7 / 87
安眠枕〈碧杖印〉六十三番
7.
その夜、聖騎士団の寮に戻ったエステルは、日課の内職、鏡磨きに精を出していた。
キヴァリ工房では腕のよい鋳物職人に依頼して裏面に魔法の術式を彫り込んだ白銅の鏡をつくらせている。そのままでも呪具師の鏡として十分に使えるのだが、エステルが鏡の裏面の術式を彫りなおし、表面を磨くと不眠の呪いが隅々まで歪みなく精緻に映し出されると評判だった。平日は聖騎士団で文官の仕事をしているためそうそう時間はとれないが、ひとつの鏡を磨けば工房からそこそこによい手間賃をもらえるので助かっている。
きち、きちち。
特別にあつらえた鏨を槌で細かく叩いて鏡の裏面に彫られた術式をなぞる。鋳型に熔けた白銅を流し込んでつくられる鏡はどれも同じであるはずなのに、きっちり呪いを写しとる術式を機能させるためには調整が必要だ。
「だいじょうぶかな……」
エステルはヴェーメル団長のやつれた頬と目の下のどす黒い隈を思い出していた。ひとまず試作品の汎用枕の中でも効き目の強そうなものを持たせたが、ヴェーメル団長はきっと眠れないに違いない。
歴代第三聖騎士団団長が苛まれる「地下迷宮のお気に入り」といわれる不眠症はたいへんなものだと聞く。ここしばらくまったく眠れていないからだろう。ヴェーメル団長は様子がおかしかった。祖母ミルヤのつくった枕が盗まれたのが五日前。いつまでも眠れないままでよいはずがない。
魔人はヴェーメル団長の安眠枕を奪い、行方をくらましたという。簡単には返ってこないだろう。そうなれば必要となるのは前と同じ枕をつくることだ。しかも可及的速やかに。
――今日で忌引きもおしまい、明日から出勤か。団長さんの枕をつくる時間とらなきゃ。
エステルは鏡と工具を片づけ、工房から聖騎士団の寮へ持ち帰った〈碧杖印〉六十三番の製作ノートを開いた。
祖母の暗号は、章ごとに複数配されている鍵を見つけ出し、鍵そのものを解読しなければ解くことができない。たいそう面倒なつくりなので、工程上、早く手配したほうがよさそうな材料の項目から解読に取りかかる。
「うっわ出た、魔人風ジョーク」
材料の項目にびっちり書き込まれているのは、リストではなくくだらない冗談の数々だった。ゼボデムイルが海から旅立ちムビ砂漠へ嫁探しに出かける話から始まっている。ちなみにゼボデムイルというのは、大きな蚯蚓に似た生きもので深海に棲息するという。獲物を見つけたり危機に瀕したりすると粘液を排出する。ぬるぬるの粘液で相手の動きを止めるのだ。この盛大にぬるぬるを吐き出すのが嫌われて、漁師の網にかかっても食用にはならない。でも呪具師にとっては馴染みのある動物だ。粘液や豊富な脂肪、骨や歯、筋などを加工すると魔力との相性がよいまじない素材になる。
「んぶ、ふ、ふへへ……っ、ゼボデムイルはムビ砂漠で嫁探しなんかしないし……」
エステルは肩をふるわせた。くだらない。分かっちゃいるが笑いが止まらない。将来有望な呪具師だからと個室を使わせてもらえてルームメイトを気にせず作業ができてとても助かる。夜中にだらしない顔で大ウケしている姿など他人には見せられない。特に眼鏡を外した素の顔なんて。
くだらない冗談――これがエステルと祖母ミルヤ共通の悪癖であった。
思いつく冗談というのが素に戻ってみれば何が面白いのか分からない類いのどうしようもないものばかり。分かっている。エステルとて重々承知しているからこそぐっと抑えるのだ。
――工房では、危なかった。サーラおばさんがとっさに助けてくれたからなんとかなったけど。
人と会話をしている最中、沈黙が訪れるとむずっと、あるいはむらっと、ぼろっとくだらない冗談が浮かぶ。
これはごく薄くなっているはずの魔人の血によるものだ。
あなたにおすすめの小説
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
あっ、追放されちゃった…。
satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。
母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。
ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。
そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。
精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。
初夜を拒む皇女は敵国の皇太子に溺愛される
日下奈緒
恋愛
敵国との戦に敗れた皇女リゼリアは、すべてを失い、命すら奪われるはずだった。
だが彼女の前に現れたのは、敵国の皇太子アルヴィオン。
「その方に手を出すな」――彼はそう命じ、リゼリアを花嫁として連れ帰る。
両国の友好のための政略結婚。けれどリゼリアは、祖国を滅ぼした男に心も体も許すことができず、初夜を拒み続ける。
それでもアルヴィオンは怒ることなく、花園へ連れ出し、町の視察に同行させ、常に隣で守り続けた。
「君は俺の妻だが、何か?」と堂々と庇う姿に、閉ざしていた心は少しずつ揺らぎ始める。
そんな中、祖国再興を目指す家臣が現れ、彼女に逃亡を促す。
民のため、皇女としての責務を選び、城を抜け出すリゼリア。
だが追ってきたアルヴィオンに捕らえられた彼女に向けられたのは、怒りではなく、切実な想いだった。
「放さない。君を愛しているんだ。一目惚れなんだ」――その言葉に、リゼリアの心はついにほどける。
敵として出会い、夫婦となった二人が選ぶのは、過去ではなく、共に築く未来。
これは、初夜を拒んだ皇女が、溺れるほどの愛に包まれていく物語。
イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在
唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話
中山加恋(20歳)
二十歳でトオルの妻になる
何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛
中山トオル(32歳)
17歳の加恋に一目ぼれ
加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する
加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる
会社では群を抜くほどの超エリートが、
愛してやまない加恋ちゃんに
振り回されたり落ち込まされたり…
そんなイケメンエリートの
ちょっと切なくて笑えるお話
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
敵国に嫁いだ姫騎士は王弟の愛に溶かされる
今泉香耶
恋愛
王女エレインは隣国との戦争の最前線にいた。彼女は千人に1人が得られる「天恵」である「ガーディアン」の能力を持っていたが、戦況は劣勢。ところが、突然の休戦条約の条件により、敵国の国王の側室に望まれる。
敵国で彼女を出迎えたのは、マリエン王国王弟のアルフォンス。彼は前線で何度か彼女と戦った勇士。アルフォンスの紳士的な対応にほっとするエレインだったが、彼の兄である国王はそうではなかった。
エレインは王城に到着するとほどなく敵国の臣下たちの前で、国王に「ドレスを脱げ」と下卑たことを強要される。そんなエレインを庇おうとするアルフォンス。互いに気になっていた2人だが、王族をめぐるごたごたの末、結婚をすることになってしまい……。
敵国にたった一人で嫁ぎ、奇異の目で見られるエレインと、そんな彼女を男らしく守ろうとするアルフォンスの恋物語。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました