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【第八話】ほんとうに幸せな世界
65.ほんとうに幸せな世界(1)
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こうして、私は普通の人間となった。
あと80年程の人生をゆっくりと歩めば、そのまま死に至ることができる。
こうして不死の呪いを解くことが、600年間の私の望みだった。
友人の死を何度も看取った。家族の死を何度も看取った。
寂しくて、悲しくて、王子とキスをして呪いを解けないのなら、私はもうこの人生を誰とも出会わず、一人で生きようと思っていた。
けれどそんな強さは、私にはなかった。
家族はいつも私を優しく迎え入れてくれた。
そしてホーエンハイム一族と出会って、医学について語り合った。
ファウストに出会って、自分と同じ呪いにかかった者がいることを知った。
そして何より、カンパネラと出会って、もう少し長く生きてもいいかなと思っていた。
カンパネラは私の気持ちと願いを重んじてくれた。
彼の愛のおかげで、私の呪いが解けた。
でも何故だろう。
全然嬉しくないのだ。
私の長い人生は、このまま緩やかに流れて終わる。
カンパネラと結ばれて、一緒に過ごしても――私は寿命を迎えて、彼を残して死ぬ。
そうしたら、彼はまた一人になる。
この世界で唯一の竜となる。
私がこの600年で感じた、寂しさや悲しさ、大切な人を看取る苦しみを、彼は抱えて生きることになるかもしれない。
これでいいんだろうか?
本当にこれが私の望んでいたハッピーエンドなのだろうか。
◆
呪いが解けた――そのことを家族に話すと、家族たちは涙を流して喜んでくれた。
私は彼らの家族でいられて良かったと思った。
その日の夜、私はうまく寝つけなかった。
今まではすぐ眠ることが出来た。
けれどこれからは一日一日を私は老いていく。
死が一日一日近づいてくる。
「普通の人はこんな気持ちを抱いて眠っていたのね……」
私は目を閉じる。
息を吐いて、眠りにつく。
その日の夜、夢を見た。
この世と夢の狭間の場所に辿り着く夢を。
今日は石を握っていないのに、何故かここに辿り着くことが出来た。
いつもなら、そこにファウストの塔があった。けれど、今日は無くなっていた。
塔の代わりに大きな木があって、そこには金色の果実が成っていた。
同じ光景だ。600年前と。
「……お嬢様」
私の名前を呼んだのは、600年前、私をそそのかした白蛇だった。
「久しぶりね」
「呪いが解けてしまったのですね」
蛇は悲しそうに言った。
そして瞬きした次の瞬間、彼の姿は変わっていた。
白い髪に赤い瞳。真っ白な肌の20歳ほどの青年。
我が屋敷で行われたパーティーにやってきた男だ。
名前はたしか『ルチフェル・マクスウェル』
どこかで見たような気がしていたけれど――600年前に出会った蛇だったのね。
蛇は私の前で跪いて、手のひらにキスをした。
忠誠の証だ。
「失礼。600年間、貴方の姿をずっと追っておりました」
「本当に失礼ね」
「どうやら私のもたらした不老は貴方を苦しめたようですね」
「えぇ。600年苦しんだわ。友人が産まれるのも、その友人が死ぬのも、全て体験した。一人残される寂しさは恐ろしかったわ」
私はあるがままに伝えた。
歩んできた600年の地獄。
私がこの黄金色の果実を齧ってしまったせいで、こうして長生きをしてしまった。
この白蛇に囁かされたとはいえ、食べることを選んだのは私だ。
つまり私の責任だ。だから彼のことを恨んでなんていない。
自業自得だと思っている。
「この600年で、不老が貴方を苦しめてしまった。申し訳なく思います」
「いいえ。自業自得よ。食べてはいけないものを食べてしまった、私の責任よ」
「……私は貴方を苦しめたいわけではありませんでした。どうか、幸せになってほしかったんです」
白蛇は私をじっと見つめて笑った。
「何故、貴方は私の幸福を考えてくれるの?」
「……」
マクスウェルは、少し悲しそうに笑った。
「……覚えていないでしょうが、私は怪我を負ったとき、貴方に救ってもらったんです。貴方はたくさんの人を救ってきたから、一匹の蛇のことなんて覚えていないでしょうけれど」
「そして、不死をプレゼントした。けれどそれは貴方にとって呪いになってしまった。だから、今度は、今度こそは本当の『最大幸福』をお送りします」
蛇が一歩下がる。
果実の成っている木の横に、黒い扉が現れた。
扉が重い音を立てて開く。
真っ黒の、闇のような扉。
ブラックホールのようで、吸い込まれたら最後。出られなくなりそうだ。
「どうぞ。ここが貴方にとって一番幸せになる世界です」
蛇が囁く。
私は導かれるように、その黒い扉に近づいていった。
そして、そして――扉の先に、一歩踏み込んでしまった。
あと80年程の人生をゆっくりと歩めば、そのまま死に至ることができる。
こうして不死の呪いを解くことが、600年間の私の望みだった。
友人の死を何度も看取った。家族の死を何度も看取った。
寂しくて、悲しくて、王子とキスをして呪いを解けないのなら、私はもうこの人生を誰とも出会わず、一人で生きようと思っていた。
けれどそんな強さは、私にはなかった。
家族はいつも私を優しく迎え入れてくれた。
そしてホーエンハイム一族と出会って、医学について語り合った。
ファウストに出会って、自分と同じ呪いにかかった者がいることを知った。
そして何より、カンパネラと出会って、もう少し長く生きてもいいかなと思っていた。
カンパネラは私の気持ちと願いを重んじてくれた。
彼の愛のおかげで、私の呪いが解けた。
でも何故だろう。
全然嬉しくないのだ。
私の長い人生は、このまま緩やかに流れて終わる。
カンパネラと結ばれて、一緒に過ごしても――私は寿命を迎えて、彼を残して死ぬ。
そうしたら、彼はまた一人になる。
この世界で唯一の竜となる。
私がこの600年で感じた、寂しさや悲しさ、大切な人を看取る苦しみを、彼は抱えて生きることになるかもしれない。
これでいいんだろうか?
