隣国は魔法世界

各務みづほ

文字の大きさ
32 / 98
冒険編

第十章 南聖の書斎-4

しおりを挟む
 
 ーー世界が変わるんだよね!

 王女からの手紙を胸に抱え、王子は陶酔したように語った。
 毎度毎度、彼は手紙を読み終えると、年下の友人にその内容を熱く語る。
 あまりの惚気っぷりに、ディルクは思わず聞いた。恋人とはどんな存在なのだと。

 ーー彼女が一緒だと世界はとても明るいし、すごく満たされる
 ーー逆にいないと、何をやっても満たされない。自分が欠けている感じがするんだよ

(全然わかんねーよ! 他の奴だっていいだろ。見合い話もいっぱい来てるくせに)

 ーーそうだね、でも、彼女だけなんだよ、僕は。彼女じゃないとダメなんだ。傍にいないと不安でたまらなくなる

(不安? 傍にいないだけで?)

 ふとディルクは周りを見回した。そういえばライサの姿がない。
 あれ、と自分でも訳がわからぬまま、心臓が突如激しく打ち始める。
 王子は微笑みながら消えるが、それよりも彼女の姿が見えないのが気がかりだった。

(ライサ! 何処だ、俺を呼んでくれ、ライサ!)

 ディルクは名を叫びながら、暗闇の中を走り続ける。
 何処だ、どうしたんだ、無事なのか、また捕まっていたら、河で溺れていたらーー言いようのない不安に襲われる。心配でたまらない。

 すると、目の前にスッと彼女が現れた。
 顔は見えないが、無事な姿を見て、ディルクは安堵の息をもらす。

 ーーだめだよ。サヤさんがいるでしょ。

 そっと触れようとして、彼女から制止の声がかかる。なんだそれ、そんなんじゃない。

 ーーサヤさんじゃだめなの? どうして? じゃあ他の人ならいいの?

 ドクンと心臓が鳴った。サヤも他の人も違う、と。

 ディルクが硬直して動けずにいると、ライサの隣に突如見知らぬ男が現れた。
 自分と同じ位の歳の、身なりの良い、おそらく科学世界の男ーー。
 その男はライサの手を取り、そのまま二人一緒に笑いながら去っていく。

 ーーさようなら、ディルク。

(誰だ、お前!? ライサ、どこに……っ!? 待て、ライサ! ライサ!!)

 硬直がとれて身体は動いたが、追えども追えども追いつかない。手が届かない。
 とうとう彼女をその視界に捕らえることはできなくなり、ディルクは膝をつき、その場に崩れ落ちた。

 気持ち悪い。
 彼女の姿が見えない事への恐怖。立てないほどの脱力感。
 そして気づく。彼女だけは傍にいないとだめなのだと。他の人ではだめなのだと。

 それ以上は何も考えられなかった。
 呆然と辺りを見回すと、そこに綺麗な泉が現れる。
 そう、これは夢だ。ディルクはガラガラに乾いた喉を潤したーーーー。


  ◇◆◇◆◇


 ごくっ……ディルクは乾いた喉を潤し、目を開けた。唇に温かい、柔らかな感触。
 それに気づいた瞬間、甲高い悲鳴とともに目の前の視界が開けた。

「でぃ、ディルク! き、気づいてたのっ!」

 口移しで水を飲ませていたライサは、突然の彼の覚醒に、部屋の隅まで跳びずさっていた。
 耳まで真っ赤な顔をしたまま、必死に口をぱくぱくする。

「た、体温低下、け、血圧もすごい勢いで低下してたし! 薬! そ、そう薬飲ませようとしたんだけど、気を失ってたからだから!」

 人助けよ、特に深い意味はないのよ、てか薬まだ効いてないでしょ目覚めるなんて思わないしーーと、ライサは混乱しながら一気に捲し立てる。
 しかし、反応がない。

「ディルク……?」

 魂が抜けたようにまわりを見回し続けるディルクの様子に、ライサはただならぬ雰囲気を感じた。先程までの動揺も一瞬で吹き飛ぶ。
 彼の視線がひととおり彷徨った後、ライサのところで止まった。

「らい……さ?」
「う、うん……大丈夫、ディルク?」

 ライサは、ソファに座っているディルクの傍へと向かい、彼の横に腰を下ろした。そして、まだ少し青ざめている彼を覗き込む。
 ディルクはただただ呆然としていた。ライサを通り越して遠くを見ている。

 ライサは自分の額に手を当て、ディルクの額にも手を当てた。
 熱はなく、体温も脈も戻っていると確認しながら、両手で頬を包み、自分の方へ向ける。
 彼女が真正面から見据えると、ディルクも目を泳がせるのをやめ、無言のままその目をじっと見つめ返した。
 しかしあまりにずっと見つめてくるので、ライサは落ち着かなくなって目を逸らし、小さな声で詫びる。

「その……ごめんなさい。治験すらしてない薬を……悪かったわ」

 何度目かの沈黙。
 何も言わないディルクにライサは不安になった。実は物凄く怒っているのではないか。
 恐る恐る彼の方を向いてみると、今度は突然ディルクがライサの頬を包み、自分の方へと向け目を合わせた。

