16 / 87
ヴェーメル団長の抱き枕に関する謎習慣
5.
ひと晩ぐっすり眠ってだいぶ体調がよくなったらしい。ヴェーメル団長は前日と違いしっかりと手綱を握り、ちゃんと馬車を走らせた。
「その、あの、――」
前方に視線を据えたまま、ヴェーメル団長は口ごもった。
「結婚の件だが、――駄目か」
「駄目に決まっているでしょう」
クショフレール大公国の国教はマウエン教で、未婚既婚にかかわらず婚外交渉やそれと疑われる類いの行いをよしとしない。エステルは平民で、この地にクショフレール大公国が建国される前からの家系だということもあって、若者の恋愛に目くじらを立てない緩い空気で育っている。しかし若くして呪具師になったこともあって忙しくて恋愛は未経験だった。
「もしかしてその、心に決めた相手がいる、とか――」
自分で口にしておいて団長は自分の言葉にしょげてしまっている。
エステルはヴェーメル団長の気持ちが理解できなかった。互いに愛があるわけでなし、まして結婚に利益があるわけでもない。強いていうならばエステルが抱き枕の代わりを務めているくらいのことで、それも元の枕を取り戻すなり新しく作り直すなりすれば用済みだ。わざわざ結婚しなければならない理由があるようにも思えない。
「そういう相手はいません」
「不埒な行いはしていないが同衾したのは確かだし、これからもその、だから――俺と結婚してほしい」
「無茶いわないでください。私は平民ですよ」
クショフレール大公国は、教会総本山のマウエン教国から遠く離れた辺境の地にあって若干緩めではあるがそれでも身分制度はきっちりと存在している。ざっくり分けるとモンス神聖帝国からやってきた初代クショフレール大公やその側近の一族は貴族で、もともとこの地に根づいていた人々は平民である。
ヴェーメル団長は貴族だ。しかもクショフレール大公国の貴族ではない。モンス神聖帝国の貴族だ。
なかなかにややこしい。
モンス神聖帝国は初代クショフレール大公のもとの出身地で主筋にあたる。だからといってクショフレール大公国が帝国の属国であるわけではないが格差はある。マウエン教聖騎士団から招かれたヴェーメル団長の父親はモンス神聖帝国の騎士で領主でもあり、貴族の中でさほど身分が高いわけではないが、ここクショフレール大公国の同じ格の貴族より偉い。貴族、聖騎士、マウエン教国最大勢力のモンス神聖帝国出身と三段階高みにあるだけでなく、その上まだ若いのに優秀でもあるという。エステルからすれば雲の上の人だ。
貴族と平民が結婚してもいいことになっているからといってが建前がまかり通るわけもない。
「確かに身分は違うがその、俺は気にしない。貴族といってもだいぶ下のほうだし、家は兄が継ぐし」
大神官ドミニクスもヴェーメル団長と同じく気にしない派に違いない。第三聖騎士団の団長がピネッキ魔境を守れさえすればどうでもいいと思っていそうだ。大神官はモンス神聖帝国の高位貴族の出であるからなおのことクショフレール大公国の一平民の名誉が昨晩の同衾で決定的に傷つこうと気にしない。
しかしエステルにとっては重大事だ。
――結婚すればいい、なんて軽々しく口にしやがって大神官め。
平民が貴族と結婚するのは難しい。エステルがやたら高い障壁を乗り越えることなくまずヴェーメル団長と同衾してしまったということはつまり、愛人扱いを受け容れたと思われてもしかたないのだ。腰掛け文官仲間が熱烈に希望する物持ちの家に望まれて嫁ぐという話はまず来なくなる。エステルには呪具師の仕事があるから結婚しなくても生活は可能だが、人生から真人間とのまともな結婚という選択肢が消し飛んだ。顧客のほとんどを首都に置いてきた今となっては呪具師の仕事も危うい。
「やっぱり責任取ってもらおうかな……」
「是非そうさせてもらいたい」
隣の大男が大真面目にうなずいた。
できるわけがない。
エステルは溜め息をついた。ヴェーメル団長は一週間続いた不眠で判断力が低下しているのだろう。本意でない結婚話を持ち出すのも眠りたい一心からに違いない。
「冗談です。私なんぞで団長の結婚相手が務まるわけがないでしょう」
「じゃあ、きみは俺の愛人扱いに甘んじるというのか?」
「いっときますけど異動と同衾を強制しているのはそちらですからね?」
「だから俺は結婚してくれと」
「そもそもが無理だと申し上げているんです」
「強情な娘だな」
「そちらも大概ですよ」
御者台でふたりは睨み合った。
「この分だと夕刻にはラホンダに着く。今夜は第二聖騎士団の宿舎を借りよう」
