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Lesson 16 霧の中へ
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サキさんがカード以外で、現金で支払いをするのを初めて見た。
そのまま連れだって地下の駐車場に降りた。そこに停められていたのは、白の、ありふれた国産の乗用車だった。いつもとは逆側の助手席に乗り、右に、サキさんの左のプロフィールを見る。右顔ばかり見ていた時は冷徹な表情しか記憶になかったが、今日の彼はいつもと違う、フランクで楽しげにさえ見えた。きっとこれが彼の本当の顔なのだ。そう思った。
ところどころに小さな凹みさえある、ジミな車で夜の通りに出る。
「どこに行くんですか」
そう、尋ねると、
「どこ行こうか、どこがいいと思う? 」
サキさんは、楽し気にそう答えた。
おかしなことを聞くなと思った。人を殺しに行くなら、当然、その人のいるところに行くではないか。
「消しに行くって、・・・いったい誰を?
この間みたいな、役人ですか? それとも、政治家? 」
「歳はそうだな、丁度、僕くらいかな。・・・サキ、って名前の、男だよ。・・・今は、無職らしいね」
サキさんは、静かに、落ち着いて、そう、答えた。
「なあ、レナ。どこがいい?
教えてくれないと、どっちに曲がったらいいか、わからないじゃないか」
それから小一時間ほど、サキさんは本当にずっとその辺りをぐるぐる周回してばかりいた。
なんと言えばいいのだろう。
本当に頭が真っ白になっていた。何も言えずにただ、助手席に座っていただけだった。同じ交差点の信号に7回目ぐらいに止まった時、観念してこう言った。
「じゃあ、・・・温泉」
高速道路には乗らず、サキさんはひたすら一般道を東に向かった。
夜風が冷える時期に入っていた。
レナはもう何十回も同じ曲を流し続けるカーオーディオを、もう気にしないことにした。今どき珍しい「カセットテープ」とかいうもので、すでに何百回と再生されていたものらしく、時々音が歪んでへろへろになった。
それはたぶんオールディーズとかいう、レナには馴染みのない、サキさんよりレナの父、いや、むしろスズキさんの世代の若いころの流行歌ではないかと思う。
もちろん歌詞は英語で、男性デュオが、さよなら、ぼくの恋、とか、とっても幸せだったのに、彼女が他の男と楽しそうに歩いてるとブルーになるよ とか、こんにちは空っぽのぼくの心、ぼくはもう、死ねちゃう気がするよ、といった、歌詞の内容にしては明るい曲調のだった。
サキさんがあまりにも楽しそうに聞き入り、鼻歌を歌い、口笛まで吹きだし、それに飽きると今度は歌詞を、あまりにもレナがアホ過ぎて、僕は死ねるという意味に変えて歌い出したから、もう閉口して窓の外の流れて行く灯りだけを見ていた。
「なんだ。怒ったのか。アホでもこの程度の英語はわかるんだな」
「あんま、アホバカ言わないでください! わたしだって、傷つくし、落ち込むんです」
「だってさ、アホなんだもん。しょうがないだろ。これから死にに行くって言ってる男にわざわざ、ついてくるって言うんだから」
マニュアルシフトの車だった。そんなのはスミレさんの死ねる車しかないと思っていた。サキさんは滑らかにシフトチェンジして、ギアの変更を全く感じさせなかった。
ハッチバックの車で、カーゴスペースにコンクリートブロックが4個ほど積んであった。
「あれ、何に使うんですか」
「ああ、あれな・・・。あれは、『コンクリートの靴』だ」
サキさんは口笛を吹きながら軽い調子で応えた。
「コンクリートの、靴・・・」
「僕が生まれるよりも前の話だけどね。前に話したろう。ヤクザの話。