「……ありがとな。水」
「へっ!? あ、う、うん……」

 落ち着いた、静かな声だった。しかし何処となく現実を見ていない気がする。

「あの、怒ってないの?」
「何に?」
「そ、その……飲ませたり……いろいろ……」

 しどろもどろに言うライサ。そうしているうちに、ディルクに感覚が戻ってくる。

「あー……あの味は酷かった、実に酷かった」
「あ、あはは、ですよねー……って、そうじゃなくて! そっちもだけど、そのっ!」

 顔を真っ赤にして俯く。ディルクは首を傾げ、静かに指摘した。

「口移しのこと? まぁ俺も、お前に人工呼吸してるし」
「そうそう……って、へっ!?」

 淡々と語られた言葉に、今度はライサが一瞬呆然とする。

「な、ななな、なに、それ!?」
「なにそれって、お前この間河で溺れただろ。あのとき息止まってたし、転移もできなかったし、その場にいたの俺だけだったぞ」

 大したことでもないといった顔で告げられる事実。ライサはそれを理解するのに数秒を要した。

「う、うそ……し、知らなかった……」

 悶絶始めるライサに、ディルクは思わず吹き出す。そんな彼の反応に、彼女は頬を膨らませた。

「でも、た、助けてくれたんだし、まぁ、その……あ、ありがとうっ」

 不自然に最後の方の音程を上げながら、明後日の方を向いて礼を言う。命を助けてもらったのは事実だ。
 そもそも淡々としたディルクの反応を見ると、この世界では接吻自体大したことじゃないのではと思い、気を落ち着かせる。
 そして薬品が入っていた空の容器を拾い上げた。

「やっぱりそう簡単にはいかないか。もうちょっと研究してみ……っ!?」

 言葉が終わらないうちに、ライサは突然ディルクに抱きしめられた。予想もしなかった彼の抱擁に、彼女の全身が硬直する。

「ちょ、ちょっとっ! ディルク?」
「悪い……少しだけ、このままでいいか?」

 よくよく意識を向けると、彼の身体が僅かに震えているのが伝わってきた。

「ディルク?」

 先程の薬の効果で、もしかして幻覚を見たりなど、怖い思いをさせてしまったのだろうか。神経系への作用がある薬だ、可能性がないわけではない。
 心配になったライサは、自分も腕をまわして、彼の背中をゆっくりさすった。
 ディルクは僅かに微笑し、彼女の感触に全神経を向ける。

 驚くほどの安堵感、そして今触れている事への満足感ーー。
 震えていた身体が徐々に落ち着いていく。その初めて知る感情を、ディルクは夢でなくこの現実で、ひとつひとつきちんと自覚していく。

「他の人だとダメな訳ーーか。俺も……わかったかも」
「え?」

 呟きが聞こえずライサが聞き返すと、彼はひとつ息をして腕をほどき、彼女をまっすぐ見据え、面白そうに言った。

「研究やり直しかーーーーなら、キスからか?」
「き……っ!」

 ライサの体温はその一言で一気に上昇した。ディルクはその反応に爆笑している。
 先程まで震えていたくせにいつの間にか調子を取り戻し、今やライサの方が完全にからかわれていた。

「顔真っ赤だぞ、ライサ」
「ききききすとかそういうこと言うからじゃないの! 何でそこからなのよ関係ないしっ! そもそもあああれはこ、恋人とかでやるのよ、ししし知り合いや友人とかとはやらないのよ科学世界ではっ!」
「何だそれ。魔法世界もそうだぞ? 人助けとか言ってめっちゃ気にしてんじゃねーか」
「そそそそんなわけないんだから! も、もうっ、研究の邪魔よ、出て行ってよっ!」

 笑い続けるディルクの背をグイグイ押し扉の外へと追い出すと、ライサは真っ赤な顔をしたまま扉を勢いよく閉めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】

水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】 【一次選考通過作品】 ---  とある剣と魔法の世界で、  ある男女の間に赤ん坊が生まれた。  名をアスフィ・シーネット。  才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。  だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。  攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。 彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。  --------- もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります! #ヒラ俺 この度ついに完結しました。 1年以上書き続けた作品です。 途中迷走してました……。 今までありがとうございました! --- 追記:2025/09/20 再編、あるいは続編を書くか迷ってます。 もし気になる方は、 コメント頂けるとするかもしれないです。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

【本編45話にて完結】『追放された荷物持ちの俺を「必要だ」と言ってくれたのは、落ちこぼれヒーラーの彼女だけだった。』

ブヒ太郎
ファンタジー
「お前はもう用済みだ」――荷物持ちとして命懸けで尽くしてきた高ランクパーティから、ゼロスは無能の烙印を押され、なんの手切れ金もなく追放された。彼のスキルは【筋力強化(微)】。誰もが最弱と嘲笑う、あまりにも地味な能力。仲間たちは彼の本当の価値に気づくことなく、その存在をゴミのように切り捨てた。 全てを失い、絶望の淵をさまよう彼に手を差し伸べたのは、一人の不遇なヒーラー、アリシアだった。彼女もまた、治癒の力が弱いと誰からも相手にされず、教会からも冒険者仲間からも居場所を奪われ、孤独に耐えてきた。だからこそ、彼女だけはゼロスの瞳の奥に宿る、静かで、しかし折れない闘志の光を見抜いていたのだ。 「私と、パーティを組んでくれませんか?」 これは、社会の評価軸から外れた二人が出会い、互いの傷を癒しながらどん底から這い上がり、やがて世界を驚かせる伝説となるまでの物語。見捨てられた最強の荷物持ちによる、静かで、しかし痛快な逆襲劇が今、幕を開ける!

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

処理中です...