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【第一章】呪われた令嬢と拾われた竜

03.生と呪い

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「姉さんって、何年くらい生きてるんですか?」
「人間の世界の常識を教えてあげるわ。女性に齢を聞いちゃだめ」

 数日、この竜のカンパネラと一緒に過ごしたが、彼の常識は少しだけ人とずれている
 ただ命の捉え方などの価値観は、ほぼ人と同じだった。

 きっと彼は産まれてからの100年、誰かに育てられたのだろう。

「姉さんはいつも本を読んでますが、暇なんですか?」
「……暇じゃなくて、勉強なの。この世界には数え切れ合い程の本があるんだから、いつか結婚するまでに読んでおかないと。それから――」

 私は彼の額にビシッと指を突き立てた。

「私はお前の姉さんじゃないわ。周りで呼んでたら誤解されるから、別の呼び方をして頂戴」

 成人男性が、10歳の少女の後ろを『姉さん、姉さん』と歩きまわっていたら、世間体がよくない。私は別になんとも思われないけれど、カンパネラが変人だと思われてしまう。

 それは彼のためにならない。

「実年齢は俺より上なんですよね。うーん姉さんが駄目なら……アーニャさん?」
「私、アーニャって呼ばれるの苦手なの」

 アーニャと呼ばれると、なんだか可愛らしすぎて背筋がゾワッとする。

「じゃあ。アーさん。そう呼びます。アーさん、アーさん。うん、しっくり来ますね」
「……えぇ。それでいいわ」

 私が言うと、彼はぱああっと明るい笑顔を浮かべた。
 本当に素直な子だ。
 表の顔や裏の顔がない。きっと、優しい方に育てられたのだろう。

「……お前、家族は?」
「俺の家族はもういないです。家族というか、うーん。飼い主さんでしたかね。彼女から言葉と感情を教えてもらいました。でも、残念ながら人ってすぐ死んじゃうんですね」

 カンパネラは肩を落とす。
 100年を生きた。つまり、人の一生を看取ったのだろう。

 時が流れていくのは残酷だ。
 それは私が身を持って知っている。

 私が眠っている間に、何人も使用人が代わった。
 父親も、母親も、何度も代わった。
 そして、王子も何代も代わった。

 取り残されるのは、いつも私一人。
 私が本棚から本を取り出し、一冊読む。この国の成り立ちや、世界の言葉の本は読破したから、最近は大衆向けの本にハマっている。
 カンパネラは私の仕草を真似して、ラテン語の本を取り出して、開いて、じーっと本を眺めていた。

「アーさんは、王子様と結婚するのが夢なんですよね?」
「そうね。結婚して、キスをして、そうしたら呪いが解けるの」

 私は書斎のソファーに座る。するとすぐ横にカンパネラが座った。
 彼が使用人なら指摘したけど、使用人じゃないから、そのまま何も言わないでおく。

「そしたら、アーさんは死んじゃうんですか?」
「ええ。この呪いは解けて、私はやっと息を引き取ることができるの」

「……むむ。アーさん、俺はアーさんが目覚める前、毎日ここに通ってました。朝になると執事さんが窓を開けてくれるので、そのすきを狙って入り込んでました」

「あぁ、そういう入り方をしてたのね」

 正面から堂々と名乗らずに来ているとは思わなかったけど、窓から来てたとは。

「よく執事やメイドに追い出されなかったわね」
「最初のうちは追い出されたんですけど、ちょっとずつ女の子――メイドさんたちが味方になってくれて、気づいたら窓から入っても怒られなくなってました」

「6年間……毎日来てくれてたの?」
「はい。アーさんが目覚めるときに傍にいたくて」

「……なんで?」

「だって、目が覚めた時、一人だったら寂しいじゃないですか」

 カンパネラは当たり前のように言った。

 この子は……本当に良い子だ。優しさも持ち合わせている。

 寂しさ、悲しさ、嬉しさ――この感情を理解して、相手に伝えるにはをしないといけない。
 この子はいつも一人で目覚めて、寂しかったんだろう。

 私は手を伸ばして、彼の頭を撫でた。
 空色の髪がくしゃっと乱れる。

「……お前は、良い子ね」
「頭を撫でられたのは……20年ぶりです」
「ふふ」

「あ、やっと笑った。アーさんの笑顔を見たの、初めてです」
「……そう? 私はいつも笑ってるつもりだけど」
「いや、全然。無表情ですよ。何考えてるかわからない時が多いです」
「そ、そうなのね。……むむ」