本当にこれが私の望んでいたハッピーエンドなのだろうか。
◆
呪いが解けた――そのことを家族に話すと、家族たちは涙を流して喜んでくれた。
私は彼らの家族でいられて良かったと思った。
その日の夜、私はうまく寝つけなかった。
今まではすぐ眠ることが出来た。
けれどこれからは一日一日を私は老いていく。
死が一日一日近づいてくる。
「普通の人はこんな気持ちを抱いて眠っていたのね……」
私は目を閉じる。
息を吐いて、眠りにつく。
その日の夜、夢を見た。
この世と夢の狭間の場所に辿り着く夢を。
今日は石を握っていないのに、何故かここに辿り着くことが出来た。
いつもなら、そこにファウストの塔があった。けれど、今日は無くなっていた。
塔の代わりに大きな木があって、そこには金色の果実が成っていた。
同じ光景だ。600年前と。
「……お嬢様」
私の名前を呼んだのは、600年前、私をそそのかした白蛇だった。
「久しぶりね」
「呪いが解けてしまったのですね」
蛇は悲しそうに言った。
そして瞬きした次の瞬間、彼の姿は変わっていた。
白い髪に赤い瞳。真っ白な肌の20歳ほどの青年。
我が屋敷で行われたパーティーにやってきた男だ。
名前はたしか『ルチフェル・マクスウェル』
どこかで見たような気がしていたけれど――600年前に出会った蛇だったのね。
蛇は私の前で跪いて、手のひらにキスをした。
忠誠の証だ。
「失礼。600年間、貴方の姿をずっと追っておりました」
「本当に失礼ね」
「どうやら私のもたらした不老は貴方を苦しめたようですね」
「えぇ。600年苦しんだわ。友人が産まれるのも、その友人が死ぬのも、全て体験した。一人残される寂しさは恐ろしかったわ」
私はあるがままに伝えた。
歩んできた600年の地獄。
私がこの黄金色の果実を齧ってしまったせいで、こうして長生きをしてしまった。
この白蛇に囁かされたとはいえ、食べることを選んだのは私だ。
つまり私の責任だ。だから彼のことを恨んでなんていない。
自業自得だと思っている。
「この600年で、不老が貴方を苦しめてしまった。申し訳なく思います」
「いいえ。自業自得よ。食べてはいけないものを食べてしまった、私の責任よ」
「……私は貴方を苦しめたいわけではありませんでした。どうか、幸せになってほしかったんです」
白蛇は私をじっと見つめて笑った。
「何故、貴方は私の幸福を考えてくれるの?」
「……」
マクスウェルは、少し悲しそうに笑った。
「……覚えていないでしょうが、私は怪我を負ったとき、貴方に救ってもらったんです。貴方はたくさんの人を救ってきたから、一匹の蛇のことなんて覚えていないでしょうけれど」
「そして、不死をプレゼントした。けれどそれは貴方にとって呪いになってしまった。だから、今度は、今度こそは本当の『最大幸福』をお送りします」
蛇が一歩下がる。
果実の成っている木の横に、黒い扉が現れた。
扉が重い音を立てて開く。
真っ黒の、闇のような扉。
ブラックホールのようで、吸い込まれたら最後。出られなくなりそうだ。
「どうぞ。ここが貴方にとって一番幸せになる世界です」
蛇が囁く。
私は導かれるように、その黒い扉に近づいていった。
そして、そして――扉の先に、一歩踏み込んでしまった。
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