「そうですか」
短く応じてエステルはぷい、と街道へ視線を移した。
冬で葉が落ちているとはいえ、まっすぐ伸びた道の両脇に木々が並ぶ姿は壮観だ。閑散とした街道をごとごとと馬車に揺られつづけて夕刻、ふたりは門をくぐった。
「その、あの、――」
前方に視線を据えたまま、ヴェーメル団長は口ごもった。
「結婚の件だが、――駄目か」
「駄目に決まっているでしょう」
クショフレール大公国の国教はマウエン教で、未婚既婚にかかわらず婚外交渉やそれと疑われる類いの行いをよしとしない。エステルは平民で、この地にクショフレール大公国が建国される前からの家系だということもあって、若者の恋愛に目くじらを立てない緩い空気で育っている。しかし若くして呪具師になったこともあって忙しくて恋愛は未経験だった。
「もしかしてその、心に決めた相手がいる、とか――」
自分で口にしておいて団長は自分の言葉にしょげてしまっている。
エステルはヴェーメル団長の気持ちが理解できなかった。互いに愛があるわけでなし、まして結婚に利益があるわけでもない。強いていうならばエステルが抱き枕の代わりを務めているくらいのことで、それも元の枕を取り戻すなり新しく作り直すなりすれば用済みだ。わざわざ結婚しなければならない理由があるようにも思えない。
「そういう相手はいません」
「不埒な行いはしていないが同衾したのは確かだし、これからもその、だから――俺と結婚してほしい」
「無茶いわないでください。私は平民ですよ」
クショフレール大公国は、教会総本山のマウエン教国から遠く離れた辺境の地にあって若干緩めではあるがそれでも身分制度はきっちりと存在している。ざっくり分けるとモンス神聖帝国からやってきた初代クショフレール大公やその側近の一族は貴族で、もともとこの地に根づいていた人々は平民である。
ヴェーメル団長は貴族だ。しかもクショフレール大公国の貴族ではない。モンス神聖帝国の貴族だ。
なかなかにややこしい。
モンス神聖帝国は初代クショフレール大公のもとの出身地で主筋にあたる。だからといってクショフレール大公国が帝国の属国であるわけではないが格差はある。マウエン教聖騎士団から招かれたヴェーメル団長の父親はモンス神聖帝国の騎士で領主でもあり、貴族の中でさほど身分が高いわけではないが、ここクショフレール大公国の同じ格の貴族より偉い。貴族、聖騎士、マウエン教国最大勢力のモンス神聖帝国出身と三段階高みにあるだけでなく、その上まだ若いのに優秀でもあるという。エステルからすれば雲の上の人だ。
貴族と平民が結婚してもいいことになっているからといってが建前がまかり通るわけもない。
「確かに身分は違うがその、俺は気にしない。貴族といってもだいぶ下のほうだし、家は兄が継ぐし」
大神官ドミニクスもヴェーメル団長と同じく気にしない派に違いない。第三聖騎士団の団長がピネッキ魔境を守れさえすればどうでもいいと思っていそうだ。大神官はモンス神聖帝国の高位貴族の出であるからなおのことクショフレール大公国の一平民の名誉が昨晩の同衾で決定的に傷つこうと気にしない。
しかしエステルにとっては重大事だ。
――結婚すればいい、なんて軽々しく口にしやがって大神官め。
平民が貴族と結婚するのは難しい。エステルがやたら高い障壁を乗り越えることなくまずヴェーメル団長と同衾してしまったということはつまり、愛人扱いを受け容れたと思われてもしかたないのだ。腰掛け文官仲間が熱烈に希望する物持ちの家に望まれて嫁ぐという話はまず来なくなる。エステルには呪具師の仕事があるから結婚しなくても生活は可能だが、人生から真人間とのまともな結婚という選択肢が消し飛んだ。顧客のほとんどを首都に置いてきた今となっては呪具師の仕事も危うい。
「やっぱり責任取ってもらおうかな……」
「是非そうさせてもらいたい」
隣の大男が大真面目にうなずいた。
できるわけがない。
エステルは溜め息をついた。ヴェーメル団長は一週間続いた不眠で判断力が低下しているのだろう。本意でない結婚話を持ち出すのも眠りたい一心からに違いない。
「冗談です。私なんぞで団長の結婚相手が務まるわけがないでしょう」
「じゃあ、きみは俺の愛人扱いに甘んじるというのか?」
「いっときますけど異動と同衾を強制しているのはそちらですからね?」
「だから俺は結婚してくれと」
「そもそもが無理だと申し上げているんです」
「強情な娘だな」
「そちらも大概ですよ」
御者台でふたりは睨み合った。