 私は自分の頬をぎゅっと押したり、引っ張ったりした。

 笑顔を作っていたつもりだったんだけど。

 貴族として笑顔を浮かべることには慣れていたけど、本当に笑う――ということは、いつの間にかやめてしまっていた。

「ねね、アーさんは不老なんですよね?」

「えぇ、そうよ。でも刺されたり殴られたり、大きな外傷を負ったら死ぬわ。あくまで寿命が齢をとったり、ひいたりしているだけ。ただ、ずっと齢をとりつづけても、死なないわ。」

「俺、わからないことがあるんです。うまく伝えられるかわからないけど……あ、変な意味で捉えたらすみませんね。アーさんの目的は、死ぬことだと、執事さんから聞きました」

「えぇ、そうよ」
 王子様と結ばれて、子を産んで、呪いが解けて、死ぬ。それが私の目標。

「死ぬことは容易いじゃないですか。竜と比べて人間は脆いです。……だから、ちょっと俺が尻尾を一振りしたり、一緒に空高く飛んで落としたら、アーさんは死んじゃいますよね? その死じゃ駄目なんですか?」

 カンパネラの宝石のような瞳が、真摯に私を見つめてくる。
 あぁ、彼はその感情と衝動も知っているのか――そう思ったら、また彼に愛情が湧いた。

「死ぬことは容易たやすいわ。でも、どうせ何百年も生きてきたんだもの。最期は幸せなハッピーエンドで死にたいわ。……それくらい、神様に許されたいわ」

「うん、うんうん。わかりました! つまり、アーさんは幸せになりたいんですね!」
 カンパネラはいきなり立ち上がった。

「なら、こんな書斎に引きこもってないで、外に行って、色んなものを見ましょう! そしたらもっと人生は潤いますよ!」

 カンパネラが私の手を引く。本当に、子どもみたいな子だ。

「今日は予定がないから。少しだけなら」

 そう言って、私は彼と一緒に家を出た。
 玄関前で、久しぶりに会う執事は、6年分老けていた。

「おはようございます。お嬢様。護衛はいりますか?」

 執事は私の隣に立つカンパネラを一瞥して、尋ねてきた。

「いいえ。必要ないわ」

 人の何倍も強い竜がいれば、護衛なんて必要ない。

「わかりました。それではお嬢様、起きたばかりなので、あまり動きすぎないように」
 執事はそう言って、いつものように深々とお辞儀をした。

「あ、そうなんですか? じゃあ――」
 と、カンパネラは唐突にしゃがみこみ、私をお姫様抱っこで軽々と持ち上げた。

「――!?」

 不意打ちに驚く。
 メイド達がきゃーきゃーはしゃいでいる。きっとあの子たちね、カンパネラに恋とか教えたのは。

「歩けるわ。自分の足で歩かせて。リハビリ代わりに丁度いいから」
「そうですか……」
 彼はそう言って、優しく私を地面へ降ろしてくれた。

「じゃあ、抱っこの代わりに手を」
 カンパネラは、満面の笑みを浮かべて、私に手を差し伸べてきた。
 私もその手をとった。

 さぁ、6年ぶりの世界はどう変わっているかしら。
 楽しみ半分、恐ろしさ半分。

 まぁ、エドアルト王子は第二王子だし、この国の国王にはならない。

 だから世間はあまり変わってないかもしれない。

 でも、新しい技術ができてたらいいわね。
 6年経てば技術は上がる。
 私は大好きな薬草学について、また知識をアップデートしたくてたまらなかった。

「アーさん、ものすごく小さいですね」
「お前が大きいだけよ」

 私と彼の身長差はかなり開いている。
 彼の腕を伸ばしきらないと、手を繋ぐことはできなかった。

 空を見上げる。
 今日も、雪がしんしんと積もる日だった。
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