まだヤクザが情報を握ってて、支配下に置きたい相手を脅して抑えつけることが出来ていた時代の話さ。相手の想像もつかないような恐ろしいストーリーを考えて相手に想像させる。そして、恐怖で支配するというメカニズムが通用した時代。その時代にね、『コンクリートの靴履かせて海に沈めるぞ』ってのが脅し文句として、流行ったのか流行ってなかったのかわからないけど、とにかくそういうフレーズが幅を利かせてたと、当時の映画とかTVの世界で流布してたらしいんだな。
僕はそれを何かで聞いた。本当だとしたら、随分費用対効果の低い、ヒマなことしてたんだなって思ったんだけど、それ、思い出してね。
例えば海に身投げするにも泳ぎが上手いと死ねないだろ。僕は泳ぎが上手い。入水して自殺するなら、それもいいなってね。生コンは面倒なんで、ブロックで代用することにしたんだ。その方法をとるかどうかは、まだ決めてないけどね」
作中に挿入した「Bye Bye Love」は、元々オールディーズの有名なナンバーでエブリブラザーズが1957年にリリースした名曲です。
ですが、筆者はこの曲をエンディングにフィーチャーした「ALL THAT JAZZ」という映画で知り、こっちのほうが「マイ・オリジナル」になってます。
『オール・ザット・ジャズ』は、ブロードウェーの名演出家として有名なボブ・フォッシー監督による1979年封切りのミュージカル映画です。
ロイ・シャイダー主演。
「ダンサー、振付師、映画製作者としてのフォッシーの人生とキャリアの側面に基づいた半自伝的なファンタジーです」とウィキ英語版にありました。
ネタバレですが、ラストで主人公の演出家が死ぬ間際、彼の最後の「ショーイメージ」としてこの曲が効果的に使用されています。
「その創造性、野心、振り付け、シャイダーのパフォーマンスが批評家から賞賛され、商業的にも批評的にも成功を収めた」
「1980年のカンヌ国際映画祭では、黒澤明監督の『影武者』とともにパルムドールを受賞し、第52回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、主演男優賞を含む9部門にノミネートされ、作曲賞、美術賞、衣装デザインの4部門を受賞。
スタンリー・キューブリックは「私が今まで見た中で最高の映画」と呼び、2001年には米国議会図書館によって「文化的、歴史的、または美的に重要」と見なされ、米国国立フィルム登録簿の保存に選ばれました。」
Everly Brothers - Bye Bye Love - Original HQ Audio
https://www.youtube.com/watch?v=LRyrWN-fftE
Bye Bye Love - All That Jazz – Stereo
https://www.youtube.com/watch?v=s_ehHPI1-fs
サキさんがカード以外で、現金で支払いをするのを初めて見た。
そのまま連れだって地下の駐車場に降りた。そこに停められていたのは、白の、ありふれた国産の乗用車だった。いつもとは逆側の助手席に乗り、右に、サキさんの左のプロフィールを見る。右顔ばかり見ていた時は冷徹な表情しか記憶になかったが、今日の彼はいつもと違う、フランクで楽しげにさえ見えた。きっとこれが彼の本当の顔なのだ。そう思った。
ところどころに小さな凹みさえある、ジミな車で夜の通りに出る。
「どこに行くんですか」
そう、尋ねると、
「どこ行こうか、どこがいいと思う? 」
サキさんは、楽し気にそう答えた。
おかしなことを聞くなと思った。人を殺しに行くなら、当然、その人のいるところに行くではないか。
「消しに行くって、・・・いったい誰を?
この間みたいな、役人ですか? それとも、政治家? 」
「歳はそうだな、丁度、僕くらいかな。・・・サキ、って名前の、男だよ。・・・今は、無職らしいね」
サキさんは、静かに、落ち着いて、そう、答えた。
「なあ、レナ。どこがいい?
教えてくれないと、どっちに曲がったらいいか、わからないじゃないか」
それから小一時間ほど、サキさんは本当にずっとその辺りをぐるぐる周回してばかりいた。
なんと言えばいいのだろう。
本当に頭が真っ白になっていた。何も言えずにただ、助手席に座っていただけだった。同じ交差点の信号に7回目ぐらいに止まった時、観念してこう言った。
「じゃあ、・・・温泉」
高速道路には乗らず、サキさんはひたすら一般道を東に向かった。
夜風が冷える時期に入っていた。
レナはもう何十回も同じ曲を流し続けるカーオーディオを、もう気にしないことにした。今どき珍しい「カセットテープ」とかいうもので、すでに何百回と再生されていたものらしく、時々音が歪んでへろへろになった。
それはたぶんオールディーズとかいう、レナには馴染みのない、サキさんよりレナの父、いや、むしろスズキさんの世代の若いころの流行歌ではないかと思う。
もちろん歌詞は英語で、男性デュオが、さよなら、ぼくの恋、とか、とっても幸せだったのに、彼女が他の男と楽しそうに歩いてるとブルーになるよ とか、こんにちは空っぽのぼくの心、ぼくはもう、死ねちゃう気がするよ、といった、歌詞の内容にしては明るい曲調のだった。
サキさんがあまりにも楽しそうに聞き入り、鼻歌を歌い、口笛まで吹きだし、それに飽きると今度は歌詞を、あまりにもレナがアホ過ぎて、僕は死ねるという意味に変えて歌い出したから、もう閉口して窓の外の流れて行く灯りだけを見ていた。
「なんだ。怒ったのか。アホでもこの程度の英語はわかるんだな」
「あんま、アホバカ言わないでください! わたしだって、傷つくし、落ち込むんです」
「だってさ、アホなんだもん。しょうがないだろ。これから死にに行くって言ってる男にわざわざ、ついてくるって言うんだから」
マニュアルシフトの車だった。そんなのはスミレさんの死ねる車しかないと思っていた。サキさんは滑らかにシフトチェンジして、ギアの変更を全く感じさせなかった。
ハッチバックの車で、カーゴスペースにコンクリートブロックが4個ほど積んであった。
「あれ、何に使うんですか」
「ああ、あれな・・・。あれは、『コンクリートの靴』だ」
サキさんは口笛を吹きながら軽い調子で応えた。
「コンクリートの、靴・・・」
「僕が生まれるよりも前の話だけどね。前に話したろう。ヤクザの話。
まだヤクザが情報を握ってて、支配下に置きたい相手を脅して抑えつけることが出来ていた時代の話さ。相手の想像もつかないような恐ろしいストーリーを考えて相手に想像させる。そして、恐怖で支配するというメカニズムが通用した時代。その時代にね、『コンクリートの靴履かせて海に沈めるぞ』ってのが脅し文句として、流行ったのか流行ってなかったのかわからないけど、とにかくそういうフレーズが幅を利かせてたと、当時の映画とかTVの世界で流布してたらしいんだな。
僕はそれを何かで聞いた。本当だとしたら、随分費用対効果の低い、ヒマなことしてたんだなって思ったんだけど、それ、思い出してね。
例えば海に身投げするにも泳ぎが上手いと死ねないだろ。僕は泳ぎが上手い。入水して自殺するなら、それもいいなってね。生コンは面倒なんで、ブロックで代用することにしたんだ。その方法をとるかどうかは、まだ決めてないけどね」
作中に挿入した「Bye Bye Love」は、元々オールディーズの有名なナンバーでエブリブラザーズが1957年にリリースした名曲です。
ですが、筆者はこの曲をエンディングにフィーチャーした「ALL THAT JAZZ」という映画で知り、こっちのほうが「マイ・オリジナル」になってます。
『オール・ザット・ジャズ』は、ブロードウェーの名演出家として有名なボブ・フォッシー監督による1979年封切りのミュージカル映画です。
ロイ・シャイダー主演。
「ダンサー、振付師、映画製作者としてのフォッシーの人生とキャリアの側面に基づいた半自伝的なファンタジーです」とウィキ英語版にありました。
ネタバレですが、ラストで主人公の演出家が死ぬ間際、彼の最後の「ショーイメージ」としてこの曲が効果的に使用されています。
「その創造性、野心、振り付け、シャイダーのパフォーマンスが批評家から賞賛され、商業的にも批評的にも成功を収めた」
「1980年のカンヌ国際映画祭では、黒澤明監督の『影武者』とともにパルムドールを受賞し、第52回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、主演男優賞を含む9部門にノミネートされ、作曲賞、美術賞、衣装デザインの4部門を受賞。
スタンリー・キューブリックは「私が今まで見た中で最高の映画」と呼び、2001年には米国議会図書館によって「文化的、歴史的、または美的に重要」と見なされ、米国国立フィルム登録簿の保存に選ばれました。」
Everly Brothers - Bye Bye Love - Original HQ Audio
https://www.youtube.com/watch?v=LRyrWN-fftE
Bye Bye Love - All That Jazz – Stereo
https://www.youtube.com/watch?v=s_ehHPI1-fs
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