「この分だと夕刻にはラホンダに着く。今夜は第二聖騎士団の宿舎を借りよう」
「そうですか」
短く応じてエステルはぷい、と街道へ視線を移した。
冬で葉が落ちているとはいえ、まっすぐ伸びた道の両脇に木々が並ぶ姿は壮観だ。閑散とした街道をごとごとと馬車に揺られつづけて夕刻、ふたりは門をくぐった。
あなたにおすすめの小説
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
あっ、追放されちゃった…。
satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。
母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。
ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。
そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。
精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。
初夜を拒む皇女は敵国の皇太子に溺愛される
日下奈緒
恋愛
敵国との戦に敗れた皇女リゼリアは、すべてを失い、命すら奪われるはずだった。
だが彼女の前に現れたのは、敵国の皇太子アルヴィオン。
「その方に手を出すな」――彼はそう命じ、リゼリアを花嫁として連れ帰る。
両国の友好のための政略結婚。けれどリゼリアは、祖国を滅ぼした男に心も体も許すことができず、初夜を拒み続ける。
それでもアルヴィオンは怒ることなく、花園へ連れ出し、町の視察に同行させ、常に隣で守り続けた。
「君は俺の妻だが、何か?」と堂々と庇う姿に、閉ざしていた心は少しずつ揺らぎ始める。
そんな中、祖国再興を目指す家臣が現れ、彼女に逃亡を促す。
民のため、皇女としての責務を選び、城を抜け出すリゼリア。
だが追ってきたアルヴィオンに捕らえられた彼女に向けられたのは、怒りではなく、切実な想いだった。
「放さない。君を愛しているんだ。一目惚れなんだ」――その言葉に、リゼリアの心はついにほどける。
敵として出会い、夫婦となった二人が選ぶのは、過去ではなく、共に築く未来。
これは、初夜を拒んだ皇女が、溺れるほどの愛に包まれていく物語。
イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在
唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話
中山加恋(20歳)
二十歳でトオルの妻になる
何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛
中山トオル(32歳)
17歳の加恋に一目ぼれ
加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する
加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる
会社では群を抜くほどの超エリートが、
愛してやまない加恋ちゃんに
振り回されたり落ち込まされたり…
そんなイケメンエリートの
ちょっと切なくて笑えるお話
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
敵国に嫁いだ姫騎士は王弟の愛に溶かされる
今泉香耶
恋愛
王女エレインは隣国との戦争の最前線にいた。彼女は千人に1人が得られる「天恵」である「ガーディアン」の能力を持っていたが、戦況は劣勢。ところが、突然の休戦条約の条件により、敵国の国王の側室に望まれる。
敵国で彼女を出迎えたのは、マリエン王国王弟のアルフォンス。彼は前線で何度か彼女と戦った勇士。アルフォンスの紳士的な対応にほっとするエレインだったが、彼の兄である国王はそうではなかった。
エレインは王城に到着するとほどなく敵国の臣下たちの前で、国王に「ドレスを脱げ」と下卑たことを強要される。そんなエレインを庇おうとするアルフォンス。互いに気になっていた2人だが、王族をめぐるごたごたの末、結婚をすることになってしまい……。
敵国にたった一人で嫁ぎ、奇異の目で見られるエレインと、そんな彼女を男らしく守ろうとするアルフォンスの恋物語。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました