
 何度も見つめ、言葉と声を確認し、触れて抱きしめて実感した。
 視界が変わっただけで、他は何も変わっていない。彼女はここにいるのだとーー。


「死の軍の基地……ですね?」

 マナの眼光が鋭く光った。ディルクは頷き、低い声で言う。

「考えてみればわかりやすい。ライサの鞄を誰かが拾うなら、それはだからな」

 そして鞄を捜し、思わぬ拾い物をした。

「助かったぜ。見つからなかったからな、奴らの基地。これで奇襲を仕掛けられる」
「待ってください、一人で行く気ですか? 彼女は……」
「マナはララの守りに残って欲しいし……んー、兵士くらい呼んでおくか。確か空子くうし嵐子らんしが近くにいた筈……」
「それは……私が手配しますが……」

 それ以上言えず、心配そうな顔をするマナに、ディルクは笑って言った。

「俺は目を瞑ってでも魔法は使えるし、魔力も戻ってるし……相手は、科学だからな」

 そうは言っても高度な呪文は使えないだろう。そしていきなり科学の視界になって、何の問題もなく戦えるのだろうか。

「……ネスレイも、相互協力が吉と言っていたではありませんか」

 マナが小さく指摘するが、ディルクはそれでも一人で行くことを選んだ。

「駄目だ。それこそ飛んで火に入る何とやらだ」

 頑固に譲ろうとしない。
 南聖はふと声を落として確認した。

「ディルク……ライサさんは……駄目ですよ?」

 ガル、ネスレイといった二人の同朋からの情報を、マナは聞いている。
 ディルクはその言葉の意味を正確に理解し、複雑な表情を見せた。

 ――――王子の二の舞はやめてください――――

「なんだ、まいったな……最初から知ってたのか、みんな」

 ディルクがライサに特別な感情を抱くこと。
 そういえばネスレイが謝っていたな、と思い出す。苦しむことになると。
 それはそうだ、もともと異世界、敵国の者同士。視界ひとつでこんなにも違う。

「心配すんな、マナ。立場はーーわかってるーー」

 ディルクは背を向けそれだけ言うと、いつもより少しだけ崩れた飛行魔法で飛び立って行った。


  ◇◆◇◆◇


 ライサは一人、物思いに耽っていた。先程の口移しを思い出し、自分の唇に指を触れる。

「何やってるのよ、私はぁ!」

 また研究をやり直さないといけないのに、さっきから全く手に付かない。
 気がつくと呆けてしまっている。
 ディルクとのやりとりを思い出しては、赤面して悶絶している。

「ばかばかばか、ディルクのばか、もう!」

 そのまま机に突っ伏して呟いた。

「どうして私に構うのよ……サヤさんがいるのに」

 あんなに綺麗な人に好かれてるくせにーー。

「気づかれなかった、かな」

 動揺していることに。彼にのみ過剰に反応してしまうことに。
 その反応の原因に心当たりはあった。
 だがこの感情は、自分は元より、誰の為にも何の得にもならない。むしろ害にさえなるだろう。
 無意識に気づいた彼女は早々に、この特殊な感情を心の奥底に閉じ込めた。

「あれ……?」

 ふと涙がこぼれた。閉じ込めた筈の感情が溢れ出す。
 ドクドクと、心が彼を求めているのがわかる。
 ライサは両手で頬をパチンとたたき、落ち着けと自分に言い聞かせながら深呼吸を繰り返した。

(気のせいだから! 脳内物資がちょっとおかしいだけなんだから!!)

 すると、トントンとノックの音が聞こえた。ライサは急いで涙を拭くと、扉へと向かう。

「マナフィ様、どうされましたか」

 そこには南聖が立っていた。神妙な面持ちでライサさん、と声をかけられる。

「すみませんが、ディルクを追っていただけませんか?」
「え?」

 ライサが何事か把握できずにいると、マナは現状を話し出した。

「貴方が作った薬で、ディルクは鞄を見つけました。ですがその代わりに、魔法が全く見えなくなってしまいました」
「へっ!?」

 ライサは自分でも間抜けだと思う声をあげた。
 無理もない。薬は失敗したものだと思っていたのだから。

「場所はここから南西に飛んで二十分ほど。そこに例の死の軍の基地があります。先程空子くうし嵐子らんし両将軍に通達、兵を向かわせるよう手配をしましたが、到着までおよそ一時間。“竜の髭”がなくなり魔力が段違いに増えたとはいえ、ダガー・ロウに目の見えないディルク一人では……と判断いたしまして」
「ダガー・ロウのところにあるんですか!?」

 ライサは叫んだ。科学世界に住んでいる者だって、軍の設備や兵器なんてわからないだろうに、彼一人では無謀すぎる。

「ばかっ! 見えたって、何の武器かわかんなきゃ、意味ないでしょうが!」

 ライサは怒りながら、南聖の織り成す転移魔法に消えて行った